信号機が思考したらならば。
「
吾が輩は、信号機である。
正式名称は、交通信号機。動作様式は自動式。
固有の名は、まだない。
道路を通行するすべての者の交通を円滑にするためにある。
昔は交通整理器とか自動交通整理信号機なども呼ばれたこともあるが、最近はシンゴウキが一般的であろう。
最近は、いかんともしがたく思うことが幾つかある。
吾が輩を無視するのだ。
停止信号時には止まらなければ違法行為になるということを知ってか知らずか判らぬが、横断していく。
停止と示しているが左右を見て渡るのは、…まだ許そう。許せぬが、許そう。心広い吾は、…許そう、…許してやろう。
が、あの手にもつ長方形の板を見ながら横断や、車の運転には憤慨している。もはや、吾を見ないのだ。
あうとオブ眼中のだ。
見ろ、認識しろ、と声を大に言いたいが、吾が輩にはモノを言う口がない。言えぬ、言いたいが言えぬ。
なので、たまに停止信号の表示時間をほんの少し長めにしている。復讐とまではいかぬが、可愛い嫌がらせにはなっているだろう。
吾が輩のご先祖に、動作様式が手動式の信号がいる。
ここでは先代と呼ぼう。
先代はガス灯で光源をとっていたので、生まれて数週間で爆死された。仕事中に召されたので、殉死といえるだろう。
先代の仕事は、人間の補助であった。
『ススメ』『トマレ』を表示するのだ。その判断は人間がしていた。
そして吾は、先代から仕事を引きつぐとともに人間の仕事を奪った。“判断する”という事を任されていた人間の仕事だ。
時間差でかわるように設計されたからだ。
“元々補助だったもの”が、“その仕事そのものを担うようになる”というのは、よくあることだ。
そう、よくあることだ。
もしかしたら人間が手にもつ長方形の板が、吾の補助になるかもしれん。
地図が表示されるらしい。あぁ電話にもなるようだ。
しかし、そもそもアレの見過ぎで…事故もおこっとるし死人もでとる。歩きながらで集中しすぎて吾の支柱にあたるならまだ可愛いげがあるが、車とぶつかると見てられぬ。
言いたいことはいくつもあれど、そりゃ起こるわ、板しか見てないから、と言いたい。…嘆かわし、もどかしいものだ。
あの板に『停止』か『進行』だけでも表示できんモノか…、まぁ吾が輩にそんな機能はないから無理なんだがな。
そうしたら、その内あの板に吾の仕事も譲る日もくるかもしれん。
まぁ元々人間の仕事だったんだ。諦めていなく“なろう”。
」
と、信号を見て妄想してました。
戯言ですザレゴト。