青崎真司郎と謎の男
しばらくの間、青崎は見る影もなくなった白松を見つめ続けた。多量の血を流しながら歩く白松の足取りは遅く、鼻のきく青崎ならば行き先を予測して先回りすることも恐らく容易にできてしまうだろう。
しかし今はその容易いことがとても難しい。
心中はいろんなことに対しての疑問符で埋め尽くされていく。
なぜこうなったのか、さっきのは何だったのか、これからどうなるのか、どうすればいいのか、
ーー俺は誰なのか。
無くした記憶を不安に思う気持ちは、目覚めた頃によく抱いていた。最近では感じなくなっていたが、『今の自分』としてやっと一歩を踏み出したところで最初にして最大の恐怖が青崎を取り巻く。
「青崎くん、大丈……」
「なあ、星宮。おまえには俺が誰に見える?」
後ろから話しかけてくる星宮の言葉を遮り、不安から目を背けるように問いかける。
「まだ俺は俺か? まだ俺は星宮が知っている青崎真司郎に見える?」
「見えるよ。青崎くんは青崎くんだよ!」
力強く優しさに満ちた声が耳に届く。確かに届いているのに、空っぽのような、はたまた『何か』に満ち満ちてしまっているような青崎の身には響かない。
「いまいち状況に置いてきぼり食らってるな……どうしたの、この子は」
成海はちんぷんかんぷんと言った様子で問う。
「敵はあそこで伸びてるやつでしょ? 勝ったなら明るく行こうぜ」
「そう、なんですけど……」
星宮は成海の言葉を柔らかく肯定しつつ、対応に困った様子。その様子を見て青崎は立ち上がり、
「悪い。変なこと聞いたな。忘れてくれ」
そう言って歩き出す。
ーー刹那、青崎の前方に未知の光が生じる。小さな球状のものだったそれは、次第に大きさを増し、眩い閃光を放つ。
「なん、だ?」
青崎は目を細めて、光を見る。まさか、敵の増援だろうか。
だとしたら対応が早すぎる。闘う余力など当然残ってはいない。正しく絶体絶命ーー。
「ーーガハァッ!」
予想に反して、聞こえてきたのは苦痛の声。それから閃光は散って、満身創痍の男が1人、姿を現した。
青崎を超える尋常ではない傷つき方。一体何をすればこうなるのだろうか。
「お、おい、あんた大丈夫か?」
「大丈夫そうに見えるかい……?」
そう言って男はこちらを振り向き、目が合う。瞬間、男は驚いたように目を見開く。
「……? どうした?」
「君はーーはは、こいつはすげえ。生きていたのか。なるほど、じゃあさっきの魔法も」
「魔法? なんかまた頭おかしい奴が現れたな」
言葉に食いついた成海は怪訝そうな顔をする。
「あんた、さっきの炎を知っているのか!?」
「ああ、よく知っているとも。……記憶を消されたって噂は本当だったようだな」
「教えてくれ!! 俺は一体ーー」
「青崎くん、それより先にその人の手当てをしないと」
取り乱す青崎を落ち着かせるように星宮がいう。すると男は手を左右に振って「ご心配なく」といい、胸の前で手を交差させる。
「回復魔法第5術 応急処置」
男は唱えると同時に全身を白い光で包まれる。するとそれは手品のごとく、流れ出ていた血は止まり、見るに耐えなかった傷はみるみる塞がっていく。
「これが魔法。君は魔法を使ってそこの奴を倒したのさ」
「魔法……」
その言葉を青崎は脳内で反芻する。魔法なんて、非科学的で、2次元の中のものだと思っていた。
嗅覚特化の能力を持つ青崎が魔法によって炎を出すことができたとするならば、魔法は使用者の持つ能力と関連性のない力という事だ。
魔法、もしそれが実在するならば、この能力都市のパワーバランスは根底から覆ることとなる。
ならば、魔法はこの街の腐った制度をぶち壊すヒントになり得る可能性が大きい。
だったらこのチャンスを逃す手はない。魔法を知ることは青崎の、そして白松との目標に近づくための最善の道なのだから。
ーーあるいは、今の自分はそんなことはもうどうでもいいとさえ思っているのかもしれない。
「魔法ってなんなんだ? 教えてくれ、俺は、俺は、ーー俺はどこの誰なんだ!?」
不安から自然と声は大きくなる。それは目覚めた瞬間から一瞬足りとも消えることのなかった不安であり、疑問であり、青崎の原点。
入院中考えなかった日はなかった。自分自身がどんな人間なのかを。何を成し、何を捨て、どう生きてきたのかを。
この傷は何故生まれたのかと。
退院して学校に通いだしてからは意識的に考えないようにしていた。
過去の自分がどこの誰でも今の俺には関係ない、と切り離してきた。
「この街は外から完全に隔絶されている。どこを探しても外の情報は一切見当たらないと分かった。
だから俺はこの街は何らかの実験施設だと思った。 外部からの一切を断ち、自然とバトルが勃発する制度を組み、能力者たちで実験を行なっているのではないかと」
「青崎くんはそんなことを……」
「へえ、すごいこと考える奴だな」
持論を展開する青崎に星宮と成海がそれぞれ驚きの言葉を述べる。
2人は純粋なこの街の住人であるため、前提条件としてこの街の在り方が当たり前だと思っている。だかれ青崎のような考えには至らない。
こんな考えが出来るのは青崎のように外から来た人間ーー
「あんたは外から来たんだろ? 俺の知る限りこの街で外から来た人間は俺だけだった。
そして俺には記憶がない。つまり外の世界のことも、外との行き来の仕方もあんたしか知らない。 魔法ってのは外の文化なんだろ?」
「ああ、そうだ」
「あんたはこの街をどう思う?」
男は口元を緩ませ、鼻で笑うと一変して真面目な表情となる。
「……君に同感だよ。よもや記憶も消えて、この街に監禁状態の君がそこまでの意見に辿り着いているとは」
顎に手を当て、考えるような仕草を見せた数瞬後、男は手のひらを青崎に向ける。
「ちょっと! 何する気!? 交戦するつもりなら生徒会として黙っていませんよ」
「星宮、大丈夫だから」
星宮をなだめ、前に出ると青崎は男と対峙する。男は青崎が軽く見上げるくらいの身長、180センチくらいだろう。目から放たれる威圧は白松や草戯原と対峙したときに感じたものと同様ーー否、それ以上。
青崎は乾いた口で息を呑み、応じるように目力を込める。
「出会って間もない俺を信用するのか? 少し甘すぎるんじゃないか?」
「信用するのかしないのかは目を見たときの直感で決める。これがかなり正答率高い」
「……」
「ーーーっ」
数秒の沈黙を裂くのは男の手のひらから放たれる白い光だった。光が青崎を包み込むと、奇妙なほどに痛みが引き、愉快なほどに力が湧く。
「回復魔法第5術 応急処置。名前の通り戦場でその場しのぎに使う回復魔法だから完治はしない。しばらく無茶は避けたほうがいいよ」
「あのーー」
「面白そうだと思ってね。バレたらかなりマズそうだが……俺はスナルディ。とある国の情報捜査官だ」
名乗り出たスナルディは手を差し出す。青崎は食いつくようにその手を取る。
その様子にスナルディはフッと笑うと、瞳の奥の奥まで見透かすように青崎の目を見て、
「さあ、何を知りたい?」
楽しげにそう問いかけるのだった。