【 誰も見てない、その場所で。 】
翌日ーーー
セントクルス西部の地下にあるシオンの家では、いつものようにシオンとケントが曲作りと練習をしていた。
いつもの練習用の小さなステージがある部屋でシオンは、ステージの上ではなくケントがギターいじりをしているソファの近くに椅子を置いて だらし無く椅子に座っていた。
そのシオンの表情は、頬っぺたを風船のように膨らませて分かりやすく不貞腐れていた。
「ちっ、おいシオン 何さっきから食い物を詰め過ぎたリスみてぇなツラしてやがんだよ。視界に入る場所でそんな不細工なツラすんじゃねぇよ」
「だぁーってぇ。毎日毎日 雨アメ雨アメ。わたしは雨でもいいって言ってるのに、学園長さんもケンちゃんも外に出るなーって言うんだもん。笑顔不足だよ!みんなの笑顔がないとわたしは枯れてしまうよ!いいの?わたしが干枯らびちゃってもいいの!?」
楽器の手入れをしている時に邪魔をされるのを嫌うケントだが、シオンは基本的に人の都合も話も聞かないし気にもしない。
馴れ親しんだケントに対しては特に遠慮がないので、ギターの手入れをしていても間近でブーブー言うことに躊躇いはない。
「てめぇはちょっとくらい干枯らびた方が丁度いいだろ。雨なら雨で休暇だと思ってゆっくりまったりしとけばいいじゃねぇか」
小雨であったり普通の雨ならばライブが中止になる事はない。
シオンのライブ自体それほど頻繁に行われる訳ではなく、今年の雨季は例年より長く激しく続いている為 予定していたライブが潰れてしまったのがシオンの不貞腐れている理由のようだ。
それだけではなく感情優先のシオンは、自分の意思で歌わないのはいいが 自分の意思とは無関係に歌えないのは嫌らしく 雨のせいでみんなの前で歌えないこの状況に我慢が限界寸前になってしまっているのだ。
「ゆっくりもまったりも飽きたー!もう限界っ!わたし、ちょっと雨雲さんに文句言ってくるっ!」
「だっ、馬鹿!おいシオン、待てこらっ!」
ケントの制止に聞く耳持たず シオンは外に転移してしまった。
ケントは慌てて追いかけようとしたが、この家の出入りに必要なロケットペンダントがない事に気付き バスルームに走った。
「ちっ、なんで今日に限ってつけ忘れんだよオレは」
ケントは今日、シオンの家に来た時に少しだけ雨に濡れてしまった為 シャワーを浴びたのだが、その時にペンダントを外して置いたままだったのだ。
バスルームの脱衣所に置かれたままのペンダントを首に付け すぐにシオンを追いかけて外に転移しようとしたが、ケントは何かを感じ取り転移をやめた。
そしてケントはそのまま先ほどまでギターの手入れをしていた小さなステージのある部屋へ戻って行った。
ポタッ、ポタッ、ポタッ
「お早いお帰りだったなシオン。干枯らびる前に水を貰えてよかったじゃねぇか。雨雲さんは話を聞いてくれたのか?」
ケントがステージ部屋に戻ると、服を着たままプールに飛び込んだかのようにずぶ濡れのシオンが戻ってきていた。
「・・・人の話を聞く気もないのは、わたしはダメな事だと思うな。雨雲さんには今度 礼節の歌を歌ってあげると心に決めたよ……シャワー浴びてくる」
どうやら外に転移した直後に雨に打たれて避難してきたようだ。
おまえが言うな、とケントは言いたかったが 濡れたままで風邪を引かれては困るので、バスルームにトボトボ歩いていくシオンを何も言わずに見送った。
濡れた事以外は何事も無く帰ってきたシオンに安心したケントは、愛用のギターの手入れを再開した。
「確かに今年の雨は長ぇな。シオンが痺れを切らすのも分からねぇ事もねぇが・・・」
魔力が人並みを遥かに超える力があれば雨雲を消し飛ばす事は可能。
よって 人並みではないケントの魔力でもシオンの歌でもそれは可能なのだが、自然がもたらす恵を消し去る事は禁止されているので 雨が止むまで我慢しなくてはならないのが現状である。
地震や雷から街を守るために結界を張ったり、雨や風から身を守るために防魔を張るのは問題ないが、原因となる雨雲などを消し去る事は人のするべき事ではない というのが大昔から決められたルールであり、今でもその考えは支持されており 今では法律にもなっている為 国からの許可が出ない限りは自然を壊せば罪に問われる。
「止むまではなんも出来ねぇからな…」
地震に続き異例の大雨。
ケントが感じていたキナ臭さは当初 人為的な何かを想像していた。
しかし異常気象とも言える天災が重なった事でその可能性は、完全にではないが確実に頭から薄れつつあった。
タッタッタッーーー
「シオン・ヴィーナスふっかーーつ!なんか雨に打たれてシャワーにも打たれたら元気出てきたっ。滝に打たれてレベルアップしたツンツルテンの気分っ!よぉーし ケンちゃん、今日はとことん練習という名のわたしの趣味に付き合って貰うからねっ」
「はっ、いつもみてぇにシオンが歌いながら寝ちまうまで付き合ってやるよ」
止まない雨音も聞こえない地下深く。
観客が1人もいない小さなステージで、歌姫と異端児は時間を忘れて楽しげな演奏会を夜遅くまで続けた。
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ザァーーーー・・・
「ざぁーー、ざぁーーー」
自然に溢れた森の中で、額に傷痕のような縦線の入った小さな少年が1人 全裸で空を見上げていた。
裸の少年は雨に打たれながら 瞬きもせずに青の見えない空を見上げ、雨の音を口で真似している。
飽きる事なく全身で雨を受けていたその少年の背後から、危険指定されている魔獣の群れが姿を現した。
グルルルルルッ ガルルルッ
裸の少年を囲む狼のような複数の魔獣達は、ジリジリと距離を詰め 少年を狙っている。
「ぐるるるるっ がるるるっ」
裸の少年は雨音の真似をやめ、今度は魔獣の唸り声の真似を始めた。
「ざぁー?ぐるる?がるる?」
裸の少年は魔獣に狙われているのを気にもせず、先程自分で口にしていた擬音に疑問符を付けて 首を傾げながら自問自答しているようであった。
グオォォォォァァァッ
無警戒の少年を囲みながら、慎重に観察していた魔獣達が一斉に少年に牙を剥いた。
グォンッ キャイン ギャッーーー
誰が見ても無警戒の少年が無惨な肉片に変えられるのは避けられない状況であったが、聞こえてきたのは少年の悲鳴ではなく 魔獣達の断末魔であった。
クチャ クチャ ムシャ ムシャ
「ぐるる?きゃいん?あーーーあーーーうーーーうーーーむしゃしゃ?ざぁーーー?」
裸の少年は襲いかかってきた魔獣を片手で次々と握り潰し、そのまま自分の口へと持っていき食していった。
本来魔獣は食べられるような味でも物質でもなく、口に入れた途端に嘔吐してしまったり 体調を崩してしまう物で、悪ければ死に至る事もあるのだが、裸の少年は表情を変えずにただ食べていた。
まるで赤ん坊が手に取った物をなんでも口に入れてしまうのと同じ様に、と言えば聞こえはいいが その少年が口にしているのは魔獣。
極めて異質な光景であった。
「んあ?ふわぁ〜、むにゃむにゃ・・・」
襲いかかってきた魔獣を全て完食した少年は お腹が一杯になって眠くなったのか、大きな欠伸をした。
たった今 自分の命を刈り取ろうとしてきた魔獣がいたにも関わらず、少年は無警戒のままその場で地面に寝転がり寝息を立て始めてしまった。
人が足を踏み入れることのない西大陸の孤島にある森の中でスヤスヤと眠る少年。
まだ誰も、この少年の存在に気付いてはいなかった。