【 親友と幼馴染 】
見慣れた広すぎる校庭を横目に、まだ通い慣れていない校舎を目指す。
俺の通っているこの《アルバティル学園》は小中高一貫の為、朝のこの時間は生徒だけではなく保護者や教師さらには警備員もいるので人が多い。
それでもゆったり歩いていけるほど広い学園だ。
アトラクションがあるわけではないがテーマパークのように広く、素行がいい生徒しかいないというわけでもないのにゴミなどが全く落ちていない不思議な学園。
そして所々に設置されているピエロのような格好の学園長の銅像。
仮面で顔を隠しているくせに、至る所に銅像を置く自己主張さも不思議さに拍車をかけている。
初等部に入園したばかりの子供達は、アレを見て大笑いしたり大泣きしたりで保護者からクレームが毎年津波のように来るらしいが、ひと月もしないうちになぜか子供達も親達もアレを受け入れてしまうので銅像の数が減る事もない。
一部の生徒や教師達は「学園長の洗礼」と言って、入園であたふたする子供達を温かく見守る風習が出来上がっている。
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隅々まで掃除が行き届いた廊下を進み、ようやく1ーAと書かれたクラスに辿り着いた。
HRの時間までまだ少し余裕があり、教室の中もまだ空いた席が多く、登校している生徒も自分の席ではなく、いくつかのグループで談笑している者がほとんどだ。
「おはようタクト、相変わらず早いねぇ」
窓際の後ろから二番目の自分の席に座りヘッドホンを外した途端に、それこそ相変わらずな朝の挨拶をセルス・シエートが笑顔でしてきた。
「おはよ、セル。・・・なんで朝っぱらから鼻血垂らしながら満面の笑みなの?」
「いやぁ、2年前に兄貴に見せられたアダルティーな本を思い出したら鼻血も笑みも止められなくなって困ってたんだわぁ、たはっ」
セルは性格も明るく頭もいいし気配りなども出来て尊敬できる友人だが、朝から胃もたれさせてくる残念な友人でもある。
「あれ?イリアちゃんは今日は一緒に来てないの?」
ティッシュを鼻に詰め、俺の後ろを覗き込みながら質問してきたセルにつられて俺も振り向いた。
「ん?そういえば今日は珍しく朝会わなかったな。マキナと一緒に向かってるんじゃないか?まぁ待ち合わせしてるわけじゃなくて、毎朝たまたま通学時間が一緒だから一緒に来てるだけだしな。そろそろ来るんじゃないか?」
などと話していると、タイミングよく話題の主が教室に入ってきた。
まだ慌てて来るような時間ではないのに、なぜかイリアは肩で息をしながら、少しムスッとした顔で自分の席、つまりは俺の後ろの席に座った。
「おはようイリア、まだHRまで時間あるのになんでそんなに急いでたんだ?」
「・・・・・」
声をかけて返ってきたのは沈黙とジト目だった。
…あれ?俺なんかした?
「あの、イリアさん?なにかありました?」
「・・・・・」
沈黙が痛い、ジト目が痛い、そしてまた思い出し鼻血を出しながら笑ってるセルがウザい。
いや、しかしイリアを怒らせるような事をした覚えがない。
原因は俺じゃないのか?だがイリアは八つ当たりするようなタイプじゃない。ならやっぱり俺がなにかしたのか?いやだがしかし思い当たる事がない…
「ふぅ、気付いてなかっただけかぁ」
俺が必死に原因を考えていると、今までジト目沈黙を貫いていたイリアが力の抜けた声で呟くようにそう言った。
「イリアちゃんおはよう、なんか朝から疲れてるみたいだね」
「セルス君おはよ。うん、少し走って来たから疲れちゃった。鼻血はもう大丈夫?理由は聞かないでおくね」
甘い思い出との激闘から帰還した焦げ茶色の短髪変態紳士セルの挨拶に、いつもと変わらない穏やかな笑顔で挨拶を返すイリア・フラワール。
少し暗めのクリーム色したミディアムヘアーにおっとりした顔つき、幼さの中に母性のような包み込む優しさが滲み出ているイリアは俺の幼馴染でありクラスメートだ。
見た目だけではなく実際イリアは優しく穏やかで、幼い頃から一緒にいるが俺かイリアの妹のマキナに対してしか怒っている所を見た事がない。
それに理由もなく怒られた事も、俺が悪くないのに理不尽に怒られた事もないくらいだ。
「なるほど、多分あれだ。イリアちゃんが声を掛けたのにヘッドホンのせいで聞こえてないタクトが1人でさっさと進んでいっちゃって、走って追いかけたけど追い付けなくて無視されたと思って不機嫌になってた!ってところじゃない?」
親指と人差し指であご髭を摘む動作を繰り返しながら、鼻ティッシュの変態紳士が俺にドヤ顔で自分の見解を述べてくる。
ヒゲなんて生えてないくせに…。
しかしセルの見解は的を得ていたらしく、イリアが目を見開き驚いた表情で「なにも言ってないのによくわかったね」と答えていた。
自分の考えが正解しドヤ顔レベルが3くらい上がったセルを横目に、イリアのジト目の理由を理解した俺は、無自覚だったとはいえ嫌な思いをさせてしまった事を謝罪した。
「そうだったのか、ごめんなイリア。全く気付かなかった。でも気付いてないと思ったら肩でも叩いてくれたらよかったのに」
「ううん、こっちこそごめんね。気付いてない事に気付かなかったんだよ。私が『おはよタクト、今日も暑いしセミもすごいね』って言ったらタクトが『夏の暑さとうるささは慣れないな』って返事してくれてたし」
…あ、それ俺の独り言です。
と心の中で独り言を聞かれた恥ずかしさを消化していると
「その後は話しかけてもボーっと前だけ見てて、暑さでつらいのかと思ってヒエルの魔法をかけてあげたら、いきなり早歩きになって何も言わずに先に行っちゃったから…」
と、勘違いまでの過程を説明してくれた。
たしかにその状況を想像すると俺はかなり冷たい野郎だ。
置いていかれたイリアは困惑し、自分がなにか俺を怒らせるような事をしてしまったのかと思い、少し立ち尽くしたあと体力がある方でもないのに走って追いかけてみたが追い付けなかったようだ。
朝一でムスッとして見えたのは不安と困惑と疲れで表情が硬くなっていたためらしい。
その後、席に座った途端にいつもと同じように気楽に話しかけてきた俺を見て、怒らせていない安心感と走った疲れが一気に押し寄せ、それと同時に、ならなんで無視して1人で先に行っちゃったの?という疑問と不満が込み上げてきてジト目が炸裂したのだとか。
お互いが理解と納得をした時には、イリアは顔を真っ赤にしながら何度も謝ってきていた。
俺が聞こえていないのに1人でずっと話しかけていた恥ずかしさと、ネガティブな勘違いで怒ってしまった事の後悔が押し寄せてきているのだろう。
そんなイリアと向かい合って、俺もイリアに謝っていた。
独り言を聞かれた恥ずかしさなどは、もうとっくに消えている。
俺にあるのは後悔だけだ。
幼い頃、俺は自分自身に『イリアに辛い思いはもうさせない』と誓ったにも関わらず、すぐ近くで声を掛けてきていたのに気付く事すら出来なかった自分が不甲斐なくて…
「あ〜あ〜朝っぱらから、ごめんなさいという魔法の言葉で合法的にイリアちゃんの匂いを嗅ぐ為に頭を下げるタクトは変態上級者すぎるわぁ」
ごめんなさい合戦を見ていたセルが見当違いな名誉毀損発言をしてきたおかげで、暗い考えに支配されそうだった俺の頭が現実に戻ってこられた。
「黙れ変態グネス記録保持者。俺はそんなつもりで頭下げてたわけじゃないし、思いつきもしなかったよ」
頭を切り替えさせてくれた事には感謝するが、変態仲間になるつもりはない。
「へぇ〜ほんとにぃ〜?」
「当たり前だアホ」
と二人でくだらない言い合いをしていると、さっきよりも顔を赤くしたイリアが恥ずかしそうに
「私、走ってきちゃったし、汗もかいてるし、く、くさくなかった?」
と泣きそうな顔で言ってきたので、俺はとっさに
「全然。イリアの家の花の良い匂いがしただけだよ」
と答えるとイリアは安心したようにホッと胸を撫で下ろした。
そして隣にいるセルはにやにやしながら「ほらねぇ〜」と言ってきやがった。コイツ。