【 不登校のレベル3 】
半壊した壁、窓に突き刺さったままの巨大なお姫様ベッド。
「あ〜、気なんか遣わなくていいよ〜。飲み物なんかいいよ〜。ネムはお茶よりジュースが好きだな〜」
「・・・・・」
必要以上に風通しの良くなってしまった部屋、見覚えはあるが見慣れない少女。
「お菓子なんか出さなくていいからね〜。ネムはしょっぱいのより〜、甘いほうが好きだな〜」
「・・・・・」
可愛らしいパジャマに身を包む少女の顔は見えない。
その理由は、大きな口を開けたヌイグルミのような物を被っているから。
枕とアイマスクを兼用するヌイグルミの大きな口に、食べられるような形で頭に被っているせいで顔の全容は見えないが、ヨダレの跡が残る口元は見える。
「ね〜、お菓子まだかな〜?あ〜、ヨダレ垂れちゃったよ〜。えへへ〜」
「・・・まず、片付けを手伝ってくれるか?」
窓を破壊し、勝手に部屋に上がり込み、ジュースとお菓子を要求してくるマイペースなネムレに対し、タクトは頭を抱える思いで辛うじてそう言った。
「お片付けは〜、明日やればいいよ〜。明日出来る事は〜、明日にしよ〜」
「今日出来る事は今日やる!いいから手伝えっ!」
「仕方ないな〜、終わったら起こしてね〜・・・すぅ〜すぅ〜…」
「おい寝るなっ!俺はこれだけデカい物を浮かせる魔法も穴を塞ぐ魔法も覚えてないんだっ、頼むから寝ないでくれぇぇぇっ!」
ーーーーー
ーーー
ー
ーーーそれから10分後、
「ごちそぅさまぁ〜、美味しかったぁ〜」
タクト1人では壁に刺さったベッドをどかす事すらままならない為、大きな鼻風船を膨らませながら寝息をたてるネムレをなんとか起こそうと揺さぶったり水魔法を掛けたりしたが起きてくれず、最後の手段としてお菓子とジュースを持ってきた事でネムレはサッと上半身だけ起き上がり、とりあえず巨大なベッドだけは取り除いてくれた。
「ふぅ…、とりあえず穴は明日、母さんかイリアに直して貰うしかないな」
取り除かれたベッドはひとまず庭に置いておいてもらい、風邪通しの良過ぎる穴はダンボールで塞いだ。
「たいへんそうだねぇ〜、たいへんなのはイヤだねぇ〜」
「誰のせいだよっ!」
「えへへ〜、夢では物は壊れないからねぇ〜」
ルークとの訓練でいつもより疲弊していたので今日は日課の自主トレをやらずに早めに就寝しようとしていたタクトに、無駄な労力を使わせておきながら全く悪びれた様子を見せずにタクトのベッドの上で寝っ転がりながらジュースを飲む少女。
「それにしても随分久し振りだな。俺が学園島に来て少し経ったくらいに会って以来だから、大体8年振りくらいか。それなのにいきなりどうしたんだよ?学園にも全く顔を出さないから、一瞬誰か分からなかったぞ」
「えへへ〜、学園には夢の中で行ってるよ〜。授業って眠くなるよねぇ〜、ネムは夢の中でも居眠りしちゃったよ〜」
ネムレ・クロスレント。
ネムレは見た目こそ幼いが、年齢はタクトと同じ16歳。
さらに、アルバティル学園1-Aクラスの生徒でもあるのだが、普段は学園に来る事はなく、特別不登校許可生徒として扱われている、ちょっと変わった人物であった。
この特別不登校許可生徒というのは、文字通り登校しなくても登校したものとして扱われる制度で、知ったところで言うならば生徒会のセルスやハイナ、歌姫シオンとそのパートナーであるケントなどがこの制度に適用されている。
アルバティル学園という特別な学園に通っているだけで、世界的に見ればすでに特別な存在という事にはなるが、その中でも限られた条件、能力、境遇でなければこの制度を受ける事はできない。
ネムレは、その特別な条件に当てはまる存在であった。
「たまには夢じゃなくて現実でも学園に来いよな。数少ないレベル3仲間なんだし。
それに、昔に比べて最近は学園全体の雰囲気も変わって良い感じになってるんだぞ」
「知ってるよ〜、ネムの夢は〜、夢だけど夢じゃないから〜」
アルバティル学園高等部1年には、稀少な存在であるMSSレベル3感染者が6人いる。
共存のアイデンとMSSを使い、多くの困った人を助けてきた世話焼きタクト。
治癒系のアイデンで傷を癒し、おっとりした外見と優しい心で人の心まで癒すぷるるん女神イリア。
鉄壁の1人城で自分を守るだけではなく、大切な人も守れるようになりたいと奮闘する気弱な努力家ルーク。
最強のシスコン、デュラン。
剣豪一族ウッドベル家に生まれながら剣を捨ててギターを握る道を選んだ歌姫シオンの幼馴染兼パートナー、クールな態度と冷たい視線でファンを悶絶させまくっている異端児ケント。
そして最後の1人が、今タクトのベッドでゴロゴロしながら口をムニャムニャさせている、このネムレであった。
「ネムは〜、現実の事なんかど〜でもいいの〜。でもね〜、タクトくんは友達だから〜、会いに来たの〜」
「いや、まぁそれはいいんだけど…、会いに来るならせめて玄関から来るとか学園に来るとかして欲しかったかな…。しかも今日はちょっと疲れてるし、来てくれて早々で悪いんだが出来ることならまた後日という事で…」
タクトのマイベッドを我が物顔で占領するマイペースなネムレに疲労感が増したタクト。
オブラートに包ながらも、そろそろ帰ってくれよと意思を伝えたタクトであったが、ネムレはその場から動こうとはしなかった。
「ーーーーー」
タクトは意思の疎通が出来ない旧友にため息を吐きたい気持ちが込み上げてきたが、パジャマの裾からチラッと見えた無機質な義足が視界に入り、ため息を呑み込んだ。
「いや〜ん、タクトくんのエッチ〜」
「わ、悪い……って別にそういう目で見てた訳じゃないってのっ」
「えへへ〜、タクトくんはウブなんだね〜。義足だけど〜、サービスサービスゥ〜」
「やめろって!何がサービスだよ…」
久し振りの再会であった為、すっかり忘れていたネムレの義足。
ネムレ本人は気にしていないようだが、その痛みも喪失感もタクトには想像も付かない為、痛々しい表情でネムレの悪ふざけを制止した。
「ネムのために〜、そうやってツラそうな顔をしてくれるのは〜、タクトくんだけだよ〜。えへへ〜、でもね〜、タクトくんは笑ってる方が〜、ネムは好きかな〜」
ネムレの味わった痛みや苦しみはわからない。
だが、ネムレはMSS感染者である事から、義足になった理由を想像する事は容易にできてしまう。
ここは学園島であり、ロキソという世界屈指の名医がいる。
なのにも関わらず、レベル3感染者のネムレが義足を装着しているという事は、生まれつき足が無い、もしくはネムレが学園島に来るよりもずっと前に足を無くす様な事があったかの二択だと、タクトは思っていた。
事実、タクトのその予想は当たっていた。
ネムレはMSS騒動末期の時、極寒の地エルスノウ大陸の辺境の地で、長期に渡る壮絶な迫害を受け、両足を切断されていた。
切断されてからすぐにロキソに治療をしてもらう事が出来ていたのであれば、ネムレは義足になる事はなかったが、ネムレが学園に保護されたのは足を失くしてから2年が経過してしまっていた為、ロキソの能力でもどうする事も出来なかった。
臓器を根こそぎ失ったアックスの致命傷をいとも容易く完治させたロキソの能力で何故、切断されただけのネムレの足を治せなかったのか…。
それはロキソの能力の条件から外れてしまっていたからであった。
万能と言われるロキソの能力《記憶修復》は、治療する相手本人の記憶が、治療の基盤となる。
怪我をする前の記憶、病気になる前の記憶、四肢を失くす前の記憶、それらは全て治療を受ける側の脳内に残っており、それを元に身体を修復させていくのだ。
本来ならば2年くらいの時間ではその記憶は消えたりはしない。
腕を失くした人が、何年か経った後でもふいに無いはず指が痒くなったりするのも記憶の残骸であり、ロキソの手に掛かればその僅かな記憶からでも修復は可能であった。
しかし、ネムレの足は治すことが出来ない。
これは不運としか言いようがないが、ネムレは幼少期の頃からよく眠る子であった為、普段から足を使う事が極端に少なかった。
なので、元々使う事があまりなかった両足を切断されて1年程経った頃には、足がない自分を完全に受け入れてしまっていて、それが自分のあるべき姿なのだと完全に脳に焼き付けてしまっていたからだ。
ネムレが普段からもう少し足を使った生活をしていれば、本来ある筈の足の記憶が残ったかもしれない。
ネムレがもう少し年齢を重ねていれば、足がない自分を脳に定着させるまでにもっと時間が掛かったかもしれない。
ネムレがもう少し早くロキソの治療を受ける事が出来ていれば…
どれか1つでも当て嵌まっていれば…
ネムレの義足についてはやはり不運としか言いようがないが、その詳細をネムレはタクトに話すつもりもないし、悲観どころか気にもしていなかった。
「とりあえず今日はもう遅いし、積もる話はまた明日にしようか。さすがに女子を家に泊める訳にもいかないから、送っていくよ」
突然の訪問ではあったし部屋を散々散らかされはしたが、久しぶりの再会であった為 タクトも色々話したい事はあったが、世も更けた自室で慣れ親しんだ仲というわけではない女の子と2人きりで語り合うのも抵抗があり、再度帰るように促した。
とはいえ、義足の事を思い出した手前、じゃあサヨウナラという訳にもいかず、家まで送って行くつもりではあった。
「明日になったら〜、もう遅いから〜、今日きたの〜」
「ん?どういう意味だ?」
ネムレを送って行く為に立ち上がったタクトだが、当のネムレは帰るつもりがないらしく、ベッドに寝転がったまま。
しかし、ネムレの発言には多少気になるところがあった。
フラッと立ち寄っただけだと思っていたタクトだが、今の発言には違和感を覚えたようで、無理矢理ネムレを引っ張り起こして帰らせようとはせずに耳を傾けた。
「ネムは〜、保護されながら軟禁されてるの〜。抜け出せるのは〜、今しかなかったの〜」
「軟禁?今ここに居るのにか?一体どういう意味だよ。それに誰がネムレを軟禁なんかするんだ?」
ネムレはゆるい口調でなにやら重たい事を言い出した。
「サラちゃん達だよ〜、あ〜でも〜軟禁だけど〜、ネムには快適な軟禁だから〜、誤解はしないであげてねぇ〜」
「サラ先生?快適な軟禁??わるいけど、全く話が見えない…」
言葉が足りないマリアや言葉をあまり知らないグルルとは違い、根本的に何かが抜け落ちているネムレの発言は理解が難しく、タクトは困惑していた。
「そ〜だよね〜、それじゃ〜用事を済ませちゃうね〜」
「んん??用事?俺に何か用事があったのか?」
やはりネムレは、気まぐれで遊びに来ただけではないようだ。
「そ〜だよ〜、じゃあ少しだけおやすみなさぁ〜い・・・・」
「はっ?いやいや、用事は?おいっ、ネムレ寝るなっ!」
タクトの願いも虚しく、会話の成り立たないままネムレは寝息を立て始めてしまったーーー
「ーーーっっ!?」
しかし、起きて欲しいと願ったタクトの願いは思わぬ形で、すぐに叶う事となる。
「お、おいネムレ…?」
目の前で寝息を立てていたネムレの全身が眩しい光に包まれ始め、眠ったままの状態でベッドから少しだけ浮かび上がった。
しかし、異変は浮遊と発光だけではなかった。
「ネムレ…なのか?」
目の前で寝ていたのは間違いなくネムレであったが、タクトはそれが本当にネムレなのかわからなくなっていた。
何故なら、目の前で光に包まれながら浮遊するネムレが次第に大人の姿へと変化していったからであった。
ピカッーーー
「ーーーっっ!?」
眠ったまま光に包まれて浮遊し、次第に大人の姿へと変化していったネムレが、一際眩い光を放った。
「タクトくん、驚かせてごめんなさい」
眩い光に目を閉じていたタクトが再び目を開けると、目の前には綺麗な女性が申し訳なさそうな表情を携えたまま浮遊していた。
「えっ?は??ネムレは?あなたは誰ですか?」
「うふふ、そんなに驚いた顔のタクトくんを見るのは初めてですね。そんな顔が見られるのなら、現実もたまにはいいかもしれませんね。
あ、ごめんなさい。私はネムレ。昔、木に引っかかって気持ち良く眠っている所を、蜂に刺されそうだって心配したタクトくんの共存で起こされて木から落っこちたネムレです」
目の前で変化していった事から、目の前にいるのがネムレだとすぐにわかりそうなものだが、タクトはすぐには理解出来なかった。
話し方、見た目、雰囲気、サイズ、その全てが知人であるネムレとはかけ離れていたのが原因であった。
確かに面影はある。
2人が姉妹だと言われれば納得できる程に。
だが、同一人物と言われてもすぐにはしっくり来なかった。
しかし、目の前の美女は、タクトとネムレしか知り得ない過去を懐かしそうに語っていたし、着ている服もサイズは違えど同じ物。
古い思い出話と自己紹介を聞いたタクトは、数瞬の思考の果てにーーー
「ええぇぇぇぇっっ!?」
典型的な驚きを持って、目の前の人物が旧友ネムレと同一人物だと理解した。