【 進化の兆し 】
猿鬼と向かい合うタクトは、イリアを背後に庇いながら 自分の中にある変化に驚きつつも しっかりと猿鬼を見据えていた。
「(イリアは後ろ、ララさんの心声のおかげでルークも無事なのは分かったし、グルルもヤンバル達と一緒で怪我とかはしてないみたいだな、良かった。ヤンバルとポンタルが一緒なら、この状況では俺と居るよりは安全だろう。ーーーそれにしても、不思議だな…。この前は魔獣が近くに居るって思っただけで恐怖で身体が震えてたのに、今は驚くほど落ち着いてる。いや、それよりも・・・)」
以前対峙した剛猿鬼と今目の前にいる猿鬼はどちらも見た目や大きさに差はなく、違いといえば毛の色と属性と腕力くらい。
弱体魔法や拘束系の魔法を使えば倒す事はさほど難しい魔獣ではないが、デバフ魔法を使えなかったり 掛ける事に失敗した場合には倒すのが困難になるタイプ。
それ故に、猿鬼を討伐する時に1番気を付けなくてはならないのが、弱体魔法を掛けるまでの対峙している時間。
猿鬼は低級魔獣ではあるが、弱点となるコアは口の中にあるので狙う事は難しいうえに、生身の人間が腕力で勝つ事は難しく 一瞬でも油断すれば素早い動きで頭を握り潰される事もある為、剣などの武器を持っていない場合は動きを封じつつ遠距離から水魔法で倒すのがセオリー。
タクトは授業で習った猿鬼の性質を頭の中で思い出しながら、小さく1度深呼吸をした。
「イリア、遅延魔法で猿鬼の動きを抑えられるか?」
少し前までのタクトならば恐怖で立っているのがやっとであったが、今は魔獣に気圧される事もなくしっかりと地に足を付けて立っている。
それだけではなく、タクトは目の前の猿鬼を倒そうと考えているらしく、視線を猿鬼に向けたまま 自分の背後にいるイリアに援護の要請をした。
それを聞いたイリアは少し驚いた顔をして戸惑ったが、見慣れているはずのタクトの背中が いつもより大きく そして逞しく見えた事で、覚悟を決めた。
「うん、ディレータなら花屋のお手伝いでも使う事が多いから大丈夫だよ。タクト…無理はしないでね」
イリアは心配を口に出しはしたが、タクトを止める事はしなかった。
「あぁ、大丈夫。多分だけど いける気がするんだ。それに、みんなが戦ってるのに俺だけ逃げ回る訳にはいかないしな」
イリアから見たタクトは、普段はとくに自分から何かを率先してやったりするようなタイプではないが、誰かが困っているのを見たり 手が必要な人が居るとわかると放っておく事が出来ず、1度やると決めたら多少無茶な事でもやってしまう人。
その性格のせいで昔からよく怪我をしているのを見てきているイリアは、本当ならタクトを止めたい気持ちが強かった。
しかし長い付き合いでイリアは今のタクトには何を言っても引かないというのが理解出来てしまっている為、せめてタクトが怪我をしないように 自分が出来る範囲の手伝いを全力でする事に決めたようだ。
グギャギャギャッーー
「イリア、頼むっ!」
「うんっ、ソロ・ディレータ!」
グ、グギ…グ ギ ギ ギ、
タクトの合図に合わせ、イリアが弱体魔法を放つと 魔法は見事に猿鬼を捉えて動きを遅くする事に成功した。
しかし猿鬼は元々のスピードが速く、ディレータを掛けてやっと人間と同じくらいの速度になる程度。
その上 猿鬼は弱体魔法を掛けられると肉弾戦ではなく魔法による攻撃にシフトする習性があり、目の前の猿鬼も例外なく大きな口を開いて炎を吐き出そうとしていた。
「今だっ、ウォータープレスッ!」
ジュッ、がぼっ、ごぼぼっぐぼぼっ、
猿鬼が炎を吐き出す直前に、タクトはあまり得意ではない水属性の魔法で猿鬼を水の中に閉じ込めた。
ウォータープレスは本来 小さな火事の出火元などに放って火を消す用に習うのだが、攻撃として使う場合もあり、その時は対象を水で包み込み 水圧で溺れさせる低級魔法。
この魔法は水属性が得意な人などが魔力を大量に込めて放つと、対象は溺れる前に物凄い水圧で圧死する事もある魔法だが 普通はそこまで水圧が掛ける事はない。
「・・・やっぱり、威力が強くなってる…。なんでだ?」
タクトは基本的に真面目な性格で 学園から帰ってからも様々な魔法の練度上げや筋力トレーニングを自主的に毎日やっており、今使用したウォータープレスも例外ではない。
しかし、タクトの得意属性は光のみなので いくら魔力が普通の学生よりは高く 真面目に練度上げをこなしているとはいえ、今までのタクトならば猿鬼を水の中に閉じ込めておく事すら一苦労するはずであったが、今 目の前で水の球体に飲み込まれている猿鬼は水圧で身体をくの字に曲げてもがき苦しんでいた。
ゴボボッ、グギッぼこぼこっ、
自分の身の丈よりも強い威力のウォータープレスで猿鬼を拘束する事は出来てはいたが 圧死させるには至らず、猿鬼は苦しみながらも水の中で暴れ回っていた。
「なんだろう…、魔法っていうよりかは、水の使い方が分かるような…。いや、水だけじゃない…。試してみるか」
タクトは自分の中に起きている変化に疑問を感じながらそう呟くと、今度は右手を上に向けた。
視線は猿鬼に向けたまま、意識を右手に集中させる。
出来るはずがない…、だが、出来るような気がする。
そんな半信半疑な予感を感じて掲げた右手から、魔法ではなく魔力と意思だけを放出した。
「えっ、タクト…何をしてるの?その雲って……ねぇタクト、本当に大丈夫?」
「あぁ、大丈夫だ。俺も正直ちょっと驚いてるけど、問題ない。ちゃんと制御出来てるみたいだ」
ゴロゴロゴロゴローーー
タクトの想像した通り、頭上には小さくて真っ黒な雷雲が出現し いつ雷を落とそうかソワソワしているように鎮座していた。
それはまるで 子供の頃に見た、ザッハルテの雷雲の小型版のように。
「よし…、頼むぞ。狙い通りに命中してくれよ」
タクトは今の自分になら出来るという確信と多少の緊張を感じながら、振り上げた右手を猿鬼に向かって振り下ろした。
バリバリバリバリッーーーグギャッ
その結果、猿鬼は落雷の直撃を受け 小さな断末魔を上げて消滅した。
「はぁ、はぁ、で…出来た」
予感はしていた。
何故かはわからないが、タクトは今起きた現象を 起こせると確信して起こした。
しかし、これは一般的にはあり得ない事であった。
前述の通り、魔力値に関してタクトは決して 弱者もしくは一般の部類ではない。
だが、詠唱も知らない 使った事もない魔法を無詠唱で突然放つなど、普通では有り得ない事。
アイデンによって、習得していない魔法に似た力を使う事が出来る人は沢山居るが、それはあくまでもアイデンであり心力を使用するもの。
魔力と意思で落雷を起こすというのは有り得ない事なのだが、タクトはそれをやってのけた。
この事に1番驚いているのは、もちろんタクト本人。
魔法やアイデンについてはタクトも当たり前のように使うし、授業で習って知っている。
知っているからこそ、今自分がやった事の説明がつかなかった。
「・・・・・」
堂々巡りする思考に少しでもヒントが欲しかったタクトは、自分の中にある魔力と心力に意識を向けたが 減っているのはやはり魔力だけであった。
「・・・ザッハルテさんが力を貸してくれた…?ははっ、まさかな」
結局タクトは答えに辿り着く事は出来ず、1番しっくり来る答えを口に出してみたが それが1番有り得ないなと思い、小さく笑ってその考えを捨てた。
今のタクトと猿鬼の攻防は、クラスメイトやBクラスの生徒達から見れば「おお、シャイナスが雷魔法で猿鬼を倒したみたいだな」くらいにしか思わないだろう。
いや、そもそも皆んな目の前の魔獣を倒す事に集中していて、気にすらしていないかもしれない。
タクト以外でタクトの事をしっかりと見ているのは、タクトの背後で心配そうに見守っていたイリアだけ。
そのイリアも、今まで見たことの無い魔法をタクトが放った事に驚き、目をパチクリさせていたがーーー
「タクトッ、危ないっ!!!」
「えっーーーうわっ」
スパンッ!
タクトが自分の変化について考え込んでいると、背後にいたイリアが大きな声で危険を伝えた。
しかし、その声に反応するよりも早く 飛来したカマキリイタチの鋭い斬撃がタクトの体に亀裂を刻んでしまった。
切られたのは腹。
カマキリイタチの鋭い鎌はタクトの腹を切りつけ、その刃は体を貫通して背中にも亀裂を付けた。
「ぐわっーーー」
カマキリイタチの刃によってタクトの身体は真っ二つに・・・
「・・・あ、あれ?痛く、ない?」
上半身と下半身が別居してもおかしくない斬撃を受けたタクトは、出血どころか痛みすら感じていなかった。
「え?タクト、大丈夫なの?どうして…」
タクトの後ろで一部始終を見ていたイリアも、今の攻撃を受けてタクトが無傷である理由がわからず、発動しかけていたアイデンの花吹雪を中断し、困惑していた。
「痛みは…ない。でも、やられた箇所が黒くなってる」
タクトは攻撃を受けた自分の腹部を見てみた。
すると、その部分が制服も地肌も黒い靄のような物に覆われていた。
何が起きているのか理解できないまま、イリアと視線を合わせ お互い不可解そうな表情で小首を傾げた。
シャァァァッ、シャァァァァッーー
「しまった!ボケっと考え込んでる場合じゃなかった!イリアッ、一旦魔獣から距離をっ」
タクトが攻撃を受けた事、攻撃を受けたにも関わらずダメージがない事、黒い靄。
今までの授業で習った魔獣の性質とは明らかに異なる現象を目の当たりにしたタクトとイリアは数瞬の間 思考が止まっていた。
しかし、止まっていたのは2人の思考だけ。
当然、魔獣まで大人しく止まってくれるなどという事があるはずもなく、先程タクトに襲い掛かったカマキリイタチが再びタクトに斬りかかる為に飛び掛かってきた。
タクトは飛び掛かってくるカマキリイタチがイリアの方へ行かないように、イリアにその場から離れるよう指示を出し カマキリイタチの前に立ち塞がった。
カマキリイタチとイリアの間に立ったものの、策も何もないまま両手を広げて魔獣を食い止めようとするタクト。
そんな無謀な仁王立ちをするタクトに向けて、シャァァァァッという奇音を発しながら襲い掛かるカマキリイタチが再び鎌を振り下ろそうとした瞬間ーーー
小さな人影が物凄い勢いでカマキリイタチに飛び掛かっていった。
「パーパにイジワルは、ダメだおー!!」
カマキリイタチに飛び掛かって来たのはグルルだった。
「なっ、グルルッ!?」
グルルは勢いを落とす事なくカマキリイタチに飛び付き、ビンタをするような構えをした。
振り上げたグルルの小さな右手はジャンケンでいうパーの形であったが、その右手を振り下ろす瞬間、グルルの爪が急激に伸びて鋭い刃物のように変形した。
「わるいコトしたら、めっ!ってマーマもいってたおー、だから めっ!」
スパンッーー
グルルはカマキリイタチにめっ!と言いながら、鋭い爪を携えた右手を振り下ろす。
するとカマキリイタチの身体は、まるで定規で紙に線を引くように綺麗に…そして無惨に身体を四つに切断された。
「・・・ぐ、グルル?」
可愛い子供のオシオキ遊び…とは言えない結果に、それを間近で見ていたタクトは驚きを隠せなかった。
「もひひー!パーパ、パーパ。ぐるる、わるいコにめってしたおー!ぐるるえらー?」
無邪気な笑顔でタクトに駆け寄り、褒めて褒めてと言わんばかりにタクトの周りをグルグル駆け回るグルル。
「・・・・・」
グルルに助けられた。
結果だけ見ればそう、なのだが…
この時タクトは 無邪気に笑うグルルに危うさと不安を感じていた。