愛と憎しみのはざまで(テーレの章)
不安に思ったテーレの行動です。そこで見たものは?
なんだろう、こんなに胸がドキドキする。
こんなことはあの時以来だ。瀕死の旦那様を探したときだ。
まさか、ヒメルの身に何かあったんじゃ?
ここで愛しの旦那様に言うわけにはいかない。
もう目の前は構造上最後の部屋だ。
この遺跡、やたら不死者がおおかった。となると、この中にいるのも、おそらくは不死者だ。
不死者の場合、私自身の戦闘上の重要度は減る。
それに、バーンがいる。この子がいれば大丈夫だ。
私の中で、心配と心配の天秤が揺れていた。
しかし、最終的に、バーンがいることでヒメルの方に行く決心ができた。
ありがとう、バーン。
この少年は私たち家族にとってかけがえのない人になっていた。
「あなた、ちょっと先に帰りたいの。」
愛しの旦那様は必ず理解してくれる。
そういう人だ。
「いいよ。バーンがいるから大丈夫。」
なんだかんだで、バーンのことは信頼しているのね。
ちょっとバーンがうらやましい。
でも、今はそんな場合じゃなかった。
愛しの旦那様に転送してもらって、家の中に入ると、いつもの場所にヒメルはいなかった。
「どこ?ヒメル・・・どこ?」
私は少し焦ってしまった。
「落ち着け、テーレ。こんな時に取り乱してどうする?ちょっと厳しいが、わしの力で村中の声を集めてやろう。でも、わしもこんななりだ。これ以上は難しいぞ?」
ブリーズはやっぱり頼りになった。
「おねがい!あの子を。ヒメルを!」
「わかっておるわ。急くな。」
ブリーズはそう言って、空に舞い上がっていた。
どこまでも青い空が、やけに今日は濁って見えた。
「嫌な空気。」
思わずこぼれた言葉がやけに耳についていた。
「いたぞ。いそげ!」
ブリーズは何か焦っていた。
広場の方に飛んでいく。
私も遅れないように全力で駆けていた。
私が耳にしたのは、村人たちのけたたましい嘲笑。
私が目にしたのは、村人たちが倒れる姿。
けれど私の目をくぎ付けにしたのは、ヒメルの頭の上で叫ぶ、悲しみの精霊の姿だった。
そして私の心に届いたのは、耐えきれなくなったヒメルがあげる、声にならない悲しみの叫びだった。
なんということ・・。
たった5歳の子に、こんなにも大勢の人が寄ってたかって。
しかも、悲しみの精霊に力を使わせるほど心に傷をあたえた。
なんて浅はかでどうしようもない生き物。
私は以前の私に戻っていた。
いけない。
今はヒメルの精神を戻さなければ・・・
私は急いでヒメルを抱きしめ、家に向かって走って行った。
幸い、精神の精霊の均衡は何とか保つことができた。
この子の中にある強い意志が自分をしっかりと守ってくれたようだった。
「本当に大したものね。」
私はこの子の部屋を改めて眺めてみた。
数々のぬいぐるみ、それもほとんどが銀色だった。
わたしはおかしくもあったが、同時に違和感があった。
「あっお気に入りの馬みたいなのがいないわね・・・。」
何気なく、視線をヒメルの手に向けていた。
いつもそこに持っていたから、ただ何気なく・・・。
そして理解した。
なぜこの子があんなにも悲しんだのか。
一体この子が何をしたというのか?
私の心は怒りに満ち溢れそうになっていた。
しかしそれは、ヒメルが目を覚ましたことで、落ち着いた。
私は何も言わずに、ヒメルを抱きしめた。
「つらかったね、ヒメル。もう大丈夫。もう大丈夫だからね。」
ヒメルはまだ、感情のバランスが十分元に戻ってはいなかった。
平坦な表情で、ヒメルはつぶやいた。
「ねえ、お母さん。ヒメル何か悪いことしたのかな?」
「ねぇ、お母さん。ヒメル悪い子だったのかな?」
「みんな、ヒメルが悪いっていうんだ。ヒメルは、いちゃいけない子だったのかな?」
何ということだ。
何様のつもりだ。
私の怒りは頂点に達していた。
「お母さん、顔が怖いよ。ヒメルね、みんなを笑顔にしたかっただけなんだよ?きれいなきれいな鳥さんがやってきたから、みんなに教えてあげたんだよ?それなのに、それなのに、・・・・・。ウーマさんが・・・ウーマさんが・・・・・。」
ヒメルに悲しみが戻ってきた。
感情のバランスを取り戻したようだ。
とりあえずは、安心といえる。
「ヴェズルフェルニルだ、さっきいたから間違いない。」
ブリーズは悲しそうにそう言って、ヒメルの頭をなでていた。
聖鳥だ。
普通の人間には見えない。
精霊でないことはヒメルも分かったのだろう。だからみんなに教えようとした。
その行為があだとなったのだ。
言うべきか、言わないでおくべきか・・・・・・。
私は判断に迷っていた。
そんな時、家に多数の人間が押し寄せている感じがあった。
ゆっくりと、家を取り囲んでいた。
庭にも入っている気配がした。
「テーレ、まずいことになる気がするな・・・・。」
ブリーズの声が緊張を物語っていた。
「ええ・・・・・。」
何としてでも、守りきる。
そう意気込んでいるところ、玄関のドアをたたく音がした。
友好的に済めば、それに越したことはない。
村人たちは、たぶん昏睡状態だ。死んではいないはず。
ならば、愛しの旦那様の魔法でその影響を除去するか、司祭に頼めば可能だろう。
そう思い、ドアを開けた。
「テーレ。君に言い話を持ってきた。」
ドアを開けた私の手に、素早く腕輪がはめられた。
なんの効果かわからないが、このタイミング、友好的な手段とは思えなかった。
「何だこれは!トート。はずせ、おろかもの!」
私は以前の口調になっていた。
ニンゲンは下品で粗野で下等などうしようもない生物。
自らの都合で自然を壊し、自らの都合で殺しあう。
そんなニンゲン達を見ていたころの自分に戻っていた。
「そんな口のきき方はなっていないなー。テーレ。お前はもう何もできない。それは精霊封じの腕輪だ。精霊魔法が使えないただの女だよ、今のお前はなぁ」
「下衆が!何様のつもりだ!」
私の怒りは最高に達した。
こんなもの、すぐに外してやる。
力の限り、外そうとしたが、全く外すことができなかった。
「だめだよー。テーレ。それは呪いだからね。私の言うことを聞いてくれたら考えるけど、どうする?」
下衆の話を聞く必要はないが、愛しの旦那様が帰ってくることに期待した。
時間がかかっている。
あの玄室。よほど手ごわい不死者がいたのだろうか・・・・。
思考がそれて、沈黙した。
沈黙を了承と勘違いしたトートは、ますます下品な顔で私に話しかけてきた。
「ちょっと村人が起きなくてね、このままでは村が納得しないのさ。まあ、わたしが君に直接わけを聞くということで、一応おさまってるんだけどね・・・。きかせてくれるかな?君のその体でさ・・・。わたしは非常に興味があるんだ。君のその美しい体にね。まあ、代表として、村人への謝罪もその体で聞いてあげてもいいけどね。」
下衆の極みだった。
「下衆が、身の程をわきまえろ。」
奴の顔に拳をねじりこませ、ドアを閉めた。
家の前で何やら叫んでいたが、もう聞くことも煩わしかった。
その時、窓が割れ、中に松明が投げ込まれた。
「信じられん・・・ここまで愚かな生き物だったとは・・・・・。」
呆然自失となりながら、私はその火を見つめていた。
次々に投げ込まれるたいまつ。
「なにしてる!テーレ」
その声で我に返った。
玄関のドアを押してみるも、何かが邪魔をしてあかなかった。
裏手に回ってみても、同じだった。
窓の外を見ると、村の男たちが、庭に置いてあるものさえ燃やし始めていた。
しかも、すでにまきが組まれて燃やされている。
すでに、周りに逃げ場はなかった。
「あなた・・・・。私が判断を誤ったのだろうか?」
私があの男の話を聞いていたら?
いや、あの手の輩は結局同じだ。
まきを組んでいること自体、もう初めから仕組まれている。
何がそこまで彼らを追い込んだのだろう?
「テーレ!テーレ!」
ブリーズのあわてる声が聞こえた。
私は急いで向かって愕然とした。
「煙を吸ったの?」
ヒメルがぐったりしていた。
「わからない。ただ、恐怖で叫んだように聞こえたよ。駆けつけた時には、目を見開いたようになって急に倒れたし。わしも出口を探しに行ったので、しばらくここにはおらなんだのでな・・・。」
ブリーズは申し訳なさそうに告げていた。
「ブリーズ。聞いて。これからいうことをよく聞いてちょうだい。」
私は決心していた。
「あなたはこれから、エルツにこのことを知らせて。それまで何とかして見せるから。」
私は愛しの旦那様に賭けてみた。
まだ、戦闘中なんだろう。
終わったらすぐに駆けつけてくれると信じていた。
わがままを言っていることはわかっている。
でも、もうそれしか方法がない。
家の外壁と庭が燃えている。
小さなヒメルを抱えては、その火を突破することは不可能だった。
私ひとりなら何とかなる。
でも、それでは意味がなかった。
「2人で生き残るために、おねがい。」
私はブリーズの目を見てお願いしていた。
「・・・・わかった。あきらめないでね」
ブリーズはそう言うと愛しの旦那様を探しに飛んで行った。
「さて、時間がないわ。」
私は床をはがし、
地面に穴を掘っていた。
小さな子が入る分でも、それは気の遠くなる作業だった。
煙が隣の部屋からも窓からもやってきた。
しかし、この部屋の空気清浄の魔道具のおかげで、今はまだ大丈夫だった。
デルバー先生の魔道具に感謝しつつ、ヒメルをその穴にそっといれた。
「少しの間、我慢してね。きっとお父さんが来るから」
そして、2つある空気清浄の魔道具をヒメルの顔ちかくに置いた。
途端煙が充満してきた。
私は大量のぬいぐるみの山をヒメルに向けて倒していた。
このぬいぐるみは耐火素材でできていた。
何から何までデルバー先生のおかげだった。
私もその山の中に分け入り、ヒメルのそばで待ち続けた。
やがて周囲が熱気に包まれてきた。空気清浄の魔道具は、熱気も緩和してくれていた。
私は祈った。
神でもなんでもない。ただ愛しの旦那様を信じて祈り続けていた。
「お・・か・・あさ・・ん」
その時、ヒメルのか細い声が聞こえた。
「ヒメル。話してはダメ。大きく息を吸っても駄目。できたら口を覆って、耐えて。火がすぐそこまで来ているから。今ぬいぐるみさんたちが守ってくれている。だから、お父さんが来るまで頑張りましょう。」
私はヒメルを励ましていた。
それは自分自身にも向けた言葉だった。
あつい。
大丈夫。愛しの旦那様はきっと来てくれる。
あつい、あつい。
大丈夫。愛しの旦那様は絶対に間に合う。
「ヒメル頑張って。ヒメル。頑張ってね。」
私はヒメルの手を見つけ、必死に握っていた。
もう駄目だとは決して思わない。
愛しの旦那様がかならず来てくれるから。
その時、熱気が一気に無くなっていた。
ああ、愛しの旦那様が来てくれた。
私にはわかっていた。
安心した私に、ヒメルのか細い声が聞こえた。
「お母さん、あのね・・ヒメルのせいなの?ヒメルが鳥さんのことを話したせいなの?ヒメルが精霊さんを見えるからなの?火の精霊さんがいってた。この子が何も言わなけりゃ、こんなことにはならなかったんじゃないかって。ねえ、お母さん、本当なの?みんなヒメルが悪いの?」
火の精霊はこの家を燃やしている。
しかし、それは本意ではない。だから、それとなく伝えたつもりなのだろう。
でも、最悪のことをしてくれた。
「ヒメル。よく聞いて、あの鳥さんは聖鳥といって、精霊とは違うけど、普通の人にはみえないの。精霊使いには見えるけど、普通の人には見えない。だから、残念だけど、お父さんも見えないのよ。だから、ヒメルの見た鳥さんは誰の目にも見えないものなの。」
ヒメルが手を握り返していた。
ああ、この子はこんなに重荷を背負ってるんだ。
私が背負わせたのだろうか・・・・。
こんなことなら、この子を産むんじゃなかったのかもしれない。
この子が不幸せな未来しかないのであれば、いっそこのまま二人でこの世界からいなくなってしまった方がいいのかもしれない。
わたしは私の闇にヒメルを連れ込もうとした。
「テーレ!ヒメル!」
愛しの旦那様の声が聞こえてきた。
ああ、やっぱりできない。
ヒメルを愛しの旦那様から取り上げるなんてできないよ・・・・。
私は、ヒメルの喉にまわした手をひっこめていた。
「お母さん、お父さん来てくれたね。」
ヒメルの声はか細いながら、安心した様子だった。
「お母さんの言ったとおりでしょ?お父さんはちゃんとヒメルを助けてくれるんだよ。」
私はヒメルの手を握りしめていた。
「テーレ!ヒメル!」
焼けただれたぬいぐるみを乱暴にかき出しながら、叫んでいた。
もうすぐだ。もうすぐ会える。
私はこの瞬間幸せだった。
「テーレ、よかった・・・。」
愛しの旦那様の涙交じりの顔がやけにまぶしく見えた。
「おそいよ・・・。」
私は頬を膨らませて抗議した。
「ごめんよ。ブリーズが道に迷ってさ。」
私を引き上げ、強く、強く抱きしめられた。
ああ、帰ってきた。
私は帰ってきたんだ。
「おい、エルツ、それはおかしいだろ!」
ブリーズは抗議の声を上げていた。
笑いながら、私を解放した愛しの旦那様は、今度はヒメルを引き上げて、より一層強く抱きしめていた。
「ヒメル・・・・。怖かったね、苦しかったね、つらかったね。でも、もう大丈夫だから。」
抱きしめ方が違っていた。
ちょっと嫉妬した私は、そこにはいるべく、愛しの旦那様の腕をつねってみた。
「いたっ。」
緩んだ拍子に、その手を取り、私を含めて3人で輪になった。真ん中にはヒメルといつの間にかブリーズもいた。
4人だね。
4人の輪になっていた。
「エルツさん!ちょっと来てください!」
外で、バーンの声が聞こえた。あの子も駆けつけてくれたんだ。
ああ、周りの村人を抑えてくれてるんだ。
「ちょっと行ってくる。君たちもあとですぐに、出てきて。水流で火を消したから、ひょっとすると、ここも崩れるかもしれない。」
愛しの旦那様は、そう言ってバーンのところに行こうとした。
「やっぱり、一緒に行こう。心配だ。」
振り返って、ヒメルを抱っこして、私の手を引いていた。
私は、その手を見つめ、小さな幸せをかみしめていた。
玄関の扉を抜けようとしたとき、私はその異変に気が付いた。
あれ?
柱が緩くたわんでいた。
愛しの旦那様が玄関を通り過ぎようとしたとき、柱の一部が崩れた。
「あぶない!」
とっさに私は二人を突き飛ばしていた。
無事に火事から脱出した家族に新たな悲劇が・・・・




