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マロの友情(一)マロの城攻め

『マロの戦国-今川氏真上洛記-』の続編登場です!

いよいよ諏訪原城へ!

しかし緊張感のないこと。

軍議での氏真さん。

黙れ小童!?

今川のモグラ?


マロの友情


七月半ばを過ぎていよいよ徳川勢は諏訪原城を攻略すべく浜松を出陣し、氏真衆もこれに加わった。岡崎からも家康の嫡男信康が三河衆を率いて合流した。


徳川の主力を投入して一気に駿河境までを手にしようという家康の意気込みが感じられた。一方氏真衆の役目は例によって今川旧臣を調略するための後詰で戦闘に加わる必要がないから気楽なものである。


氏真は例によって諏訪原城までの道すがら歌を詠んでいたようだった。出陣中なのでさすがに声を上げて詠み上げはしないが、懐紙と筆を取り出して、馬上で器用に何かを書き付けている。懸川城を通り過ぎて小夜の中山に通りかかると氏真ははしゃぎだした。


「知っておるか、小夜の中山は名高い歌枕なのじゃぞ。年たけてまた越ゆべしと思いきや、命なりけり小夜の中山。これは西行法師のお歌でのう」


それを聞いて弥三郎はつい余計な事を口走ってしまった。


「命あっての物種という事でござりまするな?」


「ははは、命あっての物種か。弥三郎、そなたもたまには面白い事を言うのう」


小夜の中山からはこれから攻める諏訪原城まで一里もない。いくさを目の前にして歌の名所だと浮かれる氏真に苦々しく思っていた所に「たまには面白い」と言われて弥三郎はカチンと来たが我慢した。しかしやはり殿は一所懸命の武士ではないのだな、と弥三郎は改めて思った。


二日後、徳川の軍勢は諏訪原城のある牧之原南端を覆い尽くした。二年前に武田方によって築城されたばかりの諏訪原城が敵軍に取り囲まれるのはこれが初めてである。


諏訪原城を囲んでから最初の軍議で席を与えられた氏真は早速開城を勧める使者を送ることを提案した。


「戦わずして開城させられれば儲けもの、さらずとも攻め掛かる前に話し合う姿勢を示して城方の心に逃げ道を作ってやるのが上策と存ずる」


「城方は来て二年ほどの武田のよそ者と地侍の烏合の衆にござる。勝頼も長篠の痛手故に後詰は難儀でござろうな」


そう答える家康も満更でもないといった様子である。


「左様、あらかじめ使者を送って話し合う姿勢を見せておけば、あくまで城を枕に討ち死にしようという覚悟はできますまい。内応する者が出ても好都合でござる。開城、内応、いずれにしても無駄な血を流さずに済み申す」


「使者は誰がよいであろう?」


家康はその気になったようだがそう言って腕組みして首をかしげて見せた。使者の人選まで提案が欲しいらしい。


「使者ならば我が家中に遠州者がおり申す故、お許しがあればよき者を選んで城に遣わしたく存ずる」


氏真はそう言うと後ろに立っていた弥三郎を振り返ったが、それまでのやりとりを他人事と聞いていた弥三郎は慌てた。いやいやそれがしそんな弁舌の才などないし、殺されるのがオチでござる……。


どう断ったものかと弥三郎はどぎまぎしたが、次の瞬間上がった一声に助けられた。


「そのお役目、是非ともそれがしにお申し付け下され」


声の主は家康の脇に控えていた朝比奈弥太郎だった。相変わらずキリリと引き締まった顔にこの役目を果たしたいという意欲をみなぎらせている。


「さすがは弥太郎。お主も遠州の出であったな。お主ならばこの役目に不足はなかろう」


家康は仕官して間もない弥太郎が自ら使者の役目を買って出たので気をよくしたようだ。


「適任と存ずる」


氏真も同意して城方に開城を勧める使者は弥太郎が務める事が決まった。やれやれ、これで一安心と弥三郎は思ったが、そうはいかなかった。そのすぐ後に氏真が余計な事を言ってくれたのだ。


「弥三郎、お主弥太郎の介添えをしてやるがよい」


「はっ!? 御意……」


軍議の場で命令されてしまっては嫌とは言えない。弥三郎はやむなく弥太郎についていくことになった。



七月中旬より諏訪原取出出陣

朝霧や下に立らむふしのねの山なき空に近く浮へる(1―351)

まはらなる草の垣ねの(きりぎりす)なるゝに声の猶そさひしき(1―353)

谷河の声吹通ふ枩風に月は閑けきさ夜の中山(1―355)

秋に猶哀そまさる夕煙まとしき民のこゝろしられて(1―357)


その日は徳川方から何も仕掛けなかった。徳川方がやった事と言えば、明朝弥太郎が開城を勧めるため城に赴く旨を記した矢文を夕方に入ってから打ち込んだ事だけである。城方も徳川方の出方を窺っているのか、音沙汰がなかった。


翌朝朝餉を終えた時分になってから弥太郎は悠々と城へ向かって行く。弥三郎も介添えとしてついて行く。


弥三郎は使者として敵の城に乗り込んだことがないので、気が気でない。つい気になって弥太郎にいろいろ聞いてしまった。


「朝餉の後に使者に行くのはなぜでござろう?」


「人間腹が減っておると気短になる故、それを避けて朝飯の後満ち足りた気分の時分を選んだのでござるよ。相手方が中食を取るならその後の方が一層ようござったが」


「しかし戦いもせずに開城などするであろうか?」


「それは何とも言えませぬ。在郷の衆が崩れ出すと思えば城将は内応者が出て見苦しく落城するよりも他の城に移って戦い続けたいと思うやも知れませぬ。後詰が来ると信じているか否かによっても答えは変わって来る事でござろう」


「なるほど。しかし弥太郎殿は慣れたものでござるな。それがしこのような命がけの使者は初めてでござる故不安でたまらぬ」


「いや、それがしも初めてでござる」


「何と!?」


「御屋形様が使者を送れば開城するように仰せであった故、何とかなりそうな気がして名乗り出てしまったのでござる。もし首尾よくいかず巻き添えにしてしまったらその時はお許し下され」


「…………」


弥太郎は頼もしげにふるまっていたくせに実は経験も実績もなく、氏真の当てにならない見立てだけを頼んで命がけの使者役を買って出たのか!?


今分かったが、もう遅い。二人は既に諏訪原城の堀際まで来てしまっていた。


弥太郎は相変わらずキリリと引き締まった顔で声高らかに城側に呼びかけた。


「それがしは朝比奈弥太郎泰勝! 主家康の命で申したきことがあって参った。城将室賀下総守殿、小泉隼人殿にお取次ぎをお願いいたす!」


しばらくして城門が開き、堀に板が渡されて二人は城中に入るように促された。二人は馬丁に馬の手綱を渡して歩いて門をくぐり、本丸の評定の間まで案内された。


そこには二人の城将と城中の頭だった者たちが待っており、二人は下座に招じ入れられて座った。座ってから弥三郎が振り返ると背後には数人の武者が立って二人を見張っていた。二人は完全に取り囲まれた。


形ばかりの挨拶が終わると、城将の一人室賀下総守が口火を切った。


「朝比奈殿、用向きを申されよ」


室賀下総守は厳しい表情を崩さずそれだけを言った。


「既にお察しと存ずるが、開城を勧めに参りました」


弥太郎が落ち着いた声音で言うと、室賀は間髪入れず叱咤するように応じた。


「開城などするわけなかろう! 我らが戦わずして敵に降るような腑抜けと思うのか!」


取り付く島もない塩梅だが、弥太郎は心を乱される様子もなく言葉を継いだ。


「誠に天晴れなお心掛けとは存じまするが、後詰のないままこの城で討ち死にされるより他の城に移って戦い続ける方がお家のためではござりませぬか?」


「勝頼様は我らを見捨てるようなお人ではないわ! 我らを惑わそうとしてもそうはいかぬぞ! もはや問答無用! この上は弓矢にてお相手いたす!」


どうやら弥太郎の言葉は室賀の怒りの火に油を注いでしまったようだ。だが弥太郎はあくまで落ち着き払って話をやめない。


「もとよりたやすく開城していただけると思ってはおり申さぬが、無駄な血を流すのは主家康の本意ではない事だけは知っていただきたくて今日は伺い申した。またお会いしてお話を聞いていただきとう存ずる」


「早々に立ち去れい!」


とうとう室賀は太刀の鞘に左手を添えながら片膝立てて叫んだ。これ以上怒らせると斬り合いになるぞ、と弥三郎はどきどきしたが、弥太郎もここらが潮時と思ったようで、


「しからばこれにて」


と手短に挨拶して一礼して立ち上がった。弥三郎も取り残されてはかなわないので慌てて弥太郎に続いて一礼し、後を追った。二人を背後で見張っていた武者たちにはにらまれたが弥三郎は顔を背けてその場を去った。


「いやあ、先ほどは生きた心地もしなかったでござるよ」


城の堀を渡り、弓矢が届かない所まで来て安堵した弥三郎は弥太郎に話しかけた。


「しかしあれで何か役に立ったのでござろうか? 命をかけたかいがあったとは思えませぬが……」


命拾いした後なので弥三郎はつい不満を漏らしてしまったが、弥太郎は至って穏やかに答えた。


「いや、あれでよかったと存じまする。城方の様子も分かり言質も取り申した」


「と申されますと?」


何がなんだか分からない弥三郎は聞くしかない。


「まずは城の衆は沸かし始めた湯のごとく上ばかりが熱く下は冷え切っている事が分かり申した」


「どうしてそれがお分かりになる?」


「室賀と小泉以外の居並んでいた面々は我らのやり取りを聞きながらいずれも下を向いており申した。彼らも此度の籠城の不利を分かっていて開城の勧めに密かに期待していたのではありますまいか。なれど城将室賀はあの通り開城する気はなく、開城した所で残してきた妻子や家に累が及ぶ故、城を枕に討ち死にする他ないか、とあきらめていたように見受け申した」


「なるほど」


「室賀もそれが分かっていて敵にも味方にも弱みを見せまいとあのように厳しい言葉を吐いたかと思われまする。城の衆の覚悟が定まっておればわざわざ敵方の使者を評定の間に入れて皆にあのような怒りを見せつけずともよいと思われまする」


「なるほど」


「室賀が我らの後ろに立たせた武者たちは我らに敵意を抱いているようでしたが、城方で戦意があるのはおそらくあれら一握りの累代の武田家臣だけでありましょう。評定の間に座っていた面々は武田の力に従っているだけだと室賀も承知しておる故、いざという時我らを討ち取る役に立たぬと思ったのではありますまいか」


「なるほど、城方の様子は分かった。では言質とは何の事でござろうか?」


「室賀はそれがしが後詰は来ないと申した事に怒っており申したが、あれは後詰が来るとあそこにいた面々に約定したも同然でござりまする。また、室賀が弓矢にて我らの相手をするといった後それがしがまた開城を勧めに伺うと申したにも関らず、我らを生かして帰し申した。室賀が是が非でも城を枕に討ち死にしたいのなら、我ら使者を血祭りに挙げればよかったのでござる。さすれば徳川方は激怒して城方を一人残らず討ち取る覚悟で城を屠ろうとしたことでござろう。しかし室賀はそこまではしませなんだ。室賀はそこまでの覚悟はない事を皆の前で明かしてしまったのでござる。つまり、しばらく後詰がなければ我らがまた開城を勧めに来ても室賀は断れないという事でござる」


「あ、なるほど……!?」


弥三郎は弥太郎の説明に感心したが、そのすぐ後に弥太郎がまた自分と一緒に開城を勧めに諏訪原城に行く気だと気づいて困惑した。できれば次は一人で行ってほしい……。


そんなやり取りをしている内に二人は氏真衆の陣屋まで戻って来た。弥太郎が氏真に事の次第を告げた。弥三郎は相槌を打つだけだった。


「うむ、ご苦労であった。弥太郎、よい見立てじゃな」


氏真はそれだけ言うと二人を連れて家康の本陣を訪れ、家康が呼び集めた諸将の前で弥太郎が報告した事の概要を繰り返した。


「やはり武田も剛の者ぞろい、やすやすと開城はいたしませぬな」


氏真は最初から分かっていたと言わんばかりに「やはり」という言葉を強調したが、弥三郎にはうさん臭く思えた。殿、昨日諏訪原城はすぐにも開城しそうな事を言っておられませんでしたか?


「されど城方は上下一致しておらぬ故、しばらく攻めつけても後詰が来ねば再び開城の使者が来ても断らぬやも知れませぬ。そうだな、弥太郎?」


「御意」


「左様か。此度の使いでそこまで見通しが立つとは思わなんだ。ならば勝頼の後詰が来る前に十分攻めつけた後開城させるとしよう。弥太郎、次も使者を頼むぞ」


「御意」


「氏真殿、またお知恵をお貸し下され」


「喜んで」


家康はまんまと氏真の口車に乗せられたようだ。弥太郎の働きはともかく、自分まで何か仕事をしたと認めさせるとは、殿も口がうまいな。弥三郎は感心したが真似はできないし、したいとも思わない。


「諏訪原城を攻めつけるに当たっては我らに良策がござる」


氏真の報告に引き続いてそう申し出たのは安倍元真(もとざね)である。元真は先祖代々安倍谷を領して今川家に仕えてきた安倍家当主である。安倍家は今川家と良好な関係を築き、安倍谷にある梅ヶ島など良質な金山の恩恵を今川家と共に享受してきた。元真の名も氏真の父義元と氏真の名を一字ずつ頂戴している。七年前に武田信玄が駿河に攻め込んで来た時は安倍谷や井川の衆をまとめて一揆を起こして抵抗した忠臣だ。


安倍谷の金山を奪う事が信玄の駿河侵攻の狙いの一つであったから、自衛のためにも当然の事だったが、それにしても元真はよく戦い、岡部元信・正綱兄弟らと共に一度は駿府の奪回にも成功した。しかし、武田の猛攻を受けて駿府を失った後は安倍谷からも追われ、今は徳川に仕えている。氏真衆にとっては徳川家中における心強い味方の一人だ。


「それがし此度の城攻めのため、長年安倍谷の金山にて使ってきた金山衆を呼び寄せており申す。お味方の城攻めで敵が気をそらした隙に城内まで穴を掘り進み、内側より不意打ちいたしたく存ずる」


「それは面白い」


家康は身を乗り出すようにしてそう言った。


「御意。弥太郎殿、そなた使者として本丸まで行かれたのであれば多少は城内を見知ったであろう。穴を掘る場所を決める相談に乗って下さらぬか」


「はっ、承りましてござりまする」


弥太郎も元真の要望を待っていたと言わんばかりの意気込みで応じた。


「たった一度の使者でこれだけの事ができるとは見事なものじゃ」


家康はしきりに感心している。弥三郎は家康の中で自分を除く旧今川家中の面々の評価が急激に高まっているのに気付いた。


「元真、我が軍勢が城攻めを始めたら早速取り掛かってくれ」


「御意。世間では武田ばかりが城攻めに金山衆を使うと思っておるように見受けまするが、そのような事、今川では先々々代氏親様が五十年以上も前に曳馬城攻めでやっておりまする。此度の城攻めでにっくき武田の奴ばらに一泡吹かせてやり申す!」


元真は既に六十過ぎだが血色よく意気軒高だ。


「うむ、頼んだぞ」


その後諸将の攻め口を決めて、軍議は散会となった。弥三郎は氏真に従って今川衆の陣屋に戻った。弥太郎は穴攻めについて相談するため安倍元真の陣屋に行ったようだった。


翌日昼を過ぎてから徳川方の城攻めが始まった。氏真衆の陣屋は家康の本陣の後方にあって弓も鉄炮も絶対届かないが、鬨の声が上がり鉄炮が放たれる音は聞こえてきた。


その日は緒戦の小手調べという事で、家康はまだ日が高いうちに城攻めをやめさせ、軍議を開いて諸将に報告させた。どうやら諏訪原城は二年前に築城してからこの日のためにしっかりと備えていたらしく、どの攻め口にも工夫を凝らした縄張りがなされており、死角はなかった。


「ならばしばらくの間攻め続けて城方を弱らせるしかあるまい」


というのが家康の結論だった。


その後二十日ほどの間徳川方は城攻めを繰り返したが諏訪原城の守りは固く、落城しなかった。その間氏真には特に出番はなく、朝夕家康の本陣での軍議に加わって諸将からの戦果と被害の報告を聞く他は特に何もせず日々を送っていた。日中敵味方が命のやり取りをしている時には陣屋を一歩も出ることもなく、やった事と言えば夕方から夜にかけて城から逆の方角を散策したくらいであった。


たまに、


「うむ……」


と言っては懐紙と筆を取り出して何事か書き付けていたから、またいつものように何かを見つけて思いついた歌を記していたのだろう。戦場を離れて気ままに過ごしている氏真を見ていると弥三郎は命がけで戦っている味方に申し訳なく思ったが、氏真本人にはまるで気に留める様子が見られなかった。



霰とや思ひまとひて秋霧の夕の空に雲雀鳴くらん(1―358)

聞わふるさ夜の山風それのみか霧降かゝる明ほのゝ空(1―360)

虫の音も折から身にそしみまさる草の枕に在明の月(1―361)

川風に水際晴て行霧の昇りもやらぬ秋のむら雨(1―362)



『マロの戦国II -今川氏真合戦記-』第8話、いかがでしたか?


 さあ、氏真さん、いよいよ諏訪原城攻略に向けて出陣しましたが、実は諏訪原城攻めの史料はあまりないようで、このあたりは想像(妄想?)に頼らざるを得ません。

しかし氏真詠草という一時史料はありますので、これを使って氏真さんの内面にはある程度迫りたい。

それで出陣した氏真さんの詠草を詠んでみると、戦争に行くぞ、とか、


「必勝!」


 とかいう意気込みとはまるで無縁のごとく、歌枕や秋の風物を詠んでいます。


やっぱり氏真さんは、風流人でもあり、仏教者に囲まれて育った生い立ちもあり、俗世の欲を気にかけるそぶりは見せたくないのだと思われます。


合戦の巷から少し離れて、民衆の生活に気を配るあたり、民生を大事にしたという逸話や民の幸福を願う歌が残る氏真さんらしいですね。


こういう所は、平成の日本人に近い感覚があるように思えます。


しかし、その氏真さんを家康は意外に評価したらしい。諏訪原城を落とした後、家康はこの重要拠点に氏真さんを城主として送り込みます。


 氏真さんが何の役に立ったのか?


 やはり、今川旧臣への調略能力に期待したと思われます。

 

  諏訪原城で何か役に立ったのでは?何かアピールできたのかも!?

 

  そう考えた時にありそうなのが、朝比奈弥太郎泰勝を使った調略です。氏真・泰勝主従は後に北条との同盟で活躍します。

 

 諏訪原城でも、そんな活躍をしたのかも知れません。

 

 もう一つこれは本当かウソか確証はないのですが、安倍元真の活躍です。

 

 安倍元真は今川時代に駿河の金山を経営して繁栄したようです。信玄叔父さん駿河侵攻の際は安倍一揆を組織して頑強に抵抗し北条軍や岡部元綱たちと連携して信玄を身動きが取れない状態に追い込んだようです。信玄叔父さんが

 

「信長の助けがなければ信玄滅亡は必定」


 みたいな書状を書いたのはこの頃です。

 

 この元真が諏訪原城をモグラ攻めしたらしいのです。


ちなみに金山人夫をつかったモグラ攻め、氏真さんのおじいさん今川氏親が遠江に攻め込んだ時やっています。武田よりもずっと前にやってるのですね。


さて興味深い事に、諏訪原城主は室賀さんです。


「黙れ小童!」


といわせるのはやめておきます。


さて、室賀さんを始めしぶとい武田方の皆さんに氏真衆はどう挑むのか?


それは次回のお楽しみ!


追伸: そういえば本章のタイトルは「マロの友情」なんですが、どういうことかはもうしばらく後に分かります。こちらもお楽しみに!


 『マロの戦国II』、次回もお楽しみに!


***********************************

  決定版! 今川氏真辞世研究!

 http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12221185272.html


 さて、こうして浜松に戻った氏真さんご一行、いよいよ武田との決戦に臨みます。


 氏真さんご一行、いかなる戦いぶりを見せるのか?


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ1。

世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!

http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html

『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!


詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。

この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。

これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。

この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。

しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。

現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。



お知らせ2。大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ


2017年大河ドラマは「おんな城主直虎」。

史実を踏まえつつ、大河ドラマと井伊直虎とその周辺に関するあれこれを「直虎」ブログに書いていきます。

こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら、上洛後武田との合戦に身を投じた氏真の日常に迫ります。



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