マロの七夕(一)風の中の蛍火
家族との再会。
ヘッドハンティング。
風の中の蛍火。
年も半ばを過ぎ、憂いの早秋。
武田方の実情は?
幼なじみの従兄弟。
思いがけない再起動。
マロの七夕
氏真衆は六月二日に浜松に戻った。屋敷に戻った氏真を出迎えた春は、いつもの事ながら心から喜んで出迎えてくれた。
「帰ったぞ。いくさは大勝利じゃ。束の間ではあったが駿府にも入ったぞ」
「殿、ご無事のお帰り、何よりもうれしゅうござりまする」
「うむ」
「お帰りなさいませ、父上。この通り、おみやげの小袖、大切に着ておりまする」
娘の花も氏真の帰りを心待ちにしていたと見えて、桜の花びらをあしらった氏真の京みやげの小袖を着て出迎えてくれた。
「うむ。よう似合っておる」
「おかえりなさいませ、ちちうえ。このとおり、おみやげのひゃくにんいっしゅ、たいせつにきておりまする」
嫡男の五郎はまだ六歳、百人一首を持ってきたわけではないが、姉の言葉をまねてたどたどしく微笑ましい挨拶をしてくれた。
「五郎、百人一首は着るものではないが、大事にしてくれてうれしいぞ」
氏真と家族の心温まる再会の様子を見て、弥太郎や弥三郎を始め供の者たちは皆それぞれの家族を思い出して会いたくなった。
四五日こゝかしことして遠州に帰る
立出て涼しくも有か夕月夜外面は露も茂る夏草(1―331)
あまた咲花にも夏そまさり草朝露涼し庭の一もと(1―332)
白露に日影つらぬく床夏は色ある玉のかさりなりけり(1―333)
早々に解散して帰心の募った家臣を返してから氏真はのんびりと過ごしたが、数日後に家康からの呼び出しを受けた。
家康の使いからは弥太郎と同道してほしいと頼まれていたので、氏真は弥太郎を呼び出し、弥三郎を引き連れて浜松城に登城した。弥太郎はいつもはキキリと引き締まっている顔に申し訳なさそうな表情を浮かべてついてきた。
「氏真殿、我がままを申して相済まぬが、弥太郎殿を徳川に預けていただけぬか」
家康は浜松城に着いた氏真を迎え入れると、氏真の表情を窺うように見ながらそう切り出した。
「先日の合戦での弥太郎殿の働き、まことに見事でござった。内藤修理亮を討ったいきさつを聞いたが、いくさ場での勇気と勘のよさに惚れ申した。弥太郎殿を今川家中から取り上げるのではござらぬ、駿河を取り戻すために徳川にお貸し願いたいのじゃ」
「妙案と存ずる」
氏真はそう家康に応えてから後ろに控える弥太郎を振り返って聞いた。
「どうじゃ、弥太郎。よい話と思わぬか?」
弥太郎は平伏して答えた。
「御屋形様のお言い付けとあらばお受けいたしまする。なれど御屋形様が駿府に戻られる時にはそれがし何を置いても駆け付けまする」
「よう申された。氏真殿、それがしも駿河復帰の事はお約定いたす」
「ありがたき仕合わせ。弥太郎、徳川殿によくお仕えするのだぞ」
「ははっ」
「これはめでたい。祝いの宴といたそう」
上機嫌になった家康が酒肴を運ばせ、酒宴となった。
夜になって家康の許を辞去した氏真は途中弥太郎と別れ、弥三郎と共に帰り路を歩いた。
「あれでよかったのでござりましょうか……」
弥三郎は遠慮がちに聞いた。
「来るべきものが来たと思っておる。首実検の時から家康が弥太郎を見る目つきが違っておったからのう……弥太郎は色々できる男じゃが、風雅の友がいなくなるのは淋しいものじゃ……」
確かに弥太郎のように氏真の歌をほめられる者は今の今川家中にはいなかった。
「しかし、弥太郎は幸せであろうかのう? 弥三郎、そなたは徳川に仕えたいか?」
そう聞かれて見ると、弥三郎は何とも言えないと思った。徳川勢に加わって命を賭けずとも、氏真に従って安穏に過ごしながら徳川の力で駿河を取り戻してもらって禄をもらう見込みが出てきていたから。しかしそれは言えない。
「織田に逆らうよりは織田方の徳川についた方がましではあろうな。じゃがしかし信長のいくさぶりは今までの武士のいくさとは違う」
弥三郎の答えを待たずに氏真は続けた。
「武士のいくさは太刀筋槍筋に己が想いを込めて敵にぶつけるものじゃ。刀槍を交え敵の顔を間近に見る事で互いの想いを知る事もある。信長の鉄炮いくさにはそれはない。あれは遠間から隠れて敵を獣のように狙う狩りじゃ」
弥三郎はいつになく熱弁をふるう氏真に驚いた。弥三郎の眼に映る氏真は歌の事ばかり考えているようでいつものんきそうにしていたから。
「鉄と火薬のからくり仕掛けでは敵に面と向かって互いの想いをぶつけ合う事はない。どうやら我らが生きて来た世とは違う世の中になったようじゃ。弥三郎、そう思わぬか?」
弥三郎は氏真を振り返ったが、氏真の思考はもはやそこに留まっていなかった。弥三郎が見た瞬間の氏真は何かを見つけたらしく、はっとした表情を浮かべた後、微笑んだ。何を見つけたのか、と思って氏真の視線をたどると、湿った夏の夜風に吹かれる中に明滅する蛍火が見えた。
「おお、二匹のホタルが風に吹かれながらも仲よう並んで飛んでおるわ……。うむっ! 一首浮かんだ。ひととおりい、たのものかぜのお、ふくかたにい、ひかりならべてえ、ゆくほたるかなあ……」
よく見ると確かに二つの光が見える。しかし弥三郎には二匹のホタルが仲良くのどかに飛んでいるようには見えなかった。強風に煽られて互いにはぐれまいと必死になって飛んでいるのではないか。そう弥三郎には思えたことだった。
一とをり田面の風の吹方に光ならへて行蛍かな(1―334)
弥太郎の家康への仕官を認めてから、氏真は家族との時間を過ごした他は特に遠出もせず一月が過ぎた。いつも浜松城下の屋敷にいて、たまに家族を連れて賤機山や安倍川に野遊びに出たくらいであった。
「ううむ、今年も半ばを過ぎてしまったのう……」
弥三郎も供をしたが、氏真には覇気がなく、子供との時間を大切にする平凡な父親の顔をしていた。
山端に残れる月の朝涼み秋の夕の近きをそしる(1―335)
程なしと夏のよをのみ思ふ哉ことしも半在明の月(1―336)
年なかは更ぬる夜半の空みてもうつる齢の程そ悲しき(1―337)
於閑居早秋を
またきより籬の竹に聞馴れてめつらしからぬ秋の初かせ(1―341)
実際氏真には何かをしようと言う気がなかった。ただ、閑居の間に長篠の戦いについての武田方の情報を多少なりとも集めることはした。あの無謀な突撃を繰り返したいくさぶりや、戦いに加わる前に戦場を離れた一隊の事がどうしても気になってしまったのだ。
方々から聞いた話を突き合わせてみると、あのいくさでの武田方の様子がおおよそ見えて来た。宿老たちは決戦を避けて長篠周辺の要害を利用して戦うよう勝頼を諫めたが、勝頼は耳を貸さず、逆に臆病者と嘲ったのだと言う。
「いくつになっても命は惜しいものと見える」
そうまで言われて憤激した宿老たちが討ち死に覚悟で織田徳川勢に向かって行った事が分かった。その話を聞いて氏真は様々な想像を巡らせた。
勝頼は負け惜しみの強い性格故に、信長が演じた臆病な烏合の衆の擬態に誘われて兵力の逐次投入を繰り返したものと思われた。負けて冷静さを失った博打打ちが負けた理由を考える事なく同じような過ちを繰り返して持ち金をつぎ込んでしまうような心境だったのではないか。
宿老との相互不信も、味方から損害の報告があっても勝頼に宿老たちの当てつけや誇張を疑わせる一因となったであろう。
さらには先陣の敗退を知りながら後に続いた諸将は味方の敗北からから教訓を学ぶよりも、戦功を競う相手として自分は違う、と思ったのではないか。一味違う働きをして見せたい、という誘惑に駆られたのではないか。
最初に退き始めた一隊が穴山衆だと分かったのも大きな収穫だった。
穴山家は武田家中で重きをなして来た名門であり、駿河に近い事もあって今川家との交流が深かった。武田信虎の娘姉妹が義元と穴山信友に嫁いでそれぞれ氏真と穴山家当主信君が生まれたので、二人は従兄弟同士である。
信君は幼かった頃駿府の穴山屋敷に住んだ事があり、氏真とも互いの屋敷を往き来する仲だった。信君が信君の父信友が死去して穴山家を継いだ時には氏真は深く弔意を表して五十貫文の香典を贈った。
しかし武田と今川の手切れで二人の交流も途絶えることとなった。
今川の領国を狙うようになった武田信玄が織田家から勝頼の嫁を迎える事にした時、信君の弟彦八郎信嘉は今川との同盟継続を主張してこれに反対する嫡男義信に味方した。
義信は氏真の妹を妻としていたのである。しかし義信らの信玄追放の企みが露見して義信は幽閉の後切腹、これに加担した彦八郎も信玄に切腹させられた。信君は信玄に従った。
信玄の駿河侵攻以来信君とは敵味方に別れて音信不通だが、氏真は信君は今でも今川と本気で戦いたくないはずだと信じている。軟弱者よと笑われるかもしれないが、氏真自身が信君との幼い頃に遊んだ日々を思い出して懐かしさと淋しさを感じる事があるからだ。
聞くところによるとあのいくさでは信君も宿老たちと共に織田徳川との決戦に強硬に反対したのだという。先鋒が次々に鉄炮の餌食になって山県昌景が討ち死にした後、勝頼に無断で兵を退き始めた最初の一隊が信君率いる穴山衆だった。
穴山衆が本陣の横を抜けて行く時信君はわざわざ勝頼の本陣に立ち寄って、
「信玄公以来の家老の衆をことごとく殺してしまわれたではないか」
という言葉を叩きつけて行ったという。
信君は五月の終わりには勝頼から討ち死にした山県昌景に代わって江尻城代を任されたと聞く。数多くの人材を喪った今、信君と穴山衆の武田家中での重要性は高まっているのだろう。しかし武田家を思っての事とはいえ陣中で主君を歯に衣着せずに罵ってそのままでは済むまい。
母から武田の血を受け継いでいる上に、勝頼の姉を娶っている信君は一門として武田姓を名乗ることが許されている。宿老たちがこの世を去った今、勝頼への不満はやがて、武田の生き残りのために勝頼に取って変わらねばならぬという思いへと変わっていくのではないか。
氏真はいずれ信君を調略できるという感触を得たが、力の均衡がもっと織田徳川に傾かねば武田一門として処遇されている信君を寝返らせるのは難しかろうとも思った。
氏真が使えるのは今川家当主としての権威と過去の人脈に頼った調略くらいなものだ。それも力の均衡が崩れ始めない限りは役には立たないだろう。それまでは軽挙妄動しても得るものはない。
力の均衡を崩すのは家康の仕事だ。氏真は、家康が一仕事するまで家族と共にゆるりと過ごす事に決めて六月を終えた。
七月に入って家康から呼び出された氏真は弥三郎を供にして浜松城に登城した。家康は弥太郎と共に待っていた。
「我ら近々諏訪原城に攻め掛かる所存。ついては氏真殿にも後詰をお願いしたい」
家康は畳の上に広げられた絵図を指差してそう告げた。
「ほう、諏訪原城でござるか……」
氏真は絵図の上の諏訪原城の位置を見て思わず声を上げた。
諏訪原城は牧之原の台地の南端に位置し、遠江と駿河の境をなす大井川の西にある。東海道の南から掛川城を牽制する武田方の要衝高天神城からは北東五里半の所にある。
高天神城にとって東方約八里の所にある東海道沿いの小山城が武田領までの道を繋ぐ命綱であるならば、諏訪原城はそれを守る盾であり、もう一本の命綱でもある。
徳川方は六月下旬に武田方の二俣城周辺に四つの付城を築き、天野藤秀の持城の一つである光明城を攻めて開城させ、武田に対して遠江での攻勢を強めていた。
そうする事で浜松城北方からの武田方の脅威を封じる事にほぼ成功したので、家康はいよいよ東進する決意を固めたのだ。
「これは思い切った策でござるな」
「左様」
諏訪原城が徳川方のものとなれば、高天神城の二本の命綱の一本を切り、残る命綱である小山城にも刃を突き付ける事になる。徳川方が支配する領域も北東に大きく張り出すことになるであろう。
これは武田に取って座視できない事態であるから、勝頼は自ら兵を率いて後詰に出ようとするであろう。
家康は勝頼が長篠のいくさの痛手のために後詰できない内に諏訪原城を取ろうと考えているのだろうが、その後も武田との間で諏訪原城を巡って激しい攻防が起こることは間違いない。
「勝頼が後詰に来ることはなかろうか?」
「長篠であれだけの痛手を被った後故難しかろうと存ずるが、勝頼は剛の者、武田家中にもまだ強者は残っておる故、必死の巻き返しがないとは言い切れませぬ」
「諏訪原を取れてもその後しっかと守り抜くことが肝心でござるな」
「左様……」
諏訪原城が徳川の城となれば、遠州における最前線となる。攻め手の目で見れば武田方の城塞網に突き付けた切先と見える諏訪原城であるが、徳川方としてこの城を守る者の目で見れば、西南の高天神城、東南の相良城、東の小山城、大井川東岸にある西北の駿河田中城などに三方を包囲されていると見える。
西方三里半の懸川城を通じてしっかりと支え、武田方に大きな動きがあれば家康自ら後詰に駆け付ける態勢が整っていなければ、この城を保つ事は難しい。
「そこで氏真殿に後詰いただき諏訪原城の速やかなる開城にお力をお貸し願いたいのでござる。いかがでござろうか?」
「城方に今川家中だった者たちが居るのでござるか?」
「左様、城将は室賀下総、小泉隼人など武田家臣でござるが、その下にいるものの多くは信玄の武威にやむなく従った近郷の者にござる……」
諏訪原城を大軍で取り囲み、氏真の調略であわよくば勝頼が後詰に駆けつける間もなく開城させたいという思いであろうが、負けず嫌いの勝頼の性格では一旦後詰に来れば城を奪われておめおめと逃げ帰ることはなかろう。
必ず大いに悔しがって諏訪原城に猛然と襲い掛かるか、さもなくば家康の軍勢に痛撃を与えようと食い下がるだろう。
「もちろん一臂をお貸しつかまつる。なれど、諏訪原城を落とす所まではうまく行くとしても一度勝頼が本気で出てきた時には大いくさとなり申す。その時はどうなさるおつもりか?」
「先日弾正山にて信長殿が申された通り、勝頼と正面からぶつかるのは得策ではござらぬ。勝頼を奔命に疲れさせ、弱らせる事が肝要と存ずる故、勝頼が出てきた時にはその鋭鋒を避けるつもりでござる」
「ならば織田上杉と示し合わせ、勝頼が出て来る度に西と北から武田の側背を脅かさせねばなりませぬな」
「そういたす所存……」
それから細々した事を打ち合わせた後氏真は浜松城を後にした。その数日後陣触れが出て出陣は七月半ばと告げられた。
『マロの戦国II -今川氏真合戦記-』第6話、いかがでしたか?
束の間の駿府帰還を果たした氏真さん、久々に家族との時間を持てた事でしょう。
天正三年時点で正室早川殿(蔵春院)との間には10歳前後の長女(後の吉良義定正室)と、6歳くらいの嫡男五郎(範叙)がいました。その後男の子がさらに三人生まれます。
帰ってからしばらくは家族と過ごせて休養もできたのでよかったでしょう。しかし、それから七月までの一月ほどの間、氏真さんの詠草は少し元気がありません。
駿河奪回の動きはなかったせいか、「うつる齢の程そ悲しき」とか、「閑居」とか「めつらしからぬ秋の初かせ」とか、時間が過ぎるのを残念に思っているようです。
家康による朝比奈弥太郎泰勝の引き抜きという気になるイベントも、この頃発生したかも知れません。
長篠の戦で武田家の名臣内藤昌秀(昌豊)を討ち取るという大手柄を立てた弥太郎、家康に気に入られたようで、後に徳川家臣となりますが、しばらくの間氏真と家康双方を主とする両属関係にあったようです。
この四年後、天正七年(一五七九)に北条家との同盟交渉の使者として海路小田原との間を往復して九月に同盟を成立させますが、その際氏真から感状をもらい、家康からの宛行状では「氏真御約束」として所領をもらっているんですね。
弥太郎はプロサッカー選手の「レンタル」のような形で家康に出仕していたのかも知れません。
氏真さんが詠んだ風の中の蛍火の一首。本人は涼しさをイメージしたのでしょうが、この先の氏真さんの人生のおぼつかない足取りを象徴しているようにも思えます。
長篠の戦いでの武田方の無謀な攻撃は謎ですが、その中で氏真にとっては幼い頃駿府に出入りしていた従兄弟穴山信君の動向は気になったのではないでしょうか。
形勢不利になったと見るや、勝頼の下知を待たずに退却、その際勝頼を厳しく非難したという信君ですが、戦後は戦死した山県昌景に変わって駿河を任されました。
後の甲州征伐の折、信君は家康に内応して駿河方面からの侵攻を助けて信長に本領安堵されました。お礼のあいさつに上洛した所に本能寺の変に遭遇、家康の伊賀越えに付き合うのを拒否して別路逃走を図ったが地侍に討たれた、というのは有名ですね。
さて、氏真さん、七月初めまでは落胆モードだったようですが、七夕で詠歌の調子が変わります。
どうやら七月に入って七夕前に家康から諏訪原城攻め従軍の相談を持ち掛けられたと思われます。
今回書いた通り、諏訪原城は武田方にとっては遠江侵攻の要というべき位置にあり、駿遠国境の武田諸城にとっては、楯の役割も果たしていました。
この諏訪原城を奪って遠江支配地域をさらに東に広げ、近辺の武田城塞網にくさびを打ち込む。高天神城など遠江の武田拠点の孤立化を進めつつ、駿河の武田拠点攻略の足掛かりにもする。
家康はそのような構想を持ち、氏真さんをその旗頭として諏訪原城に据え、地域の民衆と武田方の今川旧臣の心を獲えようとしたのでしょう。
氏真さん、かくして諏訪原城攻めの支度を始めたと思われますが、その前に風流人に欠かせない大イベント、七夕が来ます。
天正三年今川家の七夕、どんな風だったんでしょうか?
それは次回のお楽しみ!
『マロの戦国II』、次回もお楽しみに!
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決定版! 今川氏真辞世研究!
http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12221185272.html
さて、こうして浜松に戻った氏真さんご一行、いよいよ武田との決戦に臨みます。
氏真さんご一行、いかなる戦いぶりを見せるのか?
『マロの戦国』次回もお楽しみに!
お知らせ1。
世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!
http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html
『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!
詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。
この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。
これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。
この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。
しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。
現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。
お知らせ2。大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
2017年大河ドラマは「おんな城主直虎」。
史実を踏まえつつ、大河ドラマと井伊直虎とその周辺に関するあれこれを「直虎」ブログに書いていきます。
こちらも是非ご覧ください!
大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
http://ameblo.jp/sagarasouju/
本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら、上洛後武田との合戦に身を投じた氏真の日常に迫ります。