マロの城取り(一)今川のモグラ
『マロの戦国-今川氏真上洛記-』の続編登場です!
いよいよモグラ攻め!
意外なキン肉マン。
異世界の風流人!?
日記のあの人登場。
マロの城取り
明けて八月十六日、徳川勢は示し合わせた通りに諏訪原城への攻撃を開始した。寄せ手が西と南に攻撃を集中して城内の敵を引き付ける。その間に安倍元真の手勢が金山衆の掘った坑道を通って二の曲輪の東南に侵入し、敵を撹乱しつつ内側から門を開けて味方を引き入れる手はずになっている。
徳川勢はいつもより早く夜明けから、いつもより大掛かりに城に攻め掛かった。城方は今日こそ城を落とそうという徳川勢の意気込みを感じている事だろう。弥三郎が朝起きて顔を洗った頃にはもう城攻めの喊声が牧之原の山野に響き渡っていた。
案の定昨晩の月見酒が残っていて、喊声が重い頭に届く度に弥三郎は鈍痛に悩まされた。氏真に引き留められて深酒した事をいまいましく思ったが、気を取り直して安倍元真の陣屋に向かう前に氏真の陣屋に顔を出した。
「功名を立てるがよいぞ」
氏真は朝から上機嫌で、気軽に激励の言葉をかけてきた。氏真に悪気がないのは分かっているが、重い頭でそれを聞いた弥三郎は朝から腹が立った。こっちは今からいくさに行くんだぞ! 坑道が崩れれば生き埋めになるし、敵に気取られてしくじれば囲まれて逃げ道がない、命がけの仕事でござる!
殿はお気軽でようございますね、いつも高みのご見物で、と皮肉の一つも言ってやりたくなったが、弥三郎は今日も我慢する。
「ご期待に添うよう粉骨いたしまする……」
それだけ答えた弥三郎は穴攻めに加わりたいと申し出た今川衆の徒士数人を引き連れて元真の陣屋に向かった。
元真も弥太郎もいつでも出立できるといった様子で弥三郎たちを待っていた。
「遅れて申し訳ござりませぬ」
恐縮して詫びる弥三郎に元真は手を振って答えた。
「いやいや、よい頃合いでござるよ……」
元真の説明では坑道は既にほとんど掘り終わっていて、出口に当たる所は二三人が潜めるほどの広さに掘ってあると言う。その上の深さ一尺ほどの土は頑丈な板で支えてあり、つっかい棒を外せばその天井が落ちて二の曲輪の東の端に入り込めるとの事だ。
「では早速先導つかまつる」
元真はもう老人と言っていい年齢だが、当たり前の事のように申し出た。年季を経たいくさ巧者の貫録を感じさせる。
「では我らは元真殿のすぐ後に続いて討ち入りいたしとう存ずる」
弥太郎が言う「我ら」とはどうやら弥太郎と弥三郎の二人の事らしい。弥太郎は相談はおろか、弥三郎に目もくれずに二番手を買って出る。
おい、こっちの都合はどうか一言あってもいいだろう、と弥三郎が思うそばから元真も快諾してしまう。
「それはよいお心がけにござる。ならば一番乗りはお二人にお譲りいたす」
「かたじけない」
一言も言わないうちに二人で全て決められて弥三郎は面白くない。だが高齢の安倍家当主が危険を覚悟で先導する事を考えればこれくらいの事はすべきなので、さも納得したような顔をしてうなずいておいた。
徳川勢が再び高く喊声を上げ、南と西からの城攻めが激しさを増す中、いよいよ穴攻めを開始する。三十人ほどの穴攻めの衆は三人を先頭に、這うようにして城方から死角になっている場所を進んで城の東から近づき、城山の中腹に開けられた穴から坑道へと入って行く。
坑道の入り口は四つん這いにならなければ通れないくらい狭く、坑道の中で一番広い所でも、まっすぐ立つことができない。ひどい所では四つん這いさえできない狭さで、短弓を持つ弥太郎と弥三郎は進むのに苦労した。そんな狭さでは当然明かりもないので前を進む弥太郎に必死についていくしかない。
息苦しい坑道の闇の中を前後にいる味方が這い進むと荒い息を立てながら手足が土をかき、具足が触れ合う密やかな音だけが聞こえる。弥三郎はモグラの群れになったような気分で必死に出口を目指した。
落盤と窒息を恐れながらひたすら進んでいると、少し穴が広くなった所で弥太郎の足にぶつかった。弥太郎の声が聞こえてきた。
「少し下がって下され。出口でござる」
弥三郎も慌てて後ろに続く氏真衆の一人に声を殺して命じた。
「止まれ。後ろの者にもそう言え。出口まで来た」
そうしているうちに前方で火が灯り、闇に慣れ始めていた弥三郎の両目を眩しく射た。具足を土まみれにして小ぶりな松明を持っている元真の姿が同じく土まみれの弥太郎越しに現れた。弥三郎は肩で息をしながら周囲を見回した。
中は奥行き一丈(約3メートル)、幅五尺(約150センチ)ほどの空間になっていて、高さは片膝を立てるのがやっとだ。元真はその真ん中に座り、弥太郎がその前に両手をついたまま座っている。弥三郎は四つん這いになってその入り口から首を出した所だった。
穴から出ようと焦る弥三郎は弥太郎が尻をでんと構えて邪魔しているのに苛立ったが、すぐ理由が分かった。前の半分の空間の天井を崩して出口にする造りになっているのだ。
「弥三郎殿、そのままで。弥太郎殿は右隅に行かれよ」
と元真が声をかけて膝元に置いていた鉄の鋤を持ってこちら側の左隅にいざり寄って来た。弥太郎が右隅に詰めると奥が前よりはっきり見える。どうやら頑丈な天井板を奥と二人の前にある四本の柱で支えているらしいと分かった。
沈黙の中元真はしばらく聞き耳を立てて上の様子を窺っていたが、二人にうなずいて見せると再び口を開いた。
「どうやら近くに敵はおりませぬな。弥太郎殿、それがしが左の柱を倒すのと同時に右の柱を向こう側に押し倒して下され。柱が倒れたら天井のこちら側が落ちまする。すぐに手を引かぬと腕を取られまする故ご用心を」
「承知」
弥太郎がキリリと引き締まった顔を一層引き締めて答えた。
元真は弥三郎にも声をかけてきた。
「土が目に入らぬように気を付けられよ」
「心得申した」
弥三郎もキリリと引き締まった顔になったつもりで答えた。
「では参るぞ。一、二の、三!」
元真と弥太郎の二人がそれぞれの目の前の柱をごん、ごん、と叩いて押し倒すと天井板のこちら側が、がたっ、と下がり、上の土が崩れて空が見えた。爽やかな風が入り込んできて、熱い体を幾分冷やし、呼吸も楽になった。
弥太郎が無言のまま物音を立てぬよう気を付けながら傾いた天井板の上を素早く駆け上がり、弥三郎も遅れじと続く。天井板には横板がついて階段のようになっていたので滑らずに昇ることができた。
地上に立って見回すと、穴は目論見通りに二の曲輪の東端に通じていた。十間(約18メ―トル)ほど先にある櫓門は土居の間をつなぐように立つ渡し櫓だが、造りは粗末だ。外側からの攻撃を防ぐための壁はあるが、背後はむき出しになっており、そこに立つ二人の番兵は弥三郎たちに気付かずに背をさらしている。
穴から立ち上がって一通り周囲を見回した元真は後に続く者に無言で合図すると、弥三郎と弥太郎の横に立った。後に続く者たちも一人ずつごそごそと穴を抜け出し、具足の音も立てぬように気を使いながら地上に立つ。
徳川勢の陽動攻撃が功を奏して城兵の大半が西の守りに回ったらしく、櫓門の二人の他には十人足らずの兵がまばらに土居の上に取りついているばかりだ。その者たちも西側で上がる喊声と前方から散発的に撃って来る徳川勢の弓鉄炮への応戦に気を取られていて、坑道を通り抜けたモグラたちが今や獅子身中の毒虫と化してその数を増やしつつある事に気付いていない。
弥太郎と弥三郎は弓に矢をつがえる。弥太郎が弥三郎にささやいた。
「それがしは櫓の右の者を狙い申す」
「ならばそれがしは左を」
よく狙いを付けた後弥太郎が、その一瞬後に弥三郎が矢を放ち、二筋の矢が櫓に向かって飛んだ。
弥太郎が放った矢は気配を感じて振り返った右の櫓番に向かって飛んで行き、見事その喉首を貫いた。
しかし弥三郎が放った矢は左の櫓番が異変に気付いて傍らの同僚に顔を向けようとしたので、その胴に刺さって折れてしまった。どうやら矢傷を負わなかった左の櫓番は、矢を受けて崩れ落ちる同僚の死に狼狽しながらあたりを見回し、弥三郎たちに気付いて恐怖の表情を浮かべた。
しまった、と弥三郎は焦ったが、次の瞬間数本の矢が飛来して左の櫓番はハリネズミのようになり、声を立てる暇もなく前のめりに倒れ込む。二人が外した時に備えて他の者たちも狙いを付けていたのだ。
櫓番が二人とも倒れるのを見た弥三郎は一瞬安堵したが、左の櫓番は櫓から地面に転げ落ちてどさっ、と鈍い音を響かせた。その音で異変に気付いているはずの敵を早く片付けねばならない。そう思って慌てて敵を探し始めると
「おりゃっ!」
と力強い掛け声と共に、既に櫓門の脇に駆け寄っていた弥太郎が敵兵を一刀の下に切り倒すのが見えた。元真の手勢も既に他の敵に駆け寄って戦い始めている。
「朝比奈弥太郎泰勝、一番手柄ぞ!」
弥太郎がそう叫ぶのを聞いて、弥三郎は自分と自分の下知を待つ氏真衆がまだ何の働きもしていない事に気付いた。弥三郎は焦った。
「弥三郎殿、門を開けて外の味方を手引きして下され。我らはここの敵を片付けながら西から来る城兵を食い止め申す」
脇にいた元真からそう促されて我に返った弥三郎は、
「承知!」
と答えて他の氏真衆の徒士たちと共に門に駆け寄って閂を外し、力一杯引いた。鈍い音を立てて門が開いた。
「城攻めの衆、ここより討ち入りなされ!」
弥三郎が声を限りに叫ぶと、異変に気付いて近づいて来ていた徳川の寄せ手はおう、と叫んですかさず門に駆け入って来る。
寄せ手が入って来るのを見届けた弥三郎は、今度は安倍の衆は大丈夫か急に心配になった。西を振り向くと、駆け付けてきた城兵の数に押されて、弥太郎も元真も自ら先頭に立って必死に戦っている。
「加勢いたす!」
弥三郎はそう叫んで元真の横に出た。齢六十を過ぎた元真は戦い続けでさすがに消耗しているだろうと気遣ったのだ。しかし元真の体力は弥三郎の想像を超えていた。
「かたじけない」
と言いながらも手にした鉄鋤で敵兵の頭を叩くと、叩かれた敵はのけぞって倒れたのだ。
多少はできそうな新手の敵が出て来たが、元真は愛用の鉄鋤を手鉾のように使いこなして返り討ちにしてゆく。敵は元真の鉄鋤を槍で受けようとしても、その一撃の重さに姿勢を崩してしまい、その隙に元真にあるいは喉や胸を突かれ、あるいは再び頭を打ち据えられて倒れてゆく。弥三郎が手助けする暇もない。
「元真殿、お年にも関らずやりまするな」
弥三郎にそう言われた元真だが、敵兵を打ち据え続けながら、
「何のこれしき、それがしずっと金山の衆と穴を掘り続けてきた故力には自信がある。此度の穴掘りもそれがしが一人で掘ったようなものよ」
と笑って見せた。
「何と!? そうでござったか!」
と驚く弥三郎の方が元真との会話に気を取られた隙に敵に槍を突き掛けられて危うい所でそれをかわした。
それでも城兵の数が増え続けて来ると、さすがに三十人そこそこの小勢では支えきれなくなって来た。すると、背後から
「穴攻めの衆、左右に開いて下がられよ!」
と叫ぶ声が聞こえる。
攻め掛かって来る敵の槍を払いながら、急いで後ろを見ると、片膝ついて構えた鉄炮隊の銃の火縄から煙が上がっているのが見えた。
弥太郎はいち早く気付いたようで、
「皆の衆、左右に分かれて退け!」
と呼び掛ける。
穴攻めの衆が急いで左右に開いて退くのを怪訝に思った城兵は姿を現した鉄炮隊を見て狼狽したが、もう遅い。
「て―っ!」
徳川の鉄炮頭の下知と共に銃口が火を噴き、轟音と共に城兵たちはばたばたと倒れた。
鉄炮隊も左右に開きながら退くと今度はその後ろにいた弓隊が現れて斉射し、城方は一層混乱した。
弓隊もまた左右に開くと馬に乗った大将が、
「かかれ―っ!」
と声を限りに叫び、騎士たちと槍隊がそれに応えて喊声を上げ、弥三郎たちの前を走り抜けて城方に猛然と襲い掛かった。
その大将は自らの兵が城方を押し返して行くのを見届けてから元真の近くまで馬を進め、
「元真殿、此度の穴攻め、お手柄でござるな」
と声を掛けてきた。
「真乗殿、ご加勢かたじけのう存じまする」
元真の言葉で三十歳くらいに見えるその武将が松平真乗だと弥三郎にも分かった。松平真乗は十八松平と呼ばれる徳川の分家の一つ大給松平家の当主だ。
「ここは我らに任せてしばらく休まれるがよかろう」
「ならばお言葉に甘えまする」
真乗は手勢を追って再び進んで行った。元真は家臣の一人を使いにやって外で待機していた者たちを呼び寄せ、弥三郎たちの分まで兵糧や薬を出させる。弥三郎は幸い氏真衆にけが人がないことを確認して一安心した。
食事と傷の手当てが終わると弥三郎たちは一の曲輪を攻める真乗の手勢に合流した。とはいえ城門近くには既に真乗の手勢が詰めているので、鉄炮や弓矢で遠間から加勢するに留まった。
一の曲輪の守りは堅く、寄せ手が弓鉄炮の間合いに踏み込むことができない内に日が暮れ始めた所で徳川勢は城攻めをやめた。
「今日の穴攻めの手引き、大変助かり申した。かたじけない」
「いえ、こちらこそ穴攻めの衆に加えていただきかたじけのう存じまする」
元真と弥太郎のやり取りを聞きながら、弥三郎も久々の戦場での働きに充実感を感じることができた。
「弥三郎殿にもご加勢いただき助かり申した」
「いや、それがしなど何のお役にも立てませず恐縮の極みでござりまする」
「いや、ご加勢うれしゅうござった。では氏真様によしなに」
「承知仕りましてござりまする」
元真と別れた弥三郎が弥太郎と共に氏真の陣屋に向かうと、その二三町手前のあぜ道に氏真と与兵衛が立って一面に広がる秋の田を眺めているのが見えた。弥三郎たちは急いで氏真の前に進み出て片膝を突いた。殿がわざわざ自らお出迎え下されたのか?
「ただいま戻りましてござりまする」
「弥太郎、弥三郎、ご苦労であったな」
弥三郎が帰陣を告げると氏真はまず二人に声を掛け、一歩進んで背伸びして後ろに従う他の氏真衆を一通り見回してから、
「皆無事なようだの」
と微笑んだ。
「ここまでお気遣い下されるとは、我ら一同感激の極みにござりまする」
弥三郎が礼を言上すると氏真は笑って手を振った。
「あ、いやいや、例には及ばぬ。マロは散歩に出ておっただけ故。ほれ見よ、秋の田の稲葉が風に吹かれるのが風情があってよいであろう? うむっ、一首浮かんだ。かげおつるう、いりひのすえをお、をみわたせばあ、いなばそめわけえ、かぜわたるなりい……」
氏真が心配して出迎えてくれたと本気で感動しかけていた弥三郎は白けた。氏真の態度も歌も、何というのんきさ加減だろう。
先ほどまでいた剣戟の巷から数町しか離れていないはずなのに、夕日に照らされた稲が風になびく秋の田と氏真、そして与兵衛の取り合わせを見ていると、異界に迷い込んだような気がした。
しかし弥太郎は偉いものだ。氏真の詠歌を聞くと即座に
「さすがは御屋形様、いくさ場においても風雅の心をお忘れにならぬお心がけ、それがしも見習いとう存じまする」
と間髪入れずほめ上げた。途端に氏真は上機嫌になった。
「うむ、よう言うてくれた。そなたに風雅の心を分かってもらえてマロはうれしいぞ」
「恐れ入りましてござりまする」
「うむ。弥太郎、弥三郎、夕方の軍議にはまだ間がある故、二人とも身を洗い清めて着替えておいてくれ。与兵衛、二人が身を清めておる間に着替えを用意し、具足も磨かせよ」
「へえ」
氏真にそう言われて弥三郎は自分たちが朝からの穴攻めで泥まみれであることにやっと気づいた。
弥三郎と弥太郎が湯をもらって庭先で泥や血を洗い流してから陣屋に上がると、小者たちが新しい着替えを持って来た。着替え終わると今度は握り飯と香の物が出され、湯だけでなく酒も出てきた。
二人がそれらを少し口にして一服してから磨き上げられた具足を付け終わった頃、美々しい鎧兜に身を包んだ氏真が現れた。
「弥太郎、弥三郎、参ろうか」
「はっ」
外に出ると氏真は待たせてあった馬にひらりと乗った。馬までが美々しい鎧を付けている。
弥太郎と共に氏真の後に従いながら弥三郎は内心舌を巻いた。
何という変わり身の速さよ。さっきまでのんびりと歌を詠んでいた時とは別人のような意気軒昂な武者ぶりだった。しかもいくさの後だけそうなのが小憎らしい。
とは言え氏真が家康に今日の自分たちの働きぶりをうまく報告してくれれば氏真衆の評価も上がり、諏訪原城を氏真が任された時についてくる土地も増えるはずだ。弥三郎は氏真への反感と期待が自分の中に同居している事に気付いて落ち着かない気持ちになりながら氏真に従って家康の本陣へと歩いた。
夕方からの軍議で徳川勢は東から二の曲輪の内側へと大きく食い込んだが南と西では依然として城方が持ちこたえている事が確認された。
「元真、今日の穴攻め、見事であった」
「この元真、お役に立ててこれ以上うれしき事はござりませぬ」
家康は城攻めが大きく伸展した事にひとまず満足の意を示したが、
「しかし二の曲輪は未だ持ちこたえて落ちぬ。いかがしたものか」
と諸将を見回した。
氏真は再び西側に退路を開け放つ事を提案した。
「先日の軍議で話し合った通り、二の曲輪の西側をこれ見よがしに開け放つが上策と存ずる。我らが欲しいのはこの城であって城方の命ではない事を悟らせるがよろしかろう。その上で東と南から二の曲輪の者どもを本曲輪と切り離して西から城の外へ追い出すように攻めるべきでござろう」
「ならば明日からそのようにいたすとしよう」
家康は即座に断を降したが、
「それがしにも一策があり申す」
と手を挙げた者がいる。それは十六松平の深溝松平家当主松平家忠であった。家忠は先月長篠の戦いで鳶ヶ巣山の砦を攻めた時に父伊忠が討ち死にした後を継いで当主になったばかりだ。
城の普請に才能があり、連歌を好んで氏真とは多少の付き合いがある。年の頃は二十歳過ぎに見えた。
「又八郎、申してみよ」
「はっ。明日より我らの陣城も西から落ち延びる者を追わぬ事が見えるようにいたさば、城方にも我らの考えが伝わりやすくなると存じまする。すなわち明日の昼の内に我ら寄せ手の陣の西の端を区切るように柵を設け、それより西には一兵も見えぬようにいたしまする。夜に入ってからは西の端の柵に篝火を設け、城の西側は真っ暗なままにしておけばいずれ城方も西からは逃れられると気付いて夜に落ち延びる者が出始めるかと思われまする」
「それはよい。又八郎、明日から取り掛かってくれ。氏真殿、いかがかな?」
「それがしも名案と存じまする。二の曲輪から敵をできる限り追い出して城方が本曲輪にすぼまった時に最後の使者を送ってはいかが。開城と落去を促せばおそらく敵も諦めて出て行くかと思われまする」
「うむ。ではそういたそう」
家康は決定を下し、改めて諸将の攻め口を決めて軍議は散会となった。
野つゝき見えわたる景を
影落る入日の末をみわたせは稲葉染分風わたる也(1―378)
霧の上に曇りもはてぬ冨士のねは雲井計や嵐立らん(1―379)
【訂正:松平又八郎家忠は、「氏親の従甥」と書いちゃってましたが、正しくは氏真の従甥です。家忠の祖母が氏真さんのおば(氏親娘)で、氏真の従甥に当たります】
『マロの戦国II -今川氏真合戦記-』第11話、いかがでしたか?
かつて今川支配下の駿河で金山を経営していた安倍元真は諏訪原城で金山人夫を使って坑道を掘らせて城内に侵入したそうです。それがどこかは不明なようです。
9話後書きでご紹介したように、武田時代の諏訪原城では東曲輪から鉄砲玉が多数出土したといいますから、東側から攻め落としていったのではないかと思っています。
朝比奈弥太郎や海老江弥三郎たち今川衆がこの戦でどんな役割を果たしたか記録はなさそうです。
一方の氏真さん、十五夜の「友」との語らいの後も、今回ご紹介したように、大変静かな和歌を詠むばかり。
氏真さん、死んでもらってはいけない「将の将」として安全な後方に置かれていたのでしょう。家康の本陣より後方だったかもしれません。
氏真さん、秋の夕日に照らされた稲の葉を詠んでいますから、徳川勢は解放軍として振る舞い、田畑を荒らさなかったのでしょうか。
今回登場の松平家忠。『家忠日記』で有名ですが、「松平家忠」はこの頃三人もいて、こちらは深溝松平家の家忠さん(又八郎)です。
ちなみに東条松平家の家忠さん(甚太郎)は又八郎の一歳年下で、又八郎の妹を嫁にもらったとか。
もう一人は形原松平家の又七郎家忠で、この人は二人より年上で、家康の母方の従弟とか。
ややこしいですね。
又八郎家忠の日記は天正五年から始まっていて、氏真さんや関係者がちらほらと登場します。
特に日記の中で家康をよく呼び捨てにしていてあまり「様」とつけていないのに、氏真さんは「氏真様」として敬意を示しています。
信長はしばしば「上様」と書いたりして敬意を示しています。家康に対する距離感が興味深いです。
又八郎家忠の氏真への敬意や親近感は、家忠の母が氏真さんのおば(氏親娘)で、氏親の従甥に当たること、家忠が連歌や風流ごとが好きなことのためでしょう。
ちなみに、飯尾連竜正室で引馬城主となったお田鶴の方(椿姫)が鵜殿長持の娘ですので、家忠はお田鶴の方の甥ということになります。
飯尾連竜は桶狭間の戦いの後家康に内通して氏真さんに背き、遠州忩劇と呼ばれた反乱を引き起こした張本人です。
この時井伊直平がお田鶴の方に毒殺されたという風説があります。大河ドラマでは直平は「ナレ死」でしたが、不可解な死とは、この毒殺の風説のことです。
ちなみに、「井伊家伝記」などでは直平が引馬城主で飯尾連竜が家老のような扱いですが、最近の研究では否定されています。
曳馬城を攻めた新野佐馬助や中野直由を返り討ちにしたのも飯尾連竜です。
この連竜さん、一度は詫びを入れたものの謀反を繰り返したので、氏真さんは連竜をだまして駿府に呼び出して闇討ちにしたといわれます。
この時氏真さん、娘を連竜さんの長男の嫁にやるといってだましたという話がありますが、後に吉良義定室となる娘(本作の花ちゃん)は多分生まれたばかりの赤ちゃんなので、虚構でしょう。
一説にはお田鶴の方もこの時一緒に討ち取られたという話もありますが、氏真に曳馬城主の地位を安堵されたという話もあります。
徳川方の資料で後に家康の曳馬城攻めの際家康の降伏勧告を拒絶して討ち死にしたという逸話が残っていますし、お田鶴の方が氏真さんの従妹であることも考えると、後者の方が可能性がありそうです。
話を又八郎家忠に戻すと、家忠は築山殿から手紙をもらったり、信康に頻繁にあいさつに参上したり、築山殿母子とも深い関係があったようです。
こういう今川家を中心とした親戚関係が徳川家中で複雑に入り組んでいた事にもっと注目した方がよいように思います。
さて、諏訪原城と室賀さんたち城衆、いよいよ追い詰められました。諏訪原城、これからどうなる?
それは次回のお楽しみ!
『マロの戦国II』、次回もお楽しみに!
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こちらもご覧ください。
祝! 諏訪原城が続日本100名城に選定されておりました!
諏訪原城 Shizuoka城と戦国浪漫(静岡県のサイト)
http://www.sengoku-shizuoka.com/castle/2103009/point.php
続日本100名城(PDFが開きます)
http://jokaku.jp/wp-content/uploads/2017/04/bf93ec3a1c5eefad5b2c6e528ade2f20.pdf
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決定版! 今川氏真辞世研究!
http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12221185272.html
お知らせ1。
世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!
http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html
『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!
詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。
この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。
これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。
この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。
しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。
現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。
お知らせ2。大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
2017年大河ドラマは「おんな城主直虎」。
史実を踏まえつつ、大河ドラマと井伊直虎とその周辺に関するあれこれを「直虎」ブログに書いていきます。
こちらも是非ご覧ください!
大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
http://ameblo.jp/sagarasouju/
本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら、上洛後武田との合戦に身を投じた氏真の日常に迫ります。