マロの友情(三)月の前の友
『マロの戦国-今川氏真上洛記-』の続編登場です!
サプライズゲスト登場!
今は亡きあの人を共に偲ぶ。
あの人が語る本心。
義兄と義弟!?
大事な約束、忘れないで……。
「弥太郎様がお越しにござりまする」
そう言うと氏真は笑顔を見せた。
「おお、弥太郎も今年も忘れずにマロの月見の宴に加わりに来てくれたか」
そう言っている間に弥太郎がやって来て挨拶したが、何故か慌ただしい様子だ。
「御屋形様、間もなく家康様がこちらへお出ましになられまする」
氏真は小首をかしげて見せた。
「ほう。それはまたいかがいたしたのであろう?」
「それがしお召しにより家康様のお月見のお相手をしており申した所、家康様が御屋形様も今宵は月見をされておるであろう、御屋形様と月見がしたいと申されまして。それでそれがし慌ててご注進に参りました」
「ほう、マロと月見とな」
「御意。あっ、おいでにござりまする」
そう言う弥太郎につられて庭に目を向けると、庭から回って来た家康が歩いて来ていた。従うのは太刀を持った小姓一人と、長持ちを持った小者二人だけだ。
「これはこれは家康殿……」
「いきなり押しかけて申し訳ござらぬが、今宵の月が見事故、ご一緒に月見をいたしとうなり申してな」
そう言う家康も既にかなり飲んでいるらしく、赤い顔をしているが上機嫌に笑みを浮かべて氏真に会釈した。それに合わせて頭を下げる小姓は先ほど氏真が話していた次郎法師の甥、虎松だ。いや、今は家康から万千代という名を与えられていた。
「おお、明月と共にそれがしの事を思い出して下さるとはうれしゅうござる。ささ、遠慮なくお上がり下され」
そう言われた家康はうれしそうに縁側に上がって氏真の隣に腰を下ろした。その横に万千代が控え、小者たちが長持ちから酒肴を取り出して、二人の月見の宴が始まった。弥三郎も弥太郎と共にお相伴にあずかった。
氏真と一緒に月を見たくて来たと言うから家康は何か趣向があるのか、と弥三郎は耳をそばだてて二人のやり取りを聞いていたが、何か変わった事をするわけでもなかった。
「今宵は月が大きゅう見えまするな」
「今日は晴れてよかった」
盃を傾ける家康の口から出て来るのはそんなあたりさわりのない言葉ばかりだ。氏真も家康のあたりさわりのない話にあたりさわりのない言葉を返すばかりで弥三郎も退屈になって来た。だが氏真がいつものように自慢たらしく歌を詠んで聞かせたりするよりはいいだろうと思っていると、家康の方からその話題に触れてきた。
「氏真殿はこのような明月の晩には歌を詠まれるのでござりましょうな」
「左様、実はおいでになられる前に十二首ほど詠み申した」
氏真の得意げな物言いで家康が気を悪くせぬか、と弥三郎は心配になったが、家康は相変わらず上機嫌で驚いて見せた。
「何と十二首も! それがしも駿府ではご家中を見習って歌の稽古もして見申したが、いまだそのように思いのままに詠むなど到底でき申さぬ。氏真殿はまことの歌人にあられまするな」
「いやいや、幼い頃よりの習い性になっておるばかりでござる。いまだ至らぬ事も多くお恥ずかしい限りでござる」
「いや左様な事はござりますまい。いかがでござろうか、今この場で一首詠んでみては下さらぬか?」
「そうですなあ……」
氏真は考えるそぶりを見せたが、
「ではこれはいかがでござろう」
とすぐに一首ひねり出して見せた。
「ふるさとをお、かえりこそみればむばたまのお、よるのやまじのつきのゆくえにい……」
「おお、かくもたやすく一首でき上がるとは、見事なものですなあ……」
いつもは慎重に言葉を選んで話す家康だが今日は感じた事をそのまま口に出しているようだ。
「いやいや……」
と言いながら氏真も上機嫌だ。家康も酒が進むと共に一層饒舌になった。
「義元様もよく月を愛でて歌や詩を作られましたなあ。ふるさとと聞いて思い出し申した。あれは何という句でござったかな、義元様がまだ仏門におわした頃、御年十四五の頃和漢の句を詠まれて評判になられたとか……」
「ああ、それならば『氷を扣いて月に茶を煎る』でござろう」
氏真もその句の事はよく覚えているらしく、即座に答えた。
それにしても、故郷と聞いて家康が駿府を思い出したと言うのは新鮮な一言だと弥三郎は思った。家康の故郷は駿府なのか。考えてみれば、家康は幼い頃人質に行く途中身柄を織田方に奪われ、数年の間尾張に囚われていたというから、岡崎の事は覚えておらず、尾張にいた頃は生きた心地もしなかっただろう。
弥三郎がそんな事を思っていると、また家康がびっくりするような事を口にした。
「義元様がご健在であれば、それがしは今頃今川の臣として天下静謐のために戦っていたのでありましょうな……」
「…………」
さすがにこれには氏真も返答に窮したようだ。しかし家康は気に留める様子もなく話し続ける。
「厭離穢土、欣求浄土。それがしが義元様の後を追って大樹寺で腹を切ろうとした時、登誉上人様から教えられた言葉でござる……」
これも驚いた。大樹寺と言えば、家康の祖先松平家の菩提寺だと聞いている。桶狭間の戦いの後、家康は菩提寺に駆け込んで義元様に殉死しようとしていたのか。
弥三郎は思わず目を丸くした。ふと弥太郎の方を見ると、弥太郎は顔を伏せて表情を隠しているが、やはり驚いているに違いない。
氏真も言葉を忘れて家康の顔をまじまじと見つめている。
しかし家康は気にする様子がなく、取り止めもなく己の本心を語っているようだった。かなり酔っているようだ。
「それがしは氏真殿がうらやましかった。義元様の嫡子で今川家の跡取り。文武両道で、お田鶴殿や、次郎法師殿、それに瀬名にも慕われていた……」
その言葉を聞いた氏真は弱々しい微笑みを浮かべた。
「築山殿はそれがしにとっては妹のようなものでござる故……」
「妹でござるか……」
そう言って家康も微笑んだが、その笑みはさびしげだった。二人が築山殿を巡って恋のさや当てを演じたこともあったのだろうか。しかし家康には愛する女を恋敵から勝ち取った優越感は感じられなかった。やはり今川に背いて以来家康との築山殿との間はうまくいっていないのだろうと思われた。
「瀬名が妹であれば、氏真殿はそれがしにとって義兄上でござるな」
そう言えばそうなのだろうが、何が言いたいのか。氏真も家康の真意が分からないらしく、戸惑っているようだ。
「それがし義弟なれば義兄上を助けねばなり申さぬ。それがし氏真殿を必ず駿府にお戻しする覚悟でござる」
明日になれば忘れてしまう酒に酔ってのたわ言かもしれないが、そう言う家康は何か義侠心のようなものに駆られているらしく、胸を張って力強い口調で言い切った。
家康が日ごろ胸に秘めている本心を酒に酔ってさらけ出しているように思えて、弥三郎は好感を持った。
「誠にかたじけない」
氏真も同じように思ったらしく、微笑みながら礼を言う目には喜びの色が浮かんでいた。
しかし家康は自分の本気さを訴え足りないようで、言葉を続けた。
「それがし本気でござる故、氏真殿が申された通り諏訪原城が降参した暁にはあの城をお預けするつもりなのでござる」
「何と、諏訪原城を、でござるか?」
聞き返す氏真の顔に驚きと困惑の表情が広がるのが弥三郎には分かった。弥三郎も同じ気持ちだ。今の氏真の手勢は三十人にも満たない。氏真衆の他に今川の旧臣を大急ぎで呼び集めても、諏訪原城のような大きな城を守れるほどの人数には遠く及ばないはずだ。
そんな体たらくで武田との攻防の最前線に立つなど到底できない相談だ。諏訪原城を奪われたら武田方が取り戻そうと襲いかかって来るのは間違いないのだ。ましてや勝頼が大軍を催して攻め寄せたら到底敵わないだろう。絶対無理でござる。
そう思いながらふと弥太郎を見ると、顔を伏せているが、やはり同じ思いなのだろう。
家康も酔っていても氏真たちの気まずい沈黙の意味には気付いたようで、少し慌てて言葉を継いだ。
「諏訪原城をお預けすると申してもすぐと言う訳ではござらぬ。まずは我が家臣の選り抜きの者に城を固めさせ、再度普請もさせ申す。城を支え抜く手はずを整えてから氏真殿に入っていただこうと存ずる。もちろんいくさは我が家臣にお任せいただく」
家康にそう言われて、氏真たちの緊張は緩んだ。それを見ながら家康は言葉を続ける。
「氏真殿には駿河攻めの旗頭となっていただき、駿遠の諸衆の調略を手掛けていただければよいのでござる。その上で機を見てそれがしも兵を起こし、信長殿の助けも借りつつ武田を攻め、駿河を取り戻す算段でござる」
そこまで聞いて氏真も安心したようだ。
「なるほど。それは妙案でござる」
と前向きな姿勢を見せ、家康も満足そうな表情を浮かべた。
どうやら家康は今夜月見にかこつけてその事を話したくてここにきたようだ。その後また月を愛でつつあたりさわりのない会話をしばらくしてから辞去を申し出た。
「もはや夜も更け申した故、これにて退散つかまつる。酔いに任せて押し掛けたにも関らずお相手いただき誠にかたじけのうござった」
「いやいや、こちらこそ家康殿と共に月を愛でることができてうれしい限りでござった」
「歌の話もお聞かせいただいて、ありがとうござった」
「おお、そう言えばお話している間にまた思いつき申した故、最後にもう一首披露いたしとうござる」
氏真はそう言って家康の返事を待たずに歌を詠み始めた。
「うかびぬるう、こころかたらんおなじえにい、かげをむすべる、つきのよすがらあ……。この歌の題は『月の前の友』といたしたく存ずる」
「月の前の友、でござるか……それがし年来心に掛けていた重荷を下ろせたような気分でござる」
家康は晴れ晴れとした面持ちで微笑んでいた。
「それはようござった」
氏真も微笑んでいた。
家康が来た時と同じように庭を回って出て行き、それに従う小姓の万千代も去り際に笑顔で会釈して行った。太刀持ちを務めて身じろぎ一つせず、いかにも気が強そうに瞳を光らせていた万千代だが、笑うと爽やかな好青年で、弥三郎は同じ遠州の者としても親しみを感じた。弥太郎も家康について行き、後には氏真と弥三郎が残された。
「御屋形様、よいお話でござりましたな」
家康たちが去った後、弥三郎は氏真にそう言ってみた。他の家中なら差出者、と叱られるだろうが、どうしても言いたくなってしまったのだ。
「はてさて、どうなるかな……」
氏真は気のない風を装っているが、その口許からは抑え切れない笑みが微かにこぼれていたし、その目も明るく輝いているように見えた。
そうしていると、家康と共に辞去したはずの弥太郎が庭から戻って来た。
「ねぐらに行くふりをして戻って参りました……御屋形様、ようござりましたな。おめでとうござりまする」
弥太郎も同じ事を言いたくて戻って来たらしい。
「家康が明日覚えておれば、そうじゃな」
そう答えた氏真はふふ、と笑って言葉を続けた。
「それで一首浮かんだ。わするなよお、ゆくすえかけてえ、ひさかたのお、つきにあらわすう、ちぢのことのはあ……」
「約束を守れよ、という事でござりますな」
弥三郎はうれしくなってまた余計なことを言ってしまった。しかし氏真も笑顔で答える。
「うむ、まあそう言う事じゃ」
「大丈夫でござりましょう。家康様は約束を守られるお人でござりまする」
弥太郎もうれしそうであった。
しばらく三人で歓談した後月見の宴はお開きになった。随分長い宴だったが寝床に入った後も弥三郎は期待と共に家康の言葉を思い出してかなりの間起きていた。
殿があの城を任されるのかあ。そうなれば、城と一緒に城衆を養うための土地もついてくるんじゃないか……。
弥三郎の胸中で期待が膨らんだが、一方で調略が諏訪原城開城の役に立たなければ家康が氏真を諏訪原城に入れる利益が見いだせないことに弥三郎は気付いた。
そのためにはまず明日の穴攻めを成功させ、その後弥太郎と共に城に出向いてあの室賀を開城するよう説得せねばならない。簡単なことではないが、自分がやれることをやるだけだ。そして、家康には今夜の約束を実行してもらう。
約束を守れよ、家康!
弥三郎はもう一度強く念じて目をつぶった。
八月名月十五首
八月十五夜 月前雨 月前虫
くもりなき四方の海山のなかはなる月をはいつのよはにたくへん(1―363)
村雨のひま〱月の哀さもしつ心なくうき雲の空(1―364)
秌とても月はさひしき影もなし虫鳴やつす蓬生の庭(1―365)
月前草花 月前鹿 月前雁
草の原花に落たる月影を雲居にかへす萩のひとこゑ(1―366)
おく迄も月に隠ぬ鹿の音を物ふかく聞さよの中山(1―367)
雁かねの行ゑしるはの磯晴てさそな真砂の月は澄らん(1―368)
月前砧 月前興 月前恋
近くたつ夜の衣のいかなれば月の空にはすみ昇るらん(1―369)
山端に傾く数もおもほえす酔をすゝむるさか月の影(1―370)
何となくぬるゝかほなる月影を強面き袖にいかゝみるらん(1―371)
月前恨 月前述懐 月前懐旧
忘こし君も今夜は思ひ出よふるき宿こそ月もさひしき(1―372)
さし向ふ月より外はなき物をかこちかほなる何を心の(1―373)
思ひ出の有て過行空の雲あやなし月に立なかへりそ(1―374)
月前旅 月前友 月前祝
故郷をかへりこそみれはむは玉の夜の山路の月の行ゑに(1―375)
うかひぬる心語らむ同えに影を結べる月のよすがら(1―376)
忘るなよ行末かけて久方の月に顕す千々のことのは(1―377)
『マロの戦国II -今川氏真合戦記-』第10話、いかがでしたか?
今回部分は諏訪原城攻囲中の天正三年(一五七五)八月十五夜に、「月前友」「月前祝」という題で氏真さんが詠んだ二首がきっかけでできました。
月前旅 月前友 月前祝
故郷をかへりこそみれはむは玉の夜の山路の月の行ゑに(1―375)
うかひぬる心語らむ同えに影を結べる月のよすがら(1―376)
忘るなよ行末かけて久方の月に顕す千々のことのは(1―377)
これらによると、氏真さん、「友」と呼べる誰かと並んで月を眺めながら、心に浮かぶことを腹蔵なく話し合い(うかひぬる心語らむ)、何か約束事をした(行末かけて)らしい。
話題となったのはおそらく「故郷」。十五夜の月はまだ東の山路の方角に見え、故郷とは駿府であり、氏真さんは「友」と共に故郷へ戻りたい、駿府を取り戻したい、といいう想いを語り合ったのではないでしょうか。
かなりお酒も飲んでいた二人は互いの思いを思いつくままに語り合ったらしい。氏真さんは、月光に照らされてできた二人の影がなかよく並んでいる事に感慨深いものを感じたようです。
そして、悠久の月を証人に、行く末について「友」が色々と言ってくれた言葉を忘れるなよ、と念押ししているわけです。おそらく友と別れた後の一首でしょう。
そんな氏真さんにとっての「友」とは誰だったのか?
氏真さんの諏訪原城攻囲戦従軍についての記録は氏真詠草くらいしか見当たりませんので、決定的な証拠はありませんが、
氏真さんと並んで月を見られる身分の人物であること、
氏真さんと一緒に歌を詠んでいないらしいこと、
氏真さんに何事か「行く末」について約束していること、
などから徳川家康である可能性が最も高いと思われます。
ただ単に氏真さんの風雅の友が従軍、あるいは訪問した、という可能性もないわけではありませんが、歌を詠めるなら歌合せになったと思われますが、その痕跡がない。
諏訪原城攻めには家康の嫡男松平信康や酒井忠次など、家康に次ぐ身分の人々も従軍していましたが、氏真に「行く末」を約束できる立場ではない。
後に氏真との親交を日記で記録する松平家忠も従軍しています。家忠は連歌をたしなみ、風雅の友と高位の人物の中間ですが、氏真とは親子ほど年齢が離れているうえに、一緒に歌を詠むなどした記録がない。
氏真にとって家忠は身分でも、歌人としての素養もずっと格下だったと思われます。
朝比奈弥太郎泰勝など家臣は「友」とはされなかったでしょうし、「行く末」の約束もできません。
となると、氏真さんが「友」と呼びうる、「行く末」を約束してくれる人物は徳川家康くらいしかいないことになります。
本作では家康が月見の宴の最中の氏真さんをサプライズ訪問したと書きました。途中まで色々歌を詠みながらお酒もかなり飲み、哀傷的な歌調になったので、それまでは自陣にいたのではないかと思われるためです。
月見の詠歌の最中に、家康が訪れたか、あるいは家康に呼び出され、望郷の思いと駿府復帰の念願を「月前旅」に詠んだ。その後家康と語り合った氏真さんの気分は一転し、家康との心の交流を「月前友」に詠み、おそらく家康と別れてから、約束を忘れないでくれ、と「月前祝」で締めくくった。
そのときの約束とはもちろん駿府復帰、駿河回復支援であり、諏訪原城を落としたら氏真さんを城主にする、というオファーだったのではないでしょうか。
後世氏真さんはずいぶん酷評され、それに対して家康が憐れみをかけてやった、という印象が強められますが、史実を見ていると、家康は氏真をかなり評価し、氏真も家康に協力していることが分かります。
さらに、家康はその後も自分の不利も顧みずに氏真さんを支援しようとした形跡が見られ、一方氏真さんも家康を恨む様子が見られません。
二人は後世の人々が思う以上に深い友情で結ばれていたように思えるのです。
さて今回、今川義元が栴岳承芳と名乗っていた頃の施策を取り上げました。
仁和寺の僧正尊海が旅の途中駿河の長楽寺(静岡県藤枝市)で栴岳承芳と九英承菊(=雪斎)に会い、次のように和漢興行を行った事を『あづまの道の記』に書き留めています。
ゆきやらてはなや春まつ宿の梅 尊海
友 三 話 歳 寒(友三話して月寒し) 九英(雪斎)
扣 氷 茶 煎 月(氷を扣いて月に茶を煎る)承芳(義元)
これは天文二年(一五三三)十二月の事だというので、義元十五歳の時の作です。
なかなか詩才があると思えます。
なお、小川剛生氏の『『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版、二〇〇八年)によると、家督継承後義元は歌会を定期的に催し、歌道師範の冷泉為和がこれを記録しています。
面白いのはある時の歌会で為和は義元の歌を負けとしていることです。
義元が詠んだ
月前遠情
身をわきて所〱の名にしおふ月にあはれと向ふ空哉
という歌に対しては、「いかにとして須磨、明石、更級、小嶋、その外の所々へ一夜のうちにとて得べきや」と心を分けるというならともかく「身をわきて」という表現は「不審」だとして義元の歌を負けとしているそうです。
今川義元は戦国時代の大大名ですが、歌道の権威を尊重し、歌道師範も思う所を言えたのですね。戦国時代を弱肉強食として単純化してはいけないことが分かります。
さていよいよ諏訪原城攻囲戦、翌朝からは「モグラ攻め」開始です。
弥太郎も弥三郎も飲みすぎちゃったのでは? モグラ攻め、どうなることやら?
それは次回のお楽しみ!
『マロの戦国II』、次回もお楽しみに!
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こちらもご覧ください。
祝! 諏訪原城が続日本100名城に選定されておりました!
諏訪原城 Shizuoka城と戦国浪漫(静岡県のサイト)
http://www.sengoku-shizuoka.com/castle/2103009/point.php
続日本100名城(PDFが開きます)
http://jokaku.jp/wp-content/uploads/2017/04/bf93ec3a1c5eefad5b2c6e528ade2f20.pdf
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決定版! 今川氏真辞世研究!
http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12221185272.html
お知らせ1。
世界初!天正三年氏真上洛経路地図公開!
http://ameblo.jp/sagarasouju/entry-12189682350.html
『マロの戦国』執筆にあたって天正三年(一五七五)の今川氏真上洛経路をグーグルマップで公開しています! 参考に是非ご覧ください!
詠草に残されただけで約160か所を訪れた氏真さんの行動力には驚かされます。
この地図は三月十六日信長との対面及び四月三日~四日飛鳥井邸蹴鞠以外は詠草の和歌と詞書から割り出したものです。
これ以外にも実務的な外出もこなしているはずですが、そちらは知るすべがありません。
この後長篠の戦いに参加し家康から遠江の牧野城を任されたことはご存知の方も多いでしょう。
しかし牧野城主を辞任してからの足取りはほとんど記録に残っていません。
現在苦闘中の今川氏真伝では天正四年以降天正年間の居所推定にも挑戦して、注目に値する事実を発見しましたので、公表する予定です。
お知らせ2。大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
2017年大河ドラマは「おんな城主直虎」。
史実を踏まえつつ、大河ドラマと井伊直虎とその周辺に関するあれこれを「直虎」ブログに書いていきます。
こちらも是非ご覧ください!
大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
http://ameblo.jp/sagarasouju/
本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら、上洛後武田との合戦に身を投じた氏真の日常に迫ります。