89 - 知識の隠者と王のこと
全てを、思いだす。
『最初の僕』を。
そして、僕は苦笑した。
我ながら、よくわからない契約を作ったものだと。
「そんな事を言わないでよ。『イレカワリ』の契約は、僕にとっても、君にとっても、いいものなんだから」
まあね。
『イレカワリ』。
それはその名が示す通りの『入れ替わり』だ。
何かと別の何かを入れ替える。
ただし、物理的ではなく概念的に。
僕はその契約によって、僕自身と彼自身の概念を入れ替えた。
人間の彼と、人間では無い僕を、人間では無い彼と、人間の僕にしたわけだ。
もちろん、こんな掟破りはそうそうできる事じゃあない。
それでも世界は感じとっていた。
このままだと、遠からず決断しなければならないと。意思を決めなければならないと。
そのためには、それまでの『シニモドリ』と同じでは駄目だった。
より核心に辿りつけるような強い命でなければならない。
より詳細に知れるような特別な命でなければならない。
その条件は極めて厳しく、もはや猶予も殆ど無かった。
それでも、最初は彼を『シニモドリ』として、世界は探るつもりだった。
「けど、僕はそれが出来ないと気付いた。それだけだったら、僕ではない誰かを、きっと君は『シニモドリ』にしたんだろうね。でも……僕は、それ以上に死を恐れていた。折角のチャンスをふいにはできなかった。だから僕は、あろうことか君に提案をしたんだ」
その提案こそが、入れ替わり。
僕は元々、『天』から離れた天の『主』意。
即ち『主』から『点』を剥がした表記を用いて、『王』と呼ばれる世界の意識だ。
例え天を離れていても、それでも世界の主意である以上、僕は僕として存在しなければならなかった。
僕が無ければ世界は意識を失って、それは即ち世界の終わりを意味するからだ。
だからこそ、僕は『シニモドリ』という契約を使い、世界が『勇者』一人に愛を絞るか、それとも『勇者以外の全て』に愛を分けるか、契約をした『シニモドリ』の様子を見て決めようとしていた。
六人のシニモドリを作り。
その六人が、答えを出せないままに終わってしまい。
困ったところで、七人目。
時間もそろそろ限界だ、そろそろ結論を出せる命を探さなければ。
僕は世界の主意として、そうした思いを持ちながら、ついに彼を見出した。
しかし彼は死を恐れていて、シニモドリとしては不適格。どうしたものかと悩んだその時、彼は僕に提案した。
「ならば君自身がシニモドリとして、人間として生きればいい」
もちろんそれは考えた。
けれど土台無理だった。
僕が『王』としての意識を失えば、そこで世界の意識が凍りつき、そのまま世界は朽ちるだろう。
本末転倒も甚だしい。
『王』の死とは、世界の死。だからこそ、『王』は決して死なず生き続け、意識を保ち続けるのだ。
だからこそ、そこは利用できた。
「僕は本物の『王』じゃない。元は単なる人間の、それも子供の命に過ぎない。だから僕には、なにひとつとして決断できない」
そんな彼にだからこそ、僕は『王』としての役割を、一時預けることができると確信した。
彼には決断する事が出来ない。世界の現状を維持するだけで精一杯になるだろう。
それでいい。
偽りの王に彼を置き、世界の意識を維持させる。
何より誰より死を恐れる、そんな彼であるからこそ、彼はそれを全うするだろう。
僕はそれを確信し、だから『イレカワリ』の契約とした。
契約のなかで、僕は王としての力を彼に架し出す。
彼はその力によって、世界を維持し続けなければならない。
そして彼は僕に、人間としての概念を貸し出す。
僕はその概念によって、世界で死に戻り続けなければならない。
代わりに彼は、生き続けられる。
全てを知りつつ、生きられる。
代わりに僕は、直接勇者と関われる。
そして結論を出す事ができる。
「そして僕は君の力で、君と『シニモドリ』の契約をした。こうして人間の僕は仮初の王に、王たる君は仮初の人に。最後の審判を下すための契約は、こうしてついに、為されたんだ」
僕はシニモドリによって人間を知り、そして人間の視点で見る『勇者』を知った。
全ての人生はこの決断をするための、代え難い経験だった。
そして、『イレカワリ』の契約に則って……僕が決定的な何かを確認した時、彼は全てを思い出させた。
「答えは、出た?」
答えは出た。
一点の曇りも、迷いも無く、僕は、世界はそれを決めた。
世界は。
『勇者』を、排除する。
そう決めたところで、世界は『勇者』を愛する事を止めることができない。
世界の愛は永遠で、世界の愛は不変だからだ。
それでも『勇者』は排除しなければならない。
だから僕は『王』として、『天から剥がれた主意』として、世界が愛する『勇者』の全てを、次で確実に終わらせる。
「愛するが故に、終わらせる?」
愛するが故に、終わらせる。
永遠に愛するために、『勇者』には永遠を手に入れさせる。
それが世界の結論だ。
「やっぱり、『反器』は駄目か」
うん。
あれは……『反器』は、世界が愛するものを切り取りって、無理矢理作ったものだった。
世界は確かに『勇者』を愛した。
世界の愛は絶対だ。
だから世界は、愛するものを切り取った、愛するものを奪うであろう『勇者』を許さない。
それでも『勇者』を愛しているから、せめて愛しいその存在を、永遠変わらぬものとして、新たに定義し召し上げる。
「世界の愛は、人の愛とは別物だね」
そうだね。人の愛は世界の愛と別物だ。
ただ、言葉にするならば同じ単語が使われると言うだけ。
同じ単語で別の意味。
規模も違えば在り方も違う。
だからむしろ当然なのだ。
「そんな当然を知るために、君は随分遠回りをしたね」
そうだね。かなり遠回りをしてしまった。
でも人間だって、動物だって同じだよ。
「同じ?」
そう、同じ。
人間や動物は、子供を育むことができるよね。
けれど、育んだものは自分じゃない。
あくまで自分の愛しい我が子なんだ。
世界は世界の内側に、色々な物を作りだし、色々な物を育んだ。
君も勇者も、その一つ。
育まれた子は個であって、親に属していても尚、親とは違った存在だ。
「…………」
世界が抱く愛情というものは、親が子に向けるそれと似ている。
誰かに抱く恋慕ではなく、不思議と抱いてしまうもの。
いや、不思議じゃないか。
自分が育んだものなのだ。可愛くて仕方が無いに決まっている。
今回の事も。
だから、人間と同じだと思う。
「同じ……」
親子が居ると思えばいいんだ。
親こそが世界と同義であり、子は沢山の兄弟だと思えばいい。
その兄弟の一人が、『勇者』。親は子である『勇者』を愛している。
けど、愛されているからと言って、『勇者』が、その子が、別の兄弟を害して良い理由にはならない。
そう言う事だ。
「なるほど」
さて、とはいえ。
『勇者』を終わらせるといっても、それが難しいのもまた事実だな。
『勇者』もただ、生きているだけじゃない。
彼は彼なりに世界からの愛情を感じながら生きているのだ。
だからこそ、彼は世界が、彼に何をしようとしているのか。
それを僅かで微かな手がかりからでも、突き止めてしまうだろう。
「その時、君は勝てない?」
勝てるよ。
戦えば、絶対に勝てる。
ただ……。
「勝ち方が問題、か」
その通り。
「流石に、君の代わりに、維持だけとはいえ世界の要になっていたからね。君と比べれば一瞬のような、そんな短い時間だけど……。それでも、君の代わりができるように、君のイレカワリとして、僕は君とほぼ同等の力や知識を与えられていた。そのくらいのことは、解る。その上で言わせてもらうならば……。勝ち方は、二つしかない」
二つか。
「君が勝って終わるか。『勇者』が勝って終わるかだ」
…………。
「君が勝てば、世界は『勇者』を永遠にするだろう。『勇者』が勝てば……きっと、『勇者』が新たな世界そのものになる」
それは、小さな可能性。
『神器』の模倣として、『反器』を作ることが出来た彼にならば……確かに、世界の模倣として、世界を作ることができるかもしれない。
まあ、まだ出来ないとは思うけどね。
それでも、確かにその可能性はあるんだ。
「それを、どうするの」
僕としては……。天意としてはね。
それは、許さない。
「親子にたとえたのは君だよ。子供はいづれ、親元から巣立ってゆく。それもまた道理じゃないの?」
そう。それは道理だ。
けどね。
彼が作る世界は、彼の世界の作り方は、『神器』に対する『反器』と同じなんだ。
世界を切り取り、世界を作ることになる。
そうなれば、この世界は『取り返しがつかない』し……そんな材料で作られた世界も、『どうにもならない』よ。
だから、それは許さない。
この世界を壊す事を、許さないし。
新たな世界の滅びは、見過ごせない。
だから終わりは、勝ち方は、僕の勝ちじゃなきゃだめなんだ。
そのためにも……手伝ってくれるかい?
ヴィショナリア。




