87 - 勇者と僕の邂逅のこと
「へえ。あんたが簒奪者か。初めまして、皇帝陛下……話には聞いてたが、お前みたいな子供だとはね」
「…………」
それは、一瞬の出来事だった。
僕たちが、『マドロス』が、この国を覆すのには、一年を超える下準備と、三日ほどの実際の行動があった。
それは劇的な、ほとんど一瞬の出来事で、だからこそ他国に干渉されることがなかったのだ。
しかし……それさえもが途方も無く遅く感じられるほどに、今、起きている事は瞬間的だった。
報告があったのは、昨日。
国境を手形も無く強引に通った、たった一人の冒険者。
無法者か、どうしたものかな、そんな事をヤッシュと話していて……もっとも、冒険者ギルドに任せようと、そういう話で決着がつき。
そして今日、その冒険者は僕の目の前に立っている。
血の滴る剣を携えて、返り血に染まった鎧を纏って、僕の前に立っている。
「挨拶くらいできるだろう、幼い幼い皇帝陛下。挨拶しろよ、基本だぜ」
「……確かに。初めまして、招かれざるお客様。あなたは誰ですか?」
「俺は冒険者ってことになるんじゃねえかな、一応。名前って意味なら、俺に名前はねえよ。名前なんてものは必要ない。どうせ歴史に名前は残らねえしな……これまでの、経験上」
そういって、彼は僕に剣の切っ先を向ける。
ここに来るまでに何人も斬っているだろうに、その剣は刃毀れ一つしていない。
しかもとても奇妙な事に、剣が魔力を纏っているようにも見える……特に儀礼が施されているわけでもない、ただの剣なのにだ。
ていうか。
今、なんだか聞き捨てのならない事を言ったぞ。
歴史に名前が残らない。
これまでの経験上。
それは一体何を意味する?
「そうですか……、じゃあ、名前のない方。要件は?」
「俺の敵を殺しに来たんだよ。『勇者』としてな」
彼は笑いながら言う。
何気なく、彼は少しだけ玉座に近づいてくる。
その途中……床に崩れている、ヤッシュだったものの欠片を踏みつけて、しかし彼は何もそれに反応しない。
ヤッシュは決して油断していなかった。
最大限に警戒をしていた……警戒し、そして彼がこの部屋に入ってきた瞬間に、むしろ不意を打つように先手を打った。
先手を撃ったはずなのに、先手は取られ、頸部と胸部と腰のあたりが、それぞれ綺麗に斬り裂かれて、声を上げることもできないうちに、心臓までもが破壊されていた。
一秒すら、掛からずに。
思考の余地も治癒の余地も、与えずに。
「俺の敵。つってもわかんねーだろ? まあ、仕方ねえよな。お前だって、確かに子供で簒奪者で皇帝をやってるくらいだ、特別な才能を持つ子供なんだろうさ。でも、そんなお前は『黒い世界』を知らねえだろ? 『勇者』が何故産まれているのかも、わかんねーんだろ? 所詮お前らは人間だ。人間であるお前らには、俺の敵と言う概念が通じねえだろうし、だから説明するだけ無駄なのさ」
黒い……世界?
勇者が産まれるのは、あの声の主が属する側を殺すため……そしてそれによって世界を変えるため、だったか。
これまでの経験上名前が残らない。
その表現は、ひょっとすると、『そのまま』の意味か?
確かに、勇者に関する記録には、明確にその名前は残されない。
ただ勇者とだけ記述されることがほとんどだし、名前が書かれていても、資料によってその名前が異なることさえある。
「だから俺が特に、何かを説明するつもりはねえよ。ただ、『勇者』のために死んでくれってお願いするだけだ」
「断ると、言ったら?」
「いやあ。どうせ殺すし、関係ねーんじゃねえかな」
明確な決意と殺意が、彼には有るようだ。
僕はくすり、と笑う。
どうにも、儘ならないものだ。
彼はあくまで僕を殺したいだけ。
僕を殺して、一通り怪しい奴を殺して、それで目的が達成したかしなかったかに関わらず、彼はそのまま去るのだろう。
その後に国がどうなろうと、彼には関係のない話なのだろう。
それでは、僕はともかく。
ヤッシュが……マドロスが、救われない。
「ん。なんだ、抵抗するのか? 無駄だと思うけどな……。さっき襲いかかって来たこいつが、この国で最強の奴だろ。お前みたいな子供が、抵抗したところでなんにもならねーよ」
「そうかもしれませんね。でもね……僕は簒奪者ではあるけれど、一応この国の事を思っているのですよ。勇者だかなんだか知らないけれど、国の後先を考えないような奴に、何もしないまま殺されるわけにはいきません」
「わかんねーやつだなあ。死んじまえばそれでおしまい、お前にとっては『どうでもいい事』じゃねえか? それと一つ訂正させてもらうが、確かに俺は『国』は考えてねえけど、『後先』は考えてるんだぜ。世界の後先をな。世界の為なら国が一つ滅ぼうが、国が複数滅ぼうが、些細な事だってことくらい解るだろ」
「君主論にすらならない、暴論ですね。それとも自称勇者さん。あなたは世界の王になるとでも?」
「ははははは。まさか。俺は君主の器じゃねえよ。でも、それは何も俺に限った話じゃねえ。遍く存在の上に立つ『器』なんてもんは、元より誰にもねえのさ。だから俺は、それを騙る『俺の敵』を、殺したいんだ」
駄目だ。
会話が成立するようで、成立しない。
同じ言葉を喋っているはずなのに、僕には彼の言っている事が解らないし、きっと彼にも僕が言っている事を解っていない。
「ま、そう言う事だ。抵抗しなけりゃ痛みを感じる前に死なせてやるけど?」
「そうですか? じゃあ……抵抗します」
「そうかい。まあ、そう言うと思ったぜ。そういう気概のある奴、俺の趣味に合うからな、付き合ってやるよ」
と、言いつつも、彼は剣を無造作に振るう。
これ以上の会話は無用と言うことのようだ。
そして、彼はただ、剣を無造作に振っただけなのに、その切っ先からは剣圧が、そのまま風の刃となって僕へと向かってきている。
うん。
力量の差ははっきりとしている。
あきらかに彼の方が上だ。
出し惜しみは出来ない。たとえ、後が無くなるとしても。
『域』、発動。
風の刃を掴み砕いて、僕はそのまま『喰』を拳に纏わせて、彼の方へと突貫するように殴りかかる。
目の前で起きた事を把握するために、彼は一瞬を費やした。その一瞬は僕にとっては替え難い一瞬で、しかし彼は危なげなく、僕の突貫を半身になって回避しようとする。
『物操』を使い彼の衣服を固定、それは一瞬で振りほどかれたけれど、その一瞬とさきほどの一瞬、に加えて『転』。
『域』を張っている時、僕の『転』は『域』の範囲内ならば全てを印として認識できる。だからこその、『転』によって彼の死角への転移であり、僕は無事に『喰』を纏わせた拳を、彼の脇腹に叩きこんだ。
ダメージを負いながらも、彼は僕に反撃を試みる。『転』を使って部屋の隅へ回避、どうやったのか僕の転移先を一瞬で悟ったらしい彼は、即座に剣を僕に投げつけてくる。
僕は『光盾』と『光鎧』、『光刃』を行使して、投げつけられた剣を受けとめ、そのまま粉砕しておく。
それを見て。
「あっははははははははははは!」
と、彼は狂ったかのように笑った。
「いいね、いいね、いいね! 思いがけない拾いもんだ! 単なるお飾りの皇帝陛下じゃねーって話は聞いてたけど、これほどか! はっははははは! 楽しいじゃねえか!」
彼の脇腹は、『喰』の効果によって欠けている。
ダメージを受けているはずなのだ。なのに彼はまるで平然としている。
そして、彼の身体を覆うように、黒い何かがまとわりついた。
『光鎧』に似ているけど……あれは……。
「『靄マト衣』、っつーんだぜ、これ。天意兵装って知ってるか?」
やはり、天意兵装か……。『神器』なら、まだ楽なんだけど。
「さっきの魔法、『喰』に『転』だろうし、お前になら『譲渡術式』も使えそうだしな。『神器』なんてもんは使えねえ。だから天意兵装と」
と。
彼の手の中に、奇妙な色の大剣が生成されていた。
青。
赤。
緑。
様々な色が奇妙に混ざり合い、混じり合い、絶えずその色を変動させている。
「『反器』、『まざりのつるぎ』の出番ってわけだ」
『反器』……?
『神器』、とほとんど同じような感覚がする。けど、『譲渡術式』の対象に取れない……?
「なんだ、知らねえのか? って言っても、まあ、天意兵装と違って、『反器』は今回が初お披露目だからな。至極当然か。ほら、俺の前の勇者の時代に天意兵装が『潰れた』だろ? あれ以来、新しい天意兵装は供給されなくなった。だから、その代わり。『神器』の写し、神ならざる者による神器の創成。記念すべきその第一号が、この『まざりのつるぎ』。『反器』って名前を付けたわけだ」
神ならざるものによる神器の創成……、つまり分類的には『神器』ではないけど、『神器』と基本は同じ……?
「名前は違えど中身は同じ、であるならば、当然『神器』と同じような機能があって、その上で『譲渡術式』の対象にはできねえって話さ!」
彼は勝ち誇るようにその剣を振りかざした。
うん。
あれは、駄目だ。
『光盾』や『光鎧』で防ぎ切れるとも思えない。となると、やるべきは防御ではなく、回避でも無く、攻撃だ。
『矢弾』に『光刃』を発生させ、それを六百発ほど生成、射出と一秒に三十回のペースで行う。ほぼ間断なく降り注ぎ、そして途方もない切れ味をもつはずの『光刃矢弾』は、『まざりのつるぎ』とやらであっさりと叩き落されていた。
魔法に対する耐性……に加えて、他人の魔法に対する干渉効果もあるわけか。
となると『喰』でもどこまで効果があるか……。
大体、僕が最初に叩き込んだはずの『喰』も効果らしい効果でてないし。
「解せない、って顔してるぜ。『喰』のことか? 痛かったぜ。久々に痛かった。けど、この天意兵装には複数の機能があるんだが、特に治癒だとかな。確かに『喰』って魔法は強烈だぜ、それこそ天意兵装だって喰われかねねえしな。でも、治癒や再生をつかさどるこの『靄マト衣』には相性が良すぎるんだ。どんなにお前が『喰』で蝕もうと、それ以上の速度で再生し、それ以上の速度で治癒を施すからな」
なんたる出鱈目。
「で、なんでそんな効果があるって言ったと思う?」
え?
「はっはははは、それ以外に本命の効果があるからにきまってんだろ!」
っ!
僕は激痛を感じて、即座に自身に治癒を施す。
何が起きた?
どこからどんな攻撃がされた?
とりあえず治癒ができていると言う事は、即死はしていない。
「おどろいた……お前、治癒まで使えるのかよ。なんだなんだ、事前に調べた情報と随分違うじゃねえか。俺じゃなかったら殺しきれなかったんじゃねーの?」
即死はしていないけど……また、激痛が。
特定と対策をしないと……そのためにも『転』で逃げるか?
『域』の範囲は半径十一キロ、その隅まで移動すれば、追いかけてくるのにも時間がかかる。もっとも、『勇者』になりかけてるような奴相手に、十キロ程度はほんの気休めにもならないだろうけど。
「けど、これで決着だ」
一瞬。
一瞬だけ、『転』をするかどうかを考えた。
その一瞬を、彼は見逃してくれなかった。
『まざりのつるぎ』が、僕の左肩に。
そしてそのまま、当たり前のように光鎧を引き裂いて、僕の身体を縦に両断する。
治癒は……無理だな、心臓が斬られてしまっている。取り返しがつかない……だから、治癒ではだめだ。
ならば、せめて。
「短い間ではあったが、なかなか楽しかったぜ、幼い皇帝」
身体は既に言う事を聞かない。
痛みは絶えず襲ってくる。
今にも死んでしまいそうな。
既に死んでいるような。
左半身が地面に崩れ、どしゃり、と嫌な音を立てた。
それでも右半身は、空中に、浮かんだまま。
「 、 」
最期の 悪あがき。
言葉にしたつもりなのに、声が出ない。肺に空気が入っていないから。
いや、肺に空気が入っていたとしても、それを動かすことは出来ない。身体が縦に裂かれていれば、それは当然だ。
ただ、僕のその悪あがきは。
かつて、僕が一度だけ使った時とは、比べ物にならない規模になるだろう。
「 、 」
様ないね 勇者さん。
僕は笑って、それを使う。
彼はきっと、僕の死を確定させたことで、『勇者』になった。
だからその『勇者』に対して、僕はそれを使うのだ。
『光柱解放』。
「おい……そりゃねえだろ、さすがに」
乾いた笑みを浮かべる『勇者』を見て。
僕は、意識を手放した。
物語は、佳境へ。
明日5月9日の更新は、最終章を一括掲載します。




