83 - 明魔が翳す域のこと
『域』。
手加減をして負けてはシャレにならないので、最大範囲でそれを展開する。
全身に力がみなぎり、魔力量も途方も無く上昇したのを感じながら、僕は『水流制御』を試みる。
流石に、と言うべきか。
『域』を張っている状態ならば、制御はできるようだ……水の流れは不自然に止まり、逆流して引き始めた味方の動きを速めている。
そして、ふっ、と水が消えたと思うと、壁を貫通して水の刃が僕へと飛びかかってくる。
『光盾』でガードして、やたら大きく生成された『光刃』を無造作に横に薙ぐようにして壁を取り払うと、その向こう側では奇妙な杖を携えた男と、王冠を戴いた男の二人だけが居た。
「魔法尚書さんと、皇帝陛下ですね。反乱軍『マドロス』において魔法使いをやっている、シアと申します」
恭しく、わざとらしく礼をして、僕は改まる。
時間稼ぎ……まあ、僅かな時間でも時間を稼げれば、他の面々が助かるかもしれない。
「子供……だと?」
王、いや、皇帝が言った。
その表情には猜疑が見て取れる。けれどその横の、魔法尚書らしき男の表情は警戒の一色に染まっていた。
一応、奇妙な杖に『譲渡術式』を試みるけど……やっぱりそもそも対象に取れないな。
「陛下。決して玉座から立たれぬよう」
「解っておるわ」
…………?
ああ、結界でも張ってるのか。
「シアと言ったか。少年、君は何ものだい?」
「さあ。僕は僕ですよ……お母さんのことなら、あなたも知ってるんじゃないですかね。お母さんはエベレッサ・クルーと言います」
「……あの女狐の実子?」
「女狐……?」
僕は記憶の中のお母さんを辿ってみる。
うーん。
「どっちかというと狸じゃ?」
「……君は、母親に容赦がありませんね」
同意してくれた。
もちろん、彼は杖を構えている。
奇妙な杖。
青い宝石のようなものが所々にはめ込まれていて、その宝石一つ一つから奇妙な文様が浮かんでいる。
「しかし、反逆は大罪。たとえ子供であろうとも、悉く死罪です。せめて苦しまずに死ねるようにしてあげましょう」
「お断りします」
「ふふ。威勢は認めますが、たかが個人でどうこうできるものではないのですよ、これは」
杖を水が纏ってゆく。
そして、水で作られた槍になる。
「魔法尚書などとは呼ばれていますが、私の本分は魔法戦士でしてね……特に槍は得意な武器なのです。この武器を使えるのはまさに光栄」
「……そんな危険な装備を光栄と言うとはね」
「危険? まるであなたはこの杖の事を知っているように言いますね」
「その杖がどんな杖なのかは知りませんけど」
『光鎧』を纏って。
「天意兵装でしょ、それ」
『光刃』の切っ先を、男に向ける。
すると、男はすっと目を細めた。
「……どこで、その名前を?」
「さあ」
答えるつもりは無い。
「皇帝陛下」
「何だ。早く片付けろ。相手は子供だろう」
「どうやらその子供は強敵極まるようです。『月ヨビ水』の全機能を解放しますが、よろしいですね」
「……許す。さっさとその子供を殺せ!」
「承知!」
男は杖に魔力を流し込むと、杖を纏う水の色が変わり、瞬間弾けるように、急激にその体積を増やしていく。
しかしその変形は不自然に、玉座の周りには広がっていなかった。やはり結界があると見てよさそうだ。
「『光の武具』、その年齢で使いこなすとはお見事です。光と水、どちらが勝つか。試そうではありませんか!」
そして男は飛びかかってくる。
光と水ね。
「嘘は良くありません。光と水じゃ無くて」
僕は『岩造』で天井を引きはがし、僕と男の間に落した。
もっとも、男はその岩を一突きで粉砕している。
「そっちは水に雷でしょうに」
にやり、と男は笑って突貫してくる。
そして、その水の槍による突きは『光鎧』を当然のように突き破ると、僕の腹部に大きな穴を開けた。
傷口は焼け焦げていて、しかしその突きが鋭すぎたからか、電気は特に感じない。
「呆気ないものですね。所詮は魔法。天意兵装の前ではかくも無力ということです……少年。その幼いながらに見事な魔法、脅威です。ですから、ここで確実に殺しましょう」
「お断りします」
僕は『氷結』の魔法を雷属性に変更し、掌の中に発生させつつ、その水の槍を纏った杖をがっしりと掴み、そのまま横へと強引にずらす。
当然……僕の腹部に穴を開けていたその槍は、横にずらされる事で、僕の腹部の中にあるままだ。丁度おへそのあたりを貫いていたその槍は、右わき腹へと抜けるように傷を広げて、穴ではなく抉れたかのような傷にしながら、僕の身体から出て行った。
そんな僕の自殺行為にも等しい行動に、男は虚をつかれたのか、しばし動きを止める。
しかしそれは一瞬で、次の瞬間、僕の腹部にあった筈の抉れるような傷が亡くなっていることに気付いてか、慌てて杖を引くと距離を取った。
「不死者……いやまさか……、治癒の魔法? 馬鹿な……」
流石に心当たりがついたのだろう、男は混乱しながらも槍の形状を変更している。
より致命的になるように。
より即死させ易いように。
一方で、僕も少し困っていた。
もしかしたらもしかすると、『域』を張っていれば『光盾』や『光鎧』でどうにか防げないかなあとおもったんだけど、全然ダメだ。
単なる布と同じ程度にしか、抵抗は出来ていない。
だから。
「我らが法は魔が別ちしものにして、嘱すは凡ての式である」
詠唱を。
「式は総てを拭するものとし、」
「……陛下! 今すぐお逃げください! 少しでも遠くに、僅かにでも遠くにです!」
僕が行使しようとしている魔法が何であるのかを理解したらしい。
男は叫びながら僕に飛びかかってくる。
なので『物操』を使って全力で、その男が纏うすべてのものを固定して、動きを止める。
もちろん……逃げようとしている皇帝も。
男はすぐに切り替えると、杖の水を変形させて、離れた場所から僕へと攻撃を試みる。
僕は普段とは比べ物にならない速度と力を、今は得ている。それを避けることは他愛も無い。
たとえ詠唱中であろうとだ。
「色を統べて『喰』とせよ!」
詠唱、完了。
僕の周りに、黒い何かが発生する。
黒。
闇にも似た、黒。
明確にそこで光が絶える、そんな色。
見ているだけで吸い込まれそうな、そんな黒。
その黒い何かは一瞬にして霧のように広がると、周囲は闇に包まれて、黒は水の槍の水に触れ、その水が最初から無かったかのように失われる。
「陛下!」
「安心して下さい、魔法尚書。僕は陛下を殺すつもりはありません。まあ、あなたは殺しますけど」
「…………っ」
「悪いのはそちらですよ。天意兵装などという危険極まるものを持ち出したそちらが悪いのです。あなたが其れを持ち出さなければ、僕もこの魔法を使う必要はなかった……。この魔法は強力ですけど、だからこそ、周囲に与える被害も甚大ですからね。使いたくなかったんですよ」
くすりと笑って、僕は一歩、二歩、三歩と、動けない男へと近寄ってゆく。
近寄るたびに黒は男に近づいて。
その黒は、天意兵装さえも飲み込んでゆく。
気が付けば天井がなくなっていた。
壁も既になくなっている。
すべて黒に呑まれてしまって……失われている。
それでも周囲は闇のまま。
まだお昼の筈なのに、空からの灯りが届かない。
「『喰』が触れたものは、その全てが『消える』。だからこそ、外套だとかに纏うことで、その形を制限することが多いんですよね……つまりあくまでも受動的に使うんですけれど、それは単に、余計な被害を出さないためです。味方を巻き込まないためです。けれどそれは運用による制限であって、本質は霧のように自由に形を変えられる。そして状況として、僕の味方は全員が下に居る。だから、僕が居る所よりも上の階は全部、『消しました』。残っている人間は、あなたと、皇帝陛下。『神器』は……さすがに消せませんけど、人が作ったものに過ぎない天意兵装は、どうやら消せるようですね。初めて知りました。まあ、これでも駄目なら本当の意味での最終手段を使っていましたが……」
天意兵装であるはずの杖が、半分ほど消える。
そして其れを握っていた、男の腕も。
その腕から流れる筈の血でさえも。
僕はそんな男に手を伸ばす。
男の頬に触れるように手を伸ばす……男の顔の半分が消えて、黒に染まる。
「あなたは殺しますけど、皇帝陛下を僕が殺すつもりはありません。それは安心して下さい。皇帝陛下にはもっともっと相応しい場で死んでいただきます」
「 、 ……」
男は何かを喋っている。
しかし声が出ていない。
当然だ。喉も既に消えている。声が出るわけがない。
そして黒は、男を包む。
男の存在が、最初から無かったかのように掻き消えて。
僕は、『喰』だけを解除した。
「さて」
周囲に光が戻ってくる。
本来ならば絶対に降り注がない筈の場所に、太陽の灯りが降り注ぐ。
「皇帝陛下」
お覚悟を。
僕が動けない皇帝を縄で縛り上げた丁度その頃、『喰』が解除されたことで事が終わった事を悟ったのだろう、ヤッシュが僕の元へと戻ってきていた。
「ヤッシュ。事は済みましたよ」
「…………、ああ。確かに。怪我は無いか?」
「ありません。それで、下の状況はどうなってますか」
「どうもこうも、包囲されてる状況に違いは無い。……ここからでも見えるのは、おかしなものだが」
まあ、壁なくなっちゃってるからね。
「『マドロス』の面々は、まだ皆、敷地内にいますよね?」
「ああ」
「じゃあ、ついでです。どうせ僕は半日か一日か使い物にならなくなりますから、その前に片付けておきますよ」
「片付ける……?」
「ええ」
『矢弾』を、とりあえず千と少し生成。
ぶわっ、とそれは広がり、周囲を包囲している軍の方へと散らばってゆく。
それを三十回ほど、一秒の間に繰り返しながら、『落雷』を軍が密集している所をめがけて五十ほど落しておく。
「これくらい傷つけておけば、当面あちらも戦意を失うでしょう。味方に怪我人は?」
「いや、……居ない」
「そうですか」
最後に、僕は玉座へと近づく。
結界は……消えてるな。あの魔法尚書が展開してたのか。
「シア」
「どうしましたか」
「……力場結界にせよ、さっきの魔法にせよ。予め話は聞いていた。だが、これほどの規模、これほどの効果とは、想いもしなかった。だから聞かせてくれ。お前は何ものだ。お前は……人間か?」
「人間ですよ」
苦笑しながら玉座に蹴りを入れる。
玉座は当然のように粉々に。
『域』の最大展開、単純な身体能力の強化もえげつないなこれ。
「最も、その『域』を外れかけてる、そんな自覚が無いわけでもありませんけどね」
新しい玉座を、『岩造』をつかって真っ黒にしながら作って、僕はそこに座る。
「で、他に何かありますか、懸念は。今なら僕が『どうにか』しますけど?」
「…………」
ヤッシュは周囲を見渡して。
軍の集団が居た筈の場所が、奇妙な赤に染まっているのを見て。
「いや。特にない」
と答えた。
「えげつねえな、シア。お前、わざとあいつらを即死させなかったのか」
「そりゃそうです。怪我人ならば『助かるかもしれない』。負傷兵の回収を恐る恐るして、そしてその治療をして……これで援軍がすぐに来ても、二日くらいは時間が稼げます。二日あれば一通りのことは出来るでしょう。あとはヤッシュのしたいようにしてください」
ヤッシュは黙って、僕の前に傅く。
「解りました、新皇帝、シア陛下」
「じゃ、後は任せます。……ヤッシュ。もしあなたが僕を真に脅威に思ったならば、僕が反動で動けない間に僕を殺しておくことです。僕は別に恨みませんよ」
「……ご戯れを」
言いつつ、ぴくり、と反応している。
ヤッシュはどこかで、この隙に僕を殺したほうがいいと、思ったのだろう。
その方がいいと。その方が世界にとってはいいと。
次に僕が目覚めた時。
僕は何処に居るのだろう。殺されたならば、それはそれでシアの命運だ。
けど、たぶん……。
「『域』を解除します」
僕は宣言した通りに『域』を解除して。
そのまま、自分で作った黒い玉座にもたれ込むようにしながら、意識を失った。




