80 - 実利の提供と実理のこと
街の周りを軽く二百周。
ヤッシュは大人の意地でついてきてはいるけれど、流石にそろそろ、いつぶっ倒れてもおかしくない感じだ。
そろそろやめるか。
「休憩しますか、ヤッシュ」
「そ、そうさせてもらう……」
息もたえたえに、その場に人目をはばからず倒れ込むように休憩を取るヤッシュ。
死んだかもしれない。
「いくらなんでも……、お前の体力、おかしいだろ……」
「体力は並程度にしかないんですよ、僕。ただ、疲労を無視できるんですよね。疲労治癒って便利な魔法があるのです」
「疲労を無視しても、走るだけでも身体にダメージは起きるはずだが……」
「それこそ単なる治癒で治癒すればいいじゃないですか」
自分で言ってて何だけど、神官魔法って結構ズルイな……。
「もっとも、疲労の治癒は、怪我の治癒と比べるとおそろしく燃費が悪いんですよね」
僕はヤッシュに手を差しのべながら言う。
「物は試しです」
「うん?」
ヤッシュが僕の手を取ったので、疲労治癒を掛けてやる。ついでに普通の治癒もして、と。
怪我らしい怪我をしているわけではないので、ほとんど一瞬で最善の状況に戻るわけだ。
「どうですか、身体の調子は」
「…………。疲れがねえし、身体の何処も痛くねえ……。万全の状態じゃねえか」
「今回はお試しなので僕の魔力で発動しましたけど、僕の魔力量だと一日に、『マドロス』の全員の疲労を一度、回復しきれる程度……かな。二回は厳しいですね。通常の治癒をする事も考えると、そう乱発で着るものではありません」
「それでも十分だがな……、ところで」
勢いよく立ち上がり、ヤッシュは僕の言葉に小さく引っかかりを覚えたらしい。
耳聡く聞いてきた。さすがはレベル98か。
「今、お前は『僕の魔力で発動した』と言ったな。つまり、他人の魔力で発動もできるのか?」
「いつくかの条件さえ満たしていれば、可能です」
「たとえばだ。たとえば、『マドロス』には常人の二千倍近い魔力を持ってるバケモンが一人いるんだが、そいつの魔力を使って、疲労の治癒や怪我の治癒は可能か?」
「少し非効率的な方法になりますね……」
神官魔法についてを簡単に説明しておく。
魔力を消費するのはその魔法を受けた張本人であること、通常治癒の魔法は神官が魔力を与えるから、対象とされた者の魔力は消費しないこと、神官の魔力が不足している場合などは対象の魔力を使って発動させられること……。
重要なのは発動に至るまでに起こる魔力の移動が一度だけという点だ。
神官魔法を発動する際、魔力を消費するリソースとして別な人間を挟む事は、そもそも神官魔法という形態では想定されていない。
「じゃあ、無理か」
「いえ。効率を諦めるなら可能です」
広域治癒。
本来は術者、神官を中心として範囲を生成し、その内部に治癒の効果を与えるというもので、範囲内のものは全てが癒されるという、無差別的な治癒になる。
そしてこれに消費する魔力は、術者が全てを出す事もできるし、治癒の対象となった者から一定量使わせてもらうことも可能だ。この魔法で消費される魔力は、通常の治癒と効率的にはかわりが無いけど、範囲内の全てを癒してしまうため、想定以上に魔力を消費することも多い。
で、この魔法は術者を中心とした範囲を生成する。
術者を中心とした。
そう、実はこの応用、術者を神官とは必ずしも定義していないのだ。
「ん……? どういうことだ」
「他の神官魔法と同じ事ができると言う事です。他人にその魔法を発動させることができる……つまり、『大量の魔力を持つ者』を術者として発動させることができる。消費する魔力を術者が全て出すとしておけば、大量の魔力を持つ者の魔力を使った治癒、が擬似的に可能になります」
「なるほど。それで非効率か」
「その上で範囲も指定しなければならない以上、怪我人が近づくか、怪我人に近づかないと治癒の効果が顕れません」
「どのくらいの範囲が指定できる?」
「魔力によるはずです。ただ、範囲を広げれば広げるほど対象は否応に増えてしまう。無差別的に治癒を行う以上、少し範囲を広げるだけでもかなり負担はふえますし……僕が使う場合だと、精々半径二十メートルくらいですか」
十分と言えば十分だけど、なんとも言えない範囲ではある。
ヤッシュは腕を組み考え始める。
「ちなみに、そいつの魔力だとどのくらいの範囲が指定できるか、推定できるか?」
「うーん……」
人の二倍だったオースの時は十五メートルくらいで、人の三倍なシアだと二十メートルくらい。
二千倍なら……、
「半径六十メートルから、七十メートルくらいかな……。まあ、やればもっと広範囲にも設定できると思いますけど、一瞬で魔力切れますよ」
「意外と範囲は広げにくいのか」
「そりゃ、ちょっと範囲広げるだけで対象が恐ろしく増えますからね」
だから魔力の恩恵は、範囲よりも効果量だろう。
「大体、前線に届くくらいに範囲を広げても意味が無いです」
「何故。味方がいちいち引かずに治癒できるなら利用したいぞ」
「斬り合ってる敵も治癒しちゃいますよ?」
「あー……」
無差別と言うのはそういうことなのだ。
「疲労の治癒も領域で発動できるのか」
「理論上は全ての魔法で可能です。魔力が足りるならばですけど」
「つまり……つまりだ。シア。全軍で強行軍をしたとしよう。当然軍は強烈な疲労を持つよな」
「そうですね」
「領域で疲労を治癒して、休憩なしで行動可能にはなると」
「なります」
つまり魔力の確保さえ可能ならば、休憩なしの長距離移動も、山越えだろうが渡河だろうが、全てを無視できるわけだ。
「おかしいな。そんなに便利な魔法があるなら、もっと軍でも使われてそうだが」
「神官の中でも、広域化することができるのはほんの一握り。疲労治癒も同じように一握りですから、両方を使えて、それを組み合わせる……なんてのは、神殿勢力にも一人いるかどうかでしょう。基本的には考慮する必要のない、『理論上可能で事実上不可能』ですから、一介の軍程度じゃ使えない」
「…………、」
ヤッシュは何かを言いかけて、結局その言葉を呑みこんだ。
『何でそんな魔法をお前が使えるんだよおい』、そんな感じの目をしている。目は口ほどに物を言うとは良く言ったものだ。
それでも口に出さないのは、この広域化という技術と怪我や疲労の治癒、僕は敢えて説明を省いては居るけど、ヤッシュならば一般魔法の広域化という可能性も思い至っただろう。
それが可能であるのかどうかを判断しかねている、そしてその上で、もし可能だとしたら、僕の存在は否応も無く今後の作戦において『核』となる。
であるならば、僕の機嫌を損ねるのはまずい。そういう判断だろう。もっとも、僕は一つの覚悟をもってヤッシュたちに協力しているので、よほどのことが無ければ離脱はしないけど。
しかし、レベル133。
明魔というクラスはよくわからないけど、そのレベルの高さは、恐らくこういった魔法の複合ができるようになったから……と見るべきだろうな。
体力はやっぱり低いし、僕自身の魔力はそこまで多いわけではない。
常人の三倍と言えば多く聞こえるけど、才能のある魔法使いは千倍が標準だし、数千倍というのもちらほら居るのだ。
それと比べれば千分の一、僕が使える魔法には制限も多く掛かる。
単純な魔法の打ち合いならば、僕もレベル90ちょっとの魔法使いならば、どうにかできる相手にすぎないのだ。
実際にそうなったら『域』を使うけど。
「お前を前提にした作戦が多くなりそうだな……。どこかで保険を掛けておきたいところだが」
「僕を前提にしなければ良いだけのことですよ。たとえば五回に一度しか僕を使えないとか、そうしておくとか」
「切り札としての魔法使いか……」
「いや、実際問題もあるんですよ、僕が作戦の実行段階に参加することには」
「問題……?」
そう、それは大きな問題がある。
「僕の外見です。七歳児。さすがに道徳的観念から拒絶反応を起こす民衆のほうが多いかと」
「…………」
ヤッシュは大きく顔をしかめた。
「もちろん『その後』の事を考えれば、それは利用できるんですけど。第一段階、とりあえずの政権転覆までは、可能な限り味方を増やしたいですよね」
「暫定政権を建てた後で功労者としてお前を担ぐ……か? それまではあくまで組織の象徴として、『クルー』の後継者であるという権威付けとして在席させている、戦場には出さないけど、本人が望んだ時は安全なところに居させる、とか……」
無難な発想だ。
特に反対意見もないな。
「それでも多少は反発を受けるかもな」
「僕が良い子だったら、そうでしょうね」
「…………。その手があったか」
そう。
ここでシアが、クルーの前首魁の実子であることを活用できる。
筋書きとしては……。
まず大前提として実際の権力はヤッシュが持っている。そしてヤッシュは僕の名前と存在を利用して集団を制御している以上、僕の我儘をある程度聞かざるを得ない状況である。
僕の我儘は、時折ヤッシュの権力の及ばない所でも発動し、そうした時に僕が戦いを特等席で見たいなどの我儘を発動することで、前線に時々僕の姿が顕れている。
政権の奪取後、僕という存在は用済みにはなるけど、当初は国を救うと言う崇高な理念を掲げていたはずのヤッシュは僕に毒され、権力を得ることで結局は狂ってしまった。
だからこそ、僕と言う毒と、それに毒されたヤッシュを英雄が滅ぼして、この国は今度こそ救われる。
矛盾や無理は大量にある。
しかし整合性はこの際、気にしないで良い。
なぜならば、この筋書きは、僕たちの者では無いからだ。
英雄が産まれるまでの筋書きであり、英雄が国を救うという筋書きだからだ。
英雄だって人間であり、名声や富、権力をただ捨てようとは思わないだろう。
僕たちが何かを企んでいる、それに気付いたとして、そして僕たちがその英雄を仕立て上げたのだと英雄自体が悟ったとしても、英雄はその筋書きに載らざるを得ない。
多少の変更はしてくるだろうけど……それでも大筋は変えられない。
英雄とは受動的な存在だ。
たとえどんな強大な敵を倒した英雄であったとしても、彼らは強大な敵なくしては英雄にはなりえない。
そこにつけ込む隙はあるし、そこにつけ込む余地がある。
「手順を一つでも間違えば、目的果たせず即終了。そういう状態に違いはありませんから、きちんと話し合わないといけませんけどね」
「そうだな」
頷きつつも、ヤッシュは少し引いていた。
なぜ。




