07 - 改めましてシニモドリ
ふと気がつくと、僕はまた、真っ白な場所にいた。
どこまでも白い、気が遠くなるような白い場所。
あいも変わらずどこが地面で、どこが空で、どこが暗くてどこが明るいのかもわからないような、そんな場所。
「やあ。無事に死に戻りできたようだね、お疲れ様」
どこか他人事のような、あの声が聞こえる。
「始めて君はシニモドリとして、他人の人生を引き継いだわけだけれども、その感想はどうだったかな。なんて、聞くまでも無いよね。楽しかった。嬉しかった。幸せだった。君は最期にそう思ったんだろう? いやはや、実に良い命だよ、君は。君は死を再び経験して、それでもなお、全く死についてのスタンスが変わっていない。究極的な事を言ってしまうならば、君は死を肯定していると同時に否定しているようにみえる。でも本質的なところでは、根本的なところでは、やっぱり君は死についてなんとも思っていないわけさ」
笑うように、その声は続ける。
「死をどうとも思わない。なのに君は生きたいと願う。それがどうしても不思議でね。『生きるためならば死さえも手段にしてしまう』。本当に君と言う命を見つけることが出来たのは、幸いと言わざるを得ないね……。さて。まあ、君には知る権利がある。どうする、その後、君が……『ラス・ペル・ダナン』としての君が死んだ後、その周りがどうなったのか、知りたいかい?」
知りたいような、そうでもないような。
ただ、お父さんとお母さんは無事だったのか、それだけは知りたいな。
死んでたら死んでたで、まあそうだよな、って感じになるんだろうけど。
そう考えると、どうでもいいかなあやっぱり。
「……君の死生観においてもっとも恐るべきは、その死に対する無関心さを他人にも当然のように要求する点だと言わざるを得ないだろうね。まあ、良いや。君が気にならないというならば、敢えて教えようとも思わない。もし君が知りたくなったら、その時は言ってくれ。教えてあげよう。あったらだけどね」
そんな時が来るかどうかはともかくとして、というか来たとしてもその時僕の意識があるかどうかが問題な気がするんだけど……。
まあいっか。
「さて。君の生きたいという気持ちは、まだまだ全然消えていないようだね。一瞬でもその気持ちが途切れれば、この空間に消えて無くなる筈なんだけど、こうやって君の意識をそらそうとしても、どうも君のその生きたいという気持ちは揺るがない。どうかな、また生きて見るかい? もちろん今回と同じように、シニモドリとしてだけども」
シニモドリね。
結局それが何なのか、僕はとりあえずそこを説明してほしい所なんだけど。
「ふむ。じゃあ説明してあげよう。なに、難しい概念じゃあない。君のような生きる事を諦めない命を、生きる事を諦めた命の替わりに生きてる身体にブチ込んだもの。それがシニモドリだ」
ものすごく解りやすいけどものすごく乱暴な答えが返ってきた。
この声、一体どんな存在が僕に対して話しかけてきてるのかさえ正直解ってないけど、本質的には僕と同じくらいの子供なのかもしれない。
さすがにそれは無いか。
「もちろん、乱暴というか強引な手段ではあるけどね。でもその結果、生きることをあきらめた命に引っ張られて朽ち果てるはずだった身体は無事に生をつなぐ事ができるし、君だって身体は違えどまた生きられる。それはお互いに良い関係だろう?」
うん……うん?
確かにそうかもしれない。
「実際、身体としても困っているのさ。命が勝手に死んじゃって、取り返しがつかなくなって、身体は困る。まあ、困るだけで特にそこに意志はないから、身体はそこで生きる事を止めるわけだけど……でも、その生きる事を止めた身体だって、その時点で命が戻ってきたら、その命をつなぎとめようと動くのさ。身体が覚えている全ての記憶と全ての感覚を、その命に叩きつけることで『繋がり』をはっきりとさせ、定着させようとする。ま、大概の場合、命が勝手に死んでいる時は相応の状況に置かれているわけだから、並大抵の命だと、本来の命が選んだように、死んでしまうことが殆どなんだけどね。でも君は大丈夫だった。まだ一回しかシニモドリはしていなけど、今も君を見る限り、君の生きたいという気持ちが変わるとは思えない。本当に幸運だよ、お互いにね」
お互いに、か。
「他の死んで死に戻る。それがシニモドリの理想的な姿なんだけど、実に君はその理想形だ。だからこちらとしても、君にはまだまだシニモドリとして頑張ってもらいたいのだけど……まあ、前回は大丈夫だったけれど、次も大丈夫とは限らない。過剰な期待はしないけど適正な期待はしているよ、頑張ってくれ」
次……、といえば、僕の記憶はどうなるんだろう。
「記憶?」
そう。
シニモドリという概念はこの声によると、ようするに命の再利用だ。
僕が生きる事を諦めない限り、記憶がどんどん溜まる一方な気がする。
「そうなるね。君がすり切れるまで、君が生きる事を一瞬でもあきらめるまで、シニモドリとして死に戻り、多の死んでいる限りにおいて、君は全ての記憶を抱いたままになる。最初の君としての君の記憶。ラス・ペル・ダナンとしての君の記憶。そして次の君の記憶も、どんどんそこには蓄積される」
記憶には制限が無いんだ。
「有ると言えば有るさ。ただ、シニモドリにとって、その制限に引っ掛かるということは、もっと特別な意味を持つからね」
つまり生きる事を諦める、ってこと?
「察しが良いね。そう。生きる事を諦めれば、君の記憶は無に帰る。そうなれば君は死に戻りができず、消えて無くなってしまうわけだ。シニモドリにとって記憶ってものは色々な意味でとても大事なのさ」
なるほど。
つまり生きている限り、僕は何も忘れないと。
ちらりと読んだだけの本も、集中すれば思い出せるし。
「そうだね。魂に刻まれる記憶と言うのは、そういうものだ。まあもっとも、それは君がシニモドリになった以降の話。ラス・ベル・ダナンとして君が定着した以降の話だから、一番最初の君の記憶は、案外曖昧なはずだけどね」
言われてみれば確かにそうだ。
でも、僕は男だった。
それだけ覚えてればいいと、僕は思っている。
「ふうん……最初の名前とか、忘れたとしても気にならないのかい?」
名前なんてどうせ、このあとどんどん増えるんでしょ?
なら、一つくらい忘れてても差し支えは無い。
「……つくづく、君はシニモドリとしての最適な命だね。前に言った『第二第三の試練』のうち、第二の試練がまさにそこなのさ。シニモドリを繰り返すうちに、死に戻りを繰り返すうちに、それからの自分は完全に覚えていられるのに、『一番最初の自分』があやふやだと気付く。そしてシニモドリは自分がどんな存在なのかに疑問を抱き、そこに疑問を抱けば生きる事を一瞬とはいえ忘れてしまって、ついには消えて無くなってしまう。第二の試練。それは『自分』に対する執着心だ。どうやら君、本当に生きていられれるなら、他は割とどうでもいいみたいだね」
そう言うわけでもないけどね。
でも、それを含めて僕は僕になる。
そう思えば特に奇妙な事を言っているわけでもない筈だ。
「そうかい。まあほかならぬシニモドリたる君自身がそう信じてるなら、それが真実で構わないさ。…………。というか君、当然のようにこちらと会話してるけど、もうちょっとこちらに疑問を抱いたりしないのかい?」
その辺はほら、僕にどうこうできる事じゃないから。
どうでも良い。
「…………」
あれ、声が黙り込んでしまった。
何やらショックを受けているのかもしれない。
「本当に君と言う命は……」
ああ。でも一つだけ気になる事はある。
「それはなんだい!?」
ものすごい食いつかれた……ひょっとしてこの声の元って、それ自体が何か聞いてほしいのかな?
こうなったら意地でも聞かない。
「…………」
うん、ショック受けてるのがひしひしと伝わってくる。
で、疑問てのは、当然声についてではなく、僕についてだ。
「というと?」
僕は最初、男だった。そしてラス・ペル・ダナンも男だった。
まあ、ラス・ペル・ダナンの身体の場合、ちょっと記憶的にはアレな事もあったけど、それでも男と言う枠組みは不動だった。
「うん。それで?」
つまり僕がそのシニモドリという枠組みに置いて、女になってしまう事はあり得るのかな、と。
「ああ。なるほど。性別の変化か。ふうむ。君はなかなか鋭いね。普通はそれも、暫くシニモドリを繰り返してから思い至る事なんだけど……君、まだ一度しかシニモドリしてないのに」
他のシニモドリがどんな命だったのかは知らないけど、考えが足りなかったんじゃない?
「いや少なくとも君ほど幼くは無かったんだけどね? ……まあ、その幼さが却ってシニモドリとしては良いのかもしれない」
で、答えは?
「うん。結論から言おう。君は絶対に、男にシニモドリする。女にはならないし、女にはなれない」
やっぱりか。
「やっぱり? 推測はしていたのかい。それはどうして?」
簡単な話だ。
シニモドリは生きたいと願い続ける命でしか成立しない。
命は自分が自分であると認識できて始めて命だ。
その根底の部分が揺らぐような事があれば、それは生きるという目的を一瞬でも見失う事になりかねない。
「なるほど。君の推測、完璧だよ。大正解。そのとおり、性別が変わらないのはまさにそこなんだ。性別を変えてしまうと、『自分』を見失ってしまう……シニモドリとしては、不適格なんだよね。だから君がシニモドリとして有り続ける限り、君はずっと男だよ。年齢は変わるし、外見も別物になるけど」
となるともう一つ疑問が出てくる。
シニモドリとして有り続ける限りとこの声は強調している。
つまり、シニモドリ以外にも、一度死んだ命が何らかの要因で戻る事が……つまり、『生き返る』ことがあるのだろうか。
「ある。それはシニモドリじゃ無くて、イキカエリと言うんだ。それならば性別の垣根を超えることだって儘あるよ。もっとも、それは一度だけの外法だし、こちらとて望んでできないことなんだけどね」
ふうん。
「あれ、想ったよりリアクションが薄いな。どうせならイキカエリしたいとか言いださないのかい?」
いや、シニモドリで十分かなって。
形はどうあれ生きてる事に違いは無いし。
それにイキカエリって、どうせ『往き劫り』とか書くんじゃない?
「…………」
どうやら正解したらしい。
あてずっぽうにしては大したものだ。
「君の命、本当に丈夫だよね。まあいいや。じゃ、そろそろ次にシニモドリして貰おうかな」
うん。
早く生きたいし、早い所やってほしい。
「…………。やれやれ。じゃ、例に漏れず、他の死んでおいで、シニモドリくん」
なにやらぞんざいではあったが。
それでも契約は、なされた。