06 - 困った客と僕のこと
「ですから、旦那。困りますって」
お父さんが心の底から困惑するような声で接客しているらしい声を聞いて、僕の意識が現実に引き戻される。
いけないいけない。
ちょっと休憩しているだけのつもりが、居眠りしてしまっていた。
お父さんも起こしてくれればいいのに……お昼だから、たぶんお昼寝させてくれてたんだろうけれど。
僕は鏡を見て、顔や髪がおかしなことになっていないかを確認し、大丈夫そうだということでお父さんのいる店舗のほうへと移動する。
お客さんは若い男性に見える。
しかしその表情もまた、困惑に染まっている。
「どうしたの、お父さん」
「ああ、すまんラス、起こしてしまったか。いや……このお客さんなんだが」
うん?
お客さんはこちらにカードを提示している。たぶんレベルカードだろう。
「えっと、いらっしゃいませ? レベルカードですか、それ」
「ああ。私はカンタイのギルドに所属している者で、フェイと言う。クラスやレベルは見ての通りなのだが」
カンタイ?
カードを借り受けて見て見ると、確かにフェイと名前が表示されていた。
冒険者さんらしいから、字のほうだろう。
クラスには穿槍術士、レベルは73。知らないクラスだけど、たぶん槍術士の上位クラスだよね。
レベルも73と高い部類の筈だ、つまりこの人はかなり強い。
カードを返却して、と。
「鋭槍という武器を探しているのだが、まるで話が通じないのだ。君からどうにかできないか?」
「鋭槍……? スレンドスピアの事かな。こっちですよ」
僕はフェイさんを少し奥のほうにある武器エリアに案内して、スレンドスピアの場所を指し示す。
「そう、これだ、これだ。話が通じる人がいて本当に良かった。実はとある依頼を受けてこちらに来ているのだが、武器が予備も含めて壊れてしまってね」
「なるほど」
それは冒険者さんとしても困るだろうなあ。
でもなんでお父さんはこの人に困ってて、この人もお父さんに困ってたんだろう。
無理な値引きでも要求してたのかな?
「あの。穿槍術士って、どんなクラスなんですか?」
「ん……ああ。鋭槍を主に使う前衛職だよ。普通の槍術士と比べると回転を基本に織り込む都合もあって、一撃の攻撃力は高い。代わりに隙が大きいから、槍術士とはどっちが上とも言えないだろう」
「なるほど」
「それと、もう一つ特徴がある。槍術士と違って、穿槍術士は盾を持てない」
うん?
槍術士って盾持つの?
僕の疑問は表情に出ていたらしく、フェイさんは苦笑しながら教えてくれた。
「普通の盾を持つ事は大分減ったようだが、一応持つ事もあるんだ。バックラーのような、小ぶりの盾を装着する者のほうが最近は多いかな」
「へえ……。穿槍術士だと、盾が持てないってのは、じゃあ盾が邪魔になるってことですよね」
「その通り。まあ、頑張れば盾を装備できない事も無いのだが」
そこを頑張る必要はないよな、とフェイさんは言った。
これほど高レベルの人が言うのだ、たぶんそれが一般的な考え方なのだろう。
「例えば威力を落としていいならば、盾は簡単に持てる。だがそうするなら、そもそも穿槍術士である必要が無いと、そう思うだろう? そういうことだ」
ごもっとも。
長剣士と大剣士の違いみたいなものなのだろう。
「そして私たちは主に鋭槍を使う都合上、防御面ははっきりと劣る変わりに、当然武器が軽いわけだから、回避はしやすくなる。良くも悪くも前のめり。それが穿槍術士だ。こんなところで説明は良いかな」
「はい。ありがとうございます、フェイさん」
ぺこりとお辞儀すると、フェイさんは満足そうにうなずいてスレンドスピアを改めて手に握る。
かっこいいなあ。
「うん。これを貰おう」
「はい。じゃあ」
お父さんとかならたぶん覚えているのだろうけど、僕は全商品の値段を覚えていないのだ。
だから僕は値札を確認しようとする。
「え……?」
けれど、それは失敗した。
「うん。性能に不満もない」
フェイさんはスレンドスピアを引き抜きながら言う。
引き抜きながら。一体、何から?
僕はそれを暫く認識できずにいる。
フェイさんは慣れた手つきで槍を回転させる。
槍にべっとりと付いていたそれが、周囲に散った。
「……お父さん」
それ。
血。
誰の?
誰のだろう。
ああ。
今は。
今は、そんな事よりも、叫ばないと。
「お父さん! 逃げて! この人、」
けれど、叫びはそこで終わってしまう。
声が出ない。
息が出来ない。
振り払われた喉が。
貫かれた左の肩が。
やっと、痛みを僕に伝えてくる。
「――――っ!」
声が出せないならばせめて。
僕は何とか、近くにあったナイフを手にとって、それを精一杯力を込めて、投げる。
僕をこんなにした人に投げても当たるわけが無い。
だから僕は、そのナイフをお父さんが居る筈の方向へと投げる。
けれど、体中が痛いからか、全然それは思った通りには飛ばなくて。
それでも、大きな音を立てるくらいのことはできた。
異常な音を立てるくらいのことはできた。
扉が開く音。
そして、誰かが外へと駆ける音。
「へえ。とっさの判断で、よくもまあ……。こっちに投げてくるならまだしも、そうするか。外見的にも似ているし、君とこの店の店主は親子と言った所かい?」
その人は笑いながら言う。
当然のように僕を背中から槍で刺しつつ、言う。
「親思いのいい子だね。けど、君はもう少し世間の不条理を知るべきだ。冒険者を相手にする商売のリスクは、まだ習ってなかったのかな。だとしたら悪いのは君じゃ無くて、君の親なんだろうけどね」
僕は力を失って、前へと、落ちるように倒れ込む。
「ふむ……店主の方は逃がしちゃった以上、この街にも長居できそうにないなあ。けどまあ、新しい武器は調達できたし良しとするか」
身体が重い。
身体が重い。
痛みが。
痛みが、消えて行く。
この感覚には覚えがある。
痛みだけじゃない、全ての感覚が消えて行く感覚には、覚えがある。
「親思いの子供に対して、親は即座に逃げの選択。良く言えば子供の判断を尊重した。悪く言えば子供を囮にした。くくくく。ま、この子が私の言葉を理解できてしまったのが、この子にとっては運が悪かったし、あの親にとっては運が良かったのかもしれないな……逆とも取れるけど。そんじゃあさっさとズラかりますか」
その人は僕から改めて槍を引き抜いて。
ああ、と。
何か、頷いた。
「既に致命傷だとは思うけど、この国の魔法はやたらと治癒が得意なんだったっけか。これだけ出血してりゃあそれだけでも死ぬはずだけど、念には念をいれて……」
もはや感覚はひとつもない。
背中に目があるわけでもない。
だから僕が今、何をされているのかは見えなかった。
でも、それはむしろ幸運だったのかもしれない。
うつぶせに倒れたから……僕は見ないで済んだのだ。
たぶん。
僕は今、念入りに殺されている。
「これでよし」
全然良くない。
遠ざかる足音。
僕は視界を埋める血を見ながら、それでも、と思う。
せめて親には、真実を伝えたかった。
でも……それは僕の一方的な感情で。
親からすれば、本当の子供が、ラス・ペル・ダナンという命が戻ってきたのだと、信じて居たかったのだろうから、これで良かったのかもしれない。
それでもね。
お父さん。
お母さん。
『僕』は、二人の息子として生きたこの数年間。
とても楽しかったよ。
とても楽しくて、とても嬉しくて、とても幸せだったよ。
それは本当なのだ。
信じてほしいなあと思った。
お父さんは無事だろうか。
お母さんは無事だろうか。
たぶん大丈夫だ。僕を殺したことで、あの人はこの街からさっさと逃げるだろう。
願わくば、お父さん。
願わくば、お母さん。
僕の仇だなんて、思わないで。
僕の為には、思わないで。
だって僕は、この身体にとっての仇でもあるのだから。
僕は笑う。
せめて最期は、笑みを親に見せてあげたくて。
僕は笑う。
僕は笑う。
僕は、
シニモドリ。
死に戻り。