68 - 惨状の大国と勇者のこと
アリト神殿からカンティタまで、『飛翔』による全力移動で二日ほど。
陸路ならば二週間くらいはかかったかもしれない距離を大幅にショートカットできたのは、山と海を無かったことに出来たからに他ならない。
ちなみに一日目に休憩がてら一晩神殿に戻ったのだけど、その時既に六割ほどの道程を消化できたことを神殿長に報告したら、
『確かに急いでくださいとは言いましたが、明日にでもつくんですか……』
と呆れられた。理不尽だ。
で……カンティタ。
本来ならば国境で手続きをしなければならないのだろうけど、国境は既に機能を失っているらしく、民衆によって制圧されていたので、無視して空を通過。
首都がある方角を見れば、それだけで魔力場の異常が感じられる……なんていうか、ここまでとは。
こりゃ真剣にカンティタはヤバいかもしれない。
念のため補助魔法を一式掛け、それととりあえず現状では大丈夫そうな空間を『転』の対象として指定しつつ、首都の方面へと更に進む。
上空一キロメートルという高い場所から見下ろした、首都があるはずの平野部は、まるでインクで塗りつぶしたかのように不自然な青で染まっている。
その青も普通の青とは違って、見る角度によっては濃くなったり薄くなったり……見ていて気持ちのいいものでは無いな。
しかしこの現象。
まるで心当たりが無いぞ。
「…………、生存者はいるかな」
いたとしてもかなり状況は悪いだろうなあと思いつつ、僕は『人間探知』を前面の、青に染まった平野部に掛けて見る。
反応は……十九人か。
位置は結構纏まってる、何かの偶然でそこだけ助かったって感じか、それとも生存者がそこに集まったのか……。
どちらにせよ、と僕はその方向に急行する。
もちろん得体の知れない青には触れないように……、しかし本当になんだろう、この青色。
っと、この建物の中だな、反応。
そこはそこそこ大きめの建物で、入口付近にはこじ開けたような痕跡が。
僕は青に触れないように『物操』でドアを開けて、中に入ると、すぐに僕には剣が突きつけられた。
「何者だ!」
「それはこちらが聞きたいところですね。……怪我してるじゃないですか」
僕に剣を突きつけたのは若い女性だった。
左腕は中ほどで止血されているけれど、肘から先がなくなっているし、顔にもやけどの痕が残っている。
「教えてください。この街で、何が起きたんですか?」
「なに……? 貴様、外部の人間か?」
「ええ。カンティタの民としては受け容れがたいかと思いますが、アリト神殿の神官、オース・エリと申します。カンティタで何かが起きたらしい……ということで、現地調査を命じられました」
「神官……! 非礼を詫びる! 今は、今は何も渡せる物が無いが、必ず対価は用意する! 奥に居る者たちを、どうか救ってほしい……」
「物ですか」
僕は杖で軽く周囲の空気を振り払いながら答える。
「物は要りません、情報をください。外の惨状と、国の現状を。それさえ確約してくれるならば、僕は全力を尽くしますが、如何に?」
「その程度で済むなら安いものだ!」
彼女はこちらへ、と僕を案内し始める。
「……カンティタの民が、神殿を頼るとは。よほど状況は悪いですか」
「ああ、確かに神殿を頼るのは天意に反する行為だしな、気分は最悪だ。だが、現実はもっと不愉快だし、神殿と喧嘩をするにも生きた身体が必要でろう」
「ふむ」
一理どころか万理があるなこれ。
僕をやりこめたと判断したらしい、彼女も漸く笑みを漏らした。
「こっちだ」
「…………、ここは?」
「天意兵装製造所……、本来ならばカンタイ秘中の秘、このような場所に神殿の者を入れることになるとは思わなかったが」
どーりて頑丈につくられてるわけだ……ていうかこれ僕生きて帰れるかな?
そんなレベルに秘中の秘なんだけど。神殿でいうところの儀礼済み兵装を行う施設よりも数段上だ。
「怪我人は十九人ですよね」
「いや、十八人だ」
「そこにあなたが入って十九人」
「ああ……、だが私はさほど怪我が酷くは無いぞ」
「十分あなたも重傷、要治療者です」
「……すまない」
そして彼女に案内されて僕が入りこんだのは、そこそこ広い部屋だった。
元は資材置き場だろうか。
そこに布を敷いて、怪我人を並べているようだ。そしてそのけが人をみて、確かに彼女は軽傷の部類か、とため息をつく。
怪我人といっても半死人が十人、残りの六人もなかなかの怪我、彼女と同程度の怪我で済んでいるのは彼女を含めても三人だけ……。
魔力足りるかな。飛翔とかにも使ってるし、ちょっと厳しいかもしれない。『転』の分は残さないといけないし……。
だからと言ってまさか『域』を張るわけにもいかないし、一度帰ってもう一度こっちにくる、だとその頃には半分くらい死んでそうだ。
しかたない、ちょっと魔力は拝借しよう。
僕は杖で床をこつん、と叩く。
「これより治癒を行います。要治療者十九名は、可能な限り動かないように。動けば動いた分だけ治癒が遅れますし、魔力が無駄になります。よろしいですね?」
「なに……?」
床に光の陣が記されてゆく。
治癒魔法の応用編、広域治癒。
「おや、広域治癒は初めてですか?」
「……まあ、我々カンティタの民は知っての通り神殿を毛嫌いしているからな。知識としては知っているが、実際に行使できるような神官と遭遇したことすらない。いや、遭遇はしたのかもしれないが」
それもそうか。
広域治癒の魔法は、指定した範囲内に居る者を見境なく治癒するという、戦場ではまるで役に立たず、こういった後方拠点でのみ活躍する応用系だ。
そして特にこれといって魔力効率が良いわけでもない。むしろ治癒を行う対象の魔力を多少拝借しなければならない分、此方の方が悪いとも言える。
習得難易度も結構難しい部類らしく、普通に習得できる人も少ないとかの理由で、結構希少な魔法だったりする。流石に幹部ともなると半数ほどが使えるけど。
「魔力の限界ギリギリまで、可能な範囲で治癒を進めます。重傷者を優先しますので、治癒の度合いには差が生まれますけど、構いませんね?」
「ああ。我々は文句を言える立場では無い。色々と気遣いをさせてすまない」
「……いえ」
反発がない……か。
カンティタの民、カンタイの勢力下に産まれ、育った者たちは、それこそ神殿や神官を敵視するような者がほとんどだ。
それが今、神官である僕を頼っている。いや、ここに居る神官が僕じゃ無くて神殿長とかなら、別におかしい話じゃない。
けどここに居るのは子供の僕だ。
普段は敵しているような組織の、しかも子供に頼らなければならいほどの極限状況ね……。
思考とは別に広域治癒を確定、発動させていく。
発動開始から十秒ほどで重傷者を軽傷程度まで治癒、とりあえず命は優先して守らないと。
「すごいな……、広域治癒、話には聞いていたが、これほどの範囲をこうも素早く癒せるのか……」
「僕よりも上手い人なら、もっと効率的にできるんでしょうけどね……ま、そのあたりはおいといて。何があったんです、対価です、情報をください」
「そのためにも確認をしたい。神官の少年。お前は外の青を見たか」
「ええ。得体の知れない青だったので、触りませんでしたけど……」
「命を救ったな。下手をしたら死んでいたぞ」
…………?
「神官ならば呪いを知っているだろう。あれはそれと同質のものだ。ただし、概念を突き詰めた結果としての産物だし、お前たち神殿が定義する所の呪いとは大分違うかもしれないがな」
「概念を突き詰めた……」
「天意兵装『青ツル戯』」
あお……つるぎ?
「勇者様の為に作られた天意兵装だ。次代の勇者は遅くても来年には誕生する。それを知ったカンティタのお偉方が完成を急いで無理をした……その結果としての暴走だ。カンタイはもはや指導者を失ったと言っても過言ではない。終わりだよ。だから今更神殿や神官に反発しようとも思わんさ……カンティタの民も、カンティタの教えに従順なものばかりではない」
だとすると……、厄介だな。
カンタイが真面目に潰れるかもしれない。そうなると他の勢力で勇者を支えないといけないけど、たぶん技術的にも経験的にも苦戦する。
それにこの建物の外を覆っているあの青が天意兵装で、呪いと同質の殺傷性の高いものだとするならば……、暫くは調査もできないだろうし。
「勇者が来年までに生まれる、その根拠はあるんですか?」
「ある。勇者の降誕には必ず前兆が観測できるんだ。専用の道具もある……ここに居る私たち十九人の生存者は、それを知っている」
「そうですか……。もう一つ聞かせてください。ここに居る十九人、あなた方はカンティタにおいて、カンタイにおいてどのような立場だったんですか?」
「死に掛けてたのは天意兵装を作ってた担当。大怪我で済んだのはその近くに居あわせてた者。私程度の軽傷者で済んだのは、『青ツル戯』の暴走が起きた時に偶然、手続きとかでこの建物の中にいたんだ。もっとも、私も含めて全員、警護役だったが」
嘘はついてない……と思うけど、まあ、そのあたりはレーロとルブムの神殿長に投げるべきだな。
全員の怪我がある程度治っている事を確認して、僕はため息をつく。
「とりあえず、怪我は癒しました。怪我に関しては命の危機は脱したと思いますけど、外の暴走が収まらない限り、脱出は困難ですよ。当てはあるんですか」
「ないな。餓え死にするのが先か、暴走が収まるのが先か」
「後者の可能性はどの程度?」
「万に一つあれば御の字だ」
期待できない、と。
十九人かあ……。
どうしよう。助けてあげたいのはやまやまだけど、さすがに十九人に知られるのは僕としてもかなり制約が……、けどこの人たちを見捨てれば間違いなくカンタイは無くなる、この人たちが居れば、とりあえず名前だけは残せるかもしれないし、天意兵装の件もあるからな。そのあたりの説明と取引ってことになるか……。
「十九人の生存者さん、みなさんに一つ提案があります……その提案を呑んでくれるならば、僕はあなた方をここから必ず、そして安全に救出する手段を提供しましょう。ただ、その提案を飲めないならば、残念ですが助けることは出来ません。提案。あなた方の命と、カンタイという勢力の存続を、天意兵装に関する知識と引き換えに認めます。三神殿は、カンタイの再興を水面下でそれを協力するでしょう」
「それは……、こちらとしてはありがたい話だが、いくらなんでも胡散臭すぎる。そちらにメリットが無いだろう」
「そうでもありません。天意兵装に関する知識と引き換えに、です。それは神殿にとって、かなり欲しい情報だし……それに、カンタイに無くなられるのは困るのも事実です」
「俺は行くぜ。真実に助けてくれるってならよ」
どこか投げやりな声で壮年の男が言う。
「カンティタの教えは俺達に、こんな形で報いたんだ。俺達が教えに背いて神殿の軍門に下ったとしても、それだってカンティタの教え対する報いだろ」
そうだ、と誰かが呟く。
そうだ、そうだ、そうだ、そうだ、と皆が続く。
大丈夫だ。ここに居る人たちはまだ生きることをあきらめていない。
「提案を受け入れる者は手を挙げてください……って、全員ですね。わかりました。あなたがたを救助します。が」
「が?」
「今からすることは、僕も基本的には内緒にしてることなんです。これから皆さんをアリト神殿に招きますが、その方法は誰にも口外しないでくださいね」
「…………?」
皆が要領を得ずといった表情になるのを無視して、僕は杖でもう一度床を叩く。
広域治癒、の治癒の部分を『転』にして……うん、発動できるようだ。
床に光の陣が記されてゆき……発動を確定する。
「じゃ、適当に話を合わせてくださいね。そのくらいの誤魔化す力はあるでしょ?」
僕は、アリト神殿の自室に転移した十九人にそう言いつつも、説明をするべく神殿長を呼び出した。
こぼれ話:
魔法の広域化は神官魔法の技術的魔法です。
一般魔法に広域化の魔法は存在せず、擬似的にそれを行うのが『分散』の魔法ですが、効果を適応する範囲を広げる広域化に対し、効果を適応する対象を増やす分散と、効率面で異なります。




