66 - 古殿と池と痕跡のこと
移動それ自体は、『転』による休憩を頻繁にとったりはしたけれど、一週間ほどで完了してしまった。
空を『飛翔』で全力移動したので、当然と言えば当然のことだ。道中特に問題も無かったしね。
で。
「…………」
僕はその目的地、ケセド古殿から五キロほど離れた場所、その上空二キロあたりからケセドを眺めていた。
正直、神殿のような神殿なんだろうなあと思っていたのだけど、そこにあったのは屋敷のような建物が一つだけだ。
ただ……その建物から、この五キロほど離れた場所まで、草原だけが広がっている。
その草原には木の一本すら無く、それでも川が流れているのに、その川は不自然な場所で途切れていて、やたらと自然が嘘っぽい。
なんか取ってつけたような環境だ。
川は流れてる筈なのに、何もない所から突然川になって、何もない所で急に終わってるし。
そのあたりを調べるためにもっと近づきたいのだけど……。
ぺた、ぺた、と。
僕は何もないはずの空間に、確かな触感を覚えながら触れている。
「結界……」
ようするに、この不自然な、取ってつけたような環境全体を覆うように結界が張られているわけだ。
ただ、これを結界などという言葉で済ませていいのか、それが解らない。
力場結界とか『域』だとか、結界のようなものを発生させる技術や魔法はこれまで何度も見て来たけれど、この『壁』は、それらと比べ物にならないほどに強固のようだ。
結界の面は四つで、全て直線。ほぼ間違いなく、四角形。可能な限り高いところまで確認してはみたけど、結界は続いていたから、何かを中心に発生するタイプではなく、特定の領域を隔離するタイプ、なんだと思う。
一つの辺は十キロほど、範囲としてはとてつもなく大きい部類。やっぱり結界とは何かが違うような。いくらなんでも壁が強固過ぎる。
とはいえ、他に手掛かりがあるわけでもない。
僕は少し壁から距離をとり、『矢弾』を発生させて壁に打ちこんでみる。
すると、壁にぶつかった『矢弾』はその瞬間、溶けるように消え去った。
一人や二人の魔力でどうこうできる範疇では無いな。一つの国家の軍が全力を挙げても壊せるかどうか……。
僕が使える魔法のなかで最も破壊力があるものは、『域』を張っている状態での『喰』を併用した魔法……なんだけど、それでも壁を壊すには至らないだろう。もうちょっと魔力があればなんとかなりそうだけど。
どうしたものか。
そんなふうに壁の前で悩んでいる、そんな時だった。
「おい」
と、声を掛けられたのは。
「何か用事でもあるのかい、少年」
その声はどこか奇妙な声だった。
奇妙な……聞き覚えがあるような無いような、どこかで聞いたことがある筈なんだけど、不思議と一致する声の持ち主を思いだせない。
絶対的な記憶を持つシニモドリだけど、『最初の僕』については、その記憶があいまいだし、その周りだろうか?
「いやあ。ちょっと、この中を見たいんですよ」
「ふうん……? ここがどんな場所か知ってるのか?」
「ケセド古殿。ですよね?」
「そうだ。侵されざる聖域としての王座、そこに何用だ」
「調べ事です」
調べ事ねえ、とその声は言う。
そしてそれは僕の目の前、見えない壁の向こう側に、姿を現した。
からん、と。
音をたてて、僕の手から杖が地面へと落ちる。
それの見た目は、まるで……、
「……シーグ?」
「なんでお前、その名前を知ってるんだ?」
なるほど、自分の声は少し違って聞こえるらしいけど、この声の奇妙な聞き覚えはそれが理由か。
だとすると、目の前のこれはシーグと言う事になる。
本人なのか、それとも僕の記憶の投影なのか。
「大体お前、この場所に来るにあたって、許可は貰ったのかよ」
「許可って……誰に?」
「うん……?」
どうも話が噛み合わない。
それの考えている事が僕にはわからず、僕の考えている事もそれには解らないのだろう。
落した杖をとりあえず拾って、と。
「少年、お前の名前は?」
「オースです。オース・エリ。アリト神殿の神官をしています」
「オース・エリ……、アリト神殿か。ちょっと待ってろ、確認してくる」
そういって目の前のそれは、シーグのような誰かは、姿を消した。
転移……とは根本的に違いそうだ。
待たされること数分。
「待たせたか? 確認取れたから、入って良いぞ。ここ、入口にしとくから」
「ありがとうございます」
「ただ、注意しな。この中はいわば、あの世とこの世の境目だ」
あの世とこの世の境目……か。
僕はシーグ、のようなそれが用意してくれた扉を潜り、結界の内側へとはいる。
どこか嘘っぽい自然、それは中に入ることでより強くなった。なんだか匂いが違う。
違うと言うか、こんなにも草が生い茂っているのに、草の匂いも土の匂いもしない。
不審に思ってよく観察してみると、草のようなものは結晶だった。
いや、草だけでは無い。花も土も、結晶でできている。
「驚いたかい、少年、いや、オース。ここにあるものは全部結晶さ……紛い物の自然ではあるけど、傍目じゃわからねえだろ。尤も、俺は本来の自然を知らねえから、どのくらい凄いことなのかは、知らねえんだよなあ」
それは無邪気な笑みを浮かべながらそんな事を言う。
自然を知らない……。やっぱりそれは、シーグでは無いのだろうか。
記憶の投影にしては性格が違う、ならば外面だけを投影した……うーん。
「君は……ここで、食事とかはどうしてるんですか?」
「ん。何も食わねえよ。俺、人間じゃねえもん」
人間じゃない……魔物ということか?
だとしたらそれは、それこそドッペルゲンガーみたいな……。
そんな僕の考えを読み取ったのか、それとも偶然なのか、それは判らないけれど。
「魔物でもねーけどな」
それはそう補足した。
人間でも魔物でも無い……か。
「そうだ。オース、お前、俺の名前知ってたよな。あれ、どこで知ったんだ?」
「……何処でと言われると、答えに困ります」
「そりゃそうか」
それは笑う。
「俺は、それが俺の名前だったらしい……って事くらいしか知らねえんだ。他は全然」
「…………?」
「そうだな。少し説明してやるか。ケセド古殿ってお前たち神官が呼んでいるこの場所は、昔、本物の『神官』が産まれて、死んだ場所なんだ。あの建物の中には池があるんだが、その池はこの世とあの世を繋いでいてね……それを護るのが、『ケセド』としての俺に与えられた役割ってワケ」
「この世とあの世をつなぐ……」
「そう。俺は千年くらい前に、先代から『ケセド』を引き継いだんだ」
ケセド……、と、いうのが、今のそれの名前なのか。
千年前から……というのも、そのままの意味かもしれない。
「オースはさ。『イキカエリ』って知ってるか?」
「…………」
「やっぱ知らねえか。まあそうだよなー。ここもそうだけど、死者と生者を入れ変える場所ってのがあるんだ。生者がその命を代償とすることで、死者は『イキカエリ』として、再び生きることができる。人間としてではねーし、それを扱った奴の代わりになることが条件なんだけどな」
イキカエリ。
一度限りの外法……か。
「千年くらい前、たぶん俺は一度死んだんだ。で、俺をここに連れてきて、俺を『イキカエリ』にした誰かがいる。その誰かが誰なのかもしらねーけど、ま、そんなわけで俺はこの『ケセド』の代わりとして、生きることになった。生きるって言っても、食べる事も無ければ寝る事も無い。特に意味もなく、ここでずっと過ごしているだけ……極々希に来るお客様の相手をするだけだけどな」
ケセドは笑って僕に言う。
そこに悲壮感はまるで無く、天真爛漫、という様だった。
「けど、お前も変なやつだな。こんなところに何を見に来たんだ?」
「昔のことを。……昔、ある人物がここに来た筈なんです。その人物が、ここで何をしたのか……その痕跡が残って無いかなって思って、きました」
「へえ。その痕跡、見つかると良いな」
ケセドは笑う。
僕はそんなそれを、ケセドを見て、思う。
間違いない。
このケセドと言う存在こそが痕跡だ。
シーグの身体を持った何かが、イキカエリとしてケセドの名を継いだんだ。
たぶんその中身は……シーグではない。
別な命が、記憶も持たずに、その身体に宿っているだけなのだろう。
「ついたぜ。ここがお前たちがいうところのケセド古殿。建物は自由に出入りしていいけど、中庭の池にだけは近づくなよ。お前がどんな奴なのかは知らねえけど、思いがけず死んでもしらねえからな」
「はい」
ありがとう、と僕がお辞儀をすると、それは笑みを浮かべ、ふっとまた姿を消した。
姿はないのに存在感はある……、転移ではなく、単に隠れているだけ、そんな感じだろうか?
いや、それとも何かが違うな。
僕は悩みながらも屋敷の中に入り、一通り部屋を確認する。
屋敷は、ごくごく普通な屋敷という感じで……本来ならば誰かが生活をしているような場所だったけれど、生活感は中途半端だった。
確かに使っている形跡はある。けれど生きている痕跡が無い。
いや、生きては居るのだろうけれど……何かもう、取り返しがつかない事になっている。
そんな印象だった。
生者の命を代償に、死者を『イキカエリ』させる場所……か。
僕は何冊かの本が積まれたテーブルの横に置かれた椅子に座ると、本を一冊手に取って、ぱらぱら、とめくってみる。
それは日記だった。
『ケセド』が、『ケセド』としての自覚をしてから……『イキカエリ』として、書き始めた日記らしい。
もっとも、すぐに飽きたのか、書いてあるのは数枚で、残りは白紙だけど。
ただ……その日記に書かれている内容を読む限り、あの存在、ケセドは。
「『神官』……か」
積まれていた全ての本を読み終えてから僕は思考を纏め、概ねの事実を読み取っていた。
千年前、ケビンはここにシーグの遺体を持ってきた。そして『池』とそれが称していた『命源』へと身を投じることで、ケビンはシーグをイキカエリにした。
それは間違いのないことで、克明に記録がされている。記録をしたとされる人物はケセドと署名していて、この場所を守護するはずだった人物なのだろう。
本来、イキカエリはあまり行いたくない事なのだとも書いてある。それでも最終的にケセドとしてそれを認めたことや、ケセドとしての心得などが記録されている。
それらを読む限りだと、イキカエリ、一度限りの外法とあの声が称したそれの本質は、役割を対象に架すことで命を譲渡すること、か。
ケセドはそれを認めることで消滅し、新たなケセドが産まれた。そのあらたなケセドこそがシーグの見た目をしたもので、しかしそれはケビンの命によって動いている。
ケビンの命にシーグの身体という『ケセド』はシニモドリではなくイキカエリだ。記憶を引き継ぐことは出来なかった。だからケセドはケビンのこともシーグのことも覚えていない。ただ、自分がケセドとしての役割を背負うイキカエリであるという事実だけを知っている。
僕とは対照的だ。
「ケセド。居ますか」
「呼んだか?」
とりあえず呼んでみると、普通に目の前にケセドは現れる。
やっぱり転移とは違いそうだ。
「はい。あなたについて聞きたい事があるのですけど、いいですか?」
「おう、答えられる範囲なら何なりとな。つっても、俺もいまいちわかってねーこと多いからな」
「じゃあ、一つ目。あなたには仲間が居ますよね」
「なんでそう思う?」
意地悪そうな笑みを浮かべてケセドは言う。
僕は普通に答えることにした。
「簡単です。僕がここに訪れた時、あなたは確認をしてくると言った。誰かに聞いたんだと思ったんです」
「なるほど。まあ、居るよ。俺以外に似たようなのが九人……、人って数えていいのかどうかは別として、まあ、九人だ」
九人の仲間……合計十人と言う事か。
「そんなあなた方の目的は?」
「決まってるだろ」
特に特別な事では無いと言わんばかりの口調で。
当たり前のことをなんで聞くんだというような口調で。
それは、答えた。
「生きることだよ」
そのために邪魔なものを、邪魔になりそうなものを取り除く。
全てはそれが目的で、それが全ての理由だよ、とケセドは言う。
「お前だってそうだろ?」
「…………」
その通り。
それは僕も同じなのだ。
だからこそ、僕にも何かがあるのだろう。
彼らに架されている役割、それと同じようなものが、僕にも架されているはずだ。
知らず知らずのうちに……それはきっと、果たしているのだ。
僕は。
僕は、生きるにあたって、何をしているのだろう。
何をしてしまっているのだろう。




