57 - 憧れと適正とついでのこと
例の仕事を終えた日はゆっくりと過ごし、翌朝。
最近の日課として、朝、目が覚めると僕は一度神殿を出て、ぐるりと神殿の周りを軽く走る。
これだけで結構な時間は掛かるし、これを始めた三年前は疲労困憊といった有様だったのだけど、最近は疲労感はあってもそれだけで、体力作りという当初の目的はある程度達成できたのかな、とか思いながら汗をタオルで拭き取りつつ、自室に戻り、そのままお風呂場へ。
汗を流して全身くまなく洗い、少しだけお湯に浸かってリラックス。そうこうしている間に急に意識がはっきりとして、ああ、時間か、と思う。
毎朝七時に『覚醒』の魔法が掛かるようにセットしてあるのだ。つまり意識がはっきりとした時が七時、神殿が定める望ましい起床時間となる。
もっとも、大概の神官は六時頃には起きているし、実際に神殿としての活動を始めるのは朝の九時。八時までに食事を済ませて、八時半ごろには装束を纏う、というのも慣例で、実は明確なルールでは無かったりする。
明確なルールではない事を利用して色々とズルをしている顕著な例が神殿長だったりするんだけど、まあ、それはそれ。
僕はお風呂からあがりお湯を大きなタオルで拭き取って、白衣装束を身にまとい、透明な杖を携えて食堂へ。
七時十五分、さすがにこの時間の食堂はまだ人もまばらだ。
「卵のサンドイッチと、少なめのサラダをお願いします。それと暖かい紅茶も」
「畏まりました、神官様」
注文してから適当な席へ向かい、よいしょと座って杖を股に挟むように固定しながら、机にくてーっと。
うーん。
なんかこう、やるべき仕事に追われてない日ってのが随分久々だから、どうにも緊張の糸が緩みっぱなしだなあ……。
「あ! 昨日の!」
と。
そんな元気な声は横から聞こえてきた。
はて、とそちらに視線を向けると、普段着姿の神官トトラ・ワグナーが僕を指差していた。
お行儀が悪い。
「おはようございます、神官トトラ。朝から元気そうでなにより」
「おはようございます、えっと、神官オース。元気が取り柄ですから」
えっへん、と胸を張りつつ彼女は厨房に近づくと、「パン類の食事をお願いします、それとサラダとスープに冷たい飲み物。あとデザートにシチューライスで!」と注文していた。
え、デザートにシチューライス?
それ主食じゃないの?
僕の困惑をよそに、彼女は注文を終えると僕の前の席に座った。
「神官って良いですよね。ご飯どんなに食べてもタダだし」
「確かに……。神官トトラは沢山食べるんですね」
「ええ。食べないと身体が持ちません」
食べすぎも問題だと思うけど、体型的に問題はなさそうだ。結構運動してるのかも。
「というか、酷いですよ、神官オースさん。先輩だったなら、そう言ってくれればいいのに……」
「僕は確かに先着ですけど、年齢的には神官トトラのほうが上ですよ。それに昨日は休息日、僕も単なる子供です。……あと、『神官なんたら』って呼ぶ時は、さんづけは要りません」
「そうなんですか」
「そうなんです」
たぶん神殿長あたりは別の事を言うだろうけどね。
とか会話をしていると、僕が頼んだものが届く。美味しそうだ。
さすがに三年に亘って毎日数回利用していると食堂の人員も僕を覚えてくれていて、量をいちいち指定する必要も無いし、紅茶にはお砂糖だけを付けてくれるので有難い。
いただきます、と食事を開始。軽く火を通した卵にマヨネーズ、味付けも最高だしほのかな暖かさもより素晴らしい。
誰が最初にこんな食べ物を作りだしたのかは知らないけれど、天才だと思う。
「そうだ。神官オース。昨日あの後、神殿長に聞いたんですけど、あなたは少し運動もできるんですか?」
「どうだろう……。毎朝走ってるけど、それくらいだしなあ。最近は机仕事ばっかりだったし、他の神官さんと比べればいまいちだと思いますよ。神官トトラは、神官戦士を目指しているんですか?」
「はい! だってカッコいいじゃないですか!」
確かにカッコいいと言えばカッコいいか。
女性でその道を選ぶのは珍しいけど、皆無というわけでもない。
「もし神官オースが良ければなんですけど、ちょっと手合わせしてほしいんですよね。私と同じくらいの年頃の神官さんって、探してみたんですけどあなたしか居ないようなので……」
「はて?」
もう一人いたような。
「神官タスラ……、は、そっか。あの人は純神官だから、運動はできないか」
「そうなんですよ。先に神官タスラにはお願いしたんですけど、『すみません、俺はちょっと運動できないんで……』と断られてしまいまして」
神官タスラ・ロンジュ。今年で十五歳の男性、僕の数多い先輩の中ではもっとも僕に近い年齢で、もっとも僕に近くに神官になった人。
彼は純神官、つまり戦闘を行わない魔法タイプなので、手合わせしようにも手合わせにならないのは道理である。
「僕でよければ、良いですよ。でも、僕もそんなに動ける方じゃありません。僕では不足ならば、相応の人を推薦しますね」
「はい。お願いします」
とか話していると、彼女が頼んでいた食事も届く。デザートはまだ無いのに、結構なドカ盛りだった。
いただきます、と声を躍らせて、彼女も食事を始める一方で、僕は丁度食事を終えていた。
「ごちそうさまです。じゃあ、神官トトラ。食事を終えたら準備して、神殿長の部屋に来てください。僕は神殿長に許可をもらっておきます」
「わかりました」
食器類を食堂の人に渡して、僕は杖をつきながら神殿長の部屋へ。
のんびり歩き、十分ほど。
部屋の扉をノックをして、と。
「オースです。良いですか?」
「どうぞ」
「失礼します」
がちゃりと扉を開けると、今日は先客も居なければ、特に着替え中でも無かったし、ちゃんと椅子に座っていた。
よかった。
「おはようございます、神官オース・エリ。どうしましたか?」
「おはようございます、神殿長。さっき神官トトラとお話をしまして。手合わせをしてほしいとのことでした」
「ああ……あの子は神官戦士を目指すようですからね」
「僕としても目標の為に少し、身体を動かしたいですし、受けようかと。それについて許可を貰いに来ました」
「なるほど……」
神殿長は少し考えるそぶりを見せてから、二、三、頷いた。
「解りました。私ともう一人、神官を同席させますが、許しましょう」
「神殿長はともかく、もう一人ですか?」
「ええ。神官タスラ・ロンジュを」
うん?
「神官オース、あなたは既に治癒の魔法も使えますが、神官トトラはまだ基礎も学んでいませんからね。怪我をした時の治癒はあなたができるとしても、折角ですから神官タスラ・ロンジュの訓練も兼ねたいのです」
そう言う事か。
「僕としても構いませんよ」
「ならば、神官タスラを呼びますか。神官トトラは既に呼んでいるのですか?」
「とりあえず、ここで集合にしています。どこでやるかも決めてないので」
「裏庭の訓練場を使用しましょう」
ふむ。
この神殿にある訓練場は三か所、地下、中庭、裏庭の三つ。
地下訓練場は魔法専門だから別として、中庭は中規模、裏庭は大規模な訓練場になっている。
場所としては文句もない。
「では、私は神官タスラを呼びがてらそのまま訓練場に向かいますから、あなたは神官トトラと一緒に来てください」
「わかりまし……」
た、と言う前に神殿長の姿がふっと消える。どうやら『神出鬼没』で呼びに行ったらしい。いつ見ても反則だ。
部屋の中で待っているのもどうかなと思ったので、僕は部屋を出て扉の前に。五分ほど待っていると、トトラが急ぎ足でやってきた。
「すみません、お待たせしました」
「いえ、思ったよりかは待ちませんでした」
あの量にデザートを五分で食べきったのか。
すごい食事の速度だ……。
「裏庭の訓練場を使っていいそうです。訓練は神官タスラも参加します、治癒要因ですね。それと、初日は神殿長も見るそうです」
「ちょっと緊張しますね。あ、装備はどうなるんでしょうか?」
「裏庭の訓練場なら、たしか、一通り貸出がありますよ」
「助かりますね」
僕が装備できる鎧は流石に無いけど、トトラならばギリギリ大丈夫だろう。
二人揃って十五分ほど歩き、辿り着いた裏庭の訓練場には、既に神殿長とタスラが居た。
タスラは気持ち程度に気の強そうな顔つきの、年齢相応の少年って感じだ。真っ黒な髪と目は、神官が纏う装束に良く映えてる。
皆で改めて挨拶をして、トトラは貸出用の防具と武器を手に取り装備を始める。
それなりに重そうな全身鎧と、大剣か。剣盾型かと思ったら、まさかのロマン型のようだ。
「オース、君は装備しないでいいのかい?」
タスラが聞いてきたので、僕は頷く。
「貸出用の武具は、僕に丁度いいサイズが無いですし。それに、変に装備すると動けないかもしれないので」
「ふうん……。刃は潰されてるとはいえ、生身で受ければ結構な怪我になるぞ」
「御心配ありがとうございます、神官タスラ。覚悟の上です」
どの程度彼女が動けるかにもよるけどね。
装備を終えた彼女は、いざ僕を視界にとらえるときょとんとした。
「えっと……神官オースは、そのままですか?」
「はい。たぶん、普段でもこんな恰好で戦闘になるとおもいますから、それに合わせていると思ってください。言っておきますが、手加減はしないでくださいね。そっちの訓練になりません」
「でも、怪我しちゃいますよ?」
「そのための神官タスラです。いざというときは神殿長も居るので、心配なく」
「わかりました」
トトラは頷くと、訓練場の中央付近へ。
僕もそれに合わせて移動を開始、神官タスラと神殿長は、少しはなれた観覧席に着いていた。
「さて」
くるくる、と杖を回して、僕は全身の状態を確認しておく。
特にどこが不調と言うわけでもない。普段通りの性能は出せるだろう。
「僕はとりあえず、魔法は使わないことにします。ただ、あんまりに差があったなら……勝負にならないようなら、使いますので」
「はい。わかりました」
「それと、さっきもらっとふれましたが、怪我は神官タスラや神殿長が治癒してくれます。ある程度本気で戦って問題はありません。但し、即死させちゃだめですからね」
「もちろんです。訓練ですから」
僕も気をつけよう。まあ、そこまでの攻撃力は無いだろうけど……。
「さて」
僕は透明な杖で地面を叩く。
とすん、と音がした。
「じゃあ、始めましょうか」




