54 - 仕事で捕える因果のこと
あなたのペースで構いません、ただし一週間で一冊を目安にして下さい。
有難いようなそうでもないような神殿長のお願いという名の命令に僕は従う形で、既に六週間。
これまでに僕が神意文字による写本を終えたのは八冊で、一週間に一冊のノルマは無事に守れている。
守れているのだけど、積み重ねられた写本の山に、僕はため息をついた。
「あと百三十九冊か……」
一週間に一冊ならば百三十九週間かかる。三年か……。
考えて見れば三年かけてもまだ九歳、丁度いい時間の取り方なのかもしれない。
と思ったのだけど、右筆としての仕事はどんどん別に入ってくるわけで。
神殿長はもうちょっと僕を子供扱いしてくれても良いと思う。いや『僕』はともかく、オース・エリは本当にまだ六歳なんだから。
愚痴っても仕方ない。
これはこれで仕事なのだ。諦めよう。
というわけで、九冊目を手に取る。タイトルは『偏執による宣誓術式に関する検証報告』、著者はアギノ大神殿か。
ちなみにこの仕事、写本を始めてから知ったのだけど、現在存在する三つの神殿以外にも、過去には大神殿が三つ、普通の神殿が三つ、そして古殿と呼ばれる総本山を合わせた七つがあったらしい。
世界中にもっと沢山あるイメージだったのは、どうやらその『大神殿』と呼ばれる三つの分館のような所だったそうで、なるほど。
で、大神殿や他の神殿、そして総本山たる古殿が無くなってしまったのは、千年前の『反乱』が原因らしい。
その反乱の大まかな像は書かれていたけど、詳細の記録は無い。ほとんどお伽噺のような感じだ。
曰く、何らかの誓いを破り捨てた神官が居た。その神官は神殿に反発し、神殿はその神官を追放した。
その神官は、道中の神殿を踏みつぶすようにケセド古殿へ、そして当時の神殿の本当の意味でのトップと争い、追放された神官が勝ってしまった。
道中の踏みつぶされた神殿はもとより、それ以外の神殿でもその結果はまさかの出来事であり、神官の存在意義や神殿という仕組み自体にさえその動揺は広がって、結局、騒ぎが落ちついた頃に残っていたのが、今も残っている三つの神殿なのだとか。
『反乱』と記録されていることではあるけど、視点を別にして見れば、その反乱をしてしまったほうに視点を置けば、ちょっとした英雄譚のような気もする。
悪の親玉たるケセド古殿のその長を、たったひとりで討ち滅ぼして、悪の組織を壊滅させたのだから。
その反乱した者が徹底して神殿を抹消しなかったのは、世界に神官が必要である、とどこかで思ってたのかもしれないし、単に神殿そのものに悪意があったわけじゃないのかもしれない。
この話、どこまで本当か微妙だ。あまりにも現存する三つの神殿に有利過ぎる。
ただ、昔は神殿が沢山あった事、その神殿がたったひとりの追放者が発端となった反乱で壊滅状態になったこと、この二点は真相に近いのだろう。
「しかしこの、『偏執による宣誓術式に関する検証報告』……って、魔法書ですらないけど」
積まれているということは翻訳しろと言う事なのだろう。面倒だ。頑張るけど。
で、この本が書かれたのはおよそ千年前。つまり『反乱』が起きた直前って感じらしい。
内容は宣誓術式、つまり『誓い』に、個人的な嗜好や生活環境などが効果を及ぼすかという検証で、全二十八例、この本には書かれているそうだ。
二十八例、二十八人。『被験者』と書かれている欄には……、あれ?
「一人足りない?」
改めて数えてみるけど、やっぱり二十七人分の名前しか書かれていない。ミスだろうか?
それとも何か意味があるのか。
あるとしたら、さっき考えてた『追放者』、かな。神殿から追放されたから、その名前が記録される事が無かった。記録される筈のこの本からも名前が削られた。
どんな人だろう、そう思って、その人の項目を一足先に読むことに。
その人物の偏執は、殆ど依存に近い状態の弟に対する感情。その人自身は生活が苦しい家庭に産まれ、幼いころに神殿において神官となる代わりに家族にお金を与えようとした。で、無事にその人は千人に一人になれて、神官としての資格を得た。その後暫くして、そろそろ誓いを決めなければと言う頃、弟が産まれた事を知った。その人は弟には自分とは違う、普通の人間としての一生を送ってほしいと願ったそうで、自分の存在を、つまり『兄』が居る事を内緒にして欲しいと親に相談し、親は渋々それに従った。時折帰郷するたびに、彼は弟と遊んだりして、だんだんとその弟に対する感情は複雑になって、それを神殿側が察すると、それを誓いにすることを提案した、と。
つまりこの人の場合は『たった一人を護る』という誓いであって、その他はどうでも良いという誓いを建てた。そしてその人はその人にとっては二度と戻れない『普通』の生活を送る弟に、己の幸せを見出していた。もしかしたらそこに自分が居るという可能性があったのかもしれない、だとしたらとても幸せだ。そういう妄想をしながら、彼は神官としての力をつけていった。彼は弟に、己が兄である事を、その最期まで気付かせなかった。
偏執は一定の閾値を超えると、誓いの効果を変質させる。
その結果、その人は普通の神官には見られない効果を得た。己に限った強化で、当時存在した一般魔法における『強化魔法』の最上級が常に自分にかかっている状態、だったらしい。
ていうか何この、さも当然のように書かれてる『偏執は一定の閾値を超えると誓いの効果を変質させる』って。初耳なんだけど。『宣誓術式』の本にも書いてなかったぞ。
まあいいや、後でちゃんと全部読めばわかるだろう。改めて読むのを再開するに、その人物は結果的にその誓いを破ることになってしまった。『たった一人を護る』、その誓いが破れた。つまり、その人はたった一人を護れなかった。弟が死んでしまったのだろう。
そしてここで、二十八例の内でも二例しか発生しなかった現象が起きた。『破戒』。宣誓術式における誓いを長きに亘り護り続けて、それを破ってしまった時に希に起きる現象で、その人物が持つ魔力の値が負の数字になる事を指す。負の数字というのは、ゼロよりも更に下であって、当然、命と身体の関連付けは解除されるし、そこから正の数字、つまりゼロよりも上に戻ったという例に至っては一つもない。命と身体の関連付けが解除され、その間が完全な意味で隔絶され、魔力はマイナスの数字であるのに、それでも命が身体と強固に結び付き、結果『どんなに魔力を使っても、魔力はゼロから遠ざかるから、却って結びつきは強くなる』という体質を得る現象、それが『破戒』なのだそうだ。
二十八例の内で二例も観測できたのは、偏執故の効果かもしれないし、偶然かもしれないと本には書かれている。ただ、この『破戒』と呼ばれる現象は、宣誓術式における想定外の効果であって、あまりにもそれが起きるようであれば、王の介入を受ける可能性がある……?
うん?
王の介入?
「…………?」
神殿の本来の目的。
『神官』を産み出す事。
宣誓術式は、『神官』の性質を再現するために作られた……みたいな感じで『宣誓術式』には書かれていた。つまり『神官』を産み出すという目的のための手段の一つだ。
そこはいい。
けど、王の介入って何だろう。
『王』……。記憶の全てを攫ってみるけど、神殿において『王』は特別な意味のある言葉では無い。単にその神殿が置かれた国の王ということだろうか?
いやでも、神殿って基本的には国に関わらないし。
僕が知らないだけで、過去における神殿には王がいた……とか。
一番ありそうなのはそれだけど、だとしたらあまりにも痕跡が無さ過ぎる。
大体、千年前から今の三神殿しかないのだとしたら、それ以前の最新の体制はケセド古殿の教皇をトップとした組織であって、やっぱり『王』ではない。
……それとも、千年前から三神殿というのが欺瞞や偽装とか?
もしそうなのだとしたら見事なものだ、まるで痕跡が残っていない。普通に千年前には既にこの三神殿になっていたと考えたほうが自然だ。
でも、千年前……ね。僕がノア・ロンドだった頃、たしかに神殿は既に三つだった。けどその前、僕がシーグだった頃、神殿は沢山、あちこちにあったのだ。
てことはシーグが生きてたのは千年前?
まさか。シーグが終わってすぐにノアになった。シーグだって、ラスが終わってすぐに……。
「……いや」
確かに僕からしてみれば、それぞれが終わってからすぐにシニモドリとして次を生きている。そのつもりだった。
けど、考えて見れば必ずしも直後にシニモドリしているとは限らない。そこには僅かな時間差があるはずだ。いや、僅かどころか大きな差もあるのかもしれない。
千年がかりの時間差と言うのはちょっと信じがたいけど……、まあ、間にノアを挟んでいて、時間差が同じなのだとしたら、五百年と五百年。
もしシーグとノアの間にも五百年が開いているとしたらシニモドリは五百年に一度しか出来ないと言う事になるな。
僕はふと部屋を見る。ベッド、テーブル、大量の本、棚、着物入れ、その他もろもろ。生活水準と言う意味では、確かにノアのころと比べればかなり豪勢な生活だ。
窓も当然のように透明なガラス窓、どころかお風呂場と脱衣場を隔てるのも磨りガラス。神殿と言う場所はお金もちなんだなあと最初は思って、でもオースの記憶にあるオースの実家も、すこし方向性は違うけど、ガラスの使い方とか家具だとか、そのあたりの水準は高かった。
ガラスは高級品。そのイメージはラスの頃に抱いたものだ。シーグの頃にはちらほら見ていた。ノアの頃はガラスの棺とかいうものも見ることが出来たし食器にも使われ始めていた。そしてオースの今、ガラスはあって当たり前の物になっている。
それ以外の部分、たとえばお風呂もそうだけど、水周りが劇的に変わっている。水道というものがあって、今はハンドルを回せば水が出るのだ。井戸もあるにはあるし、大量の水を一気に得たい時は井戸を使ったほうが良いけれど、お風呂はハンドルを回しておけばお湯が出てくる管もある。
技術の進歩。生活水準の変遷。それらを見ると、案外、本当に五百年刻み……なのかな?
シニモドリをさせることであの声が得られるメリット、という考えを、一瞬したことがあったけど、逆に、シニモドリを行うためのコストという発想はそういえばしていない。いや、恐らく完全なノーコストではないだろう、その程度の考えだった。そのコストが、たとえば五百年ほど溜めた魔力じゃないと駄目なのか、それとも五百年に一度しか使えないような縛りがあるのか。どちらにせよあの声の主は人間では無いと思うけど、もし人間だとしたらいくらなんでも長生きに過ぎるな。
「五百年……千年、千五百年、か」
五百年前については特に何があった、と聞いた覚えが無い。
けど、千年前は『神官一人を発端にした反乱』が起きていて、千五百年前には『レベルカードがつくられた』。
僕はふと気がつくと立ち上がっていて、呆然と天井を眺めていた。
なんだろう。
かちりと、何かが噛み合うのだ。
千年前、誓いを破った神官による反乱。
千五百年前、魔法使いと商人が作ったレベルカード。
千年前がシーグであり、千五百年前がラスであるなら……。
千五百年前、ラスが母親から貰ったあのレベルカードは、新品だった。新品も新品、作りたてみたいなもので、ぴかぴかと輝いていた。それ以降、シーグやノアが手にしたレベルカードは、ラスが手にした新品と比べれば、新品なのにどこか古びた印象がある。
千年前、恐らく追放された神官とは、さっきの誓いを抱いた者だ。名前が書かれていないのは、追放されたからなのだろう。その神官は『たった一人を護る』という誓いだった。
『俺の誓いまでは調べがつかなかったんだろ? 噂として「シーグを護ること」が誓いだと聞いたり、可能性としてそれが真である可能性に思い立ったのかもしれねえけど』
『俺のシーグに対する誓いが想定をはるかに超えて強いものだった』
『はたしてケビンは、どうしてこうも、シーグに拘るのだろう』
『彼は弟に、己が兄である事を、その最期まで気付かせなかった』
ならば、千年前に追放された神官は……、
「ケビン……?」




