53 - 浅知恵が招く災難のこと
誓いは結構簡単に変えられて、また設定も結構簡単である事を知って、僕はとりあえず、神殿長が言っていた通り『知る事』を誓いとしておいた。
かなり大雑把な部類だから、結構簡単に破ってしまう事になるだろう。
ちなみに『誓い』は魔法ではなく、それを誓いとする、と意志を強く念じるだけで設定でき、実際にその誓いを設定してみたのだけど、明確な効果は自覚できていない。
ただ、誓いそれ自体ができているかどうかは意識すればなんとなくわかる。また、誓いを何らかの理由で破ってしまった場合も、『破った』という感覚があるんだとか。
このあたりは神殿も把握しきれていないのだけど、何らかの術式が世界規模で掛けられているのだろうとイトラさんは言っていた。
それって普通なのだろうか?
「そうですね。一般的とは言い難いのですが、それでも実は、比較的知られている、そして使われている便利なものがありますよ。レベルカードと言うのですが」
「ああ。あの勝手に強さを測ってくれるやつ」
「はい。あれも大元は、世界規模で仕掛けられた術式をベースに動いているそうです。たしか千五百年ほど前でしたか、当時の冒険者ギルドの要請で、魔法使いと商人が合同研究し、完成させたと聞いています」
あの便利アイテム、そんな昔からあったのか……。
「世界規模に仕掛ける術式かあ……どんだけの魔力があればできるんでしょうね?」
「さあ。少なくとも時代に愛され世界に愛され、そして天からさえも愛されるような才能を持った人でも、魔力は足りないと思いますが……。当時は魔力を形あるものにする技術もあったと聞きますから、それを使ったのかもしれません」
「それならまだ神官魔法の応用だと思いたいなあ……」
僕が率直に感想を漏らすと、イトラさんはぴくり、と眉をひそめる。
「どういう事ですか?」
「……えっと。子供の浅知恵、できるかどうかは判りませんよ?」
「子供だからこそ、自由な発想もできるのでしょう。どんな応用を思いつきましたか」
別に隠すほどの事でもない。きっと他にも試した人は居るだろう。
そう思って僕は思った事を要約して話す。
神官魔法と言うのは自分自身の魔力ではなく対象の魔力を使う魔法だ。これは基本であって原則である。
治癒も浄化も洗礼さえも、応用次第では己の魔力をほぼ消費せず、発動の引き鉄を引くことがでれば、そして対象に魔力があるならば成立する。
対象に……その対象とは基本的には人間で、浄化などでは魔物も対象になるし、武器や防具を対象とすることも不可能ではない。
不可能ではないという表現は『魔力移動』の魔法書に実際に記載されているもので、なぜそう言う表現を使ったのか、それについても言及されていた。
曰く。
――対象に魔力が全く無い、あるいは対象の魔力が著しく多い場合、対象として認識することがとても難しい。
最高位の魔物に『浄化』の効果が出ないだとか、英雄の中の英雄、勇者と呼称されるほどの存在が孤高とされ、治癒の魔法の効力が弱まる原因にもなっているのが『著しく魔力が多い場合』のそれであり、儀礼済み兵装や元から魔法の掛かっていない武具などの場合、神官魔法の効果が乗りにくいというのが『対象に魔力が全く無い』のそれ。
逆に言えば、対象として認識することに成功すれば、その対象に理論上の制限や限度は存在しない。
もちろん、それは理論上であって、事実上の限界と考えられているものはある……しかし後世において神官魔法の研究が進めば、限界はより遠くに置く事ができるようになるだろう――
という感じだ。
理論上に制限や限度が無いならば、あとは才能だ。
先程のイトラさんの言うように、時代に愛され世界に愛され、天からさえも愛されるような才能があっても、恐らく事実上の限度と言うものはどうしても存在するのだと思う。
が。
「恐らくは当時、まだまだ珍しすぎて立証できていなかったものが現代には……そう、現代には『神授』がある。アリトの神殿長の『神出鬼没』、レーロの神殿長の『思考透読』、ルブムの神殿長の『オラクル』。それらの力は途方もなく強いんですよね。あるいは僕の文字の読み書きが、誓いの術式を無意味にしかねないほどに強いとしても、それと比べてもその三人の『神授』はさらに強いはず。僕はね、『対象を自由に取れる』という『神授』があったんじゃないかと思うんです」
あるいは今も誰かが持っているのかもしれない。
ただ、それを実際に意識して扱うためには、『魔力移動』の魔法書を完全な意味で読解しなければならないだろうし、それができる人はイトラさんの反応を見る限り、ものすごく珍しいのだろう。
「『対象を自由に取れる』という『神授』があったならば……基本的な部分の理論を確立するのは別の人で構わないから、何人か、それこそ何十人とかかもしれないし、一人で考えたのかもしれないけれど、『世界を対象にして、その神官魔法をかければ良い』。確かに世界規模で発動するような術式に必要な魔力量は想像もできないけれど、『世界そのものが持つ魔力』は、もっと想像できないですしね」
「…………」
イトラさんは『魔力移動』の魔法書を手に取ると、ぱらぱらとめくる。
「すみません。オースくん。その記述はどこにあったか、覚えていますか?」
「176ページから12ページくらい掛けて長ったらしく書いてありました」
「ありがとうございます。…………。ここか」
176ページを開いて、イトラさんはとんとん、とこめかみを叩いた。
真剣に考えているようだ。
「良く読めましたね……。私にはなんだか図形が沢山書いてあることは解るのですが、これが意味のある文字だとは正直思いませんでした。なんらかの術式のための印かなあと思ってたんですが」
「術式の印なんて、少なくともその本には書いてませんよ。全部読める文字です」
「……いやあ。読めるのはたぶん、オースくんだけだと思いますよ。アリトの神殿長でさえ、全く解読出来ていないと思いますし」
「そんな事は無いと思うけどなあ……。神殿長、頭いいし」
「頭の良し悪しとかそういう範疇は超えてるんですよね。直接聞いてみますか」
「今、他のお仕事してないかな?」
「その可能性はありますね。そうだオースくん。その神殿長なんですが、今年のいつ頃に誕生日なのでしたっけ?」
え?
なんかいきなり話題が飛んだな。何でだろう。
答えないわけにもいかないので、
「夏の真ん中ごろですよ。今年で神殿ちょ」
「呼びましたか? 神官オース・エリ」
…………。
さすがに恨むぞ、これは。
なんとなく解った、たぶん神殿長の『神出鬼没』には一定の法則があって、その法則の範囲内でしか移動できないのだ。だから来る時は一瞬だけど帰りは徒歩になっている。
恐らく移動できる法則は、『自分自身が連想されている場所』とかなのだろう。これまでのタイミングからして神殿長の年齢に関して想像するたびに来てる気がするし、そこも条件に絡んでるかもしれないけど、さすがにそこまで条件が絞られているとも思えないから、その辺はブラフかな……。
「すみません。今のは私が誘導したのです、神殿長。神官オースは悪くありません」
「そうですか……。まあ、今回は特別に見逃しましょう。それで、わざわざ神官オースに濡れ衣を着せてまで私を呼びだしたのです、今回は意味あって呼んだのですよね?」
「はい。この『魔力移動』の魔法書の、このページから12ページほど、神殿長に解読できますか?」
「はて」
渡された魔法書を見るなり神殿長は呆れるような表情になって、
「解読も何も、これは魔法発動のための印の類である、と結論が出た筈ではありませんか。それもたったの十年前に」
「ですよね。私もそう記憶してました。勘違いじゃなかったか……」
「どういうことです?」
「神官オースが解読しましたよ、その文章を」
「……文章? これが?」
神殿長は魔法書のページを僕に見せるようにして言う。
僕は頷いて、とりあえずそこに書かれていることを読み上げることにした。
「魔力の移動において最もその困難さを伴う箇所こそが対象の指定である。対象が持つ魔力が術者と比べて著しく多ければその全容を掴むことが出来ず対象とできないし、対象に魔力が無い場合、そもそも対象として特定の存在あるいは現象を切り取るように完全な知覚することが難しい。たとえば剣を例に上げるが、魔力を持たない剣を対象とする場合、その剣は一体何から何までを剣とするのか。もちろん刃は剣だろう、柄や装飾もまた剣に違いは無い。ではその剣が刃毀れしていて、その欠けた極小の部分はどうだろうか。欠けたとはいえ剣の一部であると言えるが、剣本体から離れてしまえば別物とも言える。では剣の刃が折れた時、剣が砕けてしまった時、それらに際してどのように定義を行って、どのように認識すれば良いのか? これに対する回答として、儀礼による魔力の恒常的な付与が考察された。現代に置いて、それは儀礼済み兵装と呼ばれている。それの本質、それがつくられたそもそもの理由は、魔力を持たないものに、魔力を恒常的に付与することで、付与されたものを『一つのもの』という概念とし、概念の部分で対象に取りやすいようにするためのものである。但しこの技術は副次的な効果が極めて大きくまた強力であるため、本来の目的、対象としての『一つ』の定義という意味合いで使われる事は、本書の記述を行う中でも既に忘れ去られようとしている事実である。別なアプローチとして厳密な物質としての瞬間的な定義を行う魔法も考案されたが、これは神殿において使われる魔法ではなく、より広義的な魔法に近いなど……、でそのページは終わってます」
「…………」
二人は黙りこむと、お互いに顔を見合わせた。
「神官イトラ。どう思いましたか?」
「嘘はついてませんね。本当に、自然に読んでいる。そう見えました。神殿長はどうでしょうか」
「私も概ね同感ですが……。困りましたね、この様子だと、他の魔法書にも私たちが気付いていないだけの記述が多くありそうです」
「まことに」
そして二人は同時にため息をついて、神殿長は改めて僕に顔を向けて言う。
「神官オース・エリ。大変だとは思いますが、あなたが読みとった事を、神意文字で書きなおしていただけますか? 可能ならば表紙を含む全てのページを、写本に近い形でお願いしたいのですが」
「……読むのは一瞬だから、良いんですけど、書くのは普通に文字を書く時間がかかります。だから、すぐにどうこうはできませんけど……、それが神殿長の命令なら、僕は従います」
「解りました。ならば追って正式な命令を出しますので、とりあえずここにある六冊の『翻訳』をお願いします。神官イトラ・カルシア、事情が変わりました。指導は中止です。申し訳ありませんが、一度レーロに戻り、そちらにある魔法書や、口伝書などの類を写本で構いませんから、こちらに運んでください。私から直筆の依頼の手紙をお渡ししますし、緊急用の鳥も使います」
「異存ありません。ルブムはどうなされますか?」
「そちらに寄る事は可能ですか?」
「多少余計に時間は掛かりますが」
「解りました。ではルブムについてもお願いします」
なんだか僕の預かり知らぬところで、思いがけず話が膨らんでいる。
でもなんだか、今更『え、写本作るのってその一冊だけじゃないの?』なんて言える空気じゃなくなってるしな……。
何冊書くことになるんだろう……。




