52 - 六つの魔法と誓いのこと
レーロ神殿からわざわざ来てくれたあちらの神殿における最高幹部な神官、イトラ・カルシアさんは、とても優しい人だった。
というか、何だか不思議と『お兄ちゃん』のような感じだなあと思い、その事を素直に告げたら、彼は嬉しそうにその理由を答えてくれた。
「君には大分負けるけれど、ここの神殿長と同じで、私も『若い』部類ですからね。今年で二十六歳です」
なるほど。
ちなみに我らがアリトの神殿長は今年で
「神官オース・エリ。私を呼びましたね?」
「いいえ、全然呼んでませんよ、神殿長。……え? というかいつの間にこの部屋に?」
ちなみにこの部屋はイトラさんの部屋。
位置で言えば僕の自室のすぐ隣で、これは指導役なのだから近い方が良いという理由もあったけど、単純に空き部屋を横から順番に詰めて使っていて、僕以降に新しい神官がまだ出てきていないので、偶然そこに配置されたというのが真相らしい。
「ふむ。まあ良いでしょう。では失礼します」
そういって神殿長は、いつもの透明な杖をこつんこつんと鳴らしながら去って行った。
本当にいつの間にこの部屋に来て、そして何をしにこの部屋に来たのだろう。結構あの人もよくわからない部分が多いんだよね。
「相変わらずですね、ここの神殿長は」
「相変わらず……なんですかね? 僕はこの神殿で半年くらいなので、なんとも解らない部分が多いんですけど」
「『神出鬼没』」
うん?
「それが彼女の『神授』の名前です。神官オース・エリ、あなたの『文字の読み書き』と同じような感覚で、彼女は瞬間移動するわけです。もちろん感覚ですから、コストの概念はありません」
「…………」
なあにそれ……。
空間転移って魔法でも最上位クラスだよ?
『転』だってそれこそ条件を縛りに縛って漸く実用圏内なのに……。
いやまあ、実際にはそれなりに厳しい条件がある、のかもしれない。
「もちろん、『神授』があれほどまでに強力に顕現するのは珍しい例です。レーロの神殿長の『思考透読』も大概強力なものですが、彼女の『神授』はそれを鼻で笑えるでしょうからね……」
「なるほど……。そう考えると、僕の『神授』は大したこと無いですね……」
「それはどうかなあ……」
あれ?
てっきり賛同してもらえると思ったのだけど、イトラさんは複雑な表情で回答を濁していた。
「いやだって、君、既に神官魔法の魔法書、全部読んじゃいましたよね」
「え? ……まだ六冊しか読んでませんよ?」
「その六冊六種が神官魔法の全てです」
「そうなの?」
「そうなんです」
もっと沢山あるんだと思ってたんだけど……。
ちなみに僕が読み終えた六冊は、『治癒』、『浄化』、『固定』、『制御』、『洗礼』、『魔力移動』。
少なくとも『誄』とかはまだ読んでいないのになあ、とか考えていると、彼はこっそりと補足した。
「『神殿が認める神官魔法は』……ですけどね」
「…………?」
「その六冊は、基本的には神官ならば、得手不得手が出る事はあっても、とりあえず使えるようになる魔法なんです。『神授』が強く顕れていたりすると、希にいくつか効果が非常に弱くなってしまう魔法が出てくることもありますが、そう言う者は希少ですから例外扱いされます。ですから、神殿が認める神官魔法は、その六冊六種が全てです」
「つまり、神殿が認めていない神官魔法、がある……?」
「そう。『原理的には神官魔法だけど、神官の中でも使える者と使えない者が居る、あるいは使えない者が大多数である』、なんて魔法も多いんです。それらは神官魔法ではありますが、神殿が認めていないので、『自主的に学ぶ』しかありません」
自主的に学ぶか……。つまり、魔法書を持っている人を探して、その人にお願いし、読まないとならないわけだ。大変かもしれない。
尚、『原理的には神官魔法』というのは、魔力の使い方の違いだ。
普通の魔法と言うのは、それを行使する本人の魔力の一部を切り取り成形して消費し発動する形式を指す。
一方で神官魔法は、行使する本人の魔力の極一部を対象に移動させ、移動先にある魔力を使って発動するという形式になっている。
この『魔力を移動させる』という技術は『魔力移動』という魔法書になっているのだけど、これを使うためにはまず魔力と言うものを明確に認識しなければならない。そして存在が持つ魔力を正確に見分ける素養が必要になり、そのためには『身体と命を分断して考える』という事を無意識レベルで認識して居なければならないなど、なかなか条件が複雑だ。
困難なりに全くの不可能ではなく、世界規模で特にセンスのある魔法使いならば、習得できる可能性はある。例えばイセリアさんとかならいけるだろう。コーマさんじゃ無理かな。でもあの人、人形師って奇妙なクラスだし、あるいはその手の感覚は錯覚を使って覚えられるかも。
まあ、その習得困難な感覚や認識を無理矢理身体に叩きこむのが『洗礼』であり、故に神官は『魔力移動』を前提にした神官魔法を扱える、と言う事らしい。
「……そういえば、今読んだ六冊に『誓い』のことが書いてなかったんですけど。誓いが無くても発動できるんですか?」
「できると言えばできるし、できないです」
どっちだ。
「魔法書を完全な意味で解読できれば、誓いを建てる必要が無い。なぜならば、解読出来ているからです。逆に……神官は誓いを建てることで、『解読出来ていない魔法を行使できる』んですよ。それが宣誓術式と呼ばれる、奇妙な現象でして」
「奇妙な現象……?」
「はい。仕組みが解ってないんです。その誓いの範囲内であれば、多少解釈がずれていても、解読が出来ていなくても、六割ほどそれについて知っているならば、無理矢理発動できるようにする。それが『誓い』です」
…………。
あれ?
「じゃあそれって、僕には意味が無い……?」
「そうですね。効果は大分薄いでしょう。そして『そんな大それた謎の仕組みを不要とするほどに明確に理解できると言う、常時発動型の神授としての文字の読み書き』。大したことあるでしょう?」
そう考えて見れば……そうなのかな?
「でも、神殿長は誓いを建てれば、僕のその『神授』が強化される、みたいな事言ってたんですけど……」
「間違いではありませんよ。言いましたよね。『その誓いの範囲内であれば、多少解釈がずれていても、解読が出来ていなくても、六割ほどそれについて知っているならば、無理矢理発動できるようにする。それが「誓い」です』。これ、魔法に限らないんですよ。それ以外の『技術』にだって適応できます。それは例えば料理だとか、それは例えば剣術だとか。もちろん、誓いの範囲内であれば、なのですが」
「…………」
つまり食事を美味しく食べるという『誓い』を建てていれば、その『誓い』を護っている間だけ美味しい料理が作れる……みたいな?
なんだろうこの壮大な仕組みの無駄遣いは。
剣術の方は便利そうだけど。
「もちろん……これは、『神授』という奇妙な力にも適応される。だから、誓いを建てる事で『神授』を強化することは、確かに可能なのですよ」
ふむ。
「僕は神殿長に、『知る事』を誓いにするべきだと言われました。イトラさんはどう思いますか?」
「確かに、知ることを誓いにする価値はあるでしょう。解釈にもよりますが」
なるほど。
「注意点としては、『誓い』はその『誓い』を護り続けていた時間と量によって、効果が増加するという点ですね。そしてこれによって増加する効果は、『誓い』の範囲によって上限が増減することもわかっています」
「時間と量……と、範囲と上限?」
「少し例を上げましょうか。『誰か一人を護る』という誓いを例えば十日間守ったとしましょうか。それによって得られる効果は、『十人を護る』という誓いを一日守った時のそれと大体同じになるんです。」
…………?
「それなら、不特定多数の沢山の人を護る、の誓いなら一瞬で一気に上がるってことですか?」
「そうですね。但し、『誓い』が破られればその時点で効果は消えます。再度『誓い』を建てなければならないし、また最初から積み重ねる必要があるのですよ。そして誓いによって得られる効果の上限は、範囲が狭ければ狭いほど高く、広ければ広いほど低くなります。ただし、上限はよほど誓いに設定しない限り、殆ど体感できませんね」
「極端な……というと、どのくらいですか?」
「そうですね。例えば、『不特定多数の全ての人を護る』という誓いを建てたとしましょうか。この場合、上限は理論上、ほぼ最低値……これで得られる効果を1、だと思ってください」
つまり最低でも1の効果は得られる、と。
「その場合、誓いを建てた瞬間にその1の効果を得ることができます。次の瞬間には破れるので意味はありません」
「そこは確定で破れるんですか?」
「破れますよ。だって誓いの内容は、『不特定多数の全ての人を護る』ですよね。その誓いをした瞬間に、世界中のどこかの人が、例えば紙で指をほんの少しだけ切ったとか、ちょっと躓いて転んだだとか、そう言う事は大抵起きています。それを全て護れるわけが無い。即座に誓いは破れるわけです」
確かにそうだ。
「ですから、一般的に神官がそういう広い範囲をとる場合、推奨される『誓い』は『手に届く範囲の人を護る』とか、そのあたりです。これだと得られる効果は最大で10くらいになりますよ。極端に広い場合と比べれば十倍の効果を得られるのです。ただ、この誓いだとその最大値になるまで、一週間は掛かるでしょう」
一週間でどうにかなるのか。そこまできついわけでもないな。
「極端に狭い誓いだと、『特定の一人を手に届く範囲で護る』という誓いとかですね。最大値は20くらいですが、最大値には一年計画を覚悟しなければなりません」
普通の範囲の最大値、10までとしても半年か。確かにそれは長すぎる。
とはいえ……。
「思ったより、狭くしても最大値、増えないんですね」
「ええ。極端に範囲の狭い『誓い』は、効率面で言えば微妙になります。それでも敢えて限定することにメリットはありますよ。破れにくくなるというメリットが。誓いを破ってしまっても誓いそれ自体はすぐに再度設定できるとはいえ、破らないのが理想であるのも事実ですからね。ちなみに限定している神官の代表例が、ここ、アリト神殿の神殿長ですよ。彼女の『誓い』は『己自身がした行為によって発生する事象に対して後悔しない事』。最大値はさきほどの数字で言えば、17くらいですか。恐らく彼女は九歳で神官になり、十歳で神官魔法を習得してから現在まで、その誓いを一度も破っていない筈です」
九歳で神官になったんだ、神殿長って。
で、今の神殿長は
「呼びましたね? 神官オース・エリ」
「ですから呼んでいません。あと、その『神出鬼没』というらしい『神授』、いくらなんでもズルすぎませんか?」
「良いですか、神官オース・エリ。本当の意味でズルい『神授』というのは、ルブムの神殿長のようなそれを指すのです」
ルブムの神殿長?
そういえばその人とはまだ会ったことが無い気がする。
「どんな『神授』なんですか?」
「『オラクル』。神託という名がつけられています。『将来起こる事を知る』というものですよ」
うわあ。
確かにそれはズルい。
「最も、その将来がいつ頃のことなのか、までは解らないそうですけど。さて、では私は執務があるので、このあたりで」
「はい」
こつん、こつん、とあの透明な杖で音を鳴らしながら、神殿長は改めて部屋を出て行く。
そんな様子を見て、イトラさんは感心したような表情で僕を見ていた。
「アリト神殿長から一瞬で話題を逸らしきるその話術。お見事です、オースくん」
……それって、褒め言葉じゃないよね?




