50 - 神殿長の推理と神授のこと
会食には参加しないでも良いですよ、と神殿長は僕に写本を渡しながら言ってくれたので、それを受け取って僕はその場を辞して、自室に戻って写本を読み始めた。
言葉をそのまま受け取るならば、後は自由にして良いよ、という優しい言葉なのだけど、実際のところ神殿長はそんなに優しい人では無い。写本を渡してきたという事はそれを読んでおけ、そう言う事なのだろうと理解したからである。気のせいかもしれないけど。
さて。
写本の表題は『千夜百行於原則』、著者は……組織名だろうか? ケセド古殿と書かれている。
序文はたったの三ページ、そこから先は取るべき方法とその理由が連続して書かれていて、全部で二百ページくらいだろうか。
読むだけならば今日中に読み切れる量だけど、説明をするとなるとちょっと面倒だ。僕はペンを手に取って、藍色の本の方に、僕が読みとったことを藍色の本にもともと書かれていた文字に合わせて、書きこんでゆく。
結局、それらの作業が終わったのは、途中で休憩を兼ねた睡眠を含めて十六時間後。日付は当然に変わっていて、どころか他の二神殿から来ていた神殿長や神殿長代理は、その部下も伴ってとっくに帰っていた。
間に合わせたほうが良かったのかなあ、だとしたら途中で寝たのは失敗だったか。でもこの身体、基本的に徹夜ができないのだ。ふと気がつくと寝てしまっている。
六歳という年齢ばかりはどうしようもない……なんて言い訳をしながら、神殿長の部屋へ向かい、ノックして、と。
「オースです」
「どうぞ」
「失礼します……っと。着替え中ですか。外で待ってます」
扉を開けると神殿長が下着姿だったので、そのまま扉を閉めて外で待機。
すると数秒後、部屋の中から扉は開けられた。
「何を恥ずかしがることがありますか。時間は有限なのですから、入りなさい」
「……はい」
変に逆らって怒られるのも嫌だしと、僕は部屋の中に入って二冊の本を机の上に置く。
神殿長は普段神殿で来ている白衣装束を三分ほどでてきぱきと着こむと、「おまたせしました」と椅子に戻った。
「で、どうしましたか、神官オース・エリ」
「昨日受け取った写本についてなんですけど……」
「ああ。読めたら儲けもの程度だったので、読めなくても別に問題は無いのですよ。やっぱり無理でしたか」
神殿長は朱色の背表紙、原本を手に取ると、ぱらぱらとページをめくり、眉をひそめた。
「結構ぎっしり書かれていますね……。レーロ神殿が手古摺るも納得です。それで、神官オース・エリ。要件は本の返却のみですか?」
「……えっと」
なんだかタイミングを逃してしまった気がする……。
けど、とはいえ今を逃せば永遠にタイミングが来ない気もするので、僕は言った。
「すみません。途中でどうしても眠くなってしまったので、一度睡眠を取ってしまいました。でも、全部読めましたよ。内容は藍色の本に直接、そこに書かれてる字を使って、書きなおしてあります」
「はい?」
神殿長が大きく首を傾げて言った。
なんだか声が上ずっている。
「えっと……」
そして神殿長は藍色の本を手に取って、ぺらりとページをめくってゆく。朱色の原本の時とは異なり、一ページ一ページを急ぎ足ながら、それでも読むように進めて行った。
「すこし、僕が読んだ内容と、その本に書かれている内容が違うところがあったので、ちょっと困りましたけど、全部、同じページに書いておきました」
「……そうですか」
神殿長はぱたん、と本を畳んで僕を見据える。
「オース・エリ。あなたは既に誓いを持っていますか?」
「いいえ。僕は神官魔法は全く習ってませんし……」
「ならば、あなたの誓いは『知る事』にしてください。そうすることで、恐らくあなたの力はよりひときわ強くなるでしょう」
「…………?」
宣誓術式。
神官魔法を補助する『誓い』の正体にして、ある条件を自らに課すことで、その条件を満たす限り、その条件に沿う能力が向上する……と、同名のタイトルの本には書かれていた。
「希に……ではあるのですが、実は、神官になった瞬間から、神官として少し奇異な力を持つ事があるのです。昨日あなたも会ったレーロの神殿長がその手では有名でして、彼は神官になったその瞬間から、『他人が考えている事が大まかに解る』という性質を持っていました。そこに『心を強く持つ』という誓いを建て、彼は今や他人が考えている事を極めて正確に理解できるほどです。だからこそ、彼がレーロの神殿長になっているのですよ」
他人が考えている事が解る……。
「ならば、神殿長も、何かそういう力を持っているんですか?」
「ええ。私は神官になったその瞬間から、とある力を持っています。まあ、説明が難しいのでそれについてはまた今度という事にしましょうか。そして恐らく……オース・エリ。あなたにも、そういった何らかの力が顕れています。恐らくあなたは、『文字を理解できる』、もしくはそれに類する力です」
何故そんな力が……。
僕の疑問は顔に出ていたのか、神殿長は答えを提示してくれた。
「簡単な話です。私が直接あなたに渡した四種の本は暗号化されているのか、あるいは単純に失われてしまったのかは解りませんが、現代は私たち張本人はもちろん、言語を専門とする学者ですらも『読めなかった』本なのですよ。そんな本を、あなたは自然のように読んでいて、しかも私たちにわかる文字に翻訳出来ている。ならば恐らく、それこそがあなたの神官としての奇異な力なのでしょう。大体、オース・エリ。あなたほどの年齢で、神意文字を使えるのもおかしいのです。あなた、神意文字の教育受けていないでしょう?」
「神意文字……? なにそれ?」
「こちらの、藍色の本に書かれている方の文字の事ですよ。これは神官の極一部にだけ受け継がれる文字でして、機密情報のやり取りなどに使うんです」
「そうやって極一部にしか受け継がないから読めない本が出てくるんじゃ?」
「…………」
その発想は無かった、といった感じの顔で神殿長は言葉を止めた。
というかしまった、思いっきり言葉に出してしまっていた。
気をつけないと。
「でも、神官がそんな特殊な力を持つなんて……知りませんでした」
「もともと全ての神官が持てるわけではありません。最近で言えば、十人に一人くらいの割合ですかね……ただ、そういった奇異な力を持つ神官も、ほとんどは『一応持っている』だけで、効果それ自体はとても曖昧だったり、弱かったりする事も多いですから、あなたや私のようにはっきりと、神官になった時点で顕れるのはやはり珍しいのですよ」
なるほど……。
で、この神官としての奇異な力には一応名前があるんだとか。
『神授』。
神殿長になるような人はほぼ確実に、何らかの強烈な力を持っている。
逆に言えば、そういった強烈な力を持っていなければ、神殿長になることはない、らしい。
「とはいえ、『神授』を持っているから必ずしも優れている……とは限らないのですけどね」
「…………? できないより、できたほうが良いんじゃないですか?」
「これはより強大な『神授』であればあるほど強まる傾向があるのですが、そういった力を持つ神官は、持たない神官と比べて技能が偏るのですよ。たとえば神官として長い修業をしているのに治癒の魔法しか使えないだとか、逆に治癒の魔法は一切使えないだとかです。私は幸い、一通り扱えるので問題ないのですが……レーロの神殿長は治癒の魔法が非常に苦手でしたね」
ふうん……。
特異な力を持つ対価に、得意と苦手がはっきりする、か。治癒以外の魔法がほとんど使えないって、ケビンを思い出す。
あるいは神官魔法って力が奇妙な形で顕現しちゃっていて、解釈がズレているからそういう状況になる、とか、そういう可能性もあるのかな。
気になったので神殿長にそれを聞いてみると、神殿長はそうですねえ、と頷いた。
「確かに、その可能性も何度か研究が行われていたと思いましたが、芳しい結果は出なかったそうです。当時は『神授』が現代よりもさらに少なかったと言われていますから、余計かもしれませんね」
神殿長はそう纏めると、ぱたん、と本を畳む。
「神官オース・エリ。今回はお手柄です。あなたが望むならば褒美を取らせましょう。実家に数日帰りたいだとか、そう言うのでも構いませんよ」
「あー……。それは遠慮します」
「おや。そろそろ家が恋しくなりませんか?」
「なりますよ。でも……、戻ったら、シリス・ウェロの事が聞かれると思います。僕にはそれを隠し通せるかが解らない」
ならばやめておきますか、と神殿長は言い、「とはいえ」とすぐに言葉をつないだ。
「何も褒美を取らせないわけにも行きませんね」
「なら、神殿長。この神殿にある本を読む許可を貰いたいのです」
「本を読む許可?」
「はい。書庫があるじゃないですか。そこにある本を、折角だし全部読んでみたいなって……、駄目ですか?」
「……駄目、とは言いませんが、条件があります。書庫から持ち出さない事。そして、そこで読んだ内容は、私が許した時以外は、私以外には内緒にすること。いいですか?」
「わかりました」
その程度の条件で良いなら安いものだ。
僕は頷くと、神殿長はうすら笑みを浮かべて小さく呟いた。「命令する手間が省けました」と。
それは聞き逃しそうな一言だったけど、恐らく意図せず声に出てしまったのだろう。忘れることはできないけど、聞かなかったことにしよう……。
「他には何かありますか?」
「いえ。その本の返却が目的でしたから」
「そうですか。では、そちらに置いてある装束を持って戻って良いですよ。今日は休息日ですから、ゆっくりと休むように」
「はい。でも、装束……ですか?」
指が刺された方を見て見ると、そこには五着の装束が。
白衣装束が四着と、黒衣装束が一着。
「昨日あなたが着た黒衣装束も含めて、合計六着です。あなたはこれから神官として神殿で活動するのですから、正しい装束で生活を送ってください。通常は白のものを着用し、指示があれば黒ですね。休息日は部屋着でも構いませんが、指示があった場合や、休息日でも正式に神官として活動をする場合は、かならず着用して下さい」
「解りました。洗濯は?」
「これまでと同じで、時間になったら洗濯を担当する者が受け取りに行きます。そこで渡してください。下着なども含めて、衣服の大きさが合わなくなったらその人か、私に直接言ってくださいね。新しいものを用意させます」
はい、と答えて僕は一礼し、装束を手に自室に戻ることにした。
途中で何人かの神官とすれ違う。その時お辞儀をすると、神官たちはなぜか距離をとってお辞儀をした。
はて?
「あの。なんで距離を取るんですか……?」
三人続いて距離を取られたので、恐る恐る聞いてみる。
するとその神官は困ったような表情で言った。
「その手に持っている装束、高位の神官のものですから。私のような一般の神官よりも偉いのです」
「高位?」
そういえば金色の縁取りがされている。
これが違いか。
あんまり意識して無かったな。
「まあいいや。教えてくれてありがとうございます、神官ラシェ・ホート」
「…………」
神官さんは驚いたような表情で僕を見る。
あれ?
「間違ってました?」
「いえ、確かに私はラシェ・ホートです。ただ、三か月ほど前に一度だけ名乗っただけなので、忘れられているかと……」
「でも、神官ラシェ・ホートは僕の事を知っていますよね?」
「この神殿であなたの、六歳の幹部たる神官の事を知らない馬鹿は居ませんよ」
それもそうか。
その後世間話を少しだけして、僕は自室へと戻るのだった。
こぼれ話:
『神授』は魔法と極めて似た性質を持ちますが、魔法と異なり原則、魔力を消費せず、また厳密には魔法では無いので、『反魔』などを貫通しますし、『分散』『遷象』などの対象とする事も、原則は不可能であるとされています。




