49 - 実務と幼い祐筆のこと
神殿においては一応、外向きのアピールとしての神官として仕事を行う事がある。
死者を弔ったり貴族や要人の傷をいやしたり、ギルドの依頼を受けて冒険者のフォローを行ったり、その業務は様々だ。
とはいえ、神官の現実を知ってしまった僕としては、どうもそれらの行為がビジネス的な考えに見えてしまう。
まあ、事実ビジネスに違いは無いとはいえ、オースになるまでは神官ってもうちょっとこう、慈悲にあふれた……。
いや、ケビン見ると全然違うなその印象。今さらだけど。
閑話休題。
今日行わなければならない仕事は、しかしそういう外向きの仕事では無く、もっと実務的でかつもっと切実な意味の強い、各神殿の神殿長級の定例会だった。
神殿長級の定例会というのはその名の通り、現在この世界に存在するアリト、ルブム、レーロの三神殿の神殿長、もしくはその全権大使が参加する、定期的に行われる会議で、新たな神官の着任や殉職者の報告はもちろん、幹部級の重要な人事で変更があれば、ここで情報を交換したり、場合によっては挨拶をさせることもあるらしい。
ちなみに定例会は持ち回り、隔月で開催される。順番はアリト、ルブム、レーロ、アリト……という感じで。
臨時で招集する事もあり、そういう緊急を要する場合は、当然招集した神殿が準備を整えなければならない。
今回は臨時では無く定例会で、かつ持ち回りの順番が僕が所属するアリト神殿だから、僕たちの神殿長は当然参加。レーロも神殿長本人が参加するべく、三人ほどの神官を伴い今朝の早くに到着していた。
一方でルブムの神殿長は欠席。ちょっとルブムでは厄介な事が起きているらしく、全権大使の代理として、ルブム神殿奉公衆筆頭が、こちらは一人の神官を伴って昨晩に到着済みだったりする。
尚、定例会は原則、その衣装は正装である白衣装束を用いる。しかし今回、議場に入る事が許された者たちの全員が黒衣装束を纏っていた。
当然それは、原則から外れた例外が起きていると言う事を意味する。
議場に置かれた卓は三角形で、それぞれの辺に神殿長が座る席が用意されている。また、それとは別に各神殿から定例会や緊急招集の議事を記録する者が座る席が用意されているのだけど、そこに座っているのは僕だけだった。他の皆はメインの卓、それぞれの参加者の斜め後ろに立っている。こっちに座ればいいのに。
「準備はよろしいようですね。ただいまより神殿長級定例会を開始いたします」
神殿長が、あの透明な杖でこつん、と床を叩いて宣言した。
自然、会場の視線が神殿長に集まった。
今日の議題は主に三つ。
これに加え、各神殿における人事や任官などの報告は別に時間を設ける事になっている。
一つ目の議題は、最初から僕たちの黒衣装束の原因となった問題だ。
「ルブム国第一王子の暗殺事件について。ルブム神殿奉公衆筆頭、説明をお願いします」
「はい。ルブム神殿長に代わり、全権大使として説明させていただきます――」
ものすごく複雑なので単純化すると、ルブム国には三人の王子、王位を継ぐ可能性がある者がいた。
その第一王子は政略面でも実力面でも共に非の打ちどころなく、また立場的にも『第一王子』の名が示す通り、最も年長である。
よって、よほどの事が無い限り、彼が王位を継ぐだろうと誰もが考えていた。
しかし、その第一王子は確かに最初に産まれた王子ではあったけど、側室の子だったのだ。
正室が産んだ男子は第三王子であり、能力的には並程度。
もちろん、正室の子なだけあって、国民からの人気だけで言うならば第一王子をも凌駕するほどであるけれど、逆に言えばそれしか取り柄がなかったとも言う。
じゃあ第二王子はどうだろうかとみて見ると、その評価は『第一王子の劣化版』である。但し、その『第一王子の劣化版』である第二王子でも、実は他国と比べるならばかなり優秀な部類であり、そんな彼よりも第一王子が優秀すぎたことが状況を更に複雑にしていた。
第二王子も側室の子であり、『正室の子』という人気を持ち正当な血統としての第三王子に人気面では絶対に敵わない。
また能力で見ても、第一王子と比べて、唯一勝っているのが『若さ』だった。
つまり第二王子が国王になるためには、少なくとも第一王子が何らかの理由で退場し、その上で第三王子との席の取り合いを制さなければならないわけだ。
席の取り合いにおいて必要な実力は、第三王子と比べれば僅かに勝っていたから、恐らく第一王子が退場した場合、第二王子がそのまま王位を継承する可能性が高い。第一王子と比べれば劣ると言うだけで、第二王子の能力は低くないし、人気だけでは国がなりゆかないのもまた事実なのだ。
……なんだか背景の説明を聞いているだけでも結構長いのだけど、ここでそのイベントが起きてしまう。
第一王子が暗殺されたのだ。何ものかの手によって。
ルブムの神殿長代理がそんな説明を終えて数秒置いて、こつん、と神殿長が杖で床を叩くと、レーロの神殿長が口を開いた。
「第三者の介入……第二王子、第三王子共に犯人でない可能性は?」
「否定できません。もし第三者が犯人である場合でも、第二王子としてはそれを証明しないかぎり難しい選択を迫られるでしょう」
レーロの神殿長の確認にルブム神殿長代理は力なく答える。
本当に面倒な状況だ。
「まあ、さほど問題は無いでしょう」
と。
我らがアリト神殿の神殿長は軽々しく言う。
「本質を見誤ってはいけません。我々神殿は国の政治には一切関与しない。それが方針である以上、誰が王になろうがなるまいが、国が栄えようが衰えようが、どうでもいいのですよ。ただ依頼があれば、取引の為にも国葬などをお手伝いするだけです」
政治は政治、国は国。
僕たち神殿にしてみれば、神殿で起きた暗殺ならば捜査や追及もするけれど、そうでないならどうでも良い。
理屈の上では確かにそうだ。人としてはどうかと思うけど、神官としてはこの上なく正しい。
そんな神殿長の言葉に、それもそうか、と他の神官たちもあっさりと思考を放棄したようだ。
さっきまでは謎解きムードだったのに、一瞬でそれが根本的に無くなってしまった。
「手伝いと言う意味で、ルブム神殿は神官を派遣するのだろう。結局何人出すのだ?」
「慣例に則り、十八名。内八名が幹部、神殿長も含みます。その準備のため、今回は定例会を私に一任された形です」
「まあ、妥当だな」
レーロの神殿長は神妙に頷いた。
そして「では、この議題についてはこれで終わりとしましょう」と我らが神殿長は無感情に話を進めた。
もしかしたら犯人に目星がついているのかもしれない。
「次に、カンタイからの要請について、レーロ神殿長から報告があるとのことですが」
「うむ。五年前から継続して行われていた神官の派遣要請を断り続けていたのだが、愈々金を積んできたよ、あそこも。前金で金貨五千万枚……」
「論外です。まさか耄碌していませんよね、レーロ神殿長」
「そこまで耄碌する前には引退するさ」
軽口をたたき合う二人の神殿長。
カンタイ……か。しかし前金で金貨五千万枚は大きい気がする。
参考の数時としては、アリト神殿の今年の年間予算として計上したのが金貨八千九百万枚だから、受けても良いような気がするんだけど……。
「とはいえ、最初に金貨五千万も積まれると、多少心が揺らぐ馬鹿が出てきていてな。あとで詳細は名簿を渡すが、そういう馬鹿の降格と、それに伴う穴埋めの人事を行っている。手数はかけるが、確認を願いたい」
「それは構いません。降格したお馬鹿さんはどうされているのですか?」
「紐をつけておいた。神殿内部にも仕事はある」
うわあ。
『紐をつける』という言葉を神殿が人事に対して使う時というのは、監視を付けるの上位版、みたいな感じだ。
具体的には神殿内部で行われる業務の一部を神官として、神官以外の者たちを纏める立場として行う格好になるんだけど、当然その立場と言うのは結構高い。
ようするに『問題を起こしたけど明確な処分とはしたくない程度に手放したくない優秀な神官』が付くポジションで、仕事が神殿内部で完結する上に忙しいので神殿を出る事すら難しくなるわけだ。もちろん、働きが認められたりしたら元の役職に復帰できる可能性がそこそこ高いので、これで自棄になる人は殆ど居ないらしいけど。
「俺からは以上だ。次に議題に進んでもらって構わんぞ」
「はい。では最後の議題、かねてよりの懸案であった『千夜百行』に関して。レーロ神殿長、解読はどれほど進みましたか?」
「三割弱と言ったところだな」
『千夜百行』は神殿が行う大きな行事の一つ……だった、らしい。
その記録は断片的にしか残っていないのだけど、世界中を神官が三年ほどを掛けて旅をすることで、その神官にさらなる力を与える儀式である、と考えられている。
曖昧な表現になってしまっているのは、そもそもこれがもっとも最近に行われた事でさえも数百年前であり、正しい記録が少なくともアリト神殿には無いため。正確な記録はレーロ神殿にしかない、らしい。
「現時点で解読できている部分からほぼ確定だろうと考えられているのは、『各神殿につき一人を出した合同部隊による旅である』こと。但し前回に行われたのが『乱』の前だからな。丁度いい人数がそれだったのか、それとも各神殿が出す事に意味があるのか、あるいはその両方なのか……。詳細の解読はできていない」
おい、とレーロ神殿長が後ろに立っていた神官に声を掛けると、その神官は六冊の本を包みからだし、各神殿長の前に二冊ずつ置いた。
「このままレーロだけで解読を進めても時間がかかる。そもそもそれを実際にやらなければならないのか、それとも任意の修行なのかもわからん。そこで今回、写本を用意した。朱の背表紙が原本、藍の背表紙の方はそれを翻訳しようとしたもの……さっきも言った通り、まだ三割弱しか解読できていないから、空白のページが大半だがな。これは口伝書と同等のものだ、この部屋に入れる者を信頼して託そうと思っている。当然、レーロでも解読は進めるが」
「なるほど」
ルブム神殿長代理は頷くと、藍色の背表紙の方を開いて軽く中を確認しているようだった。
一方で我らがアリト神殿長はというと、少し難しい表情で二つの本を眺めている。
「……まあ、次回持ち越しですかね。検証も必要ですし」
「そうなるな」
「では、そのように。但し、何らかの躍進的な解読が進んだ場合は、秘匿魔法ですぐに知らせるようにしましょう」
「というと、アリト神殿長は心当たりがあるかね?」
「明言できませんね。可能性の段階ですから……ただまあ、努力は約束します、レーロ神殿長。ルブム神殿長代理、ルブム神殿は何かと忙しいと思いますが、そちらもお願いします」
「はい。確かに」
さて、と神殿長は区切り、透明な杖で床を叩く。
「これにて予定していた三つの議題は終了しました。各神殿は人事などの報告があればそれをどうぞ。アリト神殿の人事移動はリストを用意しましたので、お手元のものご参照ください」
すでに配布済み。そこには僕がアリト神殿於右筆という立場についた事も含めて、色々な人事の変更が書かれている。
「こちらもリストを用意してある」
レーロ神殿の、先程本を取り出した神官とは別な神官が羊皮紙を取り出し、本と同じようにそれぞれに置いた。
「ルブムでは特に大きな人事の変更はありません」
ルブムの神殿長代理がそう言うと、すっと目を細めて、我らがアリト神殿長は笑みらしきものを浮かべて告げた。
「では、以上を以って定例会を解散します。この後、会食の準備もしてありますので、よろしければ」
こうして、神官となったオース・エリにとっての最初の実務は、結局一度も発言せずに終わったのだった。
補足:
主人公がついた役職名は右筆で、タイトルの祐筆とは基本的に同じものです。
タイトルを右筆にしたほうが本来は良いのでしょうが、やっぱりしめすへん入れたい、けど本編では入れられない、といいう葛藤の末タイトルにおいてのみしめすへんをつけました。
割とどうでも良い。




