22 - 魔物のいろはと考えのこと
「ここをお前の部屋として使うが良い。一応、文献に基づいて人間が用いる道具の殆どは揃えてあるつもりだが、足りないものがあればヴァイセに言ってくれ。調達しよう」
話が一区切りした後、僕は自分の部屋として砦の一室を貰った。
大きなベッド、椅子、机、鏡台、姿見、洋服棚、その他もろもろ小物も含めて、そこに置かれているものはとても清潔だった。
なんというか、もう少し環境的には悪いかなと思ったんだけど、およそ生活に必要なものは一通りそろっている。
部屋の広さも十分で、扉があるからなんだろうとあけてみると脱衣場、その先には二つの扉。一応確認してみれば、トイレとお風呂だった。
一通りそろっているようだという前言を撤回、ちょっと揃い過ぎてて困るレベルに達している。
この部屋、宿屋の中でもトップクラスだろうし、個人用のトイレと風呂がついた屋敷の一室って感じになっている。
照明器具はないけど、まあそのあたりは魔法でセルフサービスって所だろうか。お願いすれば用意してくれるだろうけど、特になくても問題ない。
「ヴァイセ。飲み水とかはあるかな?」
「こちらに」
そう言ってヴァイセは僕に大きなガラスの水瓶を指差して知らせた。
「井戸は部屋を出た中庭に。申しつけられれば、こちらで用意するが」
「ああいや。井戸があるなら、自分でできる。ありがとう、ヴァイセ」
「うむ」
ところでヴァイセはどうするんだろう。
僕の護衛とか言ってたし、一緒にこの部屋かな?
と考え始めていると、
「それでは、こちらは身を隠そう。護衛は確かに行うが、私生活とやらに干渉はするなとのお達しを受けている。では、何かあればこちらを呼んでくれ」
と言って去って行った。
どうやらクリアが伝えておいてくれたらしい。
まあ、どこまでそれを護ってくれるかは別問題にせよ、配慮をしてくれていると言う事だろう。
たかが人間の子供一人に対してはちょっと待遇が良すぎる。
クリアと名乗るあの魔物の戯れがその多くは占めているのだろうけれど、いくら戯れとはいえここまでするだろうか……かといって本気でするとも思えないし、やっぱり戯れだろう。
僕は水瓶を手にとって、とりあえず井戸へ。言われた通りに井戸は部屋から出てすぐのところにあったので、水を汲み、『水質浄化』の魔法を掛けて持ち帰る。
とりあえず机の上に置いて、僕は着替えとして渡されたローブと、備え付けのタンスにあったタオルを手に取り、お風呂場へ。
ちなみに先程お風呂は宿屋に置かれているような簡易の湯船ではなく、まさかの大きな温泉だ。大体部屋の半分ほどの広さがあり、これだけでも大概豪華なのだけど、お風呂自体に温泉が掛け流しになっている。控えめに言っても贅沢だ。
なんというか、僕一人で貸し切るには勿体ない待遇なんだけど……。どうも魔物が参考にしたであろう人間の生態としての資料、間違ってる気がするなあと思う反面、こんな贅沢ができるならそれはそれで良いかと思った。
「考えも整理したいし……ね」
理由づけ終わり。
僕は服を脱いで籠に入れておき、お風呂場に入ってお湯の温度を確かめる。ちょっとぬるめかな? まあ、このくらいの温度だと長湯できてよさそうだ。
お湯を浴びて身体の汚れを払ってから、僕は愈々温泉につかる。
うーん。気持ちいい。
「んっ……くー」
温泉自体も少し泳ぐ事ができるほどの広さで、深さは座ると丁度僕の肩までつかる。深さの一致は偶然だろうけど、なんとも丁度いいと言わざるを得ない。
全身でお湯に浮かんでみたりしても、咎める他人もいないので、もはややりたい放題といった感じだ。なんか今なら何をしても許されるような気がする。
ふむ。
…………。
僕は周囲の気配を辿り、お風呂場の内部だけに限定して『魔探』を行使、特に反応が無い事を確認して、ちょっと余裕も出てきたし、試しておくことを試しておく。
暫くの後、概ねを理解する。一番近いのはラス・ペル・ダナンか。シーグほど身体は成熟していない。これはこれで良いけど、時と場合は選ばないとね。
さて、なんだかしょうも無い事に時間を掛けてしまったので、ちゃんと考えを整理しよう。
まず、あのクリアという魔物について。
いや、クリアに限らずヴァイセ、そして既に滅んでしまったというか僕が滅ぼしたんだけど、シュバルも含めて、僕がノアとして見た三体の魔物について、僕は考える。
どれもこれも見た事が無い、知識にも無いような魔物たちだったけれど、概ねの系統は理解できた。
ドッペルゲンガーという魔物がいる。その魔物に彼らは良く似ていて全く違う。そう言う種族なのだろう。
本来ドッペルゲンガーは、人間に化けて人間に成り代わるという奇妙な魔物なのだけど、彼らは人間に化けるのではなく、人間を含む何かに憧れる魔物だ。
本当の意味で彼らは人間を尊敬している。それは事実として認めていいと思う。
但し、それ以上に彼らは魔物としての自分に誇りを持っていた。
だから彼らはそれぞれ、自分の肉体を持っている。成り代わるのではなく、自分の形を作ろうとしている。
彼らは魔物でありながら、人間に混じりたいと思っているのだ。人間に混じる。それは人間に成り代わるドッペルゲンガーと、結果を見れば似ているかもしれないけど、本質的に別物だ。
「…………」
だからと言って彼らが、クリアたちが『安全な魔物である』とは断言できない。
今はまだ凶暴な側面を見せていないだけで、今はまだ優しいような一面が見えているだけで、凶暴な面もあるだろうし、彼らにだって人を殺した事くらいはあるだろう。
でもそれは人間だって同じことだ。人間だって人間を殺す。人間にだって危険な一面がある以上、魔物だからどうと考えてはならないのだろう。
返す返すも、シュバルという魔物を殺してしまった事が悔やまれる。いやあの状況では、殺す以外の選択肢は無かったんだけど……。
「んー……」
覆水盆に返らず。
いくら悔やんでも仕方が無い。
だから今は、クリアの言葉から垣間見える、人間と魔物の関係を読み解いてみる。
人間として、魔物とは敵であって、それ以外のものではない。原則として魔物に言葉は通じないし、言葉が通じるような魔物は最高位。それが少なくともシーグやシーグが会ってきた者たちにとっての常識だったのだ。
敵であるから殺すべきで、言葉を交わす余裕などなく、故に刃で語るのみ。それが人間にとっての基本姿勢、それは恐らく違いない。
けれど魔物にとって人間は、どうやら敵ではないらしい。地上に存在する生命の中で、少し抜きんでた勢力を持つ存在。その程度の認識だ。
だから魔物は、あえて人間を襲っているわけではない。多くの魔物は単に全ての生き物を襲っているのだ。
僕がウサギを食べたように、人間は動物を襲うことがままある。それと本質的には変わらないということなのだろう。
ちなみに魔物に食事は必要ないんだとか。空中に漂う『スイソ』とかいうものを使ってエネルギーを産み出しているらしいけど、人間にその『スイソ』なる概念が無いので、このあたりは良くわからなかった。一応補足された感じによると、食事をするまでも無く、ただ存在するだけで動くだけの力は持てるんだとか。とても便利な身体だと思う。
それじゃあ何で他の生き物を襲うのだろうかという疑問は産まれるけど、それに対する答えも既に貰っている。
即ち、
『我々魔物は、成長をするために、駄目もとで生き物を襲っているのだよ』
ということだ。
魔物は原則成長できない。それが魔物と言う存在の根底にある。クリアはそう断言した。
その上で、多くの魔物は成長に憧れる。成長したいと願っている。
だからもしかしたら成長するかもしれないと言う奇跡を、特に信じているわけでもないけど、他に手もないので襲う事がある。
ちなみに、取り込みなどは『工夫』の範囲に過ぎないらしい。魔物の力が実際に上がるわけではなく、人間に表現を合わせるならば、武器や防具を装備する、その程度の感覚なのだとか。
そんな感覚で取り込まれた人間としてはやってられないけど、思いのほか腑に落ちるような気もした。
シーグを取り込んだ魔物はシーグの力の増強したかのように動いたと言う。それは、シーグと言う武器防具を装備したから、シーグと言う戦い方ができた。
そう言えない事も無いのだ。
そしてもう一つこれには理論がついてくる。取り込みできる量には限界があると言う定説だ。
一人の人間が装備できる武器や防具は、多少の工夫はできても限度がある。つまりそう言う事なのだろう。
で、魔物同士で戦う理由についても教えてくれた。
『魔物同士が戦う場合は若干意味合いが変わってくる。気に入らないから戦う、それが大半だ』
このあたりは人間と大差が無いらしい。
なんだかんだと理由を付ける事はできるけど、その根底には相手が気に入らない、相手を屈服させたい、相手を滅ぼしたい、そういう原始的な衝動が実際なのだそうだ。
まあ、流石に身も蓋も無いということで、クリアもこれには補足をしている。
『魔物は死んでから暫くすると新たに産まれる。この時、産まれる魔物の強さは、その前の散り際に左右されるのだ。激しい戦いで死ねば大抵強くなれるが、どうしようもない事で死ねば弱くなる。我々魔物は成長できないが、そういった変化はすることができる』
散り際によって次が決まる。
それを聞いた時、僕はつい、聞いてしまった。記憶はどうなるのだろうかと。
『いや、記憶は完全に無くなっておるよ。ただ、自分がどのような魔物であるのか、そしてどのような事ができるのか。それを知っているだけだ』
シニモドリとは大分違ったルールがそこにはあるのだろう。
というか、シニモドリが大分違ったルールに立っているんだろうけど……。
そしてその答えを聞いて、僕はさらに疑問を抱く。ならば王とはなんだろう?
その問いにもクリアは答えてくれた。
『王とはそれぞれの眷属を従えるものだ。たとえば私とヴァイセは同族だし、私が従える全ての配下は同族だ。つまり王とは、その眷族に置いて最も強いものを指す。事が多い』
事が多い。
つまり例外もそれなりにあると言う事で、たとえば眷族間で対立する種族も居るし、複数の眷族で一つの生態系を持つ事もあるんだとか。
規模や名前を変えただけで、対して人間とやっている事は変わらないのかもしれない。
人間である。人間ではない。同胞である。同胞ではない。
そこに線引きをしているのは。
人間だけなのではないかと、僕は思った。
こぼれ話:
『覆水返盆』という、こぼしてしまった液体を元の器に戻す便利魔法が存在します。
魔法があれば覆水は盆に返るのです。何を考えてこんな魔法を作ったのか、実際に作ったとされる人物に聞くならば、きっと彼女はこう答えるでしょう。
「だって、あったら便利じゃない!」と。
余談:
この話の公開日に筆者が誕生日を迎えました。
一年ってはええ。




