20 - 魔物の意地と理念のこと
僕を呼びとめたその声は、とても奇妙な声だった。
「そこのお前」
木々の生い茂る山、の中腹ほど。川沿いにその森を下っていた僕の横から、その男なんだか女なんだかわからなような声がした。
男でもなく女でもない。かといって子供の声と言うわけでもない。
なんだか男と女が同時に喋っているかのような、そしてその声が混じっているかのような、どうにも正体が知れない声だった。
「おい。何そのまま立ち去ろうとしているのだ」
「何って……。知らない人に声を掛けられて立ち止まるのもあまり褒められた事じゃないし」
僕は渋々、その声がしたほうを見る。
案の定、と言うべきか。
そこには、のっぺりと白い、鳥のような形の何かがいた。
「まして魔物に声を掛けられたら、普通の人間は逃げるって」
「…………」
そののっぺりと白い鳥のような形の何かは、間違いなく魔物だ。
先程の黒い人型の魔物とは違い、目らしきものと口らしきものはある。耳らしきものや鼻らしきものは無いけど、まあ鳥だしな……。
実はちょっと手前のあたりで『魔探』に引っ掛かっていたので、警戒はしていたのだ。
普通に話しかけてくるとは思わなかっただけで。
「まあ、いいや。か弱い人間の子供に何の用事かな、魔物さん。やっぱり僕を殺したいわけ?」
「か弱い……?」
思いっきり疑うような視線を受けた。
はて、この魔物は初めて僕と直接会うはずだけど……もしかして『魔探』が気付かれたのかな?
だとしたらちょっと問題だ、『魔探』は魔物に気付かれないタイプの魔法だからこそ、魔物探知魔法の決定版と言われているのである。
もしかしたら『魔探』に反応したのじゃ無くて、『全ての魔法』に反応するタイプの魔法を使っていたのかもしれない。例えば『反魔』とか。それは僕も使えるし、使っている。
「シュバルを汗もかかずに無傷で滅ぼしておいて、か弱いはないだろう」
「……シュバル? って誰?」
「人型の黒い同胞だ」
ああ、あの魔物、名前あったんだ。
ていうか、なんでそれを知っているんだろう。あの場を見られていたってことだろうか?
方法は……人間だと難しいはずけど、魔物はそのあたり理不尽に得意だからなあ。
それこそ黒い魔物の視界とこの白い魔物の視界は同調しているのかもしれない。そういう魔物は珍しくないし、同胞と表現している感じからしてもあり得る。
「我が名はヴァイセ。故あって我らはこの地に居たのだが……」
白い鳥のような魔物、その言葉を信じるならばヴァイセというのが名前らしいが、どうやら敵意は無いようだ。
僕は臨戦態勢をそのままに、とりあえず話を聞くことにする。
話し合いで解決できるならそれに越したことは無いのだ。
大体、平然と意志疎通してる時点で、この魔物はかなり高位の魔物っぽいし……。
「問わせてもらおう。何故お前は我々と会話が出来るのだ?」
…………?
「何故って、そっちが解る言葉で話してくれてるからじゃないの?」
「確かにこちらも努力はしているが……いや、そのような話では無い。何故お前は逃げないのだ?」
…………。
「何故って、そっちが呼びとめたからじゃないの?」
「確かにこちらも呼びとめたりはしたが……」
白い魔物、ヴァイセは困惑を浮かべている。
正直困惑したいのはこっちなんだけど……。
「質問を変えよう。お前は魔物が怖くないのか?」
「え、怖いに決まってるじゃん。僕まだ生きていたいし。だからいざとなったら『矢弾』で攻撃するけど」
「…………」
あ、一歩下がられた。
どうやら僕の『矢弾』、この魔物にも通用するようだ。
「でも今のところ、そっちに僕に対する敵意はないみたいだし……。話し合いで解決できるならそれが一番。僕はそう思ったんだ」
「……そ、そうか」
動揺しながらもヴァイセは答える。そこには魔物の意地のようなものがあるのかもしれない。
「で、僕に用事があるのは、それだけ?」
「…………」
ヴァイセは首……? まあ、首のようなところを傾げてしばし沈黙する。
折角だから聞いておくか。
「か弱いかどうか、はこの際だから、拘らないけど。でも僕は人間であることに違いは無いから、早い所食べ物を安定して手に入れられるように、何とかしないといけないんだよ。そんなわけで、魔物の君なら、近くに神殿があるかどうかとか、知らない?」
「神殿……? 神殿とはなんだ? それは人か、それとも場所か?」
はて?
魔物は神殿を知らないのだろうか、それともこの周囲には神殿が無いのか?
「神官は知ってる?」
「神官……どのようなものだ? それは人か、それとも場所か?」
「神官は人の種類の一つかな。治癒魔法が使える人たちのこと。実際にはもうちょっとこまかいらしいけど」
「ああ。我らにとっての天敵の事だな」
どうやら魔物にとって神官は天敵らしい。
そりゃそうだろう、『浄化』とかもそうだし、魔法を抜きにしても神官は基本的に儀礼済み兵装を持っている。
魔物に対して絶対的な優位を持つ、それは一つの真実だ。
「神殿はその、神官を育てる場所でね。いろんなところにあると言う話を聞いたことがあるのだけど、あいにくと僕はそれがどこにあるのか解らなくて……。で、知らない?」
「心当たりならばあるが……そこを教えたとして、お前はどうするつもりだ」
「どうするもこうするも。僕も神官になろうかなって」
「……仮定の話とはいえ、シュバルを片手間で滅ぼす力を持つような者にさらなる力を与えたいわけがないだろう?」
言われてみればそうかもしれない。
「ちぇ。仕方ないか。じゃあ、自分で探すよ」
「待て。教えないとも言っていない」
あれ?
この魔物、まさかのやさしい魔物なの?
「神殿とやらの場所を教えても良い。ただし条件がある。こちらの願いを一つ、聞き届けてもらいたい」
魔物の願い……?
生贄かなにかだろうか。お伽噺ではよくある話だけど、そんな提案を呑むわけがないのは知っているだろうし……。
聞くだけは聞いてみよう。できるかどうかはその後に判断すればいい。
「それは?」
「我らの王に会ってもらいたいのだ。我らの王は、人間との対話を望んでいる」
王……。
魔物の生態系には謎が多いけど、いくつか知られている事もある。
たとえば、主従関係。魔物は別の魔物との間に主従関係を持つ事が往々にしてあって、当然力が強いものが上に立つ。
王という表現はあまり聞かないけど、どう考えても結構な実力者である可能性が高い。
「それ、僕死ぬやつじゃない?」
「対話を望む限りにおいて、その安全は保障されるであろう」
つまり対話を止めた瞬間に殺されると。
好き好んでそんな危険な場所に行きたいと思う人間はそう居ないと思う。
「それに、こちらも最大限そちらに配慮は行う。そちらの生命が守られるよう、こちらは全力を尽くすだろう」
言葉にウソは感じられないけど、魔物の言葉をどこまで信じていい事やら……。
ここは断るべきだろう。
僕が断りの言葉を発そうとしたまさにその瞬間、魔物は囁いた。
「もちろん人間の食事も用意しよう。住居も人間のものに似せたものがあるし、衣服も用意がある」
それは魅力的な提案だった。
衣食住。今の僕に大切なものだ。
神官になれるかどうかも解らずに、どこにあるのか見当もつかない神殿を探すくらいなら、とりあえず目先のご飯とベッドと服が手に入れる方が賢明な気がする。しかも上手く事が運べば神殿の位置も教えてもらえる。
もちろん問題もある。魔物の言う事を何処まで信じていいのか。僕の安全を保証するとは言ってくれているけど、あくまでも対話を望む限りにおいてだ。僕が魔物側のオーダーに答えられなかったら即座に殺されかねない。
「……僕は、さっき、別の魔物を殺しちゃってるんだよね。シュバルって言うんだっけ。その辺、僕は魔物的には同胞を殺した、君達にとっては仇じゃないの?」
「仇……、ああ。それは人や獣にある概念だな。だが、こちらに仇の概念は無い。己から戦いをしかけた相手に対して敗北し滅んだのだとしても、それはそのものが己の力を誤り逸っただけだ。それは単なる失態であって、失敗に過ぎないのだ。何故それを、他のものが取り返さねばならぬ?」
根底的な部分での考えの違い。
種族的な違いなのか、それとも単純な社会的な価値観の違いなのかもしれない。
とはいえ都合は悪くない。
「それで、解答は如何に? 我らの王と会ってもらえるだろうか?」
そして状況も悪くは無い。
衣住はともかく食には本気で困っていたのだ。
「解った。僕程度の子供が何ができるとも思えないけど、ついて行くよ」
「感謝する。名を聞いても良いか?」
「ああ。そういえば名乗って無かったか……ごめんね、失礼だった。ノア。ノア・ロンドだよ。呼び名は、ノアで良い」
かくして僕は、ヴァイセの声に従い、ヴァイセの背中に乗る。
ヴァイセはそのままふわりと飛んで、魔物が言うところの王の居城へと移動した。
こぼれ話:
『魔探』の魔法に良く似た魔法として、『魔物探知』や『表示型魔物探知術式』、『簡易詠唱表示型魔物探知術式』があります。
これらは本質的に同一の魔法であり、『魔物探知』をベースとして、『抽出』(自由度と難易度が上がり文字数を削る)、『追記』(自由度と難易度が下がり文字数が増える)をした結果発生した魔法で、一応全ての種類に魔法書は存在します。
設定的には存在していませんが、『簡易詠唱表示型魔物探知術式』に更に『追記』をしたら、ものすごくあたまのわるい名前になりそう……。




