19 - 奇妙な魔物と取引のこと
近くにいる魔物三体のうちの一体がこちらに近づいている事に僕が気づいたのは、当然、『魔探』の魔法によるところが大きい。けどまあ、それと同じくらいに予想はしていたことだった。
シーグは冒険者として、こういうシチュエーションのとき、どう魔物が動くのか。それを経験則として推測で来たのだ。そしてそれが経験則である以上、完全に記憶を持つ僕にも同じ事ができるのは道理である。
ウサギの肉を焼いた時、当然煙が上がっているから、それに気付いた魔物は近づいてきた、そんな感じか。
視界にはまだ入らないけど、位置はわかる。だから魔法を使った攻撃ならば、実はすでに可能な状態だ。そしてそれが可能であるなら、当然それをするべきである。
けど僕は今回、敢えてそれを見送った。
僕が知りたいのは魔法ではなく、肉弾戦におけるこの身体の戦い方なのだ。
少なくともシーグが得意とした格闘は、その記憶はあっても、身体がそれについてくるとは思えない。この身体は、ノアは、兄弟と喧嘩をしたことがある程度なのだ。
攻撃力以前に非力だろうし、反応速度も遅いと思う。だからこそ、魔物にどの程度肉弾戦で戦えるのか、それを知らなければいけないのだ。
もちろん……危なくなったら魔法は使う。そこに迷いは無い。シーグだったころならケビンが居た。けれどノアにはシーグにとってのケビンが居ない。
治癒魔法は神官の専売特許である以上、僕がそれを習得するためには、恐らくシニモドリで神官にならないと無理なのだろう……と思考を進めて、僕はぽん、と手をたたく。
「そっか……何も冒険者に拘る必要は無いんだ。神殿に行って神官コースがある」
但し――神官になるには修行が必要で、その修行に臨むためには一定の条件を満たしていないと駄目なのだと、いつだったかケビンが語っている。
そしてその修行は幼いころからしていないと駄目なんだとか。その点十一歳というこの年齢は微妙なところだ、大丈夫かもしれないし駄目かもしれない。
でも治癒魔法覚えたいよなあ。今後も絶対役に立つし。
ただ、僕の年齢以外にも問題がある。近くに神殿があるかどうかだ。
結構そこらじゅうに在るみたいな話は聞くけど、ノアの記憶には無いんだよね……どうしたものかな、と考えていると、僕の前に魔物が現れた。
のっぺりとした黒い姿は人型で、しかしシルエットしかないためか、現実感がとても薄い。
シーグの記憶にも無い魔物だ。『魔探』の反応からしてそんなに強くないとは思うけど、あんまりなめてかかる事もできないな。
「さてと……神殿を探すにしても、この場を切り抜けないと駄目だ。気合い入れないと……ね!」
思いっきり踏み込んで、掌底による打撃を試みる。魔物は避ける必要も感じなかったらしい、特に動かずその一撃を受け止めた。
いや、それを一撃と呼んでいいのかどうか、僕には判断しかねるところだ。音が『ぺちんっ』だったし、ノーダメージだったのではなかろうか。
そして掌が痛い。
目が無い魔物から憐れみの視線が向けられているような感じがする。
「ねえ、魔物さん。僕の事見逃してくれたりしない?」
魔物はふるふる、と首を横に振った。ダメらしい。
「そっか。でも僕なんて食べても美味しくないし」
魔物はふるふる、と首を横に振った。そういう問題じゃないらしい。
「大体子供を襲ったところで、君が強くなるってわけじゃないし」
魔物はふるふる、と首を横に振った。諦めろと言う事らしい。
「僕たちは話し合いで解決できるはずだよ。だからね、話し合おう?」
魔物はふるふる、と首を横に振った。ていうか会話が成立しているのはどういうことだろう。
人語を解する魔物も居るらしいと言う話はシーグが知っていたけど、それこそ最上級の魔物くらいの筈だ。
この魔物が実は最上級の魔物である……ようにも見えないしなあ……。
「…………」
「…………」
僕は魔物を見つめる。
魔物に目はないので感覚だけど、なんとなく見つめられているような気がする。
「ねえ。正直に答えてほしいんだけど、僕に興味がある?」
魔物はくねっと首を傾げた。やっぱり言葉が通じているようだ。
「僕は正直、君にちょっと興味があるんだよね。魔物とお話ができるなんて思わなかったし……」
魔物はうんうんと首を縦に振った。魔物にとってもまさかの出来事だったらしい。
「君は、人間とお話しできるの?」
魔物はふるふる、と首を横に振った。じゃあなんで僕と話が通じているのだろう。それとも奇跡的に今まで言葉とリアクションが噛み合っただけとか? いやそれは無理があるよな……。
「よし。取引しよう。君は僕を殺さない。僕は君を殺さない。僕は君の事が知りたい。君も人間の事が知りたいよね?」
魔物はふるふる、と首を横に振った。あまりそのあたりは気にしないタイプらしい。参ったな。
「大体さ。僕は村で暮らすこともできなくなって、一人孤独に山登りなんて無謀な挑戦をしてるんだよ。その上で戦うなんて、僕にはとてもできないし」
魔物はふるふる、と首を横に振った。そして魔物が指を何かに向けた。そちらに視線を向けると、先程まで僕が食べていたウサギの残骸。
「あれは……、あれはそう、そう、偶然そういうものが落ちていただけ。僕は関係ないってば」
魔物はふるふる、と首を横に振った。そして今度は僕に指を向ける。視線を辿ると僕が着ている服には返り血が。ウサギを食べる時に当然血抜きとかはしたんだけど、その時に付着したのだろう。
ううむ。意外とこの魔物、話がわかるようでわからずやだぞ。
もう少し場の空気を読む努力して貰いたい。いや魔物に期待する方が間違ってるのは解っているけど。
そんなこんなで、魔物が腕を振り上げる。流石にこれ以上の問答は無理らしい。まあ、今までが奇跡的だったといえば奇跡だったのだ。
「交渉決裂。仕方ないか。『矢弾』」
僕は魔力を成型し、魔法の矢弾を作り上げる。その数は十八発。属性は念のため火、氷、雷、風、光、音の六属性でそれぞれ三発ずつにしておいた。
僕を取り囲むようなアーチ状に発生した矢弾は、その次の瞬間には魔物の身体を突き抜ける。と思ったら、雷属性の矢弾が無効化されてる。雷に耐性を持っていたらしい。保険を掛けて正解だった。
それでも十五発の矢弾をその身に受けた魔物は音も無く悶え、そして塵となって風に消えた。
呆気の無いものだ。やはりそれほど強い魔物では無かったのだろう。
「気になる事は増えたけど……さて、何から片付けるべきか」
やっぱり今の僕の身体、このノアの身体で肉弾戦は無謀そうだ。
魔法については問題ないし、ひとまずの安全が確保できるまではこちらをメインに使って行くことになるだろう。
戦闘の事は追々で良い。とりあえずは安定した食事の確保が最優先。水は最悪、水質浄化の魔法を僕は使えるので、雨水とかでしのげるし、本当の最悪ならば自分が出したものを浄化してから飲めばいい。本当に最悪のケースだからやりたくないけど……。
そう考えると川沿いに移動したいな。この山には川が流れているはずだ。ただし村からは少し離れていて、おかげで田畑に水を引くのが大変だったと、ノアの父親が言っていたのを思い出す。
今僕が居る場所と、村の位置。ノアの記憶にある地図らしきものは……ちょっと、大雑把過ぎて参考にもならない。これでは地図と言うより覚書だ。
まあ、まずは山頂を目指して、その後何かの魔法で……いやそれなら今この場で魔法を使って探知したほうが早いのか?
でも水源探知の魔法なんて都合のいい魔法、
「あった。『水木辿り』っていうのか」
シーグが一度だけとはいえ使った事があるらしいので、詠唱を破棄してそのまま発動。
頭の中に浮かんできたのは周囲の水場の位置情報、時間は五秒だけ。便利な魔法なのにシーグが使わなかったのはこの短い効果時間のせいらしい。けどまあ、僕、つまるところシニモドリの記憶力は完全である以上、問題がないので、今後活用することにする。
僕は川が有る筈の方角へと歩みを進める。結局は二十分ほど歩いただろうか、僕は目的通り小川を見つけることが出来た。
これを辿って行けば大きな川に合流できるはずだ。そしてそのまま川沿いに進めば、たぶん街か村があるだろう。直接川が接してないにせよ、道くらいはあるはずだ。
なかったらその時はその時考えよう。
少なくともこの時、僕はそう考えていたのだ。
こぼれ話:
この世界の魔法は、原則としてその魔法の『魔法書』を解読しなければ習得・行使することができません。
主人公も例外では無く、彼がこの時点で使っている魔法はそのほぼ全てが『シーグ』の記憶にあるものなのです。




