15 - 嫌な予想と強襲のこと
夢を見ている。
シーグとしての僕が、シーグとしての夢を見ている。
そんな夢を、僕は少し遠い所から見ている。
とても奇妙な感覚だった。
それが夢なのは明白だ。
それが身体の夢であるのも明白だ。
音が、色が、全てがどこかおかしくて……時折、世界が崩れている。
シーグはそれに気付いているのか、それとも全く気付いていなのか。
夢の中で、誰かと遊ぶ。
夢の中で、誰かと話す。
夢の中で、誰かと祈る。
それは幼いころのシーグと若いころのケビンの姿だと、シーグの記憶が伝えてくる。
その頃から既に、ケビンはシーグを護り始めていたのかもしれない。
はたしてケビンは、どうしてこうも、シーグに拘るのだろう。
『僕』にはわからない。
シーグにもわからない。
僕たちではわからない。
そんな夢を見ている。
僕は奇妙な違和感を感じて目を覚ます。
違和感。急に空気の触感が変わったかのような、それはそんなものだった。
がばり、とベッドで身体を起こすと、ほぼ同時にケビンも隣のベッドで身体を起こしている。
「おはようにしては早すぎるよね、ケビン」
「そうだな。まだ二時半だ。……シーグも感じたのか?」
僕は頷き答えると、ケビンは装備を指差した。僕も装備を整えるべく寝間着変わりのローブを脱ぐと、改めて肌に触れる空気の触感が明確に変わっているのを感じる。
そう、なにか嫌にざらざらとする、そんな空気だ。およそ尋常では無い。
装備を全て付け終えて、僕は全身を一応確認する。特に問題は無いと思うけど……いや、
「ねえ、ケビン。なんとなく身体が重いんだけど、僕だけ?」
「いや、俺も感じてる。……そうか、シーグも感じるか。ならば愈々まともな状況じゃねえな」
「心当たりはある? 僕には無いよ、当然だけど」
「…………」
ケビンは真剣に考え込む。その様子を見る限り、何かしら記憶に引っかかりがあるのだろう。
十数秒ほど待つと、「思い出した」とケビンは続けた。
「ラヘル城跡決戦と呼ばれる戦いが十年ほど前にあった。魔物と人間の戦いだ。俺は当時、まだ正式な神官じゃなかったけど、既に神官魔法の一部は使えたからな。そこで手伝い程度にだが参加してる」
ラヘル城跡……、シーグが生まれ育った街からそんなに離れていない場所にある古城のことだったか。
危ないから近付いちゃいけない場所、そう教えられていたのに、僕はケビンと二人でそこにこっそり遊びに行った事がある。特に何事も無く帰ってこれたんだけど、シーグが気付いていないだけで、ケビンがそれとなく僕を護ってくれていたようだ、と記憶から理解する。
……やっぱり危なかったってことじゃない?
まあいいや。
「で、その時にこれと似た現象が起きてる。空気がざらつく感触になって、その後……」
ケビンはそこで言葉を不自然に止める。
そして大きくため息をついて。
「まずいな。これがその時と同じ現象だとしたら、結界が発生していることになる」
「力場結界?」
「それの亜種だ。性質の悪さではこっちのほうが圧倒的に上だがな」
亜種……、やっぱりシーグも知らないな。
「端的に説明するぞ。これは『浸食結界』、と神殿には記録された現象だと思う。魔物が己の力を最大限に行使する場を力場結界とするならば、この浸食結界は己の力を最大限に浸食させる、食い込ませることが目的……。ラヘル城跡でこれを作った魔物は、呪いを振り撒くタイプの魔物だった。つまり領域を作りだし、その領域内部に居るものを呪いで蝕むのみならず、結界の名前が付いているように、『力場結界』よろしく壁ができるから、そこから抜けだすこと自体がちょっと大変って感じだ。もっとも、それによる呪いは大分弱めで、どんどん蓄積する感じだったのが救いだな」
ちょっと大変。
というか、それって普通無理なんじゃ……?
「今のケビンならその結界、壊せる?」
「どうだろうな。その一回しかそもそも記録されてない現象だから、魔物によって結界の強度に個体差があるのかどうかもわからない。ただ、例の魔物の力場結界くらいなら、シーグの魔力を借りて脱出する場所を作るくらいの事はできる」
「…………」
例の魔物。
浸食結界。
僕の中でその二つの単語が、嫌な形で合致する。
「ケビン。僕には確信が無い。けど一つ、嫌な予感がしてる。それを言っても良い?」
「ああ。少しでも今は可能性を手繰りたい」
「……記録にある魔物は呪いを振り撒くタイプだった。だから呪いが蝕む領域がつくられた。それは神殿側の推測だよね」
「そうだな」
「この領域を浸食結界として作ったのが例の魔物だったら、その性質はどうなるかな?」
「…………」
ケビンは一瞬動きを止め、そして目を細める。
「あの魔物は『単純に力が強いタイプ』だった。特殊能力らしい特殊能力は、それこそ僕がそうされたように、『取り込み』くらいなんだよね。……だとしたらこの浸食結界に付与される特殊能力が、この浸食結界の性質が、『取り込み』である可能性はどのくらいある?」
「……未知数だが」
ケビンの言葉には緊張の色が濃い。
「可能性としては高いだろうな。魔物が自身の力を集約するためのフィールドを作る、それが力場結界の概念で、その亜種たる浸食結界ではそのフィールドにその力をまんべんなく存在させることが目的である、と仮に定義してみよう。一つの形に力を集中させるか、エリアだけを絞ってそこに分散させるか。そういった密度の違いがある以上、そうそう簡単に、素早く取り込みをすることはできないはずだ。力場結界を発生させている状態だとどの程度人間を取り込むのに時間がかかるのかはわからないが」
「秒単位だよ。五秒か六秒か。そのくらい。僕のこの身体だと、だけど」
「…………」
それは実体験済み。
この場においてはあの嫌な感覚を思い出したとしても、計算をするための開示を優先するべきだ。
「そうか。結界の範囲にもよるが、あの時と同じ程度の広さ……つまり、この街全体を覆える程度に力を分散させたとして、人を取り込むには……。いや、だがそれだと、数日はかかりそうか?」
「時間をかけてゆっくり取り込むって事か……」
だとしたらこの身体の重さは……倦怠感は。
「ケビン。僕があの魔物に取り込まれた時の感覚、教えておくよ。本当は秘密にしていたかったけど、もし今回のこの結界に関係があるならば、その感覚からある程度の取り込み進行度を把握できるかもしれない」
「……そうだな。辛いだろうが、頼めるか」
「うん。先に言うと、痛みは無い。僕は足の方から取り込まれた。特に感覚は無いんだ。魔物に触られてる感覚すらない。で、僕の場合は、丁度下半身が取り込まれた辺りで『快感』を叩きこまれた。その後全身が取り込まれて、その後は目が覚めるまで記憶が無いけど、概ねそんな感じだった……もしそれに即しているなら、全身が重いってこの感覚、倦怠感は、そういうものかもしれない」
ケビンは少し考え込み、しかし心当たりはあったのだろう。
そもそも脱出した時も、ケビンは僕の事に気がついていた。
「身体が重いうちは、身体がだるいうちは、多分大丈夫。それを感じなくなった時、それが快感に変わったら、かなりマズイ。僕の場合は一気に取り込まれたから、その感覚は強烈だった。だから拒絶の意識を持てたけど、この浸食結界による取り込みの速度が数日単位で時間をかけるものならば、たぶん……」
全身がだるくて。
それがなくなり。
なんとなく気持ち良くなって。
気付いたころには、取り込まれている。
「それを最悪として想定するならば、俺達に取れる手段は二つだ。取り込まれる前に本体を叩くか、その前に逃げるかだな。実際には魔物が一度に取り込める量には限度があるはずだ。だから一気に街の全員が居なくなるような事は無いと思うが……」
「逃げる場合、この街はどうなるかな?」
「魔物に聞いてくれ。……可能性は二つ。一つは、この街の全てを取り込むまで結界を維持する可能性。その場合当然、結界を脱出できなかった奴は全滅するだろう。もう一つは結界を解いて、あくまでも俺達を追いかけてくる可能性」
「後者なら、僕たちが脱出することで判断でき……いや、だめだよケビン」
「見捨てるなってことか?」
僕は首を横に振る。
「確かにそれもある。正直腹立たしいけど、でもギルド支部長はともかく、その命令に従っただけの冒険者だとか一般人には、全く関係のない話だ。それに家庭を重ねるようだけど、僕たちがあの魔物の至上目的だった時、僕たちがこの結界を脱出したら、たぶん魔物は結界を維持するよ」
「それは何故? 俺達を追いかけるべきだろう」
「それについてはケビンが僕に言ったじゃない。『魔物だって考える』。あの魔物からすれば、今のケビンに対して勝ち目が無い。だから逃げるだろう。それがケビンの読みだった。けれど実際にこの結界があの魔物の仕業なのだとしたら、魔物は賭けに出たんだと思う」
「……説明できるか?」
「うん」
僕は大きく頷き、思いついた事をそのまま話す事にした。
「まず、魔物にとってケビンが天敵だった。だから魔物はケビンから逃げる事をこの数日考えていた。でも僕たちが動かない事を知った魔物は、この街に浸食結界を仕掛けることを思いついた。僕たちがそのまま大人しく取り込まれてくれれば完璧。実際には僕たちは逃げるなり魔物を探すなりするだろう。で、僕たちが逃げる事を選択したら、それはそれで構わないんだ。魔物はこの街の全てを取り込んで、より強大な魔物になる。僕を取り込んだあの魔物は、僕の力を行使できていたんでしょう? ならばこの街の全てを取り込めば、この街にいる冒険者を取り込めば、その強さはもはや僕たちの手にはおえない」
「成るほど、確かにそうだ。だがそれだけならば賭けじゃあないな。魔物にとっての理想だ」
「そう。この結界が賭けである理由はそこなんだ」
即ち。
「『浸食結界によって数人でも取り込みに成功して対抗手段を得るのが先か』、『その前に本体が捕捉されて撃滅されるのが先か』」




