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4 「 バタフライX 」

 




 なんだ?

 なにが、どうなってる?


 落ち着け、落ち着け。


 俺は自分にそう言い聞かせる。

 だが、そんなに簡単に落ち着けたら苦労はしない。


 当然、落ち着けない。

 頭の中がぐるぐるしていて考えがまとまらない。

 からだもだるい。

 ふわふわとして地に足がついてない感覚だ。


 いや、実際に足元がはっきりせずおぼつかない。

 座っている椅子が揺れているのだ。

 思考許容量を超える出来事の連続……

 呆気にとられてしまい、気がつくのに時間がかかった。


 混乱して周囲の観察や状況把握ができていない。

 情けないことに、今まで俺はただ固まっていたのだ。


 こういうときヒトって動けなくなるんだなあ。


 俺は混乱する頭の片隅で、どこか他人事のようにそう思った。


 揺れる椅子……

 なんだっけこれ。

 ロッキングチェアーだっけ?


 足元を確かめようとすると、バサリと、頭を覆う何かが視界に被さった。


 ――は??


 咄嗟に頭を掴む。

 クシャリ、しなる。

 被り物?

 違う。

 

 毛だ。俺の毛だ。


 え、なん、長っ、え??


 というか、それよりも見過ごせないものが視界の端にあった気がする。

 何やら胸が異様に膨らんでいる。


 え?太った?


 思わず二度見してしまったが、それ以外の箇所は普通というか、むしろ細くすらあった。

 着ているものはボタン式のパジャマだ。

 薄茶と白のボーダー柄で、モコモコとした材質。

 そしてそのモコモコパジャマに包まれた体は、誰がどう見てもアレだった。


 瞬間、全身の毛穴が隆起――俺は反射的に立ち上がった。


 自分でも驚くべき速度であたりを見回す。

 

 ――嘘だろ?


 心臓が嫌な汗を流すのが分かった。

 部屋の中に鏡台ドレッサーをみつけ、駆け寄る。


 そこに移る姿を見たとき、俺は血の気がサッと引く音を聞いた。

 


 あ、()だ……



 鏡にうつるは少女。


 少し垂れ気味の儚げな目に、しゅっとした鼻、やや厚めの唇。

 そして特徴的なのが、白めの肌に映える、左目尻の下にあるほくろ。

 目尻から頬を伝う涙のように、小さめの黒点が2つ上下に並んでいる。

 これらを統合した全体から、そこはかとなく漂う幸薄さ加減……


 間違いない。

 自分の記憶よりも成長しているが、これは……


 ――胡蝶の夢の自分(おれ)田中(たなか)結芽子(ゆめこ)だ。



 ドサリ。

 そんな音が聞こえた。

 気が付けば俺は、床にへたりこんでいた。


 ……なんでだ。


 自問する。

 たしか、義武と遊んで、それから……


「結芽子ー? そろそろお休みの時間よ?」


 部屋の外に誰かいる!

 いや、この声……?


 扉がノックされる。


「はいるわよ?」


 マズイ! と思ったが、なにがマズイのかもわからず、何ができるわけでもなく……

 ただ唖然としているうちに、扉のノブがガチャリと回ってしまった。


 扉が開かれる。

 そこには、女の姿があった。

 その女には見覚えがある。

 いや、見覚えがあるなんてものじゃあない。


 なぜならその女は、母親だったからだ。

 実に3年ぶりとなる、もう一人の母親だ。


「……結芽子? どうしたのそんなところに座って」


「……おかあさん」

 

 無意識に、言葉が口を衝いていた。

 それを聞いた母は、目を見開いている。

 

「っ! 結芽子、あなた――いま!?」

 

 っ痛!

 母がすごい形相で肩を掴んできた。

 俺はつい、その痛みに顔をしかめた。

 だが、彼女はそんな反応にすら喜ばしい様子だった。

 喜色の表情が顔に浮かんでいる。


「結芽子! お母さんが、お母さんがわるのね!?」

「え、あ、うん……」

「結芽子! ああ、結芽子ぉ!」


 ガバリと、それはもう文字通りに抱きついてくる母。


 彼女は、泣いている。

 震えている。

 喜んでいるのが、伝わってくる。

 

 俺は……

 戸惑っている。


 なんなんだホントに。

 わけがわからない。


 母にくるまれて唖然としている俺。

 その耳に聞こえてくるのは、階段の軋む音。

 足を踏み鳴らし、駆け上がってくる音。

 こんどはなんだ。


佳奈子(かなこ)! 佳奈子どうした!?」


 佳奈子とは、目の前の彼女、母の名だ。

 そしてこの声は……


「佳奈子!」

 

 扉は開けっぱなし。

 故に、やってきた人物の目と俺の目は、すぐさま交差した。

 ……父だ。


「佳奈子……?」


 父――優太郎(ゆうたろう)は、嗚咽を漏らし娘を抱きしめる母を見て、息を呑んだ。

 一体何事だという表情をして、固まっている。

 ネットで脈絡なく突然この顔だけ見たら笑えそうだ。

 しかし……かくいう俺も、さぞ呆けた顔をして固まっていることだろう。

 だって訳が分からないもの。


 「お、おとうさん! 結芽子が、結芽子があ!」

 「落ち着きなさい佳奈子、結芽子がどうしたんだ!?」

 「結芽子、結芽子がぁ……喋ったのお! お母さんって……喋ったのぉ!」


 言い終わるや否や一際大声を上げて泣き出す母。

 それを聞いて口をパクパクさせている父。

 その様子を唖然として眺めている俺。

 うーむカオス。


 そのうち父はツーッと一筋涙を流し、ワナワナと震えだした。

 正直ドン引きであるが、ドン引きしていい場面じゃないのだろうなと思ったので表には出さないでおく。

 ほんともう訳が分からん。


「結芽子! 俺だ! 俺がわかるか!? お父さん! お父さんだぞっ!」


 言いながら駆け寄ってくる父。

 頬を両手で包んでおでこをくっつけて……近い。

 すごい剣幕だ。


 まいったな……

 根負け(?)だ。


「うん、わかるよお父さん」


 ブワッ――彼は涙を溢れさせた。

 そして母と同じように結芽子結芽子と名前を叫び号泣……

 夫婦そろってわんわん泣きはじめた。


 ああもう……

 泣きたいのはこっちだよ、なにがどうなってんだよ。

 誰か説明してくれよ……


 当然その問いに答えてくれる者がいるはずもなく。

 泣きじゃくる両親の言葉に時折答えながら、時間だけが過ぎていった。






---------------------------------------------






「それじゃあ、本当に覚えてないんだな?」

「うん……」 


 しばらくして落ち着いた両親に、俺はようやく現状を教えてもらえていた。

 その説明でわかったことはこうだ。


 中二を迎える二月の終わり頃、俺――結芽子は交通事故にあったらしい。

 幸い外傷は大したことなく済んだそうだが、いかんせん打ち所が悪く……

 頭を強く打った結芽子は、しばらく意識がもどらなかったそうだ。


 両親は毎日必死になって呼びかけた。

 そうして1週間ほどたったある日、意識が戻ってきた。

 しかし、目を覚ました結芽子は今までどおりではなかった。

 夢遊病患者のようにフラフラとして、人間らしさが失われてしまっていたそうだ。


 食べ物を口に運べば食べる。

 出るものも出る。

 が、意味を成す言葉は発しないし、歩行はするものの、それらしい意思をともなった行動もしない。

 そんな状態になった結芽子のために、都内からわざわざ緑の多い静かな郊外へと越してきたのだそうだ。

 そこで俺は、母のつきっきりの介護のもと静養していた、と。


 そしてそんな生活の中で、例外として結芽子の意思が見られる行動があった。

 それが、月を眺めるというものだった。

 夜になると結芽子を椅子に座らせ、窓から月を見せてやる。

 そして時間になればベッドに寝かしつけてやる。

 そんな毎日の習慣を行いにやってきたのが、先ほどの騒動に繋がったというわけだ。


 そして今に至る、と。


 

「優太郎さん……」

「うん……」


 俺の顔をみて、二人は難しい顔をしている。

 かくいう俺も難しい心境だ。


 胡蝶の夢をみなくなる前は、れっきとした両親だった二人。

 しかし、三年たった今では、夢だったのだと決め付けて忘れようとしていた二人だ。

 頭のなかで勝手に創り出した日々だったのだと、自分の頭を、心を疑って、偽物に過ぎなかったとした二人。


「とりあえず、もう遅い。ひとまず明日に備えて睡眠をとろう。」 

「そうね……」

「そして朝一番に病院へ電話して、念のため検査を受けよう、な?」

「そうしましょう……」


 そう言い、俺を見る母。


「いいわね……?」

「……うん」


 二人は仲良く寄り添い、慈愛に満ちた目で、俺を見ている。


 その姿は、その目は、昔と幾分も変わっていない。


 それを見た今、それらが偽物だなどとは、とてもではないが思えなかった。





---------------------------------------------





 眠っている間に目を離したら、いなくなってしまうんじゃないか。

 そう考えると不安でしょうがない。


 そういったのは母親だった。

 父もまた賛同した。

 そのため、邪魔な家具を移動してリビングに寝具を敷き、川の字になって寝転がった



 ――それから、数十分。


 知らない天井から、すぐ左に顔を向ける。

 ……母の寝顔。


 右に向ける。

 ……父の寝顔。


 二人とも、俺のほうを向いて眠っている。

 母においては俺の体をガッチリとホールドしている。

 

 それは、そうか。

 自我のないロボットのようだった娘が、元に戻ったのだ。

 俺としては三年間の男としての日々があるので、元に戻ったとは言い難いが。


 この人……母さんは、美人だ。

 イメージ的には大和撫子といったところか。

 たしか、いま43だったと思う。

 歳の割には若々しく、女らしいメリハリのある体つきをしている。


 その母が、俺を思い切り抱きしめて眠っている。

 三年間の男としての生活が、その柔らかな感触を無駄に意識してしまう。

 別に欲情するわけではないが、異性とのここまでの接触というのは経験したことがない。

 変に意識してしまうのは、仕方ないことではないだろうか。

 まあ、そんな自分の体も今となっては女で、しかも母譲りのスタイルをしているのだが……


 自分の胸を右手で触る。

 ……最後に結芽子として生活していた記憶では、ここまで成育していなかった。

 当時Aカップくらいだったものが、いまやDカップくらいはあるのではないだろうか。


 胸が、重い。

 その重圧、その存在。

 正直違和感がありすぎて気持ち悪い。

 しかし、空白の三年の間に、ここまで育ったと考えると……

 成長期、遺伝というのは、恐ろしいものだ。


 遺伝といえば、今度は父か。

 俺はチラと父を見る。

 イケメンというわけではないが、優しそうな顔をしている。

 実際に、優しい父親だった。

 たしか今年で47、高校で歴史の教師をやっている。


 こういってはなんだが、こちらでの生活は男のほうでの生活より裕福だった。

 それも一重に父の、いや両親のおかげだろう。

 母もまた、小学校で音楽の教師をやっていた。

 三年前の事故で、俺の世話をするために辞めてしまったそうだが……


「結芽子……」


 母が、寝言を言った。


 ……こんなにも愛されている、それは嬉しい。

 だが、同時に怖くもあった。

 俺など愛されるに足る存在なのかと。


 また、男のときの両親を想う。

 こちらはほど裕福ではないが、日々働いて、必死に俺を養ってくれいていた父さん母さん。

 裕福さに違いはあれど、注がれる愛情に差などない。


 俺は両親に恵まれた。

 いや、恵まれすぎている。



 ……これからどうなるんだろうか。


 ただ漠然と、不安になった。



 両隣からスースーと寝息が聞こえる。  


 時刻は0時を過ぎている。

 正直自分も疲れたので眠りたかったが、明日は病院にいくようだし、今のうちに色々と考えておいたほうがいいだろう、

 ひとりでゆっくり考えることができるのは今しかない――とは言わないが、早いほうがいい。

 鉄は熱いうちに打てというし、両親が眠っている今がチャンスだ。


 ……しかし、どうしてこうなったのかは、いまいち思い出せない。


 義武と遊んだ帰りだったことは覚えているのだが……

 とにかく大変なことが起こったような気はする。

 夢をみたはずなのにどんな内容だったか思い出せないような、そんな感覚だ。

 ああいうのは得てして何でもないような瞬間にふっと思い出すのが鉄板だが、はてさて。


 あ。

 唯一思い出せるものがあった。


 月だ。


 満月だけが、スッと脳裏に浮かび上がった。


 月が満ちていたということは、やはりこれは胡蝶の夢の復活なのだろうか。

 また、あの二重生活がはじまるのだろうか。

 

 結芽子としての俺は、もう本当に不思議な体験かなにかだと思っていたのだが……

 しかし、もしまた満月のたびにこういった事態になるのであれば、そんなことを言っている場合ではない。


 天井がぐぐぐと湾曲した気がした。

 見えない天井に押しつぶされるかのような重圧。

 言いようのない不安感。

 それらが塊となって俺を襲ってくる。


 そもそも、胡蝶の夢などと言えるようになったのは、俺が男として今まで生きることができたからだ。

 それまでの俺は、男の自分と女の自分と、どちらが主か従かなど分かっていなかった。

 物心ついたときからそれが当たり前なのだから当然だ。

 どちらも本物だった。

 

 それは、寝るたびに男と女の体を行き来して生きてきた、とでも言うのだろうか。


 男として満月の夜に眠れば、女として次の満月まで。

 女として満月の夜に眠れば、男として次の満月まで。


 たった一夜の間に、満月と満月の間の生活を異性として送る。

 それは同時進行で2つの人生を送るようなものだ。

 故に異端である自分を自覚し、自分でも一線を引き、他人からも一線を引かれていた。


 だから、女にならなくなった時、女としての日々は夢だったのだと言えていた。

 男として存在しつづけることが出来ている、その結果として、言えていた。


 いつだったか、人間の脳は多分にいい加減なものだと本で知った。

 見ているものが、見ているとおりとは証明できない。

 幻覚を見ている人にとっては、その全てが本物だ。

 だが、それは脳内現象で本物――現実ではない。


 だからそういった類のものだったのだと、言い聞かせていた。

 それで、納得していた。

 

 だがもし、これからまた以前のような日々に戻るのであれば、それは崩れ去る。

 また現実か夢幻かの判断もつかぬ日々が戻ってくる。


 なまじ男として正常な日々を過ごした以上、その再来が恐ろしくてたまらなかった。


 どちらの自分のときも割り切って生きることなど出来るだろうか……

 人生2つもあるなんてラッキーと思って生きることができるだろうか……

 普通に生きて、普通の幸せなど得ることができるだろうか……


 ……やめよう。

 急いてはいけない。

 まだ仮定の話だ。


 このままずっと女のままという可能性もある。

 

 でもそうすると……

 もしかして女の自分こそが本物ってこともあるのか?

 男としての三年間が夢で?

 事故にあっていた間の妄想だったとか?

 いや、もしかして――



 ……。





 …………。





 ………………。





 あー、くそ。



 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。

 


 やめ、やめだ。  


 今までの全てが信用できなくなる。


 今の時点であれこれ考えてもしょうがない。

 不安になるだけだ。


 やめよう。


 ……とりあえず、そうだな。


 次の満月。

 そのときにどうなるかだ。



 ……はあ。




 ……『我思う、故に我あり』か。




 馬鹿だな俺。


 こんなの男である証明には端から使えないじゃないか。


 

 あーあ、どうしてこうなっちゃったのかな。




 まあ……


 今を精一杯、やっていくしかないか……


 性別がどうであれ、俺はここに存在するんだからな……




 はぁ~あ……



 ねむ……つか……れ、た……







 


 


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