3 「 我思う、故に 」
「で、あるからにして――」
教壇から生徒達にむけ、先生の声が教室全体に澄みわたっていく。
俺はいま、国語の授業を受けている。
目の前の黒板――といっても俺の席は後方一番左の窓際なので少し遠めなのだが、とにかく黒板には重要なことがシンプルにわかりやすく書かれている。
しかし、俺は黒板に書かれたことだけではなく、先生が口でしか伝えないこともノートに書き写していく。
この先生は意地悪な先生で、板書をしないところからもかなりテストの問題がでる。
いわく、居眠りをしている生徒には相応の罰を与えたいのだそうだ。
罰というとあれだが、ようするにキチンと話を聞いて考える姿勢を養わせたいのだという。
まぁでも、一応板書だけでもちゃんと覚えてくれば最低限の点数は取れるようには考慮しているらしい。
まあ、授業も分かりやすいし普通に良い先生だと思う。
そんなわけで、今日も俺は眠気に負けず、一生懸命先生の言葉に耳を傾けている。
正直眠くて仕方がなくて眠ってしまう時もあるが、基本的には眠くても歯を食いしばって授業を受けるので、眠ってしまうのは本当の本当に抗いきれなかった時だけだ。
当然、眠くもないのに机に伏せて寝ようとするなんてことは絶対にしない。
ま、そもそも当たり前のことなんだけどね……
「――と、いうわけだな。うん。実におもしろい」
いまのは出そうだ、急ぎノートに先生のコトバを書き写していく。
最後に赤ペンで下線を引けば完璧だ。
一息ついて時計を見ると、時刻は12時24分。
秒針が軽快な音を奏でつつ、カチっカチっと機敏な動きで円を描いている。
あと、数秒で授業が終わる。
5、4、3、2、1――
0、聞きなれた鐘の音が学校中に響き渡った。
同時に、妙に間延びしたその音で、集中して張り詰めていた糸が切れるのを感じた。
「おーしじゃお前らしっかり勉強して望めよー!」
そう早口でまくし立て、チャイムが鳴り終わるのを待たずに退室する先生。
その際、先生が居眠りしている生徒達を見てニヤリと笑うのを俺は見逃さなかった。
今日は何故だかいつもよりも居眠りをしている生徒が多い。
俺はすかさず今日の分のページに「Z6」と書き記した。
「Z」は眠っている人のイラストなどによくつけられているアレで、「6」はそのまま人数を表し、つまり今日は6人居眠りしていた――という記号だ。
こういう居眠り率の高い日からの出題率は高い傾向がある。
そのため、こうすることでどこに重点をおいて勉強するか、時間配分の参考に使えるのだ。
俺の通うこの高校は、県立の男女共学校で、割と緩い雰囲気を持つ割には60台の高い偏差値を誇り、県内でも上位にランクインする高校である。
ゆえに、普段からしっかり授業で知識を吸収し、さらにテスト勉強もしっかりと行わなければ、あっという間に落ちぶれてしまう。
そんな環境――特にこの先生の科目においては、いつもは何の意味も持たない居眠り君たちは、実に役に立つ。
本当にありがたい話だ、もっと他の人も居眠りしていいのよ? ってな具合だ。
そんな不謹慎なことを考えている間に、他の生徒たちはやっと開放されたと言わんばかりの晴れやかな表情を顔に浮かべ、にわかに活気付いていた。
この先生は終わりの挨拶がいらないという妙な先生だ。
チャイムが鳴るなりさっさと去ってしまうので質問をすることもできない。
質問で貴重な休み時間を奪われるのが嫌で逃げている――というのが俺の推測だ。
ただ質問があるなら授業中に言えとは先生も普段から口にしているし、今まで質問しようと思ったこともないので問題ないといえばないのだが……
生徒からすると、教育者としてはどこか釈然としないものを感じてしまうのも仕方がないことだろう。
昼休みは長いのだから、もう少しゆっくりすればいいのに……
いや、昼休みだからか。
俺は背もたれに身を預け、何の気なしに教室を見渡した。
ん? 先ほどまで居眠りをしていた生徒の1人、お調子者の坂井くんの姿がない。
もう購買か――俺は思わず苦笑した。
昼休みになると昇降口にやってくる購買は、チャイムが鳴ると同時にあちこちから生徒が押し寄せる。
そのため、あっという間に長蛇の列ができてしまうのだ。
しかし、坂井くんはいつも眠そうにしている癖に、こういうときだけは俊敏な動きをみせる。
そして、アイスミルクプリンや幻のクリームパンなどの数量限定品をその手にひっさげて教室に戻ってくるのだ。
眠れる暇さえあればいつでもどこでも眠っているような人物で、普段はまったく尊敬できない坂井くんだが、そのあたりは素直にすごいと感心している。
俺はそういった奪い合いみたいなのは少し苦手なので、それができるのは単純に羨ましい。
――がんばれよ坂井。
俺は坂井くんの健闘を祈りつつ、鞄の中からいつもの黒い弁当袋を取り出して教室をあとにした。
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――ヒヤリとした感触に、一瞬で鳥肌が立つ。
思わずドアノブに触れた手を離しそうになるが、我慢してノブを回す。
つっかえの外れる音を微かに耳にしつつ、慎重に扉をあける。
ギィ……
金属の軋む嫌らしい音に、思わず体が萎縮する。
俺は扉を少しだけ開け、体を滑り込ませるようにしてその先へ抜けた。
そこは広々した空間が広がっており、その周りを一部の隙もなく緑のフェンスが囲んでいる。
フェンスはところどころ色が禿げており、かなり年季がはいっているように見える。
が、強度面での心配はなさそうだった。
フェンスの向こうには、建物が地平線の向こうまでびっしりと軒を連ねており、圧巻の光景をみせている。
頭上に広がる青空はどこまでも澄んでいて、その気持ちのいい景色は俺の心を落ち着かせる。
うむ……屋上というのは、いいものだな……
しみじみと感じ入っていると、急に鼻がむず痒くなって――
「はっ、ふあっ――」
ハックション! と一発。
寒い……
厚手のカーディガンをブレザーの下に着込んでいるとはいえ、暖房のきいた教室と比べてしまえばその寒さは言うまでもなく――
比較的寒さに強い俺でも、少々堪える気温である。
だが、屋上で昼食をとるという日課をやめるつもりは毛頭ない。
なぜなら俺は、この屋上が、この解放的な雰囲気が大好きだからだ。
ここはベンチなどの腰を落ち着かせることができる設備がないため、四季を問わず人気がない。
だから昼休みにここに来れば、ほぼ必ずこの空間を独り占めにすることができる。
貸切ですよ、貸切!
少し歩いて所定の位置までいくと、俺はポケットからハンカチを取り出して床に敷いた。
そして慎重にその上に腰を下ろす。
いや、なんでって、屋上はけっこう汚いから……
弁当袋の中から野菜ジュースのパックと弁当箱を取り出し、蓋をあけて目の前に広げる。
瞬間、ふわ~っとおいしそうな香りが俺の鼻をくすぐった。
おお、今日は大好きなウィンナーがあるじゃないか!
俺はつい嬉しくなって、素手でウィンナーをつまんでしまった。
だが、うん、おいしい!
綺麗な青空! 流れる雲! 誰もいない屋上! 好物のウィンナー!!
あぁ……いい……
別に、教室で弁当を食べるのが嫌なわけではないが、あの雑然とした雰囲気とここの雰囲気を比べてしまうと、やはり後者に軍配があがってしまう。
ひとりは嫌だけど、ひとりの時間ってのも大切なものだ。
なに、いつも誰かにくっついている必要はないさ。
俺は箸を取り出して、次々とご飯を口に運ぶ。
さっきからこんなことを言っていると、実は友達がいないから仕方なくこんなところで食べているんじゃないかとか、そんなふうに受け取られた方がいらっしゃるかもしれないが、そんなことはない。
勘違いしてもらっては困る。
まずは証拠に、屋上飯とは言えいつも一人ではないというエピソードを――
「よお!」
おお、噂をすればなんとやらだ。
俺は軽く手をあげ、声の主に返答した。
「うー、さぶさぶさぶさぶさぶ!」
いかにも寒そうな小走りで向かってくるこの男。
名を|《松平》|《義武》といい、その戦国武将のような名に恥じぬ、年の割にはしっかりした体を持った、ヤンチャな顔したナイスガイである。
その髪の毛は、赤っぽい黒色に染められていて、ツンツンにワックスで整えられている。
見た目からして不良っぽさ抜群な男であるが、俺の親友と言っていい男で、一番深い交友暦がある。
「いやー……こんな寒いのに、よく毎回平気な顔していらっしゃいますなあ」
「まあ、好きで来てるわけだしね」
「はっ、付き合ってたら風邪ひいちまうわ」
義武はそういながら、俺のすぐ隣に腰を下ろした。
その手にはパック牛乳とヤキソバパンが握られ――
「ねえダーリン? 寒いからあっためて~?」
パクッ
……
「うわあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!
キモッ!キモキモキモキモキモ!
なにをしやがったコイツ!
俺は一瞬で義武との間合いを取っていた。
右手に持っていた箸を、包丁かなにかのように両手で構える。
その切っ先はもちろん、義武に向けている。
いま、耳を、食べられた――?
「このホモ野郎め、それ以上近づくな!」
「は? なんでホモ?」
義武はきょとんとして両手を広げ、首をかしげている。
軽く眩暈がした。
「普通の男は同姓の耳たぶをパクッとしたりしない。もしホモじゃないってんならバイセクシャルか、もしくは食人鬼だね」
「なにいってんだよー。単なる親愛表現じゃんかー」
「親愛て……」
こいつ……悪びれもなく……
「あんだよ、俺たちマブダチじゃないんかあ?」
「百歩譲ってマブダチだとしても、マブダチは耳パクなんてしないと思うよ」
怒気を滲ませニコリと笑ってやる。
すると顔色を変え、すぐさま平伏する義武。
次いでパンッと小気味のいい音が鳴って、彼はおでこの前で合掌した。
「わるかった! なっ? おふざけがすぎた。許してくれよ、なっ?」
「……」
「俺とお前の仲じゃんか~!」
ふにゃっと、全身の力が抜けるのを感じた。
はぁ……義武よ……
お前がマブダチだということは認めるが、今日ほどそれを後悔した日はないよ……
「ハァ……」
「ささ、その物騒な武器(お箸)をしまい給え~」
そういってガハハハと笑う義武に、お箸の矢をお見舞いしてやろうかと思ったが、馬鹿らしくなってしまった。
怒る気力すらもう起きない。
はあ……なんだかな。
さっきからため息ばかりついているな……
俺は肩を落としながら義武との距離をつめ、元の位置に座りなおした。
「悪かったよ、次からは別の場所にするからさ!」
「場所の問題じゃない!」
「おーけーおーけー、あいむおーけー!」
「……それをいうならアイムソーリーだと思うけど……?」
あの「 Sorry, sorry, I'm 総理ィ! 」っていう……
「でも今のは謝る場面じゃなかっただろ?」
「……了解と謝罪の両方が必要な場面だったと思うけど」
「実はおっしゃるとおりです!」
そういって義武はゲラゲラと笑っている。
そんな義武をジロリと睨みつける。
ゴメンゴメンと謝りはしているが、謝罪の意を感じない所作に、俺はため息をついた。
こういう時のコイツは相手にするだけ無駄だ。
無視して昼食を再開しよう。
まったく……
さっき耳をパクつかれたときは、死ぬかと思った。
それはもう、滅茶苦茶おぞましかった。
パクっとされてから一秒おくれて、腰からゾクゾクが背筋を駆け上がり、一気に頭上を突き抜けていったよ……
だがしかし、不思議と許せてしまうってのも義武の特徴だ。
それほどコイツが愉快なやつで、それほど大切な恩人でもあるってことか……
レタスを口に運びながら、横目でじっと義武を見つめてみる。
牛乳をストローで吸い上げる顔が、なんとも間抜けである。
顔になんかついてんのか? などと問うてくる義武に、目と鼻と口と返してやり、俺は義武との過去を思い返した。
義武とは同じ中学校だった。
二年生になって胡蝶の夢を見なくなって、俺は男になるために色々やりはじめた。
だが、それまで教室の端で本ばかり読んでいて皆の輪に入ろうともしなかった根暗が、急に行動を起こし始めれば「なんだコイツ」となる。
いままでやってこなかったことが急にできるようになるはずもなく、俺はクラスで完全に浮いていた。
無視とか、陰口とか、ちょっとした物がなくなったりとか、まぁ有り体に言えばいじめられていた。
出る杭は打たれるというやつだろう。
そんなときに出会ったのが義武で、部活動を始めるのを躊躇っていた俺の背中を押してくれた。
俺は野球部に入りたかったんだが、帰宅部だった俺が二年から部活に入部するとなると、とてつもない勇気が必要で、中々踏ん切りがつかなかった。
そんな俺に、稽古と称してキャッチボールだなんだと付き合ってくれて、勇気と自信をつけさせてくれたのは義武だった。
結局部活動――野球部に入れたのは3年になってからで、引退までのほとんどをベンチで過ごしたわけだが、入部したことに後悔はしていない。
俺にとっては初めての本格的な集団活動で、ツライことがなかったと言えば嘘になるが、毎日がとても充実していて楽しかったからだ。
それ以来、ずっと義武との関係は続いていて、暇さえあれば義武とつるんできた。
義武が俺と同じ高校を目指すと言ったときは驚いたけど、以外にも義武は頭が悪くなく……というよりも俺より頭が良い次第で、結局は簡単に合格してしまった。
俺がガリ勉派だとすれば、義武は要領のいい天才肌であり、当時はよく嫉妬したものだ。
いや、嫉妬なら今でもするか……
まったく、必死に勉強しなくてもそれなりに出来るなんて、本当に羨ましい限りだ。
「なあ、お前今日部活休みっしょ?」
義武の言葉で、俺は現実に引き戻された。
「うん」
野球部の練習は週六日。
そして週に一回、毎週金曜日がお休みとなる。
今日は金曜、つまり、休みだ。
だがこれは、土日の過酷な一日練習にむけて英気を養うために設けられている休暇なのだ……
「じゃあさ、映画みにいかねえ?」
「は? 映画?」
「おん、映画」
映画か……
今日は体を休ませることができる貴重な日だが、映画くらいなら、別にいいか。
「いいけど、どんなやつ?」
「んーとな、ちょいまちー」
そういうと義武は、ブレザーやズボンなどのありとあらゆるポケットを一様に探りはじめた。
やがてお目当てのものを見つけたのか、「おっ」と笑みを浮かべ、ブレザーの内ポケットから手を取り出す。
そうして目の前に出されたチケットは、よれよれの皺くちゃだった……
俺はそれを、眉をヒクつかせて受け取った。
「……ぼくの、いきる、いみ?」
題名を読み上げる。
「おう」
「……」
『僕の生きる意味』……題名からして既にもうアレだが、チケットに描かれたイメージやキャッチコピーは、中二病を発症した患者が考えたような陳腐さで、とても面白そうな映画には思えなかった。
「コレ、面白いと思う?」
「いや、思わないけど、見てみなくちゃわかんねーし」
「まあ、それは……」
「何事も挑戦だべ」
挑戦、ね……
まっ、そう言われてしまうと悪い気はしないのは確かだ。
色々と挑戦してきた結果、今の俺があるわけだしな。
「よし、じゃあ見るか」
「おっ、いいね!」
「でもさ、急にこんなチケットどうしたの?」
そうだ、急にこんな――それも面白くなさそうな映画のチケットをもってきて、一体どういうつもりだ?
「ん? なんかよ、妹がくれたんだよ。福引でも当てたんだか何だか知んねえけど、興味ねーとか言ってよ」
「へえ……」
妹さんか……
義武と遊ぶ上で、何度か顔を合わせたことがある。
本当に見知っているというレベルで、ほとんど会話らしい会話を交わした記憶はないが、整った顔立ちをした可愛らしい妹さんだ。
歳は俺たちより1つ下で、義武とは打って変わってお淑やかな良い子だったという印象がある。
名前はたしか……いぶき、だったかな?
なんて書くのかは知らないが、「義武」というご両親のネーミングセンスから想像するに「武」って漢字が好きそうだから、「唯武姫」とか書いちゃったりするんだろうか。
それに「姫」がついたほうが、やっぱり戦国っぽいし。
義武はいい名前だと思うが、唯武姫となってしまうと、色々な意味で松平家が心配になってくるなあ。
まぁ、唯武姫は俺の妄想だが。
弁当の残り――弁当箱下段の白米を一気に箸で掻き込むと、食べ終えた正にその時、チャイムが鳴った。
「やべえ!」
このままでは授業に遅れてしまう!
急いで弁当を片付けると、隣にいるはずの義武の姿がない。
なぬ!?
「じゃお先~! 映画の件はメールするんでよろ~!」
義武の無駄に明るい大声が遠くから聞こえてきた。
あの野郎、すでに出入り口の扉に手を掛けていやがる。
声を掛けるまでもなく、俺の白状な親友は扉の向こうへと消えていった。
あーあ……4時間目はなんだっけ、数学だっけ?
あの先生いつもくるの遅いから、今日も遅れてくれると助かるなあ。
そんなことを考えながら、俺は弁当袋を抱えて走り出した。
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時刻は20時22分。
俺はいま、夜道を一人、自転車でトロトロと走っている。
義武と映画を見に行った帰りだ。
このあたりは畑が多く、街灯がない。
ポツポツと点在する民家の窓や、月の光といった頼りない光だけが、辺りを僅かに照らしている。
義武とは既に分かれた後だ。
俺達は中学が同じだけあって住んでいる場所は近い。
なのでこの帰り道も一緒のはずだったのだが、あいつは寄るところがあるらしく、俺も明日の練習があるということで、お先に失礼させていただいた。
自転車のライトに照らされたアスファルトが、ジャリジャリと音を立てる。
俺はその先に広がる暗い畑道を見つめながらチャリを漕ぎ、義武との映画鑑賞を思い出していた。
ハッキリいうと、映画はあまり抑揚のない物語で、事前の予想通り大して面白くなかった。
映画を楽しみに行ったというよりは、普段食べないキャラメルポップコーンやナチョスといった割高のスナックを食べに行ったようなもんだった。
それで内容はというと、なんでこの世に生物がうまれたのか~とか、本能が全てとするならば生殖行為こそが全てで~とか、日常生活を送りながら主人公が考え苦悩することで時間が過ぎていき、結局、些細なことで突然悟りをひらいて、その悟りが何なのかも分からずにハッピーエンド?で物語は終わった。
わざわざ映画にする必要があったとは思えない。
そう思うのは、結局映画としての映像づくりだとか演出だったりが特に秀でているわけでなく、むしろ劣っているとさえ思える出来であったからだろう。
映画という感じじゃなかった。
しっかしまあ、生きる意味とかゴチャゴチャ難しいことを考えたって仕方がない。
意味なんて関係ない、今生きている以上は、今を精一杯生きるだけだ。
人は絶対に死ぬわけだけど、楽しくない今よりも楽しい今のほうが良いに決まってる。
楽しくない今を死ぬまで続けたいと思う人間はいないだろう。
だから最後に死ぬとき、自分や、自分の周りの人達が「良かった」と思えるように生きていくだけだ。
死んでしまうものは死んでしまうのだから、仕方がないことだ。
そもそも、これは寿命を全うできたときの話であって、不幸な死というのはありふれているのだから、考えるだけ無駄かもしれない。
もし、こういう分かりきったことを再確認してほしかったのであれば、あの映画の狙いは達成されたことになるわけだが……
まあ、だからその退屈な映画をみたあとは、あの映画のあそこが~でドコドコがあーだったこーだったと議論をしたり、昼休みにあとちょっとの所でクリームパンが買えなかったのは坂井のしわざに違いないだとか、校長の頭は絶対にカツラだ――とか、世にもくだらない話に花を咲かせた。
アイツとなら、何時間でも話を続けることができるだろう。
それも楽しみながら。
ん?
後ろの方に車の気配を感じた。
俺は日頃の習慣で、自転車を路肩ギリギリまで寄せる。
細い道路だ、こういう気遣いは大切だと思う。
畑に落ちるんじゃないかって程ギリギリの所を走る俺。
その横を、車が一台通り過ぎていく。
まぁ、今日という一日を総評すると、映画は面白くなかったが、義武と遊ぶのは最高に面白かったと言えよう。
自然と頬が緩むのを感じる。
同時に、明日からまたキツイ練習が始まるのかと思うと、自然と肩が下がった。
野球は好きだが、やはりキツイもんはキツイ。
好きだから、高みを目指しているから、頑張れる。
だがそうでなければ、あれは単なる苦行だ。
ため息がでる。
せめて早く家に帰って、あったかいお風呂にはいって、ふかふかのベッドで寝よう。
そう思うと、無性に家が恋しくなった。
はやく、帰ろう。
俺は一度自転車をとめて、鞄から音楽プレイヤーを取り出した。
イヤホンをはめると、プレイリストからテンションのあがる曲をいれたフォルダを選択する。
ビートのきいたアップテンポのリズムが、気疲れた俺の背中を押してくれる気がした。
よし、帰るぞ!
俺は自転車を漕ぎだした。
しかし腹減ったな。
今日の晩飯なんだろ~。
そんな他愛もないことを考えながら、自転車を漕ぐ。
その数分後だった。
俺は宙を舞っていた。
?地球がまわって?る??え?なな??
は、え?
思考が追いつかない。
景色も音楽も視覚も意識も全部ぐちゃぐちゃになった滅茶苦茶の中で、
まんまるに輝く月だけがやけに綺麗だったことがそれだけがわかった。
初めて聞く鈍い音がして、俺は、窓辺に座って月を見ていた。
「は?」
思わず口にした声は、喉に何かが詰まっているかのように、無理やり搾り出された。
その掠れた声は驚きのせいか甲高く、それ以前のこともあって、とにかく俺を混乱させた。
え、なに?
窓から望む満月は、なにも答えてくれなかった。