1 「 はじまりの過去 」
※加筆修正しました。
「ふぅ、ふぅ......」
軽く息を整えながら、俺は目の前に鎮座する白い球体を手に取った。
1つ、2つ......
こうして回収を行っている間にも、球体の数は増えていく。
いくら回収しても終わりが見えない。手にした端から増えているようにすら感じる。
遠くで金属同士がかち合う音が耳を刺す。
凄まじい力で叩かれたのであろう、悲鳴のような甲高い音が、ほぼ途切れることなく鳴り響く。
それに負けじとあちこちから叫び声が飛び交い、ビリビリとした緊張感が空間を包み込んでいた。
狂騒のさなか手にとった白い球体は、本来もつであろう美しい煌めきと張りを失い、表面にいくつもの擦り傷や切り傷をつくっている。
さらに、その美しい白を引き立てるはずの血のように赤い曲線は、どこかぼんやりとしている。
「――ヴォオオオルバックううううう!!」
長の叫びに、方々に散らばっていた男共(四分の一ほどが四角い容器を持っている)が一斉に声を張り上げ、一目散に回収場所へと集まっていく。
俺は焦って残る球体を掻き集め、球体で満たした容器を抱えて駆け出した。
疲れの溜まった足は棒のようで、うまく回ってくれないのがもどかしい。
ようやく目的の場所につくという頃には、男達は既に目的を果たしていた。
それぞれが颯爽と持ち場に戻り始めている。
長の鋭い眼光が俺を捕らえる。
「結! 急げ!」
「はっ――」
瞬間、目に映る光景が、後方に向かって緩やかに流れはじめた。
まるで空を往く雲のように。
世界が止まったかのような錯覚を起こし、次の瞬間、俺は――
華麗な 神 風 滑 走 を決め込んだ。
否、足をもつれさせて転んだ。
華厳の滝もかくやという勢いでボールが飛び出し、同時に消えたボールを補うがごとき周囲の生ぬるい視線が注ぐ。
「……」
長、否キャプテンである五十嵐は、バットを杖のようにしてうな垂れ、深いため息をついた。
「はぁー……」
地面に染み広がる血のように、籠に残ったボール達がコロコロと放射状に転がっていった……
――ああ、無常――
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「はあぁ~……」
魂が抜けていくのではないかと、心配になる程のため息。
「……はぁ」
もう一度小さくため息をつき、俺は夕日を受けて歩き出した。
痛む左足をかばいながら。
神 風 滑 走 ――ただ、すっころんだだけなのだが――アレは、本当に、赤っ恥をかいた。
散々笑いものにされるならまだしも、あのしーんとした空気と、生ぬるい視線ときたら!
気まずいことこの上ない。というかホントに恥ずかしい。
穴があったら入りたいとは、こういうことを言うのだなと身をもって実感した。
それがたとえ外周5キロを走らされた後とはいえ、だ。
何もないところで転ぶなど……末代までの恥だ。
男田中結、一生の不覚!
「――っ痛!」
つい力がはいって、左足に体重をかけすぎてしまった。
病院で処置してもらったばかりの左足が痛む。
お察しの通り、俺はあの 神 風 滑 走 で負傷した。
立ち上がれず蹲った俺を見て、キャプテンの五十嵐さんがすぐさまマネージャーに指示を飛ばしてくれた。
(五十嵐さん、かっこいい……!)
と、惚れ惚れしながら、マネージャーの高橋さんが冷却スプレーで応急処置をしてくれたのを覚えている。
ちなみに高橋さんからは女子特有のシャンプーのいい匂いがしたことも追記しておこう。
しかし、指示を出されてすぐ対応できる高橋さんもあっぱれなれど、ああやって急なアクシデントにも冷静かつ迅速に指示を飛ばせるキャプテンは本当に凄い。
つい寸前まで俺に呆れていたというのに、一瞬で頭の中を切り替えていた。
それはもう、ギュワっという効果音が聞こえるくらい見事な切り替えだった。
当然この一件だけでなく、俺は様々なシーンにおいて五十嵐さんが優れたリーダーシップを発揮するのを見てきた。
夏の甲子園大会の予選でチームが負け、引退した3年生のあとを継いでからというもの、うまく全体を引っ張っていると思う。
監督はもちろん、チーム全員の信頼を得ている、頼れるキャプテンだ。
憧れるのも男として当然だろう。
だが、そんな風に甲子園を目指して毎日頑張っている皆の練習時間を、俺のくだらないミスで削ってしまった。
といってもほんの数分だが……塵も積もれば何とやらだ。
男の中の男を目指して早3年――正確には2年と11ヶ月だが、このざまでは先が思いやられる……
「はぁ……」
思わず今日何度目かも分からないため息が漏れる。
(そういやもう、あれから三年にもなるのか……)
男を目指す契機となった中二の春だが……しばらくは様子見の日々だった。
毎晩恐る恐る、不安を抱きつつ眠りに就いたことは記憶に新しい。
だがそれは既に懐かしい過去となりつつある。
別に胡蝶の夢はそう毎回みるわけじゃなく、法則性があった。
だから毎晩おびえる必要もなかったわけだが……そこはご愛嬌だ。
今では某国民的アニメの黄色い丸メガネにも引けを取らない寝つきのよさを持っている。
むしろ勝てる自信すらある!
……ふと、空を見上げる。
病院に入る前は澄んだ青色だったが、いまは見事な夕焼け色に染まっている。
沈みゆく夕日が、どことなく寂しげな面持ちをしているように見えた。
現在の時刻は大体18時前ぐらいだろうか。
左足の捻挫は軽かったが、念のため病院にいくようにと、部活を早上がりさせてもらったのだ。
なんとなくため息がでそうになって、あわてて口を閉じる。
代わりに鼻から勢いよく空気を放出する。
あんまりため息をつくのも辛気臭いからな。うん、男らしくない。
――ああ、ほんとに綺麗な夕日だな――
綺麗な景色に、心が洗われる思いだ。
その夕日から少し離れた場所に、まるで太陽の様子を伺うようにして佇む、うっすらとした月が見える。
胡蝶の夢の法則性……
たしか、それに気がついたのは小学校五年生くらいだっただろうか。
それまで何となく定期性があることは感じていたのだが、別に暴いてやろうとか、そういうことは思わなかったので気がつかなかった。
というより、胡蝶の夢をみるのは物心ついてから当然のことだったので、気づけなかったとでもいうか……
まあ、どっちにしろ不可抗力なので、気づいた所でどうしようもないのだが……
っま! その法則というのは、ズバリ「月の満ち欠け」だ。
もっというと「満月」のときだ。
満月の夜に女の子になる? え? なにそれ中二病? といいたくなるが、事実なのだから仕方がない。
法則に気づいたのは、読書がきっかけだった。
俺は読書が好きだった。もちろん、今も好きだ。
ただちょっと読む暇がないだけで……うー野球部は忙しすぎる!
だけど、男を磨くには……
ま、まあソレはおいといて、だからアンケートかなにかに趣味の項目があるならば、自信を持って「読書」と書く。よくある漫画が好きでよく読むけど、「趣味:漫画」と書くのが憚られるから「読書」と書くのとは違う。というかアレやめてください。
別に漫画趣味を批判するわけではなく、漫画を読むことに対して「読書」という言葉を使うのに違和感を感じるだけだ。
漫画は絵の要素が大きい。
読書ときいてイメージするのは文字を読む作業だ。
対する漫画は、もちろん文字も読むけれど、その主体は「絵」だと思うのだ。
読むというより見て楽しむ……だが「漫画鑑賞」というのもおかしい……
じゃあどうしろってんだと思われるかもしれないが、ただやっぱり読書と聞くと個人的には漫画じゃないほうをイメージしてしまう。
「おっ?」と思ってその実漫画でしたという落ちは、いかんともしがたいものがあるのだ。
つまるところ、それが嫌なだけだ。
だからもちろん、俺も漫画を読まないわけじゃない。むしろよく読むほうだと思う。
で、あるからこそ、堂々と「趣味:漫画」と書いてすむような社会的市民権が、いつか得られることを願う田中なのであった。
おしまい
じゃないよ!
つい白熱して大脱線してしまった。話を戻そう。
なぜ、満月の夜に胡蝶の夢をみることに気づいたのか、という話だが……
小学校の頃、俺はクラスの友人に馴染めず孤立していた。
輪にはいれない、はいろうとも思えない、そんな時いつも傍にあったのは本だった。
俺にとっては本こそが真の友達だった(言ってて悲しい台詞だが)。
本はいつでもどこでも読めるし、それに文句を言わない、なにより面白い!
むろん、当たり外れはあるわけだけど……
まあ、とにかく色々な本を読んだ。子供向けが多かったけれど。
それでたまたま小五のときに「宇宙の本」を借りた。
別に深い意味なんてなくて、ただなんとなく手が伸びたってだけだ。
でも、俺は宇宙の世界に夢中になった。
夜中に天体観測なんかもした。
「宇宙はどのくらい広いんだろう?」
「宇宙に終わりはあるんだろうか?」
「そもそも宇宙ってどうやって出来たんだ?」
などと、様々な想いを頭上の宇宙に馳せたものだ。
我ながらなんと無邪気なことか。
だけど、この天体観測のおかげで俺は胡蝶の夢の法則性に気づいてしまった。
満月の夜、天体観測を終え眠りにつく俺……
そして、あの忌まわしい夢をみるのだ。
次の満月の夜、再び俺は天体観測を試みた。
それははじめの頃のような、純粋な楽しみによるものではなかった。
単なる検証実験である。
そしてその日も、残念ながらいつもどおりに俺は胡蝶の夢をみて……
まあ、そんな経緯で胡蝶の夢の法則は暴かれたのである。
だが法則がわかったからといって、夢を回避できるわけじゃない。
ただ心構えくらいはできる。それは大きな進歩だ。
例えるなら、噂の抜き打ちテストが定期テストに変わるくらいの変化だ。
あると分かっていても、いつそれがくるのか正確に分かるのと分からないのでは大きく違うのだ。
だけど、そのせいで月を見る目が変わってしまったのは、残念だと言わざるを得ない。
――キッ!
俺は立ち止まり、太陽が沈みきるのをニヤニヤと待ち望む(ようにみえる)月を睨んだ。
よくも平穏な日常を奪ってくれたな、と、さも怨めしそうに念を送る。
するとニヤニヤした月が焦って平謝りする――
そんな妄想を終え、俺は満足して鼻をならした。
そして、我が家を目指し、再び歩き出した。
(……もうすぐ満月だな……)
太陽の世界が終わり、月の世界がまさに始まろうとする空。
それを見上げつつ、俺はただ漠然とそう思った。