3.遠い日の約束
この年、一七六五年、世界から太陽が消えた。ヨーロッパ全域を襲った大地震の日からずっと、空が雲に覆われているのだ。なぜ太陽が雲に隠れているのかは分かっていない。作物の不作で食料の値段は跳ね上がり、人々の不満が各地で燻り始めている。各国の王たちは異常気象の原因を躍起になって探していた。
「シスター・アンジェラの命が惜しければ、ヒベルニアの場所と行き方を教えなさい」
彼女はきっぱりと言った。
「こう見えても、できればあなたたちに危害を加えたくないのよ。私はあなたたち二人が持っているヒベルニアに関する情報が欲しいだけ」
女王のような風格を持つ彼女は、アンジェラの後頭部に真っすぐ拳銃を向ける。彼女の名はアヤ・ソールズベリという。名門貴族の家系図に名を連ねる生粋のイングランド人で、現在は「ロッキンガム東方貿易会社」という企業に雇われている用心棒だ。
子爵家の令嬢であった彼女が家を飛び出し、安穏な生活と貴族の身分を捨てたことには理由がある。アヤには幼馴染の親友がいた。彼の名前はジャック・ロッキンガムといい、ロッキンガム東方貿易会社の跡取り息子である。アヤの両親は「成金商家の馬鹿息子」と言ってジャックを敬遠したが、アヤにとって彼は唯一友達と呼べる存在だった。
ロッキンガム東方貿易会社は、イングランド王国からの特別な委託事業を請け負う民間企業である。今から二十年ほど前、財政難で植民地を維持できなくなった王室が、その一部の統治を民間の資産家に開放したのだ。それに真っ先に飛びついたのがロッキンガム東方貿易会社の創始者ジョージ・ロッキンガムだった。王室御用達の商家とはいえ、それまで国内だけで収益を上げていたロッキンガム家はみるみる巨大化していき、今では植民地統治のための私的な軍隊まで保有している。
ロッキンガム家は、表向きはインド北部の領地から紅茶と小麦を運んでいる巨大貿易会社だ。安心で安全な品を扱う、誰もが知っている食料品店というクリーンなイメージも大衆に定着している。しかし、利益のためなら手段を選ばないことでジョージ・ロッキンガムの右に出るものはないということもまた業界では周知の事実だった。
「もっと不作になればいいのにな」
九月のある夜のことだ。ジョージ・ロッキンガムは孫のジャックとアヤの前でそう言った。ロッキンガム家の居間でアヤがジャックに相談事をしているところへ、泥酔したジョージ・ロッキンガムがスコッチウイスキーの瓶を手にやって来たのだ。イングランド中から舞い込む縁談話に苛々していたアヤは彼の姿を目にとめて顔をほころばせた。彼女は子供のころから老人というものが好きだった。
ジョージ・ロッキンガムは高齢にもかかわらず、いまだに会社の舵取りをしている。その日も恰幅のいい体躯を高級なスリーピースで包み、四十年前は男前だったであろう顔を脂で光らせていた。頭髪は色こそ真白だが禿げてはおらず、とても六十代後半には見えない。
「どこもかしこももっともっと不作になれば、俺の領地の作物がもっともっと高く売れるのに」
目を丸くするアヤの隣で、ジャックは豪快に笑った。彼はアヤより五つ年上で、この夏に二十五歳になった。祖父の過激な発言にも慣れている。
「おいおい、じいさん。そうなりゃインドの作物だって育たないだろ」
祖父の発言を丸きり冗談と受け取り、ジャックは軽い口調で言った。彼は長めの黒髪に黒い瞳の美丈夫で、ジョージ・ロッキンガムにあまり似ていない。趣味のいい赤茶のジャケットとパンツに乗馬用のブーツをはいている。彼が大股で通りを歩けばリヴァプール中の女が振り返るとも、振り返った瞬間につまずいた彼に幻滅するとも言われている。彼の底なしのどんくささは王子様のような外見と同じくらい有名だ。
ジョージ・ロッキンガムは柔らかいソファにどすんと腰を下ろし、大きな腹を震わせて笑った。
「違うさ、ジャック。俺の領地にだけは太陽が輝くんだ」
「はあ?」
「エディンバラの友人が、いいことを教えてくれたんだよ。世界中が雲に覆われ、世界が不作に見舞われているにも関わらず、ある場所にだけ太陽が輝いているんだと」
ジョージ・ロッキンガムは瓶に口をつけ、ウイスキーをごくりと飲んだ。
「へーえ、そりゃどこなんだ?」
老人が酒を飲み下すまで待ってから、ジャックは笑いながら訊ねた。本気にしていない。
「――ヒベルニアだよ、ヒベルニア。ヒベルニア王マキシムが気象を操って、世界中の空を雲だらけにしているんだとよ」
ジョージ・ロッキンガムの声はしごく真面目だった。だからジャックもアヤも腹を抱えて笑った。
「あっはっは、じいさん、ヒベルニアはないだろ!俺たちだってもう子供じゃないんだから、御伽噺は卒業したぜ!」
「おじいさまったら、ご冗談がうまいんだから!」
だが、笑い転げる二人を見るジョージ・ロッキンガムは、やはり真面目な顔をしていた。
「まあ聞け。ヒベルニアへ行ってその気象兵器を手に入れることができたら、世界の気象を思うままに操ることができるってこった。それは想像もできないくらい莫大な利益と途方もない軍事力を生む。イングランドを買うことだってできるかもしれない」
ジョージ・ロッキンガムが本気らしいことが分かると、アヤの胸の中で亡き祖母のことが思い出された。彼女の祖母は敬虔なクラシック教徒で、クラシックのリーダー・マキシム・バルトロメたちと共にエディンバラ教会と戦った人物だった。息を引き取るその時まで、彼女はヒベルニアのことを口にしていた。ヒベルニアには離れ離れになってしまった大切な仲間がいると。もう一度彼らに会いたい、ヒベルニアの地を踏みたいと。
「おじいさま、ヒベルニアは本当に存在するんですね?」
笑いを収めてアヤが訊ねると、ジャックが大げさにソファに倒れこんだ。
「あー、もー、しょーがねえなあ、アヤまで何言い出すんだか。ヒベルニアやアトランティスは御伽噺の舞台だろ。俺級のヒーローでも行けねっつうの、おわっ!」
勢いあまってソファから転落した孫を無視して、ジョージ・ロッキンガムは身を乗り出した。
「ヒベルニアが本当に存在するかどうか、それは俺にも分からん。だが、もし本当にヒベルニアがあって、そこに気象兵器があって、他の会社に先を越されたらどうなる?他の国に先を越されたら?大変なことになる。我々は富を絞り取られ、飢えに苦しみ、そうなったら戦争が起こるかもしれん。しかも勝ち目はない。その最悪の事態を避けるには、ヒベルニアの有る無しも気象兵器の有る無しも、俺たちが真っ先に確かめればいい。正直、半信半疑ではあるが、俺はうちの用心棒たちを何人か選抜して、ヒベルニアを探す」
ジョージ・ロッキンガムはウイスキーの瓶に口をつけ、それを勢いよく傾けた。
その時、アヤの脳裏に懐かしい思い出が浮かんだ。本当はもっと早く思い出さなければならなかった、心のどこかに引っかかっていた大切な記憶だ。
『ヒベルニアにはお砂糖の雪が降るのよ』
それは彼女が六歳の頃のことだ。舌足らずな口調でアヤは言った。生まれ育った屋敷の厨房で、お菓子の城を作っていた。かまどから漂う熱気が暖かったのを今でも鮮明に思い出せる。
『まあアヤお嬢様、そんなにお砂糖をかけられては。こちらのクリームになさいませ』
ブランデーの瓶を手にそう言ったのは祖母だった。瓶の中できらきらと揺れる茶色の液体は、お菓子作りには欠かせない。
『だめよ!ヒベルニアは誰も知らない西の果てにあって、世界で一番美しいお城があって、いろんなお花が咲いて、いろんな果物がなって、それでお砂糖の雪が降るの。教えてくれたのは、ばあやでしょ。それで、雪の下には黄金と宝石が、まるで石ころみたいにごろごろ転がってるのよね、ほら見て』
アヤが城の土台の中から小麦粉とクリームと砂糖にまみれた大量の貴金属類を取り出して見せると、祖母は卒倒しそうになった。
『お、お嬢様!奥様の宝石じゃありませんか!』
『いいのよ。あたしはいつかヒベルニアに行って、こんなもの、いくらでも持って帰るんだから!』
アヤはクリームだらけの両手を腰に当て、椅子の上に仁王立ちした。
『あたし、いつか絶対ヒベルニアを見つけるの!楽しみにしててね、ばあや!』
祖母は目じりに涙をにじませて破顔した。
『まあ、アヤお嬢様ったら!』
忘れていた約束への想いが胸にあふれたとき、アヤの意識はロッキンガム邸に引き戻された。目の前には怪訝そうな顔をしたジョージ・ロッキンガムと興味津津のジャック・ロッキンガムがいる。
「私、行くわ、ヒベルニアへ」
アヤの唇はひとりでに動いていた。アヤがヒベルニアを見つけると誓った時に顔をくしゃくしゃにして喜んだ祖母の姿と、息を引き取る時にアヤの手を握ってヒベルニアへの思いを口にした祖母の姿が重なって、アヤの胸を締め付けた。
「行かなくちゃならなかったのよ。約束をしたから」
過去の残像を振り払い、アヤは居住いを正してソファに浅く座り直した。ジョージ・ロッキンガムの双眸を真っすぐに見つめる。酒に酔ってはいたが、彼の眼は力強くアヤの視線を受け止めた。
「おじいさま、お願いです。私にもヒベルニア探しを手伝わせてください。私の祖母もヒベルニアは実在すると言っていました。ヒベルニアの地を踏みたかったと最期の時まで悔やんでいたほどです。私が祖母の代わりにヒベルニアへ行くことができたら、祖母はとても喜ぶと思うんです」
まじかよ、と仰け反って叫ぶジャックの横で、ジョージ・ロッキンガムは深く頷いた。
「いいだろう。だが、アヤ君……その話は二度としない方がいい」
「え?」
「ヒベルニアを聖地としているのはクラシック教徒だけだ、君のお祖母さんは恐らくクラシック教徒だったんだろう。もし彼らの縁者と知れれば君も教会に睨まれる」
ジョージ・ロッキンガムの忠告に、アヤは黙って首を縦に振った。祖母が異端と呼ばれるクラシック教徒であったことをアヤは知っていた。首をかしげたのはジャックだった。
「ん?そのクリケット教徒ってのは、みんな改宗したんだろ。じゃなかったら処刑されたって歴史で習ったぜ」
「人は自分の信じるものをそう簡単に変えられないものさ。俺の友人曰く、クラシック教徒はヨーロッパ中に潜んでいるそうだ」
「双子の魂百までってやつか」
アヤは指を三本立ててジャックの鼻先に突きつけ、ジョージ・ロッキンガムは再び孫を無視して話を続ける。
「そいつが言うには、ヒベルニアを探している人間は三種類いる。ひとつは俺たち金の亡者ども。気象兵器を手に入れてひと儲けを企む連中だ。もうひとつはエディンバラ教会。奴らはクラシック教徒の反乱を恐れていて、中でもヒベルニアの勢力は目の上のたんこぶだ。人質にしている名誉司教を餌にすればヒベルニアのクラシックどもを従えることもできるかもしれないと踏んでいるんだろう、ヒベルニアを見つけ出したら、ヒベルニア人の弾圧に走るのは目に見えている。そして最後に、クラシック教徒たちだ。ヒベルニアは彼らにとって聖地だが、そこへ行く方法は謎に包まれている」
その島は誰も見つけてはいけない島なのではないか。そんな疑問がアヤの脳裏を横切った。だが、いずれ誰かが見つけてしまうのなら、自分の手で見つけたい。そしてできることなら、祖母が想いを馳せたヒベルニアを守りたい。気象兵器とやらが悪党の手に渡らぬようにしたい。もしかしたら、そのためにジョージ・ロッキンガムを裏切ることになるかもしれないが。
「君のお祖母さんはヒベルニアを目指す手がかりを何か残していないものかね?」
アヤの思惑など知らないジョージ・ロッキンガムは、ヒベルニア探しの最初の糸口はないものかと頭を抱えていた。アヤは平静を装いつつ古い記憶を探った。祖母が亡くなってもう十年経っている。
「たしか、ヒベルニアへ行く方法はクラシックのリーダーのマキシム・バルトロメの妻と弟しか知らないと言っていました。ヒベルニアへ行く方法を知っているのに彼らはなぜ船を出さないのだろうと祖母は不満を口にしていたように思います」
「妻というのはともかく、弟というのはギーヴ・バルトロメ名誉司教猊下のことだな」
「ギーヴ・バルトロメ猊下?どなたですか?」
「普通の人間は知らない男だ。年をとらない、聖なる妖怪さ。外見は三十そこそこだが、本当の年齢は百九歳と言われてる。幽閉された塔の中でクラシックに関する研究をしているというが、クラシックが反乱を起こさないように捕らえられた人質だ。ギーヴ猊下に接触する方法と、生きていればの話だがマキシム・バルトロメの妻の居所を並行して探ってみよう」
祖父の言葉に誰よりも勇ましく立ち上がったのはジャックだった。
「聖なる妖怪に、異端の残党、御伽噺の島に、気象兵器とくらぁ、そりゃー面白そうだ!よし、俺もやるぜ!」
ジャックは軽いノリで笑いながらアヤの肩を叩いた。いつものことながらアヤは呆れ果て、ジャックに二言三言の小言を告げる。だからその横でジョージ・ロッキンガムがつぶやいた言葉は、彼自身の耳にしか届かなかった。
「御伽噺と言って笑っていられるのは今のうちかもしれんぞ」
そうしてアヤ・ソールズベリは家を飛び出し、ロッキンガム東方貿易会社に雇われた。たった三ヶ月間だったが、彼女は用心棒としての身のこなしを学び、体力や筋力をつけるための訓練や射撃の練習に明け暮れ、魔法を覚えるなど血のにじむような努力をした。特に男性と比べて体力的に劣る彼女は魔法の習得に没頭した。人の道にはずれると教会が忌み嫌う魔法を扱うことは、祖母を弾圧した教会への復讐になるような気がしてアヤはその行為に快感さえ覚えた。
遠い日にかわした約束は追い風を受け、今や彼女の胸に熱く燃え盛っていた。
ウイスキー修道院侵入当初、アヤはもう少しスムーズに事が進むと思っていた。シスター・アンジェラを脅して必要な情報を聞き出すくらい朝飯前だと思っていたのだ。拳銃や弾薬は多めに持って来てはいたが、三対一となれば、ここから離脱するだけでやっとの装備である。
「シスター・アンジェラの命が惜しければ、ヒベルニアの場所と行き方を教えなさい」
アヤはそう言って、シスター・アンジェラに拳銃を向けた。出直した方が賢明かもしれないという考えが頭をよぎったが、マキシム・バルトロメの妻と弟が二人揃って目の前にいることを考えると、引き下がるわけにはいかないという気持ちの方が大きかった。
「ヒベルニアって、御伽噺のオバケ島だろ?そんなわけ分かんないもののために、ばあちゃんに拳銃なんか向けるなよ」
長椅子の影に隠れていたコルガー少年がすっくと立ち上がり、憤るでもなく、恐れるでもなく、平然と言った。気負いのない自然体な彼の言動に、アヤは一瞬ひるんだ。彼女はアンジェラに向けた拳銃を握り直す。少年がただの命知らずならいいが。
「君はシスターのお孫さん?」
年下の少年に対して、アヤはできるだけ友好的に微笑んだ。得体の知れない相手だ、なるべく優しく、刺激しないに越したことはない。だが、色気より飲み気のコルガーはただ顔をしかめた。
「修道女に子や孫がいるわけないだろ。オレはここの住人だ」
「そう。でも彼女にはマキシム・バルトロメという夫がいたのよ」
アヤはどうやって情報を聞き出そうかと考えを巡らせる。彼女が求めているのはヒベルニアへ行く方法、たったそれだけだ。
「ねえ坊や、本当のことを教えてあげましょうか。ヒベルニアはオバケ島なんかじゃないわ。一年中花が咲き乱れ、あらゆる果実が実り、雪山の下に余るほどの黄金と宝石が眠り、世界で最も美しい城があるといわれている理想郷よ」
それはアヤが祖母から聞いた話だ。
「理想郷?オレは子供のころ、ヒベルニアにはオバケがいるって聞いたぞ。悪いことするとヒベルニアへ連れて行かれるぞ、って言われなかった?」
そうだよね、とコルガーが同意を求めるとシスター・アンジェラは困ったような顔をした。アヤは苛立つ気持ちを抑えて軽く頭を振る。少年は本当に何も知らないのだ。
「いいえ。ヒベルニアはそんな場所じゃない。そもそも架空の島なんかじゃないわ。その島にはエディンバラ教会が異端とするクラシック教徒たちが住んでいるの。このギーヴ猊下の兄君マキシム・バルトロメや、ヨーロッパ大陸から逃げ出したクラシック教徒やその子孫たちがね」
「ヒベルニアに人が住んでる?冗談だろ」
コルガーは苦笑して、助けを求めるように再びアンジェラやギーヴの顔を見た。二人とも口を閉ざしたまま、否定も肯定もしない。
「坊や、一七〇五年のクラシックの大行進のことは知ってる?」
「歴史の授業で習ったよ。クラシック教徒って、エディンバラ教会の教えに反する悪魔を信仰してたんだろ」
「いいえ、クラシックが崇めていたのは神の四人の妻よ。彼女たちは四人姉妹で、それぞれ雨の女神、雷の女神、虹の女神、極光の女神と言ったの。神が太陽や月や星を持ち上げて空と大地を切り離し、私たちの住むこの世界を創り上げたその時、同時に四人の美しい女神たちを生み出した、そう信じているのがクラシック教徒よ」
アヤ自身はその教えを信じてはいない。もはや彼女が何かの宗教を信じることはないだろう。エディンバラ教会の裏の歴史を知れば知るほど、宗教そのものに対する不信がつのり、クラシック弾圧の歴史を知れば知るほど、信仰への執着が招いた悲劇に胸が悪くなるのだ。
「シスター・アンジェラやギーヴ猊下はクラシック教徒。シスター・アンジェラはクラシック教徒のリーダーであるマキシム・バルトロメの妻で、ギーヴ猊下はマキシム・バルトロメの弟。マキシムはクラシック教徒たちを率いてヒベルニアへ渡ったけれど、この二人は大陸に留まったの。二人とも後からヒベルニアへ向かうはずだったのにそうしなかったと、私の祖母が言っていたわ。行き方を知っているのに行かなかったと」
アヤはアンジェラとギーヴへ視線を移した。何か言いわけでもして情報を漏らしてくれればいいのに、二人とも黙ったまま微動だにしない。アヤは唇をかんだ。もしヒベルニアへ行く船が出たとしたら、祖母は喜んで乗ったことだろう。しかしアンジェラもギーヴもヒベルニアを目指さなかった。そう考えると彼らが恨めしく思えてならなかった。
「私たちのことに詳しいと思ったら、あなたのお祖母さんはクラシックなのね。もしかして一七〇五年の大行進に参加していたんじゃないかしら」
しばらく続いた沈黙を破ったのはアンジェラだった。銃口を向けられているにも関わらす、彼女の声はしっかりしている。これまで幾度となく修羅場をくぐりぬけてきただけのことはある、アヤは唇だけで笑った。
「ええ。祖母は熱心な信徒だったわ。そしてマキシム・バルトロメを慕っていた。大怪我をしていなければヒベルニアまでお供したのに、って」
アヤは祖母が行くことのできなかったヒベルニアの話やマキシムたちの話を聞いて育った。エディンバラ教会へ抗議の大行進を行った時の思い出は特に好んで聞かせてくれた。祖母はマキシムに心酔していた。
「あなたたちが船を出さないのなら、私がヒベルニアへ行くわ。だからヒベルニアへ行く方法を教えて頂戴」
アヤは銃口をアンジェラの後頭部にこすりつけた。ギーヴは思案するように指先でのんびり頬をかくと、ゆっくりとした口調で言った。
「あ、あのね、俺たち、ヒベルニアへ行くよ」