3.パーティーしましょう
「君、何をやってるわけ?」
コルガーがテーブルに着くなり、ギーヴはぐったりとした様子で訊ねた。宴は続き、人々の熱気と暖炉の炎によって、パブの中は春が訪れたように暖かかった。コルガーは頬を赤らめつつビールの杯に口をつける。
「この間、ジャックと飲んだ時に有り金全部、遣っちゃって、稼がないと今夜の酒代もないんですもん。で、労働局に行ったら、このご時世じゃ、こんな仕事しかないって言われて仕方なく」
日照不足による不作、失業者増加による治安の悪化、物価の高騰、食料難。職を失くした男たちが街路に溢れ、人知れず売られていく女子供も後を絶たないという。
唯一、好調なのが林業や炭焼き業で、例年以上に寒く長くなると予測された冬に備えて薪や泥炭が飛ぶように売れているのだった。そういった真っ当な仕事は養うべき家族を持つランズエンド市民へ優先的にまわるようになっている。
「だからオレみたいな、よそ者にまわってくるのはパブのダンサーくらいなんですよ」
情けない思いで説明するコルガーに顔をしかめたのはフレドリクソンだった。
「労働局も信用ならねえ時代になったもんだぜ。ここはただのパブじゃねえ。――なあ学者先生よ、この店は誰かの紹介だったのか?」
フレドリクソンがヨイクに目を向けたちょうどその時、裏口の戸が開いて太った男がこそこそと店に入ってきた。先ほどまでコルガーにちょっかいを出していたゲルマン系の中年商人だ。彼は白い息を荒く吐き出しながらズボンの中にシャツのすそをしまい、カウンター席に着いてウェイターと言葉を交わす。
少し間をおいて、後から民族衣装の少女が店に入って来た。出番前の楽屋で、コルガーにブルネットのカツラを薦めてくれた女の子だ。彼女は着衣の乱れを直しながら、紙幣を握りしめた手で長い髪を何度か整えた。
「……ええ。地域密着の小さなアイリッシュパブには入りにくい気がして、旅行者や商人が集う酒場がないか、同じ宿に泊まっている客に聞いたのよ」
ヨイクは苦虫をかみつぶしたような顔でウイスキーを飲み干した。
「ここはいいショーを売り物にしているが、踊り子や楽団員の売春でも有名なんだ。ランズエンドに来たことのある商人の間では有名だ」
ビスマル産ビールを飲み下し、フレドリクソンがステージの上の少女たちを指す。民謡に合わせて踊る瑞々しい身体は売り物でもあったのだ。コルガーはショックを受けた。
「知らなかったとはいえ、こんな店に連れて来て悪かったわ。でもまさかコルガーがこんなところで小金を稼いでいるとはね」
「オ、オレはいかがわしいことなんてしてないぞ!てゆうかオレ、男だし!」
コルガーが弁明するとユアンがおかしそうに笑ってコルガーをからかった。
「世の中には少年を愛好する奴もいるんだぜ。労働局はそれを見越しておまえさんをここにやったんだろうな」
「げええええ!何だよそれ!」
一同はのけぞるコルガーをひとしきり笑い、気を取り直して大いに酒を飲んだ。船酔いが落ち着いたヒリールも久しぶりにきちんとした食事を取れたようだ。
「ちぇーオレまんまと騙されたってわけか。猊下、オレのこと馬鹿だと思ってるでしょう」
隣のギーヴを睨み、コルガーは唇を尖らせる。真剣な顔でタラのフライをナイフで切り分けていたギーヴは首を傾けて応じた。
「まあねえ。でも、君はすごいよ」
「嫌味ですか?」
コルガーはじとりとギーヴを睨む。ギーヴはそんなコルガーを横目で振り返り、愛おしげに微笑んだ。
「あのね、俺は君を一人の人間として尊敬してやまないよ。教養があって力仕事もできて、頭が良くて手先が器用で、家事だって得意だ。俺は神学以外の教養がないし、不器用だし、歌は歌えるけど楽器や舞踊の才能は無い。君にはほとんど嫉妬してるよ」
えええっと大げさに驚くコルガーの姿を見下ろし、ギーヴは声を立てて笑った。
「今だって慣れない旅にあっという間に順応してるし、海の男たちと一緒に大きな帆船を操って、船員の仕事を人一倍こなして、大砲を撃って海賊をやっつけて、アイリッシュダンスを踊ってフィドルを奏でる。君は、すごい」
コルガーは身体がかっと熱くなるのを感じた。他人からここまで褒められたのは生まれて初めてだ。
「まあああ猊下ってば口説き上手なんだから!ユアンも見習いなさいよ、まったく、ねえ、ヒリール?」
見つめ合うコルガーとギーヴに茶々を入れたのはヨイクだった。急に話を振られたユアンは迷惑そうに顔をしかめてヨイクに文句を言い始めたが、ギーヴは彼らに構わずコルガーの耳元で囁いた。
「でも君に負けたと心から思ったのはね」
ギーヴはコルガーの民族衣装をちらりと見て、いたずらっぽく微笑んだ。
「この女装を見たときだったね」
きょとんとするコルガーに、ギーヴは妖艶に目を細めてみせた。コルガーには彼の言葉の真意が分からなかった。
時計の針が九時を回り、そろそろお開きにしようかとユアンが言いかけたその時、店の扉がばあんと開いてベルがけたたましく鳴り響いた。入って来た一人の商人が息せき切って叫ぶ。
「おおい、大変だ!!」
その場にいた客や店員がほぼ一斉に入り口を振り向いた。
「港の倉庫や船が襲われてるぞ!!」
「か、海賊か?!」
「違う!貧乏人どもの暴動だ!!棒きれやフライパン振り回して襲って来やがる!!」
客の多くが商人だ。彼らはあっという間に入り口へ殺到し、自分の船や倉庫を守るべく店を駆け出て行く。一同も緊張した顔を見合わせ、すぐにユアンが立ち上がった。
「船が心配だ。フレドリクソン、港へ行くぞ」
フレドリクソンがユアンに大きく頷き、続いてギーヴも立ち上がる。
「リプトン君、俺も行くよ。コルガー、ヨイクとヒリールを連れて宿に戻っていて」
コルガーもヨイクも同時に「自分も一緒に港へ行く!」という顔をしたが、ヒリールを安全な場所に連れて行かなければならないことを思い出し、すぐに力強く頷いた。
「了解。ヨイク、ヒリール、ちゃんとオレについて来いよ!」
コルガーは女性陣に向かって胸を張る。
「頼もしいね。二人のこと、頼んだよ」
ギーヴに頭を撫でられ、コルガーは被っていたかつらに手をやった。
「いけね、オレ自分の服とって来る!ヨイク、ヒリール、ちょっと待ってて!」
「コルガー、待って!」
駆け出したコルガーをギーヴが引きとめた。二人はしばし見つめ合い、やがてギーヴはこんな時だというのに穏やかに微笑んだ。
「言い忘れてたよ。――すごく綺麗だ」
「……は?!」
「さあ、早くお行き」
耳まで赤くなったコルガーがよろよろとステージ裏へ消えて行く。その後ろ姿を名残惜しそうに眺めていたギーヴの肩をユアンはそっと叩いた。
「猊下、行きましょう」
ヨイクとヒリールを残し、ギーヴとユアンとフレドリクソンは店の表に出た。港の空が赤く、焦げ臭いにおいが町を包んでいた。三人は右往左往する人々にぶつかったり謝ったりしながら何とか港まで辿り着いた。船や倉庫を襲う人々は皆、怒りの形相で棒きれや箒やフライパンを手にしている。中には女性や子供の姿もあった。
「猊下、旦那!俺たちの船が荒らされてますぜ!」
フレドリクソンが指差したのは停泊しているメルセデス号だった。甲板で乗組員と暴徒が争っている。三人は人の群れをかき分けて船に駆け寄り、タラップを渡って船に乗り込んだ。額から血を流した執事と、彼を支えるカールの姿がユアンの目に飛び込んでくる。
「大丈夫か!しっかりしろ!」
「だ、旦那さま……申し訳ありません」
ユアンは執事の青白い顔を覗きこみ、眉をひそめた。ふつふつと怒りがわき上がるのを感じ、ユアンは眼下の暴徒たちを、憎しみをこめて見下ろす。――いや、冷静になれ。ここに悪人は一人もいない。みんな、貧困や不安に足を取られただけなのだ。
「……フレドリクソン、カール!彼らを丁重に陸へ返してやれ!」
「おうよ!」
「いえっさー!」
フレドリクソンとカールが元気よく応じると、ユアンは荒らされた操舵室のソファに執事を横たえた。見たところ額の傷は浅い。そばに転がっていたアクアヴィットで傷口を洗い、ハンカチを押し当ててやる。
「旦那さま、本当にすみません……」
「気にするな。しばらくここに隠れていろ」
ユアンは執事に微笑み、操舵室を出た。ここまでくると目の前に広がる乱闘騒ぎに飛びこみたい気分だった。実際、商人や船乗りは暴徒にかなり手こずっている。助太刀してやろうかと一歩足を踏み出した時、ユアンの胸に小さな頭がぶつかった。
「わっごめん、ユアン!」
「コルガー!」
ユアンの前に風のように現れたのは民族衣装姿のコルガーだった。着替えたり化粧を落としたりする暇がなかったのだろう、緑色のワンピース姿の可愛らしい少女はえらく場違いに見えた。コルガーの後ろからやってくるヨイクとヒリールの息が上がっているところを見ると、宿から港まで真っすぐ走ってきたようだ。
「私たちの宿も襲撃されていて酷い有様だったのよ。それより褒めてよ、何とかみんなの荷物を持ち出したわ」
ヨイクは肩で息をしながら手に持った荷物を持ち上げてみせる。ユアンは苦笑して荷物を受け取った。
「大したもんだ。よし、コルガー、荷物を置いたらちょっと手伝ってくれないか。船から部外者を叩き出したい」
ユアンは勇気がわいてくるのを感じた。この状況でコルガーが傍らにいるということが、何だかとても心強かった。
「いいよ、気は進まないけどな」
コルガーはユアンを見上げて頷いたが言葉通り表情を曇らせる。
「どうして気が進まないんだ?」
「オレは平民の、労働者だからな。どん底の暮らしを知ってる。それに、もしまだ故郷にいたとしたら、オレだって彼らのように暴動を起こす側だったかもしれない。オレがユアンに武器を向けたかもしれない。そう考えると、あんまり気が進まないだろ」
ユアン自身も貴族ではないが、彼は裕福な商人だ。コルガーの見ているものと自分の見ているものが違うことに気が付き、ユアンは複雑な気持ちになった。そんなユアンを安心させるようにコルガーは気さくににっこりと微笑んだ。
「でも、ま、しゃあねえよな。彼らの目を覚まさせてやるのも、愛」