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ヒベルニアの極光  作者: 葉梨
第三章
27/52

7.グラスゴーの鷲獅子亭2

 ヒリールが鷲獅子亭の一室の扉を開くと、ギーヴ、コルガー、ヨイク、ユアンがすでに集まっていた。ヒリールは落ち込んだ気持ちで黙って丸テーブルに着く。すると、ギーヴが妙に改まった顔で言った。


「ええと、改めまして、紹介するね、彼がマキシムとシスター・アンジェラの曾孫のコルガー・バルトロメ。アンジェラが来られないので彼が代理なんです」


「よろしく!」


 ギーヴの隣でコルガーは朗らかに笑った。いかにも人懐こいアイルランド人らしいとヒリールは淡々と思う。ヒベルニアにもアイルランド出身者が数多くいるが、コルガーの打ち解けようは彼らにそっくりだった。


「そしてコルガー、こちらが民話学者のヨイク・アールト、書籍商のユアン・リプトン、それからマキシムの孫でヒベルニアからやって来たヒリール・バルトロメだよ」


 ギーヴの紹介にヨイクは気さくに微笑み、ユアンも好意的に頷いた。ヒリールはどんな顔をしたらいいか分からず、目の前の少年をじっと見返すことしかできなかった。


「いやーまさか、あんたがあのヨイク・アールトだなんて思いもしなかったよ。新聞広告にはクレオパトラ級の美女って書いてあったから、正直がっかり」


 コルガーが歯に衣着せずに笑うと、ヨイクは真っ赤になって隣席のユアンの胸倉をつかんだ。


「ユアン、あんたアイルランドの新聞に何てこと書いてんのよっ!!」

「さあ記憶にないな。――よろしく、コルガー。君は女を見る目がありそうだ」


 ユアンは腰を浮かせて向かい側のコルガーと握手する。その時、扉が開いて宿の主人が夕食を運んできた。


 羊の内臓とジャガイモを煮込んだシチューとパンだけの食事だったが、全員が不平を言わずにそれを食べ始める。ギーヴがウイスキー修道院で起きたことを話し、コルガーがジャック・ロッキンガムのことを話すとヨイクが納得したようにうなった。


「ほほう、ある組織に雇われてヒベルニアの気象兵器を狙ってる連中、か」

「アヤとパーシヴァルはともかく、ジャック・ロッキンガムというのはリヴァプールの豪商一族の出だな。確か現当主ジョージ・ロッキンガムの孫がジャックという名だったと思う」


 ユアンが眉をひそめて言うと、コルガーが手を打ち合わせた。


「そういや、ジャックはパーシヴァルに若旦那って呼ばれてた」


 ロンドンに書店を構えるユアンは情報通だ。特に、商人同士のネットワークには精通しているようだった。ユアンはひとつ頷いて続ける。


「やっぱりな。となると、アヤとパーシヴァルはロッキンガム家に雇われているんだろう」

「つまり、豪商のロッキンガム家がヒベルニアの気象兵器を狙ってるってこと?商人が気象を操って何か良いことがあるのかしら」


 ヨイクが首をかしげる。彼女の疑問に答えたのはやはりユアンだった。


「ロッキンガム家は英国王室に植民地の一部の統治を任されているんだ。確かインドのどこかに領地を持っていて、もちろんそこでは農業が営まれている。ヒベルニアだけに太陽が照っているという話を聞いて目の色を変えた連中は、自分の国や自分の領地にだけ太陽を輝かせようと企んでいるんだろう。そうすれば自分たちの作物が、他の国や他の土地で高く売れるし、気象を操ることができれば外交の交渉にも戦争にも使うことができる。そう思ってるのさ」


 気象兵器なんてないのに。ヒリールは内心でつぶやく。


「なるほどね。で、そのロッキンガム家の人たちはどうして悪魔だの何だの物騒なものを使えるわけ?それとも商家の用心棒ってのはみんなあんなもんなの?」


 嫌悪感を露わにヨイクが訊ねると、それまでのんびりと食事しながら話を聞いていたギーヴが口を開いた。


「悪魔と契約を結ぶことは難しいことじゃないよ。ただ、彼らと出会うのはかなり難しい。普通に生活していたらまず遭遇しないだろうね。おそらく、ロッキンガム家はエディンバラ教会の有力者と通じていて、悪魔払い師が封じて横流しした悪魔を従えてるんじゃないかな」


「なるほどねえ。教会もかんでるわけか」

「大丈夫、大した悪魔じゃないから。後でみんなに聖水を渡すよ。――君も、そんなに落ち込むことないよ」


 ギーヴは微笑み、意気消沈しているコルガーに優しく声をかける。人知を超える運動能力を自慢としているコルガーは、二度も悪魔に歯が立たなかったことを気にしているらしい。ヒリールはスプーンをおいて食事を終えた。皿の中身は半分以上も残っていたが、食欲がわかない。ヒリールの様子がおかしいことに気がついたのはコルガーだった。


「ヒリール、もう食べないの?なんだか顔色も悪くないか?」


 コルガーに覗きこまれ、ヒリールは顔を背けた。馴れ馴れしい男の子は嫌いだ。まして、コルガーはマキシムとシスター・アンジェラの曾孫だ。ギーヴがコルガーを気に入っているように、マキシムもコルガーを好きになるだろう。そうしたら、ヒリールは立つ瀬がない。マキシムはヒリールを嫌っているのだ。


「あら、ヒリール、どうしたの?さっきから大人しいと思ったら。どっか具合でも悪い?」


 ヨイクに問われ、ヒリールは我に返った。


「ん、ちょっと」

「そういうことは早く言わなきゃ駄目よ。ユアン、私たちの部屋の鍵!」


 ヨイクがヒリールの腕をとって立ち上がる。ユアンは懐から三つの鍵を取り出し、ひとつをヨイクに手渡した。


「女性陣で一室、コルガーとおれで一室、ギーヴ猊下はお一人でどうぞ」

「ええっ?!」


 叫んだのはギーヴだった。一同は彼を見つめ、ユアンは何とも言えずに首をかしげた。


「……は?」

「そんなのだめ!リプトン君、君は俺と寝るんだ、いいね?」


 ユアンから鍵を奪いギーヴは部屋を出て行った。自然とコルガーに仲間の視線が集まる。


「え、ってことはオレ一人部屋?何で?いいの?」


 わけがわからず瞬きをくり返すコルガーに、ユアンは黙って鍵を渡した。






 こつん、と窓に小石のぶつかる音がした。パブが閉まり、街が寝静まった深夜のことだ。


 グラスゴー大聖堂を見に行くべく身支度していたコルガーは不思議に思って窓を開けた。裏路地に面した暗い窓で、ささやかなバルコニーがついている。


「やあ、ジュリエット」


 ちらちらと降る粉雪の中に立っていたのは毛皮のコートをまとったジャック・ロッキンガムだった。カーテンを閉めていなかったから、コルガーの姿が見えたのだろう。


「て、てめえ敵だろ!悪者だろ!何でいるんだ!消えろ!絶滅しろ!もしくは沈め!でなきゃ潰す!」


 コルガーはバルコニーから身を乗り出した。冷たい風とともに雪が吹きつけてきたが、さっきまで鷲獅子亭一階のパブでユアンと飲んでいたので身体はぽかぽかしている。


「しぃー!誤解を解きたかったんだよー、俺は君に危害を加える気はねえ」


 人差し指を立ててジャックは申し訳なさそうに顔をしかめた。コルガーは聞く耳を持たない。


「うるせえ、てめえんとこのパーシヴァルだのアヤだのはヒベルニアに着いたらオレたちを始末する気なんだろ!」

「んなことさせるか!俺は君が大好きだ!」

「オレが好きなのは老人だ!」

「ギーヴ猊下も見た目は俺と同じくらいじゃねーか」


 何にもわかっちゃいないな、とコルガーは得意げに鼻を鳴らした。


「てめえ、ギーヴ猊下がどんだけじじくせえか知らねえな!あの鈍さ!あのとろくささ!」 


 コルガーが拳を握りしめて熱く語る。その時、隣の部屋の窓が開いた。


「こんな夜更けに大声で悪口言われてる俺ってば、いったいどうすればいいの?」


 寝ぼけ眼のギーヴの登場にコルガーもジャックも一瞬言葉を失くしたが、ジャックは慌てて駆け出した。


「さ、さよならー!」


 取り残されたコルガーとギーヴは顔を見合わせた。


「ご、ごめんなさい、起こしちゃいました?あ、あいつが勝手に訪ねて来たんですよ?」


 弁解するコルガーにギーヴは目をこすりながら応じる。


「分かってるよ。君はジャック・ロッキンガムに気に入られたみたいだね。ところで、どうして出かける支度なんてしてるの?」

「えっと、グラスゴー大聖堂を見に……」

「はあ、建築おたくなんだから。俺も行く、ひとりじゃ危ないよ」


 ギーヴは寝間着のボタンをはずし始める。


「オレは自分の身は自分で守れます」

「悪魔と喧嘩するのは俺の方が得意でしょう」


 パーシヴァルの悪魔アザゼルに殺されかけ、アヤの悪魔ミスティックにも歯が立たなかったコルガーとしては二の句が告げない。


 二人は鷲獅子亭を出て夜の街を並んで歩いた。しんしんと降る雪を見上げながらのんびりと歩を進めていると、すぐにグラスゴー大聖堂の前に辿り着いた。


「やばい、どうしよう、気絶しそうだ」


 外灯の灯る真夜中の広場で、コルガーは首が折れそうになるほど大聖堂を見上げた。興奮して寒さを忘れているが、そわそわと落ち着きなく足踏みする。ギーヴは冷めた目でコルガーを見た。


「お願い、気絶はしないで」


 グラスゴーの大聖堂は十二世紀から約二百年かけて建てられた重厚なゴシック建築である。バシリカ式の建物は圧倒的な迫力と歴史の重みを感じさせる。


 城を中心に町ができたエディンバラとは異なり、グラスゴーは大聖堂を中心に交易で発展した根っからの商人の町だ。行政や宗教の中心都市であるエディンバラとは対照的である。グラスゴー商人の取引先は国内だけに留まらず、イングランドやアイルランドはもちろん、北欧やフランス、果てはアメリカ大陸にまで及ぶ。


「中に入りたいなー入れないかなー」


 うろうろと徘徊しつつ、コルガーは考えをめぐらせる。当然だが、正面の扉は閉ざされ、辺りに人気はない。ギーヴは「ここで待ってるから好きなだけ見て来て」と言って広場のベンチに座り込んでしまった。


「そうだ!」


 コルガーは両手を打ち合わせた。

 建築おたくは建物の裏手にまわり、息を潜めて大聖堂の側面を登り始めた。目指すは鐘塔の窓。そこには木戸もガラスもなかった。


「ステンドグラスが見たい、天井が見たい、祭壇が見たいし、床のタイルも見たい」


 ぶつぶつとつぶやきながら、コルガーは軽々と壁を登る。


「側廊の柱も見たいし、ついでに絵画も見たいもん。よいしょっと」


 あっという間に、コルガーは四階建てほどの高さの窓に到達した。窓を乗り越え、鐘塔内の螺旋階段に着地する。真っ暗で、うっかりすると脚を踏み外しそうだった。


「せっかくだから、塔の頂上から町を見てみようかな」


 暗闇に目が慣れてから、コルガーは階段を上り始めた。一段飛ばしでひょいひょいと上っていくが、一段一段の高さはかなりある。加えて頂上までの距離も長い。常人なら五分近くかかってやっと上りきるような塔だ。


「着いたー!すげー!かっこいいー!」


 一分とかからず頂上に到着したコルガーは大鐘を触り、四方に開けた窓のあちこちから何度も顔を出す。建築おたく、興奮の極みである。


「さすがにステンドグラスが大きい分、すごいバットレスが付いてるなあ。これは五百年以上持つんじゃないかな?すごいなーすごいなー。ブルネレスキのルネッサンス建築が一番好きだけど、こういうゴシックも良いなー」


 大聖堂を眺め終えると、コルガーはようやくグラスゴーの夜景に目を向けた。深夜だというのに、まだところどころに明かりが見える。そのぽつぽつとした橙色の光の群に、コルガーはため息を吐き出した。


「でっかい町。ここ異邦なんだよな」


 石の窓枠に頬杖をつく。そのひんやりとした感触に、忘れていた寒さを思い出す。


「ばあちゃん、元気かな」


 急に心細くなって、コルガーは故郷を思い浮かべた。緑いっぱいのウイスキー修道院、優しいシスター・アンジェラ、修道女たちや老人たち、行きつけのパブや仕事場の仲間たち……。


「元気だと思うよ、よいしょ」


 足元で声がしたと思ったら、ギーヴが現れた。


「猊下!まさか壁を登って来たんですか?!」

「そんなに驚くことないでしょう。俺は君と同じだもの、君にできることは俺にもできるよ。それより、せっかくだからステンドグラスを見ようよ」


 ギーヴはそう言ってさっさと階段を下り始めた。六十年間エディンバラの塔に幽閉されていた彼は、高い所には飽き飽きしているのかもしれない。コルガーは彼を追って階段を下り、真っ暗な大聖堂へ足を踏み入れた。

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