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ヒベルニアの極光  作者: 葉梨
第二章
13/52

4.劇団潜入

 三人は街道に出た。目指すは西、商業都市グラスゴー、ユアンの生まれ故郷である。彼らはそこでギーヴと落ち合う約束をしていた。エディンバラとグラスゴーは運河でつながっているので船での移動が楽だが、関所の検問に引っかかることを考えると交通量の多い陸路の方が安全だ。どさくさに紛れて関所を通過することができる。


 ユアンは疲れて眠ってしまったヒリールを背負い、ヨイクの横を歩いていた。考えることは色々とあったが、彼の第一の仕事は金の工面である。頭の中で諸経費の計算をしながら黙々と足を動かしていると、やがてヨイクがおかしそうに笑った。


「まだヒベルニアに骨をうずめる心配してるの?」


 そういうわけではないと言おうとしたが、ユアンは思い直した。確かに、それも心配ごとのひとつだ。


「ヒベルニアからこちらへ帰る方法が分かったとしても、果たしてヒベルニア王はおれたちを帰してくれるだろうか。おれたちはヒベルニアの秘密をあまりに知りすぎてしまったと思わないか?」

「ギーヴ猊下がヒベルニア王を説得してくれることになってるけど、どうなるかしらねえ」


 ユアンはギーヴ・バルトロメの暢気な顔を思い出し、いまいち期待できないなと思った。


「ま、あんたは自分の望みのことだけを考えていればいい」


 暮れなずむピンク色の空を見上げ、ユアンはヨイクを追い越した。


「おれは何があっても、あんたを裏切らない。あんたが誰を敵にまわしても、おれだけはあんたの味方だ」


 ヨイクは彼の後ろでふふっと嬉しそうに笑った。


「そんなこと、とっくに知ってるわ」


 ヨイクは雪道に小さな足跡を作りながらさらにユアンを追い越した。その姿勢のいい真っすぐな後ろ姿に、ユアンは心を奪われ目を細めた。民話学者になると言って家出してからずっと、ヨイクは常にそうやって自分の求めるものを追いかけてきたのだろう。ユアンは彼女の情熱が眩しかった。


「……ううん」


 ユアンの背中でヒリールが身じろぎした。


「目が覚めたか?」

「うん」


 ユアンはヒリールを背中から下し、その眠たげな顔を覗きこんだ。


「歩けるか?」


 少女はこっくりと頷いたが、それから不安そうな顔でヨイクとユアンを交互に見た。


「もしかして、グラスゴーまでこの道をずうっと歩くの?」


 それは無理、と少女の顔には書いてある。旅慣れない彼女の足では難しいだろうことはユアンも予測していた。


「大丈夫だ、馬車に乗る。三人でいると目立つから、団体様の中に潜り込むんだ」

「団体様?」

「今に分かるわ」


 小首を傾げるヒリールにヨイクが胸を張った時だった。午後四時過ぎ、すっかり暗くなった街道を、ごとごとと何かが近づいてくる音がした。音はどんどん大きくなり、地平線の向こうから何かがやって来るのが見え始めた。


「あれは……?」


 ヒリールが怯えた顔でヨイクとユアンを見上げたので、二人はつい笑ってしまった。


「大丈夫、あれはユアンのお友達の馬車よ」


 馬車は三台連なって走って来た。どれも大きな幌馬車で、それぞれ二頭の馬が車を引いている。三人の前で馬車が急停車すると幌の中から大柄な男が飛び降りて来た。


「よう、リプトンの旦那!言われたとおりの時刻にエディンバラを出発してきたぜ!」

「助かった。グラスゴーに着いたら約束の金のもう半分を払うよ」


 ユアンは大男に応じつつヒリールの手を取って幌馬車の荷台に彼女を乗せた。続いてヨイクも乗り込む。幌の中には様々な衣装と小道具が詰まっていて、彼女たちは興味深そうに荷台をぐるりと見回した。


「彼らは旅の劇団で彼とは昔からの知り合いだ。エディンバラでたまたま会って、グラスゴーに行くというから乗せてもらう約束を取り付けたんだ」


 ユアンがヒリールに教えてやるとヨイクは彼女に囁いた。


「ユアンは多方面に無駄に知り合いが多いのよ」


 無駄にとは失礼な。ユアンも荷台へ乗り込み、大男もそれに続く。やがて馬車は走り出した。


「これまでに検問に遭ったか?」


 適当なところに腰を落ち着け、ユアンは大男こと劇団長に訊ねる。ヒリールをリラ城から連れ出してからもうすぐ丸一日経つ。教会がどの程度追手を差し向けているか気になるところだ。


「エディンバラを出る時に一回あったきりで後は静かなもんだぜ」


 教会はまだ本格的に動いていないのだ。それも時間が経てばどうなるか分からないが、まだ安心していられるようだ。


「ねえ、旦那、今度は何する気なんだい?」


 荷台の奥の方に座っていた数人の女の中の一人が煙管をくわえた唇で気だるげに訊ね、ユアンに近づいて来る。名前は忘れてしまったが、以前からの知り合いの女だ。ユアンは唇の端を上げて答えた。


「ちょっとばかし、教会に喧嘩を売ろうと思ってるんだ」

「まあいやだ」


 いやだと言いながら女は楽しそうにユアンの腕を取った。


「男って無茶ばかりするんだから」


 流し目をくれる彼女に言葉を返そうとした時、馬車が速度を落とした。


「心配すんな、今夜の宿に着いたんだ」


 敵襲か検問かと思わず腰を浮かせたヨイクとユアンに劇団長が笑った。街道沿いにつくられた隊商宿に到着したのだ。三台の馬車に乗った劇団員たちは隊商宿に入ると馬を休ませ、食事にありついた。ユアンたちも彼らと食卓を囲み、男女別の大部屋で眠りに着いたのだった。





 ちらちらと雪が降る。グラスゴー近郊の険しい森の中の街道を、三台の幌馬車が音を立てて駆けていく。演劇団の馬車だ。


 白い森の中に、娘たちの朗らかな歌声が響く。


「彼の故郷は青い釣鐘草の咲き乱れる美しい(くに)


 戦地へ赴いた恋人を想う歌だ。


「真実の愛で彼を守る、この私の命をかけて」


 三台のうち、真ん中の馬車に若い娘たちが乗っている。歌いながら、衣装や小道具を作っているのだ。前後の馬車に乗った男たちは景気の話をしながら、彼女たちの歌う声に耳を傾けている。


 曲目が変わった。緩慢だが陽気な歌だ。ライ麦畑のカップルを冷やかすスコットランド民謡である。


「あっはっは、何よこの歌?」


 大口を開けて笑い、ヨイクは訊ねた。


「うふふふ、乙女の青春の歌よ」

「スコッツの女もたくましいわ」


 娘たちと笑い合いながら、ヨイクは手を動かした。メモに歌詞を書いているのだ。ヒベルニアのことが済んだら、こうして民謡を集めるのも面白いかもしれない。


「ねえ、リプトンの旦那って、本当はあんたのいい人なんじゃないの?」


 隣の娘がヨイクの腕をつついた。ユアンは先頭の馬車に劇団長と一緒に乗っている。他の娘たちも興味深げに頷いた。ヨイクは鞄にメモをしまい、舞台衣装の刺繍の手伝いに戻った。


「違うってば、あいつはただの友達よ」

「えー、またまたあ」


 ヨイクとユアンとヒリールは、劇団員と同じような服を着ている。すでに二度ほど検問にあったが、怪しまれもしなかった。彼らが劇団に潜伏してもう四日目だ。三人は劇団員たちとともに馬車に揺られて街道を進み、夜は隊商宿で眠った。


「午後には森を抜けてグラスゴーに着くだろうから、荷物をまとめておけよ。ただし、服はそのままにしておけ。恐らく市門の前で検問に遭うだろうから」


 昼の休憩の際、ユアンはヨイクとヒリールにそう囁いた。


「おおい、みんな、そろそろグラスゴーに着くぞ!」


 先頭の馬車の御者が叫んだ。ヨイクが幌の中から顔を出したそのとき、馬車が森を抜けた。辺り一面に広大な雪原が広がり、地平線にぽつんと町が見える。立派な屋根と鐘楼を持った大聖堂がある町だ。街道はその町へ向かって真っすぐに敷かれていた。


「ヒリール、起きなさい。グラスゴーに着くわ」


 ヨイクは幌の中に戻り、荷台の隅っこで丸くなっていたヒリールを揺さぶった。


「ううううん、起きた」


 目をつぶったまま上半身を起こし、ヒリールは頭から毛布を被った。それをはぎとり、ヨイクは一喝する。


「こら、目を覚ましなさいっての。しっかりして、最後の検問よ。これを抜ければ無事に故郷に帰れるんだからね」

「うううううん」


 そうこうしているうちに馬車はグラスゴーの市門にどんどん近付いていた。馬車が速度を落とした時、最後の検問が始まったとヨイクは腹に力を入れた。


「何だかえらく時間をかけてるみたいね」


 劇団員の娘がヨイクに言って指さしたのはグラスゴーの市門と、それに向かって伸びる行列だった。徒歩の者も馬の者も馬車も、雪の中で辛抱強く並んでいる。劇団の三台の馬車も静かに行列の最後尾に着いた。


「いつまで待たされるかしら」

「日が暮れるまでに中へ入れるといいわね。今夜はまた一段と冷え込みそうだもの」


 娘たちはそう言ってのんびりと笑い合い、再び刺繍を始める。ヨイクとヒリールも緊張を抑えてそれを手伝った。


 しばらくして、先頭の馬車に憲兵の声がかかった。


「全員の首札を改める。一人ずつ馬車を下りて来い」


 ヨイクとヒリールは緊張しながら馬車を下り、首札を手に憲兵の前に立った。とはいえ、ヒベルニア人のヒリールはユアンの用意した偽造の首札を使っているし、ユアンもグラスゴーではお尋ね者なので偽名と偽造首札で今までの検問を通過した。まともな旅行者はヨイクだけだったが、彼女は彼女で著名人なので「あ、新聞広告の民話学者のヨイク・アールト?」と役人に訊ねられては恥をかいていた。


 劇団員全員が検問を終えると、馬車は市門をくぐってグラスゴー市に入った。ちょうどそのとき、グラスゴー大聖堂の鐘が鳴った。馬車は中央広場で止まり、三人は服を着替えて劇団と別れた。


「ぶ、無事に辿り着いた……!」


 ヨイクは万感の思いをしみじみと口にした。ここまで来ればヒベルニアは目前だ。ヒリールもほっとしたように微笑む。


「わたしもどきどきしちゃった」


 意気投合する女子たちに、冷や汗ひとつかいていないユアンが背を向ける。


「先に『鷲獅子亭』へ行ってくれ。おれも野暮用を片付けたらすぐに行く」


 ユアンは言い捨て、通りかかった辻馬車に颯爽と乗り込んでいずこかへ去って行った。残された二人は荷物を背負って歩き出す。


「仕方ないわねえ。ヒリール、行きましょう。ああいう勝手な男を夫にしちゃダメよ」

「ユアンは勝手?」

「そうね、勝手。というより自由、かな」


 十五歳で渡米し、十九歳で自分の会社を設立し、二十三歳で書籍商に暖簾変えをしたユアンが、ヨイクは羨ましい。彼は心のままに生きているのだ。


「ここ、ユアンと初めて会った場所だわ」


 ヨイクがつぶやいたのは劇場前の広場だった。貴族や商人の馬車が行きかい、カフェやレストランが賑わっている。三年前にヨイクの目の前で起こった惨劇が嘘のようだったが、彼女の胸はちくちくと痛んだ。


「ユアンとヨイクはこの町で出会ったの?」

「私があの店でカフェオレを飲んでたら、ユアンの家の使用人が貴族に因縁つけられて殺されたの。で、あいつってばその貴族のことを拳でぶん殴った」


 自分の拳を固め、ヨイクは空を殴る。ヒリールは目を丸くして頬に両手をあてた。


「うわあ」

「世の中にはすごい奴がいるもんだと思ったわ。ユアンはその貴族に銃を向けられて、ああ助けなくちゃって思った時には私も引き金を引いてた。幸いその御貴族様は死ななかったけど、どうやらカスリ傷を負わせてしまったらしくて、私もここでは半分お尋ね者よ」


 ヨイクは足早に劇場前を通り過ぎた。


「私とユアンが出会ったころの話をしましょうか」



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