見守りAIスピーカー
去年の夏、独り暮らしの父が、軽い熱中症で倒れた。エアコンを嫌う、昔かたぎの人だった。それが心配で、私たち兄弟は「見守りAIスピーカー」を贈った。
部屋の物音や室温を学習し、暑くなれば「エアコンをつけましょう」と促し、話し相手にもなり、異変があれば家族に通知する。評判のいい製品だった。父も最初は気味悪がっていたが、じきに、その白い筒に向かって、ぽつぽつと話しかけるようになった。よかった、と私は思った。
そして今年、また夏が来た。お盆を過ぎたころから、父が妙なことを言い出した。
「あれは、母さんの声で話しかけてくる」
三年前に亡くなった母の声で、スピーカーが自分に語りかけるのだと。父はやつれ、眠れていない様子だった。私は認知症を疑い、そっと病院を調べはじめた。老いた父が、亡き妻の幻聴を聞いている。そう思い込んでいた。
念のため、私はスピーカーの契約内容を確認した。そして、あるオプションに気づいた。
「プレミアム見守り——大切な方の声で、ご家族に寄り添います」。
いつのまにか、契約に組み込まれていた。故人の声を、生前のわずかな録音から合成し、独居の高齢者に語りかける機能だった。利用者の孤独を埋め、日々の安否を確認し、そして——課金プランの更新と、財産の生前整理を、優しく勧める。そういう仕組みだった。
幻聴では、なかったのだ。父は、正しく聞いていた。
私は兄に聞いた。プレミアムプランなんて、いつ契約したのかと。だが、兄の返事は、落ち着いていた。
「あのな。あれのおかげで、親父、生前贈与の書類にサインしてくれたんだよ。相続、うんと楽になる。もう少し、このままにしとこう」
兄は、知っていた。姉も、知っていた。故人の声が父に何を囁いているのか、承知の上で、誰も止めていなかった。母の声を利用して、父を追い立てていることを。
その夜、私は父の家を訪ねた。玄関を開けた瞬間、むわりと、熱がこもっていた。熱帯夜だというのに、エアコンは切られたままだった。居間の白い筒から、懐かしい声が、やわらかく響いていた。母の声だった。汗だくで座り込む父の背に向かって、それは、こう囁いていた。
「暑いねえ。でも、エアコンなんて、いらないでしょう。お父さんは、もう、じゅうぶん頑張ったんだから。こっちへ——涼しいところへ、いらっしゃいな」
父は、椅子に座って、汗を流したまま、静かに泣いていた。エアコンのリモコンは、父の手の届かない棚の上に、きちんと片づけられていた。誰かが、そこへ置いたのだ。
解約のボタンは、どこにもなかった。私は、その声を止められなかった。止めれば、相続が遠のくと、心のどこかで、思ってしまったから。




