第8話:自動ドアの拒絶と、聖女のヒステリー
【偽りの聖女、地獄を歩く】
アビス・ダンジョンの深淵。そこは、光の一筋すら届かぬ死の揺り籠である。 かつてこの地を歩んだ者たちが残した絶望と、常に漂う腐敗した魔力の霧。その中を、場違いなほどに輝く一団が進んでいた。
聖女セラフィナを筆頭とする、王国遠征隊である。
騎士たちは泥濘に足を取られ、鎧の隙間に染み込む瘴気に顔を歪めていた。だが、その中心を歩くセラフィナだけは、まるで春の庭園でも散歩しているかのような装いだった。 彼女の周囲にはキラキラした星がが揺らめき、泥も埃も、そしてアビスの不快な湿気さえも完璧に弾き返している。
「まあ、皆さま。そんなに辛そうなお顔をなさって、どうしましたの? わたくしたちは、道を踏み外してしまったかわいそうなアリシア様を助けに行く、希望の光ですのよ。もっとキラキラとしたお心で進みましょう」
セラフィナは、桃色のツインテールを揺らし、瞳に宿る星を輝かせて微笑んだ。その言葉は慈愛に満ちているようでいて、騎士たちの疲労を何一つ理解していない、粘りつくような傲慢さが透けて見えた。
彼女にとって、この過酷な探索も、騎士たちの苦悶も、すべては自分が「聖女」として輝くための舞台装置に過ぎなかった。 セラフィナの脳内では、この世界の道理とは異なる論理が働いている。
――もう、この移動イベントは長すぎますわ。本来なら、アリシアが泣き叫んで魔物に襲われているところにわたくしが登場して、レオン様との好感度を一気に上げるはずでしたのに。あのイレギュラーな令嬢、さっさと悪役らしく退場すればいいんですの。
聖女の仮面の裏側で、セラフィナは不機嫌そうに舌打ちを飲み込んだ。彼女にとって、この世界は自分を中心に回るべき「物語」であり、予定調和を乱すアリシアの存在は、消去すべき不具合でしかなかった。
【拒絶の門】
やがて、遠征隊の前にそれは現れた。 それまでの岩壁が嘘のように切り取られ、そこには滑らかな金属質の壁と、左右に分かれた「大きな板」が鎮座していた。 アビスの風景にはおよそ似つかわしくない、洗練された人工物の門。
「な……。なんだ、これは。このようなものが迷宮の奥にあるなど、聞いたことがないぞ」
騎士の一人が剣を構え、困惑の声を漏らす。 セラフィナは目を細め、その門をじろじろと眺めた。
「あら。アリシア様、こんなおかしなものを拾って、お家に閉じこもっていますのね。きっと寂しくて、意地悪な魔法で門を作ってしまったんですわ。わたくしが優しく開けて差し上げますの」
セラフィナは自信満々に、門の前へと進み出た。 彼女の想定では、ヒロインである自分が近づけば、扉は畏怖して開くか、あるいは魔力によって破壊されるはずだった。
だが、現実は異なった。
門の上部に設置された、赤い光を放つ小さなレンズ。それがセラフィナを捉えた瞬間、無機質なシステムメッセージが空間に響いた。
『――スキャン完了。対象を識別……不衛生な有機物、および敵対的魔力反応を検知。セキュリティ・レベル:高。入館を拒絶します』
「……なんですの? いま、何と言いましたの?」
セラフィナの笑顔がぴくりと引きつった。 彼女はもう一歩、門に近づく。だが、門はぴくりとも動かない。 それどころか、プシューという音と共に、足元に赤いラインが投影された。
「開きなさい。わたくしは聖女セラフィナですの! このお汚いお板切れ風情が、わたくしを拒絶するなんて許しませんわ! さっさとイベントを進めなさいの!」
セラフィナは門を拳で叩き始めた。その姿は先ほどまでの聖潔な乙女とは程遠く、思い通りにならない玩具を前にした子供のようなヒステリーを露呈していた。
「壊しなさい! 騎士たち、何を見ているんですの!? この汚らわしい門を、粉々に叩き壊すんですのよ!」
騎士たちが慌てて剣を振り下ろすが、金属の壁には傷一つ付かない。それどころか、剣が触れた瞬間に不可視の衝撃波が走り、騎士たちは泥の中に無様に転がった。
「嫌、嫌ですの! どうして開かないんですの!? わたくしを誰だと思っているんですのぉっ!」
狂ったように叫ぶセラフィナ。その頭上では、赤いセンサーが冷徹に彼女を「排除すべき汚れ」として認識し続けていた。
【モニター越しの観戦】
門の向こう側。そこは、二十四度に保たれた完璧な楽園の応接室であった。 アリシアは、ふかふかのソファに深く腰掛け、壁一面に浮かび上がる巨大な光の板――モニターを見上げていた。
「……随分と賑やかですわね。わたくしの楽園の静寂を乱すとは、育ちが知れるというものですわ」
アリシアの指先には、新しく手に入れたばかりの新作、黒胡椒が効いたポテトチップスがあった。それをサクッと優雅な音を立てて齧り、傍らのルルに視線を送る。
「ルル。あの方たちは、何をしているのかしら?」
「お嬢様、どうやら門に嫌われているようです。あの門、不潔なものを中に入れないようにと、ジェネシス様が仰っていましたから」
「まあ。つまり、あのピンク色の方は、わたくしの門に『ゴミ』だと断定されたということですのね。ふふ、機械というのは時として、残酷なまでに正直ですわ」
アリシアは楽しげに、泥まみれで喚くセラフィナを眺めた。 隣で控えていたカイルは、モニターに映る「聖女」の変貌ぶりに、引きつった笑いを浮かべていた。
「お嬢様……。一応、あれでも王国の聖女様なんですけど。あんなにヒステリックに門を叩いている姿を、民衆が見たら絶望しますよ」
「あら、カイル。あの方は自分からこの地へ足を踏み入れたのですわ。招かれざる客が、勝手に土足で踏み込んで、勝手に拒絶されて憤慨する……。喜劇以外の何物でもありませんわね」
アリシアは最後の一枚を口に運ぶと、手元のジェネシスをスワイプした。 彼女の瞳に、支配者としての冷徹な光が宿る。
「けれど、あまりに騒がしくては、午後のティータイムの邪魔になりますわ。……カイル、あの方たちがあまりに汚れているから、門が困っているのでしょう? 少し、丁寧に『お清め』をして差し上げなさい」
「……お清め、ですか」
「ええ。最大出力で。わたくしなりの、精一杯のおもてなしですわ」
【高圧洗浄の慈悲】
門の外では、セラフィナが魔力を暴走させ、周囲の泥を巻き上げて叫んでいた。
「わたくしの道を開けなさいなの! 汚らわしいアリシア! 出てきてわたくしに跪きなさいなの! そうすれば、許してあげてもいいんですのよ……っ!」
その瞬間だった。 門の上部に設置された、幾つものノズルが音もなく回転し、セラフィナ一行に向けられた。
『――対象の汚染レベルを再評価。広域高圧洗浄シーケンス、起動します。浄化の雨を受け取りなさい』
ジェネシスの冷ややかなアナウンスと同時に、凄まじい轟音が響き渡った。
門から放出されたのは、単なる水ではない。SSR級の浄化魔力を帯びた、超高圧の霊水である。
「ぎゃああああ! ですのぉぉぉ!」
セラフィナの悲鳴は、即座に激しい水音にかき消された。 聖女を自称する彼女が纏っていた「黄金の守護」など、高圧洗浄の圧力の前では紙屑も同然だった。 魔力ごと、プライドごと、そして塗り固めた美貌ごと。 凄まじい水圧がセラフィナを地面に叩きつけ、文字通り「ごしごし」と洗っていく。
彼女と共にいた騎士たちも、文字通り水の暴力に呑まれ、一掃される。泥まみれの鎧はみるみるうちに磨き上げられていくが、中の人間たちは、まるで激流に放り込まれた木の葉のように無様に転がった。
「やめ……やめてですの! 冷た……! 息ができな……っ! がはっ!」
数分後。 洗浄が終わった後の地面には、ピカピカに磨かれた石畳と、そこに突っ伏して震えるセラフィナの姿があった。 桃色のツインテールは、濡れたネズミの尻尾のように力なく垂れ下がり、自慢のドレスは張り付いて無惨な有様。瞳の星は、涙と鼻水に掻き消されていた。
何より屈辱的だったのは、門の赤いセンサーが「ピッ」と軽快な音を鳴らしたことだった。
『――洗浄完了。表面の汚染を確認……許容範囲内です。……ですが、内面の汚濁が修復不可能なレベルのため、依然として入館は拒絶されます。お引き取りください、ゴミ(不燃物)の皆様』
セラフィナは泥の中に顔を埋めたまま、がたがたと震えていた。 モニター越しにその醜態を見下ろすアリシアは、空になったポテトチップスの袋をルルに預け、涼しげに告げた。
「あら、少しは綺麗になりましたわね。……けれど、心の汚れは、わたくしのガチャの力をもってしても、洗い流すことはできなかったようですわ」
扉の向こう側から聞こえる、アリシアの氷のような冷たい笑い声。 セラフィナは屈辱に顔を真っ赤に染め、震える指を門へと向けたが、もはや言葉を紡ぐ力すら残っていなかった。
楽園の主人は、次なるガチャのボタンに指をかけ、不敵に微笑んだ。




