第6話:拡張される楽園と、狂気のガチャ・タイム
【嵐の後のティータイム】
アビス・ダンジョンの最深部。そこは本来、死と腐敗が支配する暗黒の領域である。しかし今、この一画だけは、外の世界のいかなる王宮よりも清潔で、芳醇な香りに満ちた空間へと変貌を遂げていた。
「……ふう。ようやく空気が澄み渡りましたわね。ゴミ出しというのは、存外に体力を消耗するものですわ」
アリシア・フォン・アステリアは、純白の磁器に注がれたアールグレイを一口啜り、満足げに目を細めた。 彼女の目の前には、つい先ほどまで王国騎士団という名の不潔な害虫が這いずっていた石畳が広がっている。だが今、そこには微塵の塵も、腐敗した忠誠心の残り香すら存在しない。すべてはSSR級の洗浄能力によって、文字通り「洗浄」されたのだ。
「お、お嬢様……。あの、ブランドン団長たち、本当にそのままダンジョンの外まで掃き出されちゃいましたけど……。あれ、死んでないですよね?」
カイルが引きつった笑顔で、伝説の霊水を注いだバケツを片手に尋ねる。彼はまだ、自分の主人が行った「強制洗浄」という名の暴挙――いや、神業の余韻に震えていた。
「心配しなくて結構よ、カイル。彼らはただ、魂の隅々まで磨き上げられただけ。……まあ、あまりの清潔さに、これまでの汚濁に満ちた人生が嫌になるくらいの副作用はあるかもしれませんけれど」
「アリシア様、次はあちらの壁の煤を落としてまいります。……私、アリシア様の支配するこの場所が大好きです。ここは、本当の楽園です」
ルルがメイド服の裾を軽やかに揺らし、銀髪を輝かせて微笑む。彼女の金のオッドアイには、アリシアに対する盲目的なまでの崇拝が宿っていた。
アリシアはその様子を眺めながら、自らが築き上げたこの「楽園」の現状を分析する。 清潔な寝床、枯渇することのない霊水、そして完璧に忠実な使用人。 だが、彼女の飽くなき支配欲――あるいは、その深淵に潜む「渇き」は、まだ満たされてはいなかった。
【拠点の「アップグレード」宣言】
アリシアは静かにティーカップを置くと、傍らに浮かぶ漆黒の石版――ジェネシスへ視線を向けた。
「ジェネシス。現在の楽園の防衛態勢および、居住快適指数の評価を」
『了解。……バイタルチェック、オールグリーン。しかし、環境ログを確認したところ、先日の害虫侵入の際、不快なデシベルの騒音および、未洗浄の有機物による汚染リスクが閾値を超えていました。結論:現在の楽園は、マスターの尊厳を維持するにはあまりに「手狭」で「脆弱」です』
「ええ、その通りですわ。私の支配が及ぶこの地を、あのようなゴミに土足で踏み荒らされるのは、二度と御免です」
アリシアの声は冷徹だった。だが、その指先は、期待に小刻みに震え始めている。 彼女の頭脳が、ガチャを回すべき「正当な理由」を爆速で構築していく。
(そうよ。これは浪費ではない。未来への投資よ。騎士団が再び現れる可能性、魔物の襲撃、そして何より、私の美意識を損なう環境の不備……。これらを一掃するためには、より強力な、より根源的な「力」が必要だわ……!)
理性のタガが、音を立てて外れ始める。 アリシアの瞳のアメジストが、妖しく、ギラリとした光を放ち始めた。
「カイル、ルル。少し離れていなさい。……今から、この楽園に真の礎を築くための、神聖な儀式を執り行います」
「あ、まただ……。お嬢様のあの目、完全に『やる』時の目だ……」
カイルが胃を押さえて後ずさる中、アリシアはジェネシスの画面に、溜まりに溜まったリソースを全投入するコマンドを入力した。
【狂乱のガチャ・フェスティバル】
(……来た。来たわよ、この瞬間が……っ!!)
アリシアの内心の独白が、高貴な令嬢の仮面を粉々に砕き、狂熱のギャンブラーへと変貌を遂げる。
(溜まりに溜まった魔力結晶、王国騎士団を排出したボーナスポイント……。これら全てを今、この一撃に注ぎ込む! 乱数の女神よ、跪きなさい。私の指先が、運命のテーブルを無理やり回転させてあげるわ!!)
「――回せ(ロール)ッ!!」
アリシアが絶叫に近い気合と共に画面を叩くと、ジェネシスからこれまでの比ではない、極彩色のオーロラが噴出した。 ダンジョン全体の岩壁が、バイブレーションのような激しい振動と共に鳴動する。
『――警告。エネルギー充填率、限界突破。施設限定・特異点ガチャ、起動します。……抽選開始』
(虹よ……! 虹を見せなさい! 黄金の流星なんていらない、私が欲しいのは宇宙の真理(SSR)だけよ! ああ、回っているわ……! この、脳髄を痺れさせるような期待値の奔流! たまらない……これこそが人生! これこそが支配だわ……っ!!)
アリシアの瞳孔は完全に開き、口角は吊り上がり、その姿はもはやただの令嬢ではなく悪徳令嬢に近い。 オーロラの光が極限まで収束し、漆黒の闇を一瞬で白銀の輝きへと塗り替えた。
『――排出確認。SSR、およびSR。対象、現界します』
光が収まったそこには、二つの異形な、しかし洗練された機械装置が鎮座していた。
『SSR:魔導気候管理システム』 『SR:全自動ポテトチップス製造機』
瞬間。 それまでダンジョン内に漂っていた湿り気とカビの臭いが一掃され、まるで春の高原のような爽やかな風が吹き抜けた。同時に、機械から香ばしい揚げたての香りが漂い始める。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
アリシアは激しく肩を揺らし、噴き出した汗をルルが差し出したハンカチで拭うと――次の瞬間、何事もなかったかのように背筋を伸ばし、扇で顔を隠した。
「……ふふ。ええ、概ね計算通りですわ。この程度の『引き』は、私の支配下においては当然の結果。驚くには当たりませんわね」
「いや、さっきまで『虹よ来い!』って叫んでましたよね!? 白目剥きかけてましたよね!?」
「カイル、貴方の鼓膜は少し洗浄が必要なようね」
冷徹な一瞥でカイルを黙らせると、アリシアは誇らしげに新設された設備を指し示した。 気候管理システムが発動したことで、楽園の気温は常に24度、湿度は50%に固定され、床掃除の手間すら省ける清浄な空間が完成したのだ。
【王国のパニック】
その頃。 アビス・ダンジョンの入り口から数百メートルの地点で、ブランドン騎士団長たちは絶望の淵にいた。
彼らは、自分たちの状況が理解できなかった。 先ほどまで死の淵にいたはずなのに、なぜか全身がピカピカに磨き上げられ、肌は赤ん坊のようにツヤツヤとしている。だが、その心は折れ、魂は恐怖という名の洗練を受けていた。
「だ、団長……。報告……なんて報告すればいいんですか。あのアステリアの令嬢は……アリシアは、魔物に食い殺されるどころか……」
「……言うな。言うのではない」
ブランドンは、手元に残された空っぽのポテトチップスの袋を見つめ、ガタガタと震えていた。 あそこには、自分たちが信じていた「王国の権威」など一分も通用しない「神域」があった。 伝説の聖水で床を拭き、見たこともない光で闇を裂き、剣を指一本で弾き返すメイドが控える、狂気の楽園。
「アリシア様……。あの方は、もはや人間ではない。神か、さもなくば、この世の全てを買い叩く悪魔だ……」
団長の口から漏れた、無意識の「様」付け。 それは、誇り高き騎士団が、一人の令嬢の圧倒的な格差の前に、精神的な敗北を喫した瞬間だった。
彼らが真っ白に浄化された姿で王都へ戻った時、人々は最初、彼らを「聖遺物でも見つけてきた英雄」だと勘違いした。 しかし、彼らの口から語られる「楽園」の異様なまでの贅沢さと、アリシアの計り知れない恐怖の物語は、瞬く間に王宮を震撼させることになる。
一方、そんな混乱など露知らず。 楽園の主人は、新しく手に入れたポテトチップス製造機から出てきた「トリュフ塩味(期間限定)」のチップスをサクッと齧り、再びジェネシスの画面を見つめていた。
「……さて。次は、この楽園にどんな『インフラ』を導入しましょうか。ジェネシス」
『御意、マスター。乱数は常に、貴方の支配を待っています』
アリシアの不敵な笑みが、完全な空調の整った楽園に、静かに響き渡った。




