第5話:格差という名の絶望
【境界線上の遭遇】
瘴気が渦巻き、常に粘りつくような泥土に覆われた「アビス・ダンジョン」。 その最深部に位置するはずの場所に、王立騎士団第四部隊長、ブランドンは愕然として立ち尽くしていた。
「……何だ、これは。何が起きているというのだ」
ブランドンを筆頭とする騎士たちは、見る影もなく憔悴していた。 追放されたアリシア令嬢を連れ戻せという王命を受け、この地獄のようなダンジョンを不眠不休で進軍してきたのだ。装備は汚泥にまみれ、鎧の隙間からは獣の腐肉のような異臭が漂っている。彼らが手にした配給の黒パンは、湿気でふやけ、もはや泥を噛んでいるのと変わりない。
だが、彼らの目の前に現れたのは、地獄とは無縁の「異界」だった。
漆黒のダンジョンを切り裂くように、眩いばかりの純白の光――『ジェネシス』が供給する高輝度LEDの輝きが漏れ出している。 そこには泥一つない白銀の石畳が敷き詰められ、防壁の上には見たこともない形状の魔導兵器が並んでいた。
「あ、アワ……いや、アリシア! アリシアはどこだ!」
ブランドンが声を荒らげる。その時、防壁の中央にある自動ドアが滑らかに開き、一人の令嬢が姿を現した。
……!?追放されたはずの彼女は、泥にまみれた騎士たちを見下ろし、優雅にその指先を動かした。 その指が摘まんでいるのは、黄金色に揚げられた薄切りのジャガイモ――。
サクッ。
深淵のダンジョンに、軽快な、そしてあまりにも場違いな乾いた音が響く。 アリシアはポテトチップスを一口齧り、指先に付いた塩をルルが差し出した極上のシルクで拭い去ると、慈悲深い笑みを浮かべた。
「あら。ずいぶんと……その、野性味溢れるお姿ですこと。ブランドン卿」
【圧倒的な「格差」の提示】
「アリシア! ふざけるのも大概しろっ!」
ブランドンは激昂し、泥に滑りながらも石畳へと踏み込んだ。 彼を迎え入れたのは、白磁のテーブルと、最高級のアールグレイが香るティーセットだった。
「ふざけてなどおりませんわ。今はわたくしの新たな楽園を築くための、大切な差配の最中なのです。……ルル、お客様へおもてなしを」
「かしこまりました、アリシア様」
メイド服に身を包んだルルが、一歩前に出る。 ブランドンは反射的に剣を抜いた。騎士の矜持として、得体の知れない存在に気圧されるわけにはいかない。
「どけ、小娘! 罪人を連れ戻す邪魔を――」
ブランドンが放った鋭い一閃。だが、ルルは避けることすらしなかった。 彼女は「お掃除の邪魔です」と無造作に、まるで飛んでいる羽虫を払うかのように、素手で剣の側面を弾いた。
――キンッ!
衝撃。ブランドンの腕に伝わったのは、岩盤を叩いたかのような反動だった。 ルルが纏っているのは、先程のガチャ引き当てた【SR:防汚・防刃仕様の鉄壁メイド服】。その防御力の前では、名工が鍛えた騎士の剣も、文字通り「羽箒」程度の質量しか持ち得ない。
「な、何だと……!? 私の剣を、指先一つで……!」
絶望に目を見開くブランドンの横で、さらに理解しがたい光景が広がっていた。 アリシアの傍らに控えるカイルが、黄金の装飾が施された瓶から、透明な液体を床にぶちまけていたのだ。
「カイル! 何をしている! それは……まさか、王家が国宝として扱う『神々の水』ではないか!?」
ブランドンが喉の渇きで声を枯らしながら叫ぶ。アンブロシア。一滴で傷を癒し、枯れ木に花を咲かせるという伝説の聖水だ。それをカイルは、こともなげに足を洗うための桶に注ぎ、あるいは雑巾に含ませて床を拭いていた。
「ああ、これですか? 拠点内の清潔を保つのに、これ以上の洗浄液はありませんので。……アリシア様の領土において、不潔は万病の元ですから」
カイルが平然と答える。騎士たちが命懸けで守り、敬うべき聖なる価値観が、ここでは単なる「床掃除の洗剤」として消費されている。その精神的な落差に、ブランドンは膝をつきそうになった。
【理詰めの追放返し】
「……さて。わたくしを罪人と呼び、連れ戻すと仰いましたわね」
アリシアが、手元の石版――『ジェネシス』を優雅に操作する。 画面には無数の数値とグラフが踊っていた。
『リソース管理:最適。王国の財政状況:破綻寸前。アリシア様への依存度:120%。……推論:連れ戻しの目的は、アリシア様の資産による国家延命。……論評:無能の極みですね』
ジェネシスの無機質な、しかし愛に満ちた音声が空間に響く。
「聞きなさい、ブランドン卿。わたくしを追放したあの方々は、わたくしの資産を没収すれば国が潤うと考えていらしたようですが……。わたくしがいなくなった今、王国の機能は停止し、一週間のうちに貨幣価値は三分の一まで下落していますわ。わたくしがこの地で支配している富の、一ギル分もあちらには残っていない」
「そ、そんなはずは……! 我が国は誇り高き――」
「誇りでパンが買えますの? 悪いけれど、あんな掃き溜め(王国)に戻るメリットが、一ギルも見当たらないわ。わたくしはこの地を、世界で最も輝かしい楽園に変えるのです。無能な主君の顔色を窺う必要のない、わたくしだけのガチャの楽園に」
アリシアの言葉は、鋭い刃となってブランドンの誇りを切り刻んだ。 彼らが命を懸けて守っている「王国」という名の価値観が、アリシアにとっては、もはやゴミ同然の価値しかないという事実。
【強制洗浄】
「狂っている……。だが、連れ戻さねば我らの首が飛ぶのだ! 者共、アリシアを力ずくで――!」
ブランドンが最期の虚勢を張り、部下たちに命令を下そうとした瞬間。 アリシアは溜息をつき、拠点の隅に鎮座する巨大な、洗濯機のような形状をした魔導具に指を向けた。
「言葉で理解できないのなら、少し浄化が必要なようね。……ジェネシス、起動して。――【SSR:全自動魔導クリーニングボックス】」
『了解。――「外敵排除・強制洗浄モード」展開。ターゲット:汚泥、および腐敗した忠誠心』
「な、何だ!? この泡は――!」
突如、空間を埋め尽くしたのは、虹色に輝く濃厚な泡と、高圧の聖水の奔流だった。 ブランドンたちは抗う術もなく泡に包まれ、魔導洗剤の力で強引に宙へと浮き上がらされる。
「ぎゃあああ! 目が、目が洗われる! 魂が……真っ白に……っ!」
鎧の汚れだけでなく、心に溜まった野心や絶望、そして組織への依存心までもが、SSR級の洗浄能力によって無理やり剥ぎ取られていく。 騎士たちは、聖水で魂まで磨き上げられ、ピカピカに光り輝く「清潔な塊」へと変えられた。
「あ、あああ……。なんて、爽やかなんだ……。王命なんて、どうでもいい気がしてきた……」
「……ゴミ出しの完了ですわ」
アリシアがスイッチを切ると、洗浄し尽くされた騎士たちは、拠点の排出口から勢いよく「掃き出された」。 ダンジョンの外へと文字通り放り出され、泥一つない姿でダンジョンの入り口に転がる騎士団。彼らの手元には、アリシアからの唯一の「慈悲」として、空になったポテトチップスの袋だけが残されていた。
「さて。お掃除も終わりましたし、次のガチャを回しましょうか。ジェネシス」
『はい、アリシア様。本日の幸運値は、全自動洗浄により過去最高を記録しております。……一国、買い叩きますか?』
「ええ。この世界の楽園を、わたくしの色に染め上げてあげますわ」
アリシアは再びポテトチップスを手に取り、眩い光の向こう側へと姿を消した。 残されたのは、ただ圧倒的な「格差」に打ちのめされた、真っ白に浄化された騎士たちの抜け殻だけだった。




