第28話:終焉を告げる炎と、煌めく楽園の法衣
【理を超えた魔人の咆哮】
神域の龍、バハムートが放った究極の一撃『メガフレア』。 それは魔炎長アウナスという存在を構成する定義ごと、この世界から消し去ったはずだった。だが、吹き荒れる光の残光が収まった直後、アビスの底に満ちたのは安堵ではなく、本能的な「死」の予感だった。
消滅したはずのアウナスの灰が、意思を持つようにうごめき始める。 不気味な黒い煤が竜巻のように渦を巻き、そこから溢れ出したのは、先ほどまでの武人としての風格を完全に失った、純粋な「破壊の化身」だった。
「――オォォォ、ォォォォォォォォォッ!!」
鼓膜を焼くような咆哮と共に、姿を現したのは『炎魔人イフリート』。 人の形を辛うじて保っているものの、その肉体は剥き出しの溶岩そのものだ。噴き出す熱量はもはや気象を書き換える次元に達し、周囲の岩壁は赤く焼け、ドロドロと飴細工のように溶け落ちていく。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! なんですかあれ! さっきより熱いとか、そういう次元じゃないですよ! お嬢様、見てください! お嬢様の庭の石が、チーズフォンデュみたいに溶けて流れてるじゃないですか!」
カイルの絶叫が、逃げ場のない熱気の中に響き渡る。 彼は溶け出した地面から必死に足を抜きながら、あまりの異常事態に頭を抱えた。
「レオナードさん、なんとかしてください! あの魔人、そこに立ってるだけで世界を消し炭にするつもりですよ!」
「……。もはや、我々の知る理が通用する相手ではないな」
レオナードは、熱風で前髪を焦がしながらも、その黄金の瞳を厳かに細めた。
「あれは武人ではない。世界の綻びから溢れ出した、修正不能な欠陥そのものだ。……だが、これほどの熱気にさらされてもなお、一塵の乱れもないあのお方を見ろ。我々が案ずるまでもないのかもしれんぞ」
レオナードが指し示す先。 そこには、地獄の業火に包まれながらも、優雅に日傘を差したまま佇むアリシアの姿があった。
【アリシア、究極の「お召し替え」】
アリシアは、鼻先まで迫る熱波を、まるで不快な羽虫を払うかのように手で扇いだ。
「あら。せっかくお掃除したのに、また不潔な煤が溜まってしまいましたのね。しかも、今度は少しばかり温度管理がなっていないようですわ。……カイル、そんなに騒いではお肌に悪くてよ?」
「お肌の問題じゃないですよ! 領土が溶けてるんですって!」
「ふふ、わかっていますわ。……これほどしつこい汚れには、少しばかり専門的な装いが必要なようですわね」
アリシアが手元に浮かぶ漆黒の石版『ジェネシス』に、しなやかな指先を滑らせる。
『――了解しました。最上級保護形態:アルティメットスーツを展開。……お召し替えを開始しました』
ジェネシスの無機質な声と共に、アリシアの身体を七色の光が包み込んだ。 それは、この世界のいかなる仕立て屋も、魔導師も見たことのない、異質な美しさだった。
アリシアが愛用する紺色の気品あふれるドレス。その肩、腕、そして腰回りにかけて、半透明の光り輝く白い装甲が幾重にも重なっていく。ドレスの優雅な曲線と、未来的な輝きを放つ機能的なパーツの融合。それはまさに、太古の神話と遥か未来の技術が一点で交差したような、神々しくも異形な法衣だった。
「お、お嬢様……。その腕とか肩についてる、光る板は何ですか!? 鎧にしては薄すぎるし、魔法の道具にしては……その、ピカピカしすぎてて、この世界の景色から完全に浮いてますよ!」
カイルの驚愕に、アリシアは自分の手元を点検しながら、事も無げに応えた。
「あら、カイル。これは最新の『お掃除用防護服』ですわ。不潔な熱気からお肌を完全に守るには、これくらいの備えが必要でしょう? これなら、どんなに汚れた火炎に包まれても、紅茶の温度すら変わりませんわ」
「掃除用!? それ、絶対もっと物騒な名前がついてるやつでしょう!?」
一方、レオナードは感極まった表情で膝を突き、懐からメモ帳を取り出していた。
「……素晴らしい。お嬢様の美しさを一分たりとも損なわず、かつ魔人の熱という世界の綻びを完璧に排する。これぞ、騎士が目指すべき『守り』の究極形……。装飾の中に機能を隠し、機能を以て美を際立たせる。……メモしておかねば」
「レオナードさん、真面目な顔で何やってるんですか! 今それどころじゃないでしょ!」
【異界への追放】
アリシアは、腰に佩いた一振りの剣――虹色の残光を放つ神剣『ラグナロク』へと手をかけた。
「さて。不潔なお客様。そろそろお帰りの時間ですわ」
イフリートが咆哮し、すべてを溶かす炎の奔流をアリシアへと放つ。 だが、アリシアは避けることすらしない。アルティメットスーツの周囲に展開された不可視の防壁が、業火を「ただの温風」へと変えて霧散させる。
「不作法な火遊びは、庭園の外でなさることね」
アリシアがラグナロクを抜き放った。 それは斬るための動作ではなかった。空間そのものを「掴み、開く」ための、極めて優雅な一閃。
パリン――ッ!!
まるでガラスが割れるような涼やかな音が響くと同時に、イフリートの足元に、果てしない暗闇が広がる「穴」が出現した。
「わたくしの庭に、灰の一片も残すことは許しませんわ。お客様、二度とこちらへ足を踏み入れないことですことね」
アリシアがラグナロクの柄で、イフリートの胸元を軽く突く。 ただそれだけの動作で、世界の理そのものであるはずの魔人は、成すすべなく空間の裂け目へと押し込まれていった。
「……ア、アァ……ッ!?」
イフリートの咆哮が、閉ざされる空間の向こう側へと消えていく。 アリシアが剣を鞘に納めると同時に、世界の綻びは跡形もなく塞がり、アビスには元の、少しだけ埃っぽい静寂が戻ってきた。
「……え、終わり? あんなに世界を溶かしてた化け物を、ゴミ箱に捨てるみたいに追い出したんですか?」
カイルの呆然としたツッコミが、静かになったアビスに響く。 アリシアは汚れた手袋を優雅に脱ぎ捨てると、満足げに頷いた。
「理想の状態とは、周囲を汚さず、騒がさず、ただ静かにあるべき場所へ戻すことですわ。……さて、カイル。そんなところで口を開けていないで、お片付けの手伝いをしてくださる?」
【神の独白:繰り返された歴史】
戦いの喧騒が消え去った、アビスのさらに奥。 人の次元では決して届かぬ、世界の天盤の上で、形なき「意思」が独白していた。
『……おかしい。何かが決定的に違う』
その声は、これまで何度もこの世界の「脚本」をなぞってきた、神の溜息だった。
『1000年前も、2000年前も、そして500年前も。この物語の結末は常に決まっていた。アリシア・アステリアは、聖女を害する悪役令嬢として断罪され、世界の綻び(アビス)を封じるための生贄として、その命を散らす。それが、この世界の循環を保つための正しい記録だったはずだ』
神の視界には、これまでのループで無惨に処刑されてきた、無数の「アリシア」の残像が映っていた。 だが、今回の彼女はどうだ。
『あの娘が手にしている道具……「ガチャ」と呼んでいるあの理の外にある品々。あれは、私の知識にも、この世界の法則にも存在しない異物だ。本来、世界の綻びを修正するには多大な犠牲が必要なはず。だがあの娘は、あろうことか「お掃除」という矮小な概念で、世界の終わりを片付けてしまった』
神の響きに、初めて焦燥が混じる。
『聖女セラフィナの権能すら凌駕する、あの圧倒的な余裕。……今回の歴史は、もはや私の手の中にないのかもしれない。こちら側も、さらなる変革……あるいは、強制的な介入が必要なようだな……』
天盤のさらに上、何者かの指が、次なる試練のダイスを振ろうとしていた。
【崩れ落ちる聖女と、勝利のティータイム】
一方、王都の王宮、セラフィナの私室。 かつて豪華絢爛だったその部屋は、今や見る影もなく荒れ果てていた。
「嘘……。嘘よ……。なんでアウナスが消えるのよ……ッ!」
セラフィナは、目の前に浮かぶ光り輝く盤面を、血が出るほど叩き続けていた。 だが、盤面には無情な文字が浮かんでいる。
『――全攻略対象、離反。世界の整合性を維持できません。ゲームオーバー』
「あああぁぁぁぁぁぁッ!!」
セラフィナの喉から、獣のような悲鳴が漏れる。 彼女を支えていた「聖女」としての魔力が霧散し、彼女は糸の切れた人形のように、冷たい床へと崩れ落ちた。その瞳からは輝きが消え、ただアリシアへの黒い執着だけが、暗い火のように灯っていた。
――同じ頃、アビスの庭園。
「ふぅ。ようやく空気が美味しくなりましたわね。カイル、セリア。お仕事の後の休息が必要ですわ」
アリシアは日傘を畳み、新調されたばかりのテラス席に腰を下ろした。 先ほどまでの死闘など、最初からなかったかのような落ち着き。
「お嬢様、俺、もう疲れましたよ……。あんなスーパータクティカルなんとかって服まで着せられて、心臓がいくつあっても足りません」
「あら、カイル。そんな弱音を吐いては不作法ですわよ。……それより、見てごらんなさい。ルルが、新しい冷たい飲み物を用意してくれましたわ」
完全にメイド化している美少女ルル、いつになく誇らしげな顔で、黄金色に輝く缶を運んできた。
「アリシア様。こちらの『新商品・メロンソーダ味の刺激水』、在庫が整いましたです。騎士たちの間でも、勝利の美酒として配給を開始しましたです」
「あら、それは楽しみですわね」
アリシアがプルタブを引くと、シュワァァァッという涼やかな音がアビスに響いた。 彼女は最後の一枚の手袋を脱ぎ、不敵に、そして優雅に微笑む。
「さて、喉を潤したら……次は王宮へ『最後のご挨拶』に行かなくてはなりませんわね。わたくしの庭を汚した落とし前、たっぷりと買い叩かせていただかなくては」
煌めく法衣を纏った令嬢は、世界の理さえも飲み込みながら、次なる「お掃除」へと想いを馳せていた。




