第26話:魔貴族進軍、決死の迎撃作戦
【地獄の三連奏】
絶望は、唐突に「実体」を結んだ。 魔戦士公アラケスが討たれたことで、この世界を縛っていた均衡は完全に崩壊。その亀裂から這い出したのは、物語を強制終了させるために産み落とされた「規格外の災厄」たち――三魔貴族。
まず、楽園の空が死んだ。 上空から舞い降りたのは、巨大な翼を持つ異形の影。魔龍公ビューネル。優雅な女性の顔、老いた賢者の顔、そして這い回る蛇の尾が絡み合うその姿は、そこに存在するだけで重力の法則をねじ曲げていく。
「う……ぐ、ぅッ!? なんだこれ、身体が……地面に吸い込まれる……ッ!」
最前線の騎士たちが悲鳴を上げる。ビューネルが悠然と羽ばたくたびに重力は狂い、白亜の石畳は自重に耐えかねてクモの巣状に砕け散る。 追い打ちをかけるように、大気そのものが変質した。 魔海侯フォルネウル。その深緑の鱗と無数の牙が放つ魔力は、透明なはずの空気を「高圧の水域」へと書き換えてしまったのだ。
「お、お嬢様! これ、絶対におかしいですよ! 敵の数も質も、完全にこの世界の常識では考えられないレベルじゃないですか!」
防衛システムのモニターを叩き、カイルが叫ぶ。エナジードリンク『レッドカウ』の過剰摂取により、彼の瞳はバキバキに充血し、血管が浮き上がっている。強制的に引き伸ばされた時間の感覚の中でさえ、目前の光景は処理しきれない絶望だった。
奥で物流管理を担うセリアが、いつものクールな筆致でモニターを操作し、戦況を共有する。
「カイル様、誰に報告しても無駄です。物差しになる常識そのものが消滅しています。今、いつ、どこで、誰が、何を、なぜ……そんな分析は不要。私たちがすべきは、目の前の異常事態を物理的に排除し、アリシア様の楽園を守り抜くこと。それだけです」
「排除って……空気は水より重いし、上からは見えない巨人に踏みつけられてるみたいなんだぞ!」
「アリシア様のお掃除に、例外は認められません」
セリアの断言に応えるように、最深部でソファに座るアリシアが、最後の一口のポテトチップスを飲み下した。
「あら、カイル。騒がしいですわね。不潔なゴミが三つ集まったのなら、まとめて掃き出し、座標ごと処分して差し上げるのが礼儀というものですわ。……さあ、皆様。わたくしの庭園を汚す不作法な輩を、根こそぎ消去してご覧なさい」
アリシアの冷徹な一言と共に、楽園の全システムが赤く点滅し、世界を賭けた迎撃の幕が上がった。
【フォルネウル撃退戦:絆の闘い】
最初に牙を剥いたのは、地上を水中へと変貌させたフォルネウルの軍勢だった。 粘りつく大気が防護服を圧迫し、バイザーには無数の警告が躍る。
ジェネシス『警告:関節部に浸水エラー。駆動効率が三十パーセント低下。機械的な損壊の恐れがあります』
「ちっ……! 腕が動かしにくい! 水の中で粘土をこねている気分だ!」
レオナードが黒い大剣を振るうが、フォルネウスが操る超高圧の水流は、名剣の刀身を容易く削り、無数の亀裂を刻んでいく。
「レオナード! 剣がもたんぞい! 新品を投げるから受け取れッ!」
後方で魔法の炉を激しく稼働させていたドワーフのギムリが、真っ赤に熱せられた予備の剣を空高く投擲した。レオナードは砕け散った剣を即座に捨て、回転しながら飛来する獲物を神速で掴み取る。
「助かる、ギムリ! セリア、各員の補強を頼む!」
「了解。レオナード様の防護服へ、瞬間冷却材を転送。浸水を凍らせて隙間を埋め、駆動を安定させます。……それとカイル様、そちらへ『点滴弾』を射出。戦いながら、それ(カフェイン)を脳へ直撃させなさい」
セリアがモニターをフリックすると、浮遊する小さなカプセルがカイルの口元へ飛び込んだ。弾けるような人工的な甘み、そして心臓を無理やり叩き起こすような強烈な刺激。
「うおおおおおおッ!! 身体が……熱いッ! 翼が見えるぞおぉぉぉ!」
レッドカウをキメ直したカイルの視界が、さらなる加速を遂げる。 彼は背中に光り輝く翼の残光を背負い、水の抵抗など存在しないかのような神速のステップで、フォルネウルの巨体へと肉薄した。
「これ以上、お嬢様の庭に水を撒かせるかよッ! 全力全開……パワーのリミッター、解除だぁぁぁッ!!」
カイルが絶叫し、防護服の右腕にある非常用ダイヤルを力任せに回し切る。 一瞬、カイルの拳が太陽のごとき光を放ち、フォルネウルが展開した水の障壁を突き破った。鈍い衝撃音と共に、魔海侯の喉元にある巨大な鱗が粉砕される。
「ギ、ギェェェェェェッ!?」
深海の侯爵が苦悶に悶え、その巨躯が大きくのけぞる。 ギムリの絶え間ない武器供給、セリアのアイテム管理、そして限界を超えた絆の連鎖が、世界の理を超えた化け物を確実に「掃除」していった。
そしてカイルが開いた「一瞬の風穴」を、最強の騎士は見逃さなかった。
「よくやった、カイル! 繋いだその命、無駄にはせんッ!」
レオナードの身体が、極限の負荷に悲鳴を上げる装甲と共に、更なる再加速を見せる。 彼の瞳は、レッドカウの覚醒効果とセリアからの多重バフ魔法によって、虹色の残光を引くほどに研ぎ澄まされていた。ギムリから託されたばかりの、打ち立ての熱気を帯びた大剣が、レオナードの闘気を受けて黒い炎を噴き上げる。
『警告。レオナード様の生体数値が安全圏を突破。これ以上の出力は、装備の自壊を招きます』
ジェネシスの淡々とした、しかし警告を帯びた音声が響く。だが、レオナードは止まらない。いや、止まることなど、彼の矜持が許さなかった。
「全壊上等! 俺の魂まで、この一撃に注ぎ込むッ! 限界突破――ッ!!」
レオナードの背中から立ち上る光の翼が、爆発的な輝きを放ち、大気という名の「水域」を力技で押し留める。 巨躯をのけぞらせ、喉元の急所を無防備に晒したフォルネウル。その深緑の瞳に、初めて確かな「死」への戦慄が走った。
「断ち切れ、騎士の誇り(エナジー)……ッ! 奥義――『無月散水』!!」
一閃。 あまりの神速に、フォルネウルが操っていた高圧水流すら、切り裂かれたことに気づかない。 レオナードが放った黒い閃光は、カイルが砕いた鱗の傷跡から、魔海侯の体内へと滑り込んだ。 静寂。 次の瞬間、フォルネウスの身体の内側から、凝縮された魔力と水の刃が四方八方へと噴き出した。 「グ、ギ……ィィィィィィィッ……!!」 断末魔の叫びと共に、深海の侯爵の身体は、アリシアが愛でる庭園を汚す「ただの不浄な水」へと還り、一滴も残さず消滅していった。
大気から粘り気が消え、重苦しい湿度が霧散する。 レオナードは大剣を地面に突き立て、激しい蒸気を上げる防護服の中で、荒い呼吸を整えながらその場に踏み止まった。
「……ふぅ。一丁、上がりだ」
その背中を見つめ、カイルがバキバキの瞳を輝かせてガッツポーズを作る。 だが、安堵に浸る暇はない。 空を支配するビューネルの影、そして……炎の中から現れたアウナスのプレッシャーが、再び彼らの肌を焼き始めたのだから。
【ルル vs ビューネル:最上級魔法の極致】
地上での激戦を遥か高みから見下ろす空。 そこには、一人の少女が滞空していた。銀髪をなびかせ、感情の削ぎ落とされた瞳で絶望を見つめるルルだ。 彼女の前で羽ばたくのは、三つの顔を持つ厄災、魔龍公ビューネル。
「不潔な三面相。アリシア様の空を汚すのは、禁止事項になりましたです」
ルルの魔力が大気を震わせ、その身体を浮遊させる。彼女は手にしたジェネシスの石版を介し、世界の根源にアクセスを開始した。
「火の性質を、氷の性質と混ぜ合わせましたです。爆発の力を、さらに雷の速度で加速させたのです……。出力を十倍に固定し、攻撃を適用することになりましたです!」
ルルが指先を突き出す。 「ファイガ」の極大熱量と「ブリザガ」の絶対零度が螺旋を描き、相反するエネルギーが衝突することで生じる「サンダガ」の神罰を纏ってビューネルを襲う。
「ハハハハ! 無駄よ、小さな人形! この世界の理は、既に私たちが書き換えたわ!」
ビューネルの女性の顔が嘲笑い、老人の顔が呪詛の言葉を紡ぐ。 ルルが放った一撃は、ビューネイの周囲に展開された「魔力の拒絶膜」によって吸収され、跡形もなく霧散してしまった。
「……装填が追いつきませんです。敵が、世界の理を超えているのです。……魔力の残量が、危険な数値になりましたです。思考回路が、熱くなってきましたです」
ルルの瞳に、激しいノイズが奔る。 短時間に最上級の「ガ系」魔法を間髪入れずに連射した代償。身体を構成する魔力がオーバーヒートを起こし、その計算速度は目に見えて低下していく。 ビューネルの翼から放たれる「アビスの風」が、無防備なルルの肉体を切り裂こうと、死の爪痕を刻みながら迫った。
「さようなら、可愛い人形。貴女の主ごと、ダンジョンの塵にしてあげるわ」
【アリシアの決断、禁忌のリリース】
「――あら。わたくしの可愛いメイドに、よくもそんな不作法な口が聞けましたわね」
ルルの意識が暗転しかけたその時。 脳内へ、そしてアビスの全域に、凛然たるアリシアの声が轟いた。
「お、お嬢様……ッ!?」
限界突破し、項垂れていたカイルが弾かれたように顔を上げる。 アリシアは居室のソファから一歩も動いていない。だが、彼女の膝元にあるジェネシスの石版は、それまでとは次元の違う、神々しい七色の輝きを放っていた。
「ルル。わたくしの騎士が、あのような不潔な三面相に後れを取るなど、わたくしが許しませんわ。……わたくし、今だけ少しばかり楽園の主としての意地を見せて差し上げます」
ジェネシス『――警告。管理者権限を一時的にリリース。禁忌術式の展開を許可しました』
アリシアが石版の画面を、これまでにない確信を持って「ポチッ」と叩いた。
「ルル、存分に『大掃除』をなさい。……空にある、目障りなゴミを一掃してご覧なさい」
ルルの瞳に、真っ赤なコマンドがロードされる。
『管理者コマンド:メテオ――読み込み完了しましたです』
その瞬間、アビスの天井……いや、世界の天盤のさらに外側から、大気を引き裂く轟音が響き渡った。 空を割り、闇を焼き、降り注いできたのは、巨大な燃え盛る「隕石群」――。 それが一つの巨大な隕石となってビューネイの頭上へと降り注いだのだ。
「な、何よこれ……!? この世界に、こんな魔法はないはずよッ! ぎゃあああああああああああっ!!」
ビューネルの悲鳴ごと、その姿そのものが世界から消去された。 爆心地から放たれた虹色の衝撃波が、フォルネウルの作り出した水域を一瞬で蒸発させ、アビスを覆っていた霧を跡形もなく吹き飛ばす。
凄まじい閃光。 静寂が訪れた後、そこには立ち尽くすカイルたちと、ボロボロになりながらも優雅に着地したルルの姿があった。
「……お掃除、完了しましたです。アリシア様……」
だが、安堵の溜息をつく暇はなかった。 ビューネルが消滅したはずの場所、未だにくすぶる炎のカーテンの中から、ゆっくりと人影が歩み寄ってくる。
揺らめく不気味な炎をその身に纏い、一言も発さず、ただ静かに楽園を見つめる最後の一体。 魔炎侯アウナス。
これまでの二体とは明らかに違う、静かな、しかし確固たる「死の予感」が、勝利したはずの一行を冷たく包み込んでいった。




