第19話:英雄の覚醒と、偽りの聖女
【霧の晴れた記憶と、大義の誓い】
神剣の衝撃が去り、応接室には再び静謐な空気が戻っていた。 アリシアは、ジェネシスから排出されたばかりの『SSR:黄金の癒葉茶』を静かに淹れる。それは精神の淀みを浄化し、理性を研ぎ澄ます「太古の恩恵」が込められた至高の一杯だった。
膝を突き、その茶を一口含んだレオナードは、突如として脳内を支配していた「甘い霧」が、急速に晴れていくのを感じた。
「……っ。アリシア様、わたくしは、一体……」
レオナードは自身のこめかみを押さえ、黄金の瞳に鋭い理知を取り戻した。 精神のデトックスは、彼にある残酷な「矛盾」を突きつけたのである。
「アリシア様。一つ、戦慄すべき不可解なことがございます。……俺が王都へ戻った際、皆が彼女を『聖女セラフィナ』と呼び、俺もそれを当然として受け入れた。だが今、この澄み渡った意識で振り返れば……あり得ぬことだ」
レオナードは自らの二十年以上に及ぶ軍歴を、記憶の底から手繰り寄せた。 名門貴族の系譜、修道院の記録、王国の歴史。そのどこを遡っても、「セラフィナ」という名は存在しなかった。
「……俺が北方の遠征に出る前、王国に聖女などいなかった。彼女は一体、いつ、どこから現れたのだ? まるで、最初からそこにいたかのように、世界そのものが俺に嘘を吐いている……」
英雄の背筋を、冷たい汗が伝う。 アリシアは優雅にカップを置き、どこか慈しむような、しかし冷徹な眼差しを師へと向けた。
「あら。先生も気づかれましたのね。……この世界には、わたくしたちの知らない『脚本(書き換え)』が存在しているようですわ。あの娘が望む通りに、過去も記憶も塗り替えられていく。……不潔なやり方ですわね」
「脚本……。世界が、あの娘の望むままに……?」
レオナードは、アリシアが置かれた「不当な断罪」の真実に触れた。 それは単なる嫉妬や陰謀ではない。世界そのものが「アリシアを悪」とし、「セラフィナを正義」とするように改竄されているのだ。
「……許し難い。武人として、一人の人間として、これほどの不正義を看過することはできん。アリシア様。世界が偽りを語るというのなら、俺はこの剣で、貴女の創る『真実(楽園)』の剣となりましょう」
レオナードは、かつて師として教えを説いた時以上の真剣さで、アリシアの足元に再び膝を突いた。
「正義ある王国を取り戻すため、貴女の盾になりたい。……アリシア様、どうか俺を、貴女の隅にでも置いていただきたい。不肖の弟子を守るためではなく、この理不尽な世界を切り裂くために!」
「ふふ、高い買い物になりましたわね。……いいでしょう。レオナード先生。貴方のその『英雄としての価値』、存分に活用させていただきますわ」
【英雄のカルチャーショック】
忠誠の誓いを終えたレオナードを、カイルが案内したのは「楽園」の居住エリアであった。 先ほどまでの重苦しい決意を胸に、警戒を解かずに歩く英雄に、カイルは苦笑いしながら一袋の包みを差し出した。
「レオナード様。まずは、これでも食べて落ち着いてくださいよ。お嬢様からお裾分けです」
「……何だ、これは。太古の秘薬か?」
「いえ、ただの『わさび塩ポテトチップス』です。お嬢様のお気に入りなんですよ」
レオナードは怪しみながらも、その薄く揚げられた「芋」を一口かじった。
「――っ!? ぐ、ぐおおおおお! な、何だ、この鼻を突き抜けるような鮮烈な刺激は!? そして、噛むほどに溢れ出す、未知の塩味と中毒的な旨味……! これほどの調理技術、王宮の料理長ですら一生かかっても到達できんぞ!」
「ですよねぇ。俺も最初は腰抜かしましたよ」
レオナードは驚愕に震えながら、次々と袋に手を伸ばした。 王国の未来を語る英雄の顔が、わさびの刺激に赤らんでいく。そのあまりのQOL(生活の質)の暴力に、彼の武人としての緊張感は、みるみるうちに溶かされていった。
さらに廊下を進むと、前方から規則正しい駆動音が聞こえてくる。
ウィィィン、という音と共に現れたのは、先ほどレオナードが一刀両断にしたはずのSSR防衛ドロイド『クリーナー』であった。
「……ッ!? 死んだはずでは!?」
「ああ、あれは予備機か、あるいはジェネシス様が瞬時に修復したんでしょう。この地では、壊れることも、汚れることも、すべてが『想定内』なんです」
ドロイドはレオナードの足を止めることなく、彼の横を平然と通り過ぎ、石畳を完璧な輝きに磨き上げていく。
「……。俺が魂を削り、一世一代の覚悟で放った一撃すら……この地では、日常の掃除の一部に過ぎんというのか……」
レオナードは、わさび塩の付いた指を見つめ、深いため息をついた。 自分が信じていた「武の極致」や「死闘の価値」が、この超未来の合理性の前では、ただのノイズに等しい。 だが、その事実が、かえって彼に安らぎを与えていた。王宮の甘く、不自然な、嘘に満ちた空気よりも、この無機質で、かつ誠実な文明の空気こそが、今の彼には信じられる現実だった。
「……ふふ。カイルよ。次は、この『全自動マッサージチェア』というものに座ってみても良いか? 精神の再定義には、少し休息が必要なようだ」
【王宮の狂気】
一方、王都オーレリアの王宮。 セラフィナは、豪華な寝室のベッドを乱暴に叩き、絶叫していた。
「なんで!? なんでレオナードのステータスから『魅了』が消えてるのよぉぉぉぉ!」
彼女の瞳の中の星が、血のような赤色を帯びて明滅する。 視界に浮かぶ透過型のシステム画面には、無情なエラーメッセージが踊っていた。
『――ERROR:攻略対象レオナードが離反しました』 『――警告:対象の認識が【聖女】から【不明な不審者】に上書きされました』
「意味わかんない! 意味わかんないですのぉぉ! この『エターナル・ラヴ&スターライト』のシナリオでは、レオナードはわたくしを庇ってアリシアに引導を渡す、最高に美味しいイベント担当だったはずなのに!」
セラフィナは、初めて自身の「管理者権限」が通用しない事態に直面し、爪を噛んだ。
「アリシア……! 貴方のせいで、私の完璧なゲームが壊されていく! せっかく設定(過去)を書き換えて、わたくしを最初からいたことにしたのに……! 運営、なんとかして! このバグ女を今すぐBANしてよ!」
彼女が叫んだ瞬間、王宮の空気が不自然に歪んだ。 セラフィナの背後に、歴史の整合性を強引に修正しようとする「巨大な影」が、不気味に蠢く。 世界そのものが、アリシアという異物を排除するために、さらなる無理難題を編み出そうとしていた。
【新たな秩序の始まり】
「……というわけで、先生。そのボロボロの鎧では、わたくしの楽園の景観を損ねますわ」
アビスの深部、アリシアは再びレオナードの前に立っていた。 彼女はジェネシスの画面を適当にスワイプすると、空間からひときわ荘厳な輝きを放つ「包み」を取り出した。
「これ……は」
「『SSR:不壊の英雄鎧・アステリアモデル』ですわ。わたくしの差配に従うのであれば、まずはその薄汚れた旧時代の殻を脱ぎ捨てていただきませんと。……ああ、それから、その大剣も少し古いですわね。次は、より『効率的にお掃除』できるものを引いて差し上げますわ」
レオナードは、雑に手渡された超未来の防具に絶句した。 一国の国宝を遥かに凌駕する性能を持った「備品」を、アリシアはただの作業着のように扱う。
「……はは。買い叩かれるというのは、これほどまでに心地よい屈辱なのだな」
レオナードは、新たな鎧を纏い、黄金の瞳に真の忠誠を宿した。 アリシアはジェネシスのモニターに映る王宮の歪みを見つめ、不敵に口角を上げる。
「さて。先生という最大級の『お掃除用具』が手に入りましたし……。そろそろ、あの不潔な王宮の『大掃除』の段取りを考えなくてはなりませんわね」
アリシアの指先が、次なる「十連」のボタンにかかる。 その瞳には、世界の脚本すらも一国ごと買い叩こうとする、強欲で優雅な光が宿っていた。




