第17話:不落の楽園、突破さる
【静かなる開戦】
自動ドアが厳かに左右へと分かれた瞬間、これまでの不届き者たちを等しく塵へと変えてきた「楽園」の防衛機構が火を噴いた。 天井のノズルが高速で回転し、SSR級の浄化魔力を帯びた超高圧の霊水――「お清め」の奔流が、一斉にレオナードへと放たれる。
並の騎士であれば鎧ごと砕かれ、魔導師であれば絶叫と共に流されるであろう、暴力的なまでの水の槍。 だが、レオナードは動かなかった。
「……茶番だな」
彼は抜剣すらしない。ただ、黄金の瞳に鋭い光を宿し、一歩を踏み出した。 その瞬間、彼の全身から溢れ出した漆黒の闘気が、物理的な衝撃波となって放射される。 凄まじい轟音を立てて迫っていた霊水の奔流は、レオナードの体に触れることすら叶わず、まるで目に見えない刃に両断されたかのように左右へと霧散した。
濡れることのない紅と黒の鎧。レオナードの周囲には、踏みしめた石畳が爆ぜた粉塵だけが舞っている。
「仕掛けは巧妙だが、迷いがある。アリシア様、貴方の剣はどこへ行った。このような水の壁で、俺を止められると思ったか」
その声は冷徹でありながら、どこか教え子の変節を悲しむ師の憂いを含んでいた。 彼は止まらない。無機質なセンサーが放つ警告音を軍靴の音で踏み潰し、レオナードは「楽園」の深部へと、悠然と歩みを進めた。
【最強ドロイド vs 英雄】
「……嘘だろ。お清めを、歩いて通り抜けたってのか……っ!?」
モニター越しにその光景を見ていたカイルは、喉の奥が引き攣れるような戦慄を覚えた。 これまでの敵は、アリシアが用意した「未知の理」に翻弄され、成すすべなく排除されてきた。だが、目の前の男には理屈が通じない。ただ磨き抜かれた「武」という一点のみで、世界の法則をねじ伏せている。
「ルル、次の備えを! クリーナー様を出せ! あれを止められるのは、もうあの方しかいない!」
「わ、わかってますわ……! クリーナー様、お願いしますの!」
ルルが操作盤を叩くと、回廊の奥から銀色の残像が飛び出した。 SSR防衛ドロイド『クリーナー』。 かつて魔導師団を一人残らず「掃き出した」最強の掃除屋だ。ドロイドの四肢に備わった高周波ブレードが、キィィィンという耳を刺すような駆動音を上げ、レオナードの首筋目がけて超高速の刺突を放つ。
肉眼では捉えきれない、死の旋風。 だが、レオナードは背負った大剣の柄に、ようやくその手をかけた。
「――重いな。機械の動きは」
抜剣の音すら聞こえなかった。 ただ、一瞬だけ世界が「黒」に染まった。 レオナードが放った横一文字の薙ぎ払いは、ドロイドの超高速移動を真っ向から捉え、その絶対的な質量の暴力によって、ドロイドの超合金装甲ごと、中枢の魔晶石を一刀両断にした。
ドロイドが火花を散らし、真っ二つになって石畳に転がる。 カイルは、モニターの前でへたり込んだ。
「……一撃かよ。あの、クリーナー様を……ただの剣で、一撃かよ……っ!」
絶望だった。 アリシアがガチャで引き当てた、この世の常識を越える遺物が、一人の人間の腕っぷしによって「ただの鉄屑」へと変えられた。 英雄レオナード。その名は、伊達ではなかったのだ。
【楽園の回廊、葛藤の行軍】
さらなる罠を、足音一つで踏み砕きながら、レオナードは「楽園」の中枢へと歩を進める。 廊下を曲がるたびに、彼の視界には「異常」な光景が飛び込んできた。
一点の塵すら落ちていない石畳。 瘴気を微塵も感じさせない、春の野山のような清らかな空気。 そして、備蓄庫から漂ってくる、芳醇な茶葉と、見たこともない香ばしい菓子の匂い。
レオナードは、無意識に足を止めた。
「……。魔女の棲家だと? これが?」
王都で聖女セラフィナが言っていた言葉が、脳裏を掠める。 ――アリシア様は魔女になり、不潔な力で世界を呪っている。 だが、実際にこの地を歩いて感じるのは、呪いなどとは程遠い、徹底された「秩序」と「静謐」だ。 この空気の清浄さはどうだ。淀んでいるのは、欲望と権謀術数に塗れた王宮の方ではないのか?
レオナードの心に、小さな疑念の種が芽生える。 しかしその瞬間、彼の脳裏をセラフィナの『魅了』の残り香が、棘のように刺した。
(――惑わされてはダメですのよ。これは魔女が見せている、甘い幻覚。あの女は、そうやって人の心を腐らせていくんですの)
「……くっ、幻覚か。そうだ、あのアリシアが、これほどの地を独力で築けるはずがない」
レオナードは頭を振り、歪んだ思考で自身の疑念を塗り潰した。 黄金の瞳が再び、武人としての冷徹な色を取り戻す。 彼は大剣を握り直し、最後の一枚となった重厚な扉の前に立った。
「アリシア様……。不肖の師、参った」
【宿命の対峙】
扉が、音もなく開いた。 そこは、これまでの戦闘の喧騒が嘘のような、優雅な応接室だった。 空気清浄機がかすかな風を送り、テーブルの上には、まだ湯気を立てる紅茶が二客分、用意されている。
その奥に、彼女は立っていた。
アリシア・フォン・アステリア。 その手には、これまでの漆黒の魔導書ではなく、一振りの剣が握られていた。 刀身から溢れ出すのは、この世の光をすべて凝縮したような、眩いばかりの虹色の輝き。 ガチャで手にし、今日この時まで解き放つことのなかった、至高の遺物。
『――SSR:神剣ラグナロク』
その神々しい輝きを前に、レオナードは初めて、本能的なまでの死線を感じて頬を戦慄かせた。
「……先生。よくここまで、わたくしの不細工な『お掃除』を潜り抜けていらっしゃいましたわね」
アリシアの声は、どこまでも穏やかで、そして深く慈しみに満ちていた。 彼女は神剣を正眼に構え、師へと一歩を踏み出す。
「ですが、ここから先は『文明の利器』の出番ではありませんわ。……先生から授かったこの技術と、わたくしの蓄えをすべて注ぎ込んだこの一撃。……どちらが正しいか、その身でご確認いただけますかしら?」
「……。望むところだ、アリシア様」
レオナードが漆黒の大剣を上段に構える。 静寂が、凍りついたように張り詰めた。 師弟が交わす、最後にして最強の一撃。
神剣の虹光と、英雄の闘気が激突する寸前――アビスの底に、かつてない衝撃波が巻き起ころうとしていた。




