第16話:英雄の帰還と、聖女の囁き
【英雄レオナード、凱旋】
王国オーレリアの目抜き通りは、地鳴りのような歓声に包まれていた。 数年に及ぶ北方の蛮族遠征を終え、王国最強の守護者、レオナードが帰還したのである。
鋭い銀髪を風に流し、黄金の瞳で前方を見据えるその姿は、まさに生ける伝説そのものだった。褐色の肌を覆うのは、紅と黒の禍々しくも美しい重厚な鎧。背には身の丈を優に越える大剣を背負い、彼が騎乗する軍馬が踏み出す一歩ごとに、大気が震えるような威圧感が周囲を圧していた。
「レオナード様! 英雄レオナード様万歳!」
民衆の熱狂を横目に、レオナードは微かに眉をひそめた。 彼は、かつての部下であり、今は王都の警備を任されているブランドンが城門で出迎えているのを見つける。だが、その様子が明らかにおかしかった。
「……ブランドンか。久しいな。だが、その顔はどうした。戦場を退き、牙が抜けたか?」
「レ、レオナード様……! お帰りなさいませ……」
ブランドンの姿は、不自然なほどに「綺麗」だった。鎧は一点の曇りもなく磨き上げられ、以前のような無骨な力強さが消え、どこか魂が抜け落ちたような、怯えた小動物のような目をしている。 レオナードの黄金の瞳が鋭く細められた。
「お前達、王宮で何があった。兵たちの目に、誇りではなく恐怖が宿っている。……そして、この鼻を突く妙な清涼感は何だ」
「そ、それは……。アビスにて、あのアリシア様が……いえ、あの方が……」
ブランドンは「掃除」という言葉を口にすることすら恐ろしいのか、ガタガタと震え出した。 レオナードは無言で馬を歩ませる。彼が知るアリシア・フォン・アステリアは、確かに傲慢なところはあったが、誰よりも気高く、その剣筋には一切の迷いがない少女だった。 今の王宮に漂う、この不気味なほどに甘く、かつ冷たい沈黙。 英雄は、自身の背負う大剣が不吉な共鳴を上げているのを感じていた。
【聖女の嘘と不完全な魅了】
凱旋の儀を終えたレオナードを、王宮の裏庭へと誘い出したのは、桃色の髪を揺らす愛らしい少女であった。
「レオナード様。わたくし、ずっとお待ちしておりましたの」
聖女セラフィナ。その瞳に宿る星が妖しく明滅し、レオナードの周囲に黄金の粉塵が舞う。 セラフィナは潤んだ瞳で彼を見上げ、胸元で手を組んだ。
「わたくし、悲しくて堪りませんの。レオナード様が愛弟子として大切になさっていたアリシア様が……。あの方は今、アビスの底で恐ろしい太古の魔導を操り、魔女となって王国を呪っているんですのよ」
「魔女、だと?」
「ええ。アリシア様は、わたくしたちをゴミのように扱い、清らかな騎士様たちを嬲り、この世界を壊そうとなさっていますわ。……レオナード様、お願いですの。どうかあの方に、引導を渡して差し上げてください。それが、あの方への唯一の慈悲ですのよ」
レオナードの脳内に、セラフィナの放つ『魅了』が、粘りつくような甘い囁きとなって響く。
(よし、このままレオナードの好感度を最大まで釣り上げて、アビス攻略の特攻アイテム(ボス殺し)にするわよ。……チート級のパラメーターを持つ英雄に、魔女に堕ちた弟子を殺させる。これこそ、乙女ゲームの王道(神展開)ですわ!)
セラフィナの瞳の裏側で、無数のシステムメッセージが激しくスクロールしていた。彼女にとってレオナードは一人の人間ではなく、アリシアという「バグ」を消去するための強力なコマンドに過ぎなかった。
しかし、レオナードの黄金の瞳が、一瞬だけ鋭い輝きを放った。 黄金の粉塵が、彼の放つ圧倒的な闘気によって一瞬で消し飛ばされる。
「……。聖女殿。貴女の言葉は重く受け止めよう。だが、俺の瞳はまだ、アリシアが魔女に堕ちた姿を見てはいない」
「……っ!?(えっ、嘘でしょ、魅了を弾き返した!? この英雄、メンタル耐性どんだけ高いのよ!)」
レオナードは大剣の柄に手をかけた。聖女の甘い言葉に微かな違和感を感じつつも、王国最強の魔導師団が壊滅したという事実は動かない。 アリシアが何を手に入れ、何を変えてしまったのか。
「かつて剣を教えた師として、責任を持って見届けさせてもらう。……彼女が真に道を誤ったというのなら、この俺が、全力で彼女を止めるまでだ」
レオナードは踵を返し、その足で王宮を後にした。 その背中を見送りながら、セラフィナは歪んだ笑みを浮かべ、メニュー画面の「イベント開始」のボタンを乱暴に叩いた。
【楽園の平穏と師への敬意】
アビスの底。一年中、春の陽だまりのような適温に保たれた「楽園」の応接室。 アリシアは、最新の『超音波洗浄機』で磨き上げられたクリスタルグラスを傾け、カイルからの報告を聞いていた。
「……お嬢様。シャレになんないのが来ますよ。レオナード殿。あの『王国最強』が、一人でここに向かってます」
カイルは、かつてないほどに顔を青ざめさせていた。これまで押し寄せてきた騎士や魔導師とは、存在の次元が違う。レオナード一人の武勇は、一国の軍隊に匹敵すると言われている。
「……先生がいらっしゃるのね」
アリシアの言葉には、怯えも不安もなかった。あるのは、かつて自分に剣の理を叩き込んでくれた師への、深い敬愛と懐かしさだ。
「先生は、この地の備え(システム)を誤魔化せるようなお方ではありませんわ。……であれば、わたくしも、相応の覚悟でお迎えしなくては失礼というものですわね」
アリシアは手元のジェネシスを操作した。 画面には、ガチャで排出したまま「使うべき時」を待っていた、ひときわ輝くアイテムが映し出されていた。
『――排出確定アイテム識別:神剣・ラグナロクー(超未来出力安定型)』
「あら。最高のおもてなし(神剣)の準備は、既に整っているようですわ。カイル、ルル。先生を不作法に追い返すようなことは致しませんわよ。……ただ、わたくしの差配するこの楽園を土足で踏み躙ると言うのであれば、師であろうとも、わたくしの支配に従っていただくまでですわ」
アリシアの瞳が、虹色の光を浴びて美しく、そして鋭く輝いた。 彼女は再びジェネシスの画面をスワイプし、楽園のエネルギー供給を最大出力へと引き上げた。
「さあ、いらっしゃい、レオナード先生。わたくしがこの地の蓄えをもって築き上げた、新たなる文明の美しさ……。その瞳で、じっくりとご覧になればよろしいわ」
【深淵に響く軍靴の音】
楽園の入り口。これまでの侵入者たちが悲鳴を上げ、あるいは呆然と立ち尽くした、あの自動ドアの前。
そこへ、かつてないほどに重厚で、一切の迷いのない足音が響き渡った。
ザッ、ザッ。
一歩ごとに、迷宮の瘴気が霧散し、壁の岩肌がその圧力に耐えかねて軋んでいる。 モニター越しにその姿を捉えていたルルが、思わず耳を伏せ、カイルが息を呑んだ。
そこに立っていたのは、抜剣すらしていないレオナードだった。 彼は無機質な金属の門を、まるで旧知の友人の家の扉であるかのように、黄金の瞳でじっと見つめている。
「……。隠れるつもりはないようだな、アリシア」
レオナードの声は、岩を穿つような重みを持って門を通り抜け、楽園の奥深くまで響いた。 彼は大剣の柄から手を離し、不動の構えで立つ。
「不肖の師、レオナード。約束通り、貴女をお迎えに上がりました。……貴女が何を見、何を掴み取ったのか。その剣をもって、俺に示していただこう」
自動ドアが、これまでにないほど滑らかに、そして厳かに左右へと開いた。 白いLEDの光が溢れ出し、英雄の紅と黒の鎧を照らし出す。
楽園の主と、王国最強の英雄。 師弟による、世界の常識を懸けた再会が、今、始まろうとしていた。




