第五十七話:沈黙の塔の黄昏と、美しき王子の涙
クリスとの面会を終え、ルナとアレスは再び最上階の居室へと戻ってきた。部屋には夕刻の赤い陽光が差し込み、石造りの壁を琥珀色に染め上げている。
アレスは部屋に戻るなり、ルナを束縛していた腕を解き、力なく壁に背を預けた。先ほどまでクリスの前で見せていた「冷酷な支配者」としての虚勢は消え失せ、その顔には深い疲労と、自分自身への嫌悪感が滲み出ている。
ルナはそんなアレスの姿をじっと見つめた。乱れた金髪が額にかかり、夕陽を浴びて宝石のように輝く瞳には、行き場のない孤独が揺れている。改めて見つめるアレスの容姿は、やはりこの世のものとは思えないほどに美しかった。転生前から「顔面S級」と称えられたその造形は、絶望的な状況にあってもルナの心を強く惹きつけてやまない。
ルナはゆっくりと歩み寄り、壁際で俯くアレスの目の前に立った。
「アレス」
ルナがその名を呼ぶと、アレスは怯えたように肩を揺らした。彼はルナを見ようとせず、絞り出すような声で呟いた。
「……笑えばいい。あんな男を助けるために、醜く嫉妬して、君をこんな塔に閉じ込めて。僕は自分でもわかっているんだ。僕の愛が、どれほど独りよがりで、歪んでいるか」
アレスは自嘲するように唇を歪めた。その表情さえも、完成された芸術品のような美しさを放っている。
「君を失うのが怖くて、僕は理性を捨てた。君が僕以外の誰かのために命をかけるのを見て、頭が狂いそうだったんだ。……君が僕に寄り添ってくれるはずなんてないのに」
アレスの言葉は、これまでの冷酷な命令とは正反対の、剥き出しの悲鳴だった。ルナは、彼をただの「ヤンデレ王子」という記号で見ていた自分を恥じた。彼はあまりにも純粋に、そして不器用にルナを愛しすぎていたのだ。
ルナはそっと手を伸ばし、アレスの頬に触れた。熱を帯びた彼の肌が、指先に伝わってくる。
「アレス、顔を上げて。私を見て」
ルナの柔らかな声に導かれるように、アレスがゆっくりと顔を上げた。至近距離で見つめ合う二人の距離。アレスの長い睫毛が震え、その瞳には涙が溜まっていた。
「私はね、アレス。あなたがヤンデレになっても、私を閉じ込めても、あなたのことを諦めたりなんてしないわ。だって、こんなに綺麗で、こんなに一生懸命に私を想ってくれる人は、世界中にあなたしかいないもの」
ルナは優しく微笑み、彼の頬を包み込んだ。
「クリス様を救ったのは、私の良心であり、研究者としての尊敬よ。でも、私がこの人生で隣にいたいと願うのは、アレス、あなただけ。あなたがどれだけ歪んでいても、その根底にあるのは私への愛だって、今はちゃんとわかっているから」
「ルナ……本当、なのか? 僕を、蔑んだりしないのか」
「蔑むわけないじゃない。こんなにカッコいい王子様に、ここまで執着されてるのよ? 私だって、少しは誇らしい気持ちなのよ。だから、もう自分を醜いなんて言わないで」
ルナはそう言うと、アレスの胸元に顔を埋めた。アレスの心臓が、早鐘のように激しく打っているのが伝わってくる。
アレスはしばらく呆然としていたが、やがて恐る恐る、ルナの背中に腕を回した。今度は彼女を閉じ込めるための力ではなく、愛しい存在を慈しむための、震えるほどに優しい抱擁だった。
アレスの目から、一筋の涙がこぼれ落ち、ルナの肩を濡らした。
「ああ……ルナ。僕は、君がいてくれるだけでいいんだ。王位も、力も、君が隣にいないなら何の意味もない。……信じさせてくれ。君が本当に、僕の側にいてくれるということを」
「ええ、信じさせてあげる。何度でも、あなたが安心するまで」
ルナはアレスの背中を優しく撫で、彼の孤独を溶かすように寄り添い続けた。
夕闇が迫る塔の中で、二人はいつまでも抱き合っていた。アレスの狂気は消えたわけではない。しかし、ルナの愛という確かな光が、彼の心の闇を少しずつ塗り替え始めていた。顔面S級の美貌を持つ王子の瞳には、支配欲ではなく、愛する女性を守り抜きたいという、真実の熱が宿り始めていた。
沈黙の塔は、もはや冷たい監獄ではなかった。それは、傷ついた魂同士が触れ合い、新しい絆を結び直すための、二人だけの聖域へと変わりつつあった。




