第四十五話:感情の制御と、王子の愛の再定義
アレスはルナの頬に残った涙の跡を、親指でゆっくりと拭った。その動作は優しかったが、その瞳は怒りと、ルナの心に対する絶対的な支配欲に満ちていた。
「君の涙は、僕の心を傷つける、最も鋭い刃だ、ルナ」アレスは冷たい声で言った。「君が他人を想って泣くのは、君がまだ僕の愛を理解していない証拠だ。だから、僕は君の感情を、僕のために完璧に制御する方法を教えなければならない」
アレスはルナを抱き上げ、寝室の寝台へと連れて行った。ルナは抵抗しなかった。抵抗が、クリスの運命をさらに悪化させることを知っていたからだ。
「君は、君の感情が僕から独立していると錯覚している。違う。君の全ての感情は、僕の支配下にあるべきだ」
アレスは、ルナの腕に嵌められたブレスレットの機能を利用することにした。彼は自分の通信機を取り出し、ブレスレットの調整モードに入った。
「このブレスレットは、君の感情の乱れを感知するだけでなく、僕の意志で、君の魔力制御を調整できる。君の感情が、僕の許容範囲を超えて揺らぐとき、微弱な魔力振動を与えるように設定しよう」
ルナは驚愕した。それは、物理的な痛みを与えるものではなく、ルナの魔導士としての生命線である魔力制御そのものを、アレスが遠隔で掌握することを意味していた。
「アレス、それはやめてください!私の魔導士としての能力を…」ルナは懇願した。
「能力?君の能力は、僕のためにある。君の感情が暴走し、僕の愛から逃れようとするとき、この振動が君の魔力中枢に警告を与える。僕の許しがない限り、君は他人を想って泣くことも、僕を裏切る計画を立てることもできなくなる」
アレスは冷酷に設定を完了した。彼の瞳は、ルナを完全に自分の管理下に置いたことに満足していた。
「僕の愛とは、君の全てを僕のものにすることだ。君の悲しみも、喜びも、全てが僕のために生まれるべきだ」
その夜、アレスはルナを抱きしめ、彼の愛を何度もルナの心に刻み込もうとした。しかし、ルナの心は、アレスの支配から自身を守るため、さらに深く沈黙し、偽りの仮面を頑なに守り続けた。
ルナは、肉体的な自由だけでなく、感情の自由さえも奪われたことを悟った。しかし、この絶対的な支配の中で、ルナの頭脳は逆境への適応を始めた。
(アレスは、私の魔力制御を監視している。逆に言えば、私が彼の支配を完全に受け入れているように見せかけ、魔力制御を常に完璧に保っていれば、彼は私が何を考えているのか、完全に知ることはできない)
ルナは、魔導士としての最高の才能を、アレスへの「愛の演技」と、クリスを救うための「秘密の思考」を守るために使うことを決意した。
アレスの腕の中で、ルナは目を閉じた。彼女の心は、凍結地帯で生きるクリスのこと、そしていつかこの檻を破るための計画で満たされていたが、彼女の魔力は、冷たい銀のブレスレットを通して、アレスへ「完璧な安寧」の信号を送り続けていた。




