第四十四話:愛と支配の迷宮で流す涙
監禁生活が始まってから数週間が経過した。ルナは、アレスの求める「完全な王妃」の役割を、寸分の狂いもなく演じ続けていた。彼の隣で目覚め、彼の望む政治的分析を述べ、彼の愛を求める視線に、偽りの優しさで応じた。
しかし、ルナの心は、アレスの愛と支配の迷宮の中で、激しく引き裂かれていた。
(なぜ、アレスは私を信じてくれないのだろう。私は、あなたに選ばれた時から、あなたの王妃になりたかった。あなたの才能に惚れ込み、あなたの理想を叶えるために、全てを捧げようとしていたのに)
ルナにとって、アレスは憧れの推しであり、その理想の実現こそが彼女の唯一の目標だった。ルナがクリスと研究したのは、アレスの支配から逃れるためではなく、アレスの王権をより確固たるものにするための、最高の知識を求めたからだった。しかし、アレスは、ルナの行動の動機を「裏切り」と断定し、ルナの真の愛を一切信じようとしなかった。
ルナがアレスの支配を受け入れているのは、彼への愛が消えたからではなく、クリスを救うため、そしてアレスの心をこれ以上傷つけないためだった。この複雑な真実を、アレスは理解するどころか、ルナの全ての行動を「服従の演技」としてしか捉えていなかった。
ある日の夜、アレスが王宮の急な執務で私室を離れた。騎士の監視は厳重だが、アレスの不在は、ルナにとって唯一の、感情を解放できる瞬間だった。
ルナは、アレスが寝室のテーブルに置き忘れた王宮の定期報告書に、目を走らせた。その中に、追放された貴族の動向を記した極秘の通信記録が含まれていた。
「イシュタール家の嫡男クリス。辺境の最果て、凍結地帯にある廃領地へ送還完了。今後の生存は絶望的」
その一文を読んだ瞬間、ルナの心臓は締め付けられた。クリスが送られたのは、単なる辺境ではなく、人が生きるには困難な「凍結地帯」だった。アレスは、ルナの裏切りに対する怒りを、クリスの命で報いようとしたのだ。
(クリス様…私が、あなたの運命をこんなにも過酷なものにしてしまった)
ルナは、自身の罪悪感と、アレスに対する深い悲しみ、そして恐怖がないまぜになり、膝から崩れ落ちた。
「ああ、アレス…私は、あなたのことが好きなのに…どうして信じてくれないの」
ルナは、アレスへの変わらぬ愛と、その愛が通じない絶望に泣いた。そして、自分のために苦境に立たされたクリスへの申し訳なさで、嗚咽を漏らした。
手首に嵌められたブレスレットが、ルナの急激な心拍数の上昇と、抑えきれない魔力波動の乱れを正確に感知し、微弱な警告音を立て始めた。
「警告。魔力制御に異常な乱れを検出」
ルナは、このブレスレットがアレスに自分の真の感情を伝えてしまうことに気づき、慌てて涙を拭い、呼吸を整えようとした。しかし、涙は止まらず、クリスへの罪悪感は制御できなかった。
数分後、私室の扉が音もなく開き、アレスが立っていた。彼の銀色の瞳は、ルナの乱れた姿を見て、即座に冷酷な怒りに燃え上がった。
「僕がいない間に、何をしている」アレスは静かに、しかし威圧的にルナへと歩み寄った。「君は、僕が君のために用意したこの豪華な部屋で、何を悲しんでいる。そして、なぜブレスレットが警告を発した」
ルナは、報告書を隠し、必死に平静を装った。
「アレス…急に、寂しくなって…」
アレスはルナの嘘を簡単に見抜いた。彼の視線は、ルナの流した涙の痕跡と、ルナが隠そうとした報告書に固定された。
「嘘をつくな。君の魔力の乱れは、深い悲しみと罪悪感を示している。僕がいない間に、あの男のことを考えていたな」アレスの声は低く、ルナの心を射抜いた。「君が流す涙は、僕の愛に感謝する涙でなければならない。他人を想って泣くなど、僕の王妃として許されない裏切りだ」
ルナは、自分の本心も悲しみも、全てがアレスにとって許されない「裏切り」になるという、絶望的な現実に直面した。彼女は、もはやこの支配から逃れる術を見つけることができず、ただアレスの冷たい腕の中で、自身の心を偽り続けるしかなかった。
あ、あ〜…
アレスがどんどん勝手に魔王と化していく




