第二十二話:茶会の始まりと、氷の壁への挑戦者
会場の中心に進むと、貴族の若者たちのざわめきが一斉に止んだ。アレスの存在は、その場の雰囲気を一瞬で冷たい氷のように変えた。ルナはアレスの隣に立ち、彼の絶対的な支配的なオーラを肌で感じていた。その冷気すら、ルナにとっては推しの特権だった。
(素晴らしいわ。アレスは、一言も発さずにこの場を完全に支配している。まるで、謁見の間ね。推しの顔面S級スキルと支配力、最高ね)
ルナは内心で感動しつつ、王妃の座を目指す者としての観察を開始した。彼女の外交戦略は、「アレスの氷の壁を突破できない貴族たちに、壁の内側にいる私から、価値ある情報と技術をわずかに提供する」というものだ。
すぐに、公爵家の主催者であるフローラ公爵令嬢が、まるで謁見するかのように、緊張した面持ちで挨拶にやってきた。彼女は華やかなドレスを纏っていたが、アレスの前に立つと、まるで色が褪せて見えるようだった。
「レオナルド殿下、ルナ様。このような非公式な場にご足労いただき、大変光栄に存じます」公爵令嬢は声を震わせながら言った。
アレスは冷たく短く応じた。その視線は公爵令嬢の背後、群衆全体に向けられていた。
「構わない。ルナの指導の一環だ。君たちの茶会は、今日から僕の実地研修の場となる。僕の存在は気にせず、いつも通り振る舞うように」
その一言で、茶会は表向き再開されたが、以前のような自由な空気は完全に失われた。若者たちは皆、アレスに睨まれないよう、ルナとアレスの周囲を避け、遠巻きに集まることしかできなかった。誰も、この氷の壁に近づく勇気を持てない。
「ルナ。これで男子生徒が君に近づく心配はなくなった」アレスは満足そうにルナの耳元に囁いた。彼の唇が触れそうな距離に、ルナはわずかに頬を赤らめた。
「ありがとうございます。おかげで集中できます」ルナは微笑んだが、内心では焦りを感じていた。このままでは、男子生徒どころか、女子生徒さえもまともに話しかけてこない。これでは外交成果はゼロだ。茶会に同席するというアレスの条件は、あまりにも完璧すぎる支配だった。
ルナは、テーブルに並べられた豪華な飲み物にも手を付けず、姿勢を正して立っているアレスをちらりと見た。そして、一つの行動に出た。
ルナはアレスの許可を得るため、彼の視界から決して外れないように注意しながら、会場の隅にある魔導書が並べられた閲覧スペースへと向かった。そして、誰も聞いていないことを確認し、囁くような小さな声と、最低限の魔力で、彼女が学園で成功させた魔力制御の実演を、まるで自己流の復習のように開始した。
それは、属性を持たない純粋な魔力を、極めて複雑な幾何学文様として空中に一瞬で描く高度な技術だった。光の軌跡は繊細で、すぐに消えるため、注意深く見ている者でなければ気づかない。
しかし、その驚異的な光の軌跡は、すぐに一人の青年の注意を引いた。
その青年は、他の貴族たちがアレスの冷気に怯えている中で、ただ一人、ルナの魔導書と彼女の指先から生まれる光に熱い視線を注いでいた。彼は、端正な顔立ちに、どこかルナと同じような平民的なハングリー精神と、貴族らしい自信を兼ね備えていた。侯爵家の紋章が見えるが、その立ち姿はアレスとは異なる、親しみやすいオーラを放っていた。
彼は、アレスの存在を恐れることなく、ルナにまっすぐ近づいてきた。彼の顔は、ルナの技術に対する純粋な興奮で輝いていた。
「素晴らしい制御技術だ。あれは、通常の属性魔法ではないですね。その魔導書は、私も以前から探しているものです」
その青年の声は、優雅でありながらも自信に満ちており、アレスの氷の壁に真っ向から挑戦するものだった。彼はルナの真正面に立ち、アレスの視界を遮ろうとした。
青年がルナに一歩踏み出した瞬間、ルナの隣に立つアレスの顔から笑みが完全に消え去った。その銀色の瞳は、冷たく、深く光を放った。アレスは、彼の支配領域に踏み込んできた挑戦者に対し、静かに、しかし明確な殺意を放った。




