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『……NHKの世論調査によりますと、各党の政党支持率は、”自由保守党”が28.3%、”憲法民政党”が12.6%、”国民中道党”が7.2%、”国家前進党”が9.1%、”市民みんなの党”が4.3%、”特に支持している政党はない”が37.9%でした。投開票が4日後に迫る中、与党の自由保守党の支持率は下落を続けており、議席の過半数確保は厳しい情勢となっています。国進党や民道党の勢いは衰えず、大幅に議席を増やす見込みで……』
「あ~あ」
気の抜けた声に、奥村和雄は思わずカーナビから顔を上げ、バックミラーをちらりと見やった。
43歳という年の割に引き締まった身体と190センチに迫る高身長。そして目鼻立ちのしっかりした二枚目が、閉め切られたミニバンの座席の中でずれ落ちるようにして腰かけていた。
斉藤俊介。メディアからその甘いルックスと政治家にしては珍しい若さを度々特集される彼はしかし、停車した車内で濃い疲れを見せていた。
「どうしたんです」
「どうしたもこうしたもないよ。テレビ聞いてただろ。下手すると野党に転落だよ」
「しかし先生の選挙区の東京第二区はかなりの差をつけて優勢ですよ」
斉藤が出馬した東京第二区は中央区と台東区の2つの区域。同区で競い合うのは、先ほどのテレビでも話題に上がっていた、最近勢いをつけてきた国民中道党、そして国家前進党から出馬する2人の候補者である。とはいえ、世間への露出も多く国民人気が高い斉藤は2人を突き放し、大きくリードしている図式だった。
「俺は与党の議員になりたいの。野党になったら政策通らんでしょうが」
うわー、と足をばたつかせて駄々をこねる斎藤に奥村はなんともいえない視線を向けた。
「奥村君もこれに落ちたら秘書解雇だぜ?」
「私は他につてがありますから」
「冷たい人間だなあ」
ぽんぽんと奥村と斎藤は言葉を交わす。こういう接しやすい人間性も斎藤の魅力なのだろう、と奥村は思う。しかもそれだけではなく……。
「国進党の躍進は脅威だな。このまま一定議席を獲得した場合、反科学的な意見が政府内に拡散しかねない」
後ろの座席からカーナビを眺める斎藤はそう言葉を投げ捨てた。先ほどまで冗談を交わしていた同人物とは思えないような真面目な口調に、ぼんやりとしながらも目には力がこもっている。
国家前進党、通称国進党は移民の制限や大幅な減税を掲げ、中高年を中心に急速に支持を伸ばした、いわゆる新興政党だ。斎藤が懸念しているのは、同政党が掲げる政策の、ワクチンを中心にした医療施策への不理解だろう。同政党はスピリチュアルや陰謀論じみたものまで政策に巻き込んでいる節があった。
続けて政策持論を整理し始める斎藤に、奥村は口角が上がっていくのを感じた。
斎藤は8年前の衆議院選で自由保守党から初めて出馬し当選してから連続で3期当選している実績を持つ。それは斎藤の根底にあるものが、落ちぶれた芸能人が転向した政治家のような甘えた思考ではなく、この国をよくしたいという熱意と政策の立案能力であるという証拠でもあった。
そうでなければ、と奥村は1人思う。私は彼についてきていない。
熱いものが全身を駆け巡る中、ふと腕を確認しバックミラー越しに後ろを見やった。
「そろそろ13時です」
その言葉を待っていたかのように、タイミングよくカーテンで閉め切られた窓がコツコツと音を立てる。
これは、恐らく。
「開けますよ」
「……ああ」
生返事を返す斉藤に奥村は内心苦笑する。座り込んだままの壮年を無視してドアに手をかけ、スライドさせた。
「おう」
そこには想定通りの人物が悠然と寒風に吹かれていた。
頬の痩けた皺まみれの顔と少なくなった白髪。スーツが浮いて見えるほどの細身を杖で支えている。秘書を連れていなければ、骸骨と見られてもおかしくないようなこの老人は、しかし。
党において最重要業務の執行を行う幹事長、総務会長、政務調査会長と並ぶ党4役の一員。いわば四天王の1人。選対委員長にまで上り詰めたこの道の大ベテラン、梅村誠である。
今回のような厳しい選挙戦では大忙しだろう、と奥村は人ごとのように考える。だから骸骨になったのか?それとも元からか?
「梅村先生、お忙しい中ありがとうございます」
「ああ、いいよいいよ」
脳みそのアップデートが済んだのか、バンから這い出た斉藤が慇懃丁重に頭を低くした。
「じゃあ、まあ早速やろうか」
数言儀式的な礼節を終えると、フラフラと手を振る梅村は時間が惜しいとばかりに選挙カーのはしごに革靴をかけ。
ずるり、と滑り落ちた。
バンに手をつき、体を揺らめかせたかと思うと、うずくまる。
「先生!?、大丈夫ですか!」
膝をつき近づこうとした斎藤に梅村は手をやると、一呼吸をつけ立ち上がった。
「いやあ、昨日飲みすぎたのかな」
君もいいから、と自身の秘書を制止すると動揺している周囲を見渡し、引き締めるかのように骸骨はしわがれ声を絞り出した。
「やろう」
「この斎藤俊介は厚生労働大臣政務官の一人として精力的に執務に取り組んでまいりました。皆様も記憶に新しいでしょう、新型コロナウイルスのような世界的な感染症危機に、適切に迅速に対応するための規定の整備!また専門家集団の国立健康危機管理研究機構(*感染症の科学的知見を政府に与える専門家組織*)の統合設置を推進してまいりました!斎藤君は人一倍多くの経験を積んだ、若いながらも優秀な政治家です!!」
JR上野駅広小路口前の聴衆に大声が響き渡った。
バンの裏側での出来事が嘘だったかのように、梅村は嗄れ声を張り上げていた。冬の薄雲の下、通りを行く群衆に呼び掛けている。大型のL字ビジョンが設置された一大ターミナル駅の前は、今や政治家梅村の独壇場と化していた。
さすが熟練の政治家、というべきだろうか。車の前でのぼりを支える奥村は、確かに群衆のボルテージが上がっていくのを感じた。演説を始めてから徐々に通行人が足を止めはじめ、今やあちこちから声援が飛び交うようになっている。
聴衆の熱気も最高潮。
後は最後の押しのみ、という時。
「斎藤君はまさに今政府に必要な人間なんです。どうか!どうか皆様!!斎藤俊介をもう1度国会に、」
…………国会に?
「…………?」
ぶつ切りになった声。
唐突の静寂に、旗を支えていた奥村は咄嗟にバンの架台を振り返った。
うめき声が、マイクが地面に滑り落ちた音が、スピーカーを通して拡散する。
異変を察知した聴衆に徐々にざわめきが伝染していく。
「どうしたのあれ」「なんか倒れたって」「やば」
―梅村先生が、倒れた。
「救急車!救急車呼んで!」
「寝かせろ寝かせろ」
「大丈夫ですか、先生」
「意識ないです」
「下ろしますから離れてください」
斉藤が抱きかかえるようにして梅村を架台に寝かせている様子が視界にかすめる。
―下からでは状況を捉えきれない!
広がっていく混乱に、奥村は旗を捨ててバンへと駆けた。
―東上野2丁目、永楽総合病院内駐車場
鈍い音を響かせ前部ドアが開閉し、揺れる車が密閉される。静まりかえった2人のみの車内に、夕焼けに染まる大通りの音が染み込んでいる。
重い空気の中、奥村は後部座席を振り返り、努めて明るい声を発した。
「後は梅村先生の秘書に任せおきました。搬送後にすぐ意識も戻って容態は安定してるそうです。吐き気と寒気、咳の症状があったので恐らくインフルエンザじゃないかと。今、検査を待っているところです」
なにぶん人が多かったので時間がかかるそうで、と続ける奥村に、斉藤は俯いたままだ。よほどショックだったのかもしれない。
先生、と身を乗り出して慰めにかかった秘書に斉藤は、
「え、ああ!ごめんごめん。聞いてなかった。何だった?」
素っ頓狂な声を上げた。そうかと思うと、何やらいそいそと耳から白い器具を外し、取り繕う。
イヤフォンかよ。
間抜け面を晒す斉藤に奥村はため息をついた。架台の上で手早く指示を出していたあの姿は一体何だったんだ。
「最近流行りのインフルじゃないかって言ったんですよ」
先ほどと同じ言葉を反復する。やたらと大きな声で「ああ、なるほど」と口早に繰り返す斉藤に呆れながら奥村は前に体を戻した。
「とりあえず事務所まで戻りますね」
「ああ、よろしく」
どこか心あらずな返答に、なんだかなあ、と奥村はエンジンボタンを押し込む。車体が震える。しかしまあ、と奥村はハンドルを捌く。選挙の前日に落ち込まれるよりはよかったかもしれない。
すでにスマホに目を落とし何事かを考えている斉藤を、奥村はバックミラーで眺めた。
スマホを指で叩き、斉藤は止めていた動画を再生する。
個人が撮影したビデオ、だろうか。どこかの建物から道路を見下ろすように撮っているらしい。今時珍しいほどの粗い画面には『11月6日』が緑色に点滅している。時折入りこむ撮影者の呼吸音が、音にノイズを走らせていた。
暗闇をくり抜く白い街灯が、雑居ビルやシャッターを下ろした商店をぼんやりと照らしている。桜のシンボルが描かれた小さなタペストリーが、電柱ごとにぶら下がっている。粗い画質でも分かる、特別変わったことの無い夜の交差点、のようにみえる。
しかし唐突に、衣擦れの音と共に、何も無いはずの暗闇に焦点が合わせられる。モザイクのように解像度の落ちた映像でははっきりとは判別できない。だが、動いている。
なにかが這って来ている。
十時になった道路。その前方から、はっきりと分からないそれが道路の上で身体をくねらせ打ち付けている。暗い空間に四肢が彷徨う様はあたかも狂喜に塗れているか、苦悶しているようにみえた。
「どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
動画の音声を聞き咎めたのだろう。不思議そうな横顔を見せながらも運転に戻る秘書に、斉藤は音量を下げた。申し訳なく思いつつも、しかし目はその奇妙な映像から離せないでいる。
数十秒。
点滅する信号の下で、伸張し、収縮したそれが唐突に動きを止める。立ち上がる。
平然と直立してどこかを、いや、なにかを凝視している。
手ぶれが激しくなり、ズームしていく。
こちらを見ている。
『ッ!』
カメラを揺らしつつ撮影者が立ち上がり、ぶつ切りになって映像が終わる。
まあありがちなホラー動画だ、と斉藤は結論づける。幽霊役の動きの気味の悪さは本物ではないかと思えるほどに素晴らしかったが、解像度の低さや唐突な終わり方は個人撮影のホラームービーにはよくあるものだ。最近はAI技術の発展で、実際のものと見間違うほどの高いクオリティの映像を簡単に生成できるようになった。おそらく、この映像もその類いのものだろう。今回の選挙戦でも、特に自由民本党に対するデマが相当数確認されている。
火消しに回った選挙期間を思い出しながら指をスライドさせる。
普段と違う点といえばアカウントの作成者、つまり撮影者がそれらを熱心に否定していることだろうか。こういう類いは大体ばれたらコメント欄を閉じてインプレッションだけを稼いでいくのだが。
『本当ならさっさと場所言えや』『東京都八王子市 それ以上は言えない』
「八王子ねえ……」
夕焼けが車内を染め上げ、スマホの液晶の光を妨害する。
そこまでして嘘を貫きたいものかと具体的に出された地名をなんとなく呆れた思いで眺めて、斉藤は手帳型のカバーを閉じた。




